| メンバー | 担当 |
|---|---|
| 柴田隆浩 | ボーカル・ギター |
| 梅津拓也(2018年脱退) | ベース |
| 酒田耕慈(2015年脱退) | ドラム |
忘れらんねえよは、2008年に結成された日本のロックバンドです。2011年に「CからはじまるABC」でメジャーデビューし、柴田隆浩の率直な歌詞とメロディー、ギターを中心とした力強いサウンドで知られるようになりました。
その結成には、少し意外なきっかけがあります。
会社員として働いていた柴田が、チャットモンチーのライブ映像を見て、もう一度バンドを始めようと決意したことです。
柴田は大学時代にもバンドを組んでいましたが、就職後は約6年間ギターから離れていました。そんな彼が音楽へ戻り、かつて交流のあったベーシストの梅津拓也に連絡を取ったことから、忘れらんねえよの活動が始まります。
結成後は3人で活動を重ねましたが、2015年にドラムの酒田耕慈、2018年にベースの梅津が脱退。柴田一人が正式メンバーとして残りながらも、バンド名は変えずに音楽を続けてきました。
中学時代にギターへ憧れた少年が、大学時代の仲間と再び音を鳴らし、どのように忘れらんねえよの音楽を作っていったのか。その始まりには、本人が語り残した具体的な出来事があります。
| 音楽史の段階 | 忘れらんねえよの歩み |
|---|---|
| 音楽の原点 | 柴田隆浩が中学時代に友人の弾き語りを聴き、ギターに憧れる |
| 結成前の活動 | 大学時代に「女殺団」で活動し、就職後は約6年間ギターから離れる |
| 結成 | 2008年、チャットモンチーのライブ映像をきっかけに再始動。梅津拓也、酒田耕慈と3人編成で活動 |
| メジャーデビュー | 2011年、アニメ『逆境無頼カイジ 破戒録篇』エンディングテーマ「CからはじまるABC」でデビュー |
| 音楽的な転機 | 2013年、「この高鳴りをなんと呼ぶ」を発表し、ライブの動員規模が拡大 |
| 編成変更と継続 | 2015年に酒田、2018年に梅津が脱退。柴田一人のバンドとして活動を継続 |
柴田隆浩の音楽の原点|中学時代のギターとの出会い
忘れらんねえよの音楽をたどると、出発点は柴田隆浩が中学生だった頃にさかのぼります。
バンドを組む前から、柴田にはギターを弾きながら歌う人への憧れがありました。最初にその魅力を感じたのは、有名なロックスターのライブではなく、学校の音楽室での出来事だったといいます。
友人が弾き語りした「TRUE LOVE」への憧れ
柴田はリットーミュージックのインタビュー企画『ギタボ考。』で、ギターを始めたきっかけを振り返っています。
中学生の頃、学校の音楽室で友人が藤井フミヤの「TRUE LOVE」を弾き語りしている姿を見ました。その演奏を聴き、自分もギターを弾きながら歌ってみたいと思ったそうです。
ギターへの最初の憧れは、身近な友人が一人で歌い、演奏する姿から生まれました。
「TRUE LOVE」は藤井フミヤが1993年に発表した楽曲です。アコースティックギターを抱えて歌う姿を思い浮かべやすいこの曲が、柴田にとってギターボーカルという演奏形態への入口になりました。
忘れらんねえよで柴田が担当するのも、ボーカルとギターです。中学時代に友人の演奏を見て抱いた憧れは、その後の音楽活動でも変わらず中心にありました。
ニルヴァーナ、BLANKEY JET CITYと大学時代のバンド活動
ギターに興味を持った柴田は、その後、ニルヴァーナのカート・コバーンやBLANKEY JET CITYの浅井健一にも憧れるようになります。
どちらもギターを弾きながら歌い、バンドの中心で強い存在感を放つミュージシャンです。柴田が語る憧れには、演奏技術だけでなく、ギターと歌を一体にして表現する姿への関心が見えてきます。
大学時代には「女殺団(にょさつだん)」というバンドで活動していました。
この頃、柴田のバンドとよく対バンしていたのが「魚乱(ぎょらん)」です。魚乱では、後に忘れらんねえよのベーシストとなる梅津拓也がベースボーカルを担当していました。
柴田は2018年に幻冬舎plusで発表したエッセイ「梅津くん」で、当時の梅津について、普段は穏やかな雰囲気なのに、ステージでは激しい音を鳴らして暴れる人物として記憶していたことを明かしています。
梅津自身も2015年のOTOTOYインタビューで、大学時代に活動していた3ピースバンドを通じて柴田と知り合ったと振り返っています。
その後、梅津はベースとドラムによる2人組でノイズ色の強い音楽にも取り組んでいました。1960年代のアメリカのバンド、Silver Applesに関心を持ち、シンセサイザー的な表現を試そうとしていたそうです。
つまり、忘れらんねえよの結成以前から、柴田と梅津はそれぞれ別のバンドで音楽を続け、互いの演奏を知る関係にありました。
ただし、女殺団や魚乱がそのまま忘れらんねえよへ改名したわけではありません。学生時代の活動と交流が、数年後の新たな結成につながることになります。
忘れらんねえよ結成のきっかけ|チャットモンチーを見た2008年の夜
大学時代にバンド活動を経験した柴田ですが、卒業後も同じように音楽を続けていたわけではありません。
就職によって女殺団の活動は終わり、柴田は会社員として働き始めます。そして2008年、偶然見た一本のライブ映像によって、止まっていた音楽活動を再び始めることになります。
会社員生活と6年間の音楽活動の中断
柴田は2017年の歌ネットインタビューで、22歳頃から28歳頃まで営業職として働いていたと説明しています。
本人によれば、営業の仕事は自分に向いているとは思えず、仕事での失敗にも悩んでいたそうです。
大学時代のバンドがなくなってから、ギターには約6年間触れていませんでした。2018年のエッセイには、学生時代から体重も増え、かつての自分とは違う生活を送っていた様子が率直に書かれています。
そんなある夜、自宅で酒を飲みながらYouTubeを見ていた柴田は、偶然チャットモンチーのライブ映像に出会いました。
チャットモンチーは、橋本絵莉子を中心とする徳島県出身のロックバンドです。当時の3人が真剣に音楽へ向き合う姿を見て、柴田は涙を流したと振り返っています。
柴田が強く心を動かされたのは、単に楽曲が好きだったからというだけではありません。
2017年のインタビューでは、仕事で苦しんでいた自分とは対照的に、目の前の音楽へ全力を注ぐ3人の姿を美しいと感じたことを明かしています。
「自分もあのように音楽をやりたい」という思いが、約6年間離れていたギターを再び手に取る決断につながりました。
結成のきっかけがチャットモンチーだったことは、柴田自身のエッセイに加え、後年の公式コメントでも繰り返し語られています。
梅津拓也との再会と渋谷で交わしたバンドの約束
もう一度バンドを始めると決めた柴田が、最初に思い浮かべた相手が梅津拓也でした。
梅津は大学時代、魚乱のベースボーカルとして演奏していた人物です。柴田は当時から梅津の演奏を知っていましたが、就職後は連絡を取っておらず、電話番号も携帯電話から消えていました。
そこで柴田は共通の友人に梅津の連絡先を聞き、電話で渋谷に飲みに行こうと誘います。
再会した場所は、渋谷のガード下にあった焼き鳥店「にゅう鳥金」でした。
梅津はその頃、ベースとドラムの2人組で大音量のインストゥルメンタル音楽を演奏していたそうです。
久しぶりに会った梅津から近況を聞いた柴田は、自宅で録音していた「ドストエフスキーを読んだと嘘をついた」のデモ音源を聴かせました。
そして、緊張しながら梅津にバンドを一緒にやらないかと持ちかけます。
梅津はその誘いに、気負った様子もなく「いいよ」と笑って答えたといいます。
チャットモンチーの映像を見た夜の決意が、大学時代の知人との再会を経て、現実のバンド活動へと変わった瞬間でした。
この出来事は、柴田本人が2018年4月28日に発表したエッセイ「梅津くん」に詳しく残されています。
長い間ギターを弾いていなかった会社員が、かつての音楽仲間を探し出し、自作のデモを聴かせて誘う。忘れらんねえよの結成には、こうした一つひとつの行動がありました。
酒田耕慈が加わった初期3人編成
忘れらんねえよは2008年、柴田隆浩がボーカルとギター、梅津拓也がベース、酒田耕慈がドラムを担当する3人編成で結成されました。
酒田の参加によって、ギター、ベース、ドラムを基本とするスリーピースバンドとしての演奏体制が整います。
音楽ナタリーなどの当時のプロフィールにも、3人が2008年の結成メンバーとして記録されています。
柴田と梅津の出会いについては、それぞれの本人インタビューやエッセイから具体的な経緯をたどれます。一方、酒田が最初に誰とどこで出会い、どのような会話を経て参加したかについては、同じ程度に詳しい当事者の証言は確認されていません。
ただ、結成後の3人が音楽へ向き合う姿勢は、後年のインタビューから伝わってきます。
2014年のJUNGLE☆LIFEでは、柴田、梅津、酒田の3人がそろってインタビューを受けています。
柴田は、ライブで演奏が崩れないように基礎練習を続け、ライブ後には反省会も行っていると説明していました。梅津も、初期の曲は勢いで演奏しても成立したものの、後年の曲はそれだけでは成り立たなくなってきたと語っています。
演奏のタイミングを巡ってメンバー同士で言い合うこともあったそうです。激しく鳴らすだけでなく、曲を成立させるための練習と調整を重ねていたことが分かります。
最初の楽曲制作から2011年のメジャーデビューまで
結成を決意した頃、柴田はすでに自宅で曲のデモを作っていました。
そこから梅津との活動が始まり、酒田を加えた3人のバンドとして、忘れらんねえよはライブハウスで経験を重ねていきます。
「ドストエフスキーを読んだと嘘をついた」の誕生
「ドストエフスキーを読んだと嘘をついた」は、忘れらんねえよの初期活動を知るうえで重要な楽曲です。
柴田は2018年のエッセイで、梅津を誘った際に自宅録音のデモを聴かせたと明かしています。つまり、2人がバンドを始める前から、この曲には柴田によるデモ音源が存在していました。
一方、2017年4月2日に行われた日比谷野外音楽堂でのワンマンライブでは、柴田がこの曲を梅津とバンドを始めた頃に最初に作った歌として紹介しています。
この二つの記録を合わせると、「ドストエフスキーを読んだと嘘をついた」は結成前の柴田の制作と、梅津との初期活動の両方に深く結びつく作品であることが分かります。
ただし、自宅で作ったデモを2人がどのように仕上げたのか、最初の録音でどの機材を使ったのかなど、細かな制作工程まで一律に断定できる記録はありません。
この曲が特別なのは、単に初期のレパートリーだったからではないでしょう。
一度は音楽から離れた柴田が、自分の曲を聴かせて再び仲間を誘った。そのときに存在していた音源が、後年もライブで演奏され、バンドの始まりを振り返る曲として残ったことに意味があります。
渋谷・下北沢のライブ活動と初期の実績
忘れらんねえよは結成後、渋谷や下北沢周辺のライブハウスを中心に活動を始めました。
この頃のバンドは、後に大型フェスへ出演するようになった姿とは違い、まだ多くの人に知られている存在ではありませんでした。
2017年の歌ネットインタビューで柴田は、下北沢のライブハウスを満員にできなかった時代があったことを振り返っています。
当初から大きなステージで活動していたわけではなく、小規模なライブを重ねながら演奏経験を積んでいったのです。
2010年には、ロッキング・オンが主催する新人アーティスト発掘企画「RO69JACK 09/10」で入賞しました。
これは2011年のメジャーデビューより前の実績です。忘れらんねえよが自主的なライブ活動から、音楽メディアを通じて認知される段階へ進んだ記録として位置づけられます。
その後も3人で演奏を続け、2011年には初めてのメジャーシングルを発表することになります。
「CからはじまるABC」と『カイジ』のエンディングテーマ
2011年、忘れらんねえよはシングル「CからはじまるABC」でメジャーデビューを果たしました。
この曲は、日本テレビ系で放送されたアニメ『逆境無頼カイジ 破戒録篇』のエンディングテーマに起用されています。
アニメでの使用が始まったのは2011年4月で、CDシングルの発売は同年8月です。タイアップの開始とCD発売は別の出来事になります。
そして、このデビュー曲にはバンドの結成理由につながる特徴的な言葉が登場します。
それが、チャットモンチーの名前です。
柴田は2023年の公式コメントで、2008年に偶然チャットモンチーのライブ映像を見てバンドを始め、数年後にその名前を歌詞に登場させた曲でデビューしたと振り返っています。
自分を音楽へ引き戻したバンドの名前が、メジャーデビュー曲に刻まれたのです。
2012年3月には、1stアルバム『忘れらんねえよ』を発表しました。
この作品を出したことで柴田は、バンドが大きく知られるようになるのではないかと期待していました。しかし、実際の認知の広がりは、本人が想像していたほど急激なものではありませんでした。
その経験が、翌2013年の重要な楽曲制作へとつながっていきます。
忘れらんねえよの音楽はどう作られ、広がっていったのか
忘れらんねえよの楽曲は、柴田の作るメロディーと歌詞を中心に、バンドの演奏によって形づくられてきました。
ただし、その制作方法や歌詞で表現する対象は、結成時から一貫して同じだったわけではありません。本人たちのインタビューには、楽曲を作りながら試行錯誤し、表現の幅を広げていった経緯が残っています。
柴田隆浩の歌詞とメロディーを生む制作方法
柴田はリットーミュージックの『ギタボ考。』で、好きなコード進行として「カノン進行」を挙げています。
カノン進行は、クラシック音楽のパッヘルベルの「カノン」でも知られるコード進行です。柴田はこの進行を使いながら、メロディーやリズムに変化を加えて曲を作ってきたと語っています。
また、奥田民生が作る独特なコード進行にも関心を示しています。
こうした発言からは、耳に残るメロディーを重視しながら、コードの組み合わせや楽曲の展開にも意識を向けていることが分かります。
一方、歌詞の制作は、曲ごとの表現や時期によって違いがあります。
2016年のOTOTOYインタビューで柴田は、1stアルバムの頃の歌詞について、飲み会で話して人に受けたような出来事を歌へ乗せることが多かったと説明しています。
身近な失敗や不器用さを、率直な言葉で歌にしていた時期です。
ところが、その後に発表した「この高鳴りをなんと呼ぶ」では、最初に浮かんだメロディーが、それまでの歌詞の世界観とは違っていました。
そのため柴田は、日常の具体的な失敗談ではなく、自分が普段から抱いていた、より広い気持ちを書こうとしたそうです。
2013年のSkream!インタビューでも、柴田は曲に合う言葉を探す制作について語っています。特定の型へ歌詞を当てはめるのではなく、曲が持つ雰囲気に合う言葉を選ぶことを重視していたのです。
演奏面でも変化がありました。
2015年のOTOTOYインタビューで梅津は、3rdアルバム『犬にしてくれ』の録音について、レコーディングが始まる頃には歌詞の大部分ができており、そのイメージを聴きながらベースの音色や弾き方を考えたと話しています。
梅津はベーシストとして佐藤研二に憧れており、同作に参加したプロデューサーのNARASAKIと、佐藤の演奏や音作りについて話せたことも刺激になったそうです。
それまで梅津と酒田は、柴田の歌をしっかり支える意識で演奏していたといいます。しかし『犬にしてくれ』では、全員が積極的に前へ出る演奏を目指すようになったと梅津は振り返っています。
柴田の歌詞とメロディーだけでなく、メンバーが自分の担当楽器でどう表現するかも、バンドの音楽を変化させる要素になっていました。
「この高鳴りをなんと呼ぶ」がもたらした転機
忘れらんねえよにとって、2013年1月に発表した「この高鳴りをなんと呼ぶ」は重要な作品です。
この曲が生まれた経緯について、柴田は2013年のOTOTOYインタビューで具体的に語っています。
2012年3月に1stアルバムを発表した柴田は、その出来に強い自信を持っていました。しかし、思っていたほど世間に知られず、悔しい気持ちを抱えていたそうです。
それでもバンドはライブを重ね、自分たちより経験や人気のあるバンドとの対バンにも挑みました。
柴田は、他のバンドをまねても勝てないと感じ、自分たちの武器であるメロディーと歌詞、それらを生かす演奏を磨くことに取り組んでいたといいます。
そうした試行錯誤を続けていた2012年の終わり頃、荒川の河川敷を一人で歩いていた柴田は、東京スカイツリーを目にしました。
そのとき、ふと新しいメロディーが浮かんだそうです。
荒川の河川敷でスカイツリーを見た瞬間に浮かんだメロディーが、「この高鳴りをなんと呼ぶ」の出発点でした。
2016年のインタビューでは、そのメロディーについて、従来のシンプルなコード進行を中心とした曲とは違い、コード数も多く、作り方が異なるものだったと説明しています。
最初は本人も特別に強い手応えを感じていたわけではありませんでしたが、スタッフから良い反応があり、歌詞を付けることにしたそうです。
それまでの曲とは違うメロディーに、普段から考えていたことを表現する歌詞を重ねた結果、「この高鳴りをなんと呼ぶ」が生まれました。
楽曲のプロデュースを担当したのは、アイゴンの愛称でも知られる會田茂一です。
発売後の変化について、柴田は2017年の歌ネットインタビューで、この曲が初めて渋谷CLUB QUATTROのワンマンライブを完売できる規模へ進むきっかけになったと振り返っています。
また、2013年にはアルバム『空を見上げても空しかねえよ』を発表しました。
このタイトルについて柴田は、空を見上げるだけでは現実の問題は解決せず、自分自身が行動しなければ状況は変わらないという考えを込めたと説明しています。
曲作りに向き合う姿勢と、歌で伝えたい対象が変わり始めた時期でもありました。
2017年のインタビューでは、以前はモテない男性などに向けて歌う意識が強かったものの、その後は、立場に関係なく一生懸命なのにうまくいかない人たちの気持ちを表現したいと語っています。
忘れらんねえよの歌詞は、自分自身の悔しさや失敗を歌うところから、目の前の観客や、同じように何かと向き合っている人へ言葉を届ける方向にも広がっていきました。
3人から1人へ|メンバーとの別れと続いていく音楽
2008年に3人で始まった忘れらんねえよは、2015年と2018年に正式メンバーの脱退を経験しました。
ただし、いずれもバンドの解散を意味する出来事ではありません。柴田はメンバーが変わった後も、忘れらんねえよという名前で活動を続けています。
2015年・酒田耕慈の脱退とバンドの継続
2015年11月3日、忘れらんねえよはドラムの酒田耕慈の脱退を発表しました。
酒田は同年7月から家庭の事情によりライブ活動を休止しており、ツアーではサポートドラマーが演奏していました。
脱退に際して酒田が発表したコメントでは、家族の事情が活動休止のきっかけだったことに加え、休止期間に自分自身の今後や音楽活動について考えたことが説明されています。
酒田は家族の事情だけを脱退理由としたわけではありません。自分がどのような音楽をやりたいのかを考え、メンバーやスタッフと話し合った末に、バンドを離れる決断をしたと述べています。
柴田も当時のコメントで、バンドが目指す音楽と酒田が目指す音楽の違いを理解したことを明かしています。
酒田の脱退後、忘れらんねえよは柴田と梅津の2人を正式メンバーとし、ドラムにはサポートミュージシャンを迎えて活動を続けました。
2016年2月には、初のベストアルバム『忘れらんねえよのこれまでと、これから。』を発売しています。
この作品には過去の代表曲に加え、「別れの歌」などの新曲も収録されました。3人で活動してきた時代の音楽を残すと同時に、2人体制で進むバンドの新たな出発を示す作品にもなっています。
日比谷野音を経て、2018年に梅津拓也が脱退
2017年4月2日、忘れらんねえよは日比谷野外音楽堂でワンマンライブを開催しました。
チケットは完売。かつて下北沢の小さなライブハウスでも観客を集めることに苦労していたバンドが、日比谷野音のステージへ立つまでになりました。
この日のライブでは、柴田が「ドストエフスキーを読んだと嘘をついた」を演奏する前に、梅津とバンドを始めた頃に作った歌として紹介したことも記録されています。
さらに翌2018年、ベースの梅津拓也が脱退することになりました。
脱退の発表は2018年2月2日。梅津は同年5月1日にZepp Tokyoで行われた10周年記念ワンマンライブ「サンキュー梅ックス」を最後に、忘れらんねえよとしての活動を終えています。
梅津は脱退に際し、バンドでできることをやりきったと感じたこと、これから先は自分の意思で音楽を続けたいと思うようになったことを説明しました。
一方の柴田は、バンドを続ける意思を示しています。
その最後のライブを数日後に控えた2018年4月28日、柴田は幻冬舎plusでエッセイ「梅津くん」を発表しました。
エッセイは、2008年にチャットモンチーの映像を見て、再び音楽を始めようと決意した場面から始まります。
大学時代に知り合った梅津の電話番号を探し、渋谷で会い、自作のデモを聴かせてバンドへ誘ったこと。そして、約10年後に梅津が脱退することを、柴田は一つの文章の中で振り返っています。
そこで柴田は、かつての自分に向けて、再び一人になる未来を語りかけるように書いています。
ひとりだけど、ひとりぼっちじゃないんだな。
柴田隆浩/幻冬舎plus「梅津くん」(2018年4月28日)
梅津と出会った当時、柴田は一度バンド活動から離れた会社員でした。
そこから2人で音楽を始め、酒田を加えて活動し、メジャーデビューや日比谷野音でのワンマンライブを経験しました。
梅津が脱退したことで、2008年に結成した3人の正式メンバーのうち、バンドに残ったのは柴田だけになりました。
しかし、脱退後も柴田は新たなサポートミュージシャンたちと演奏を続けます。2019年には、一人体制となってから初めてのフルアルバム『週刊青春』を発表しました。
正式メンバーが一人になっても、忘れらんねえよというバンド名は変わりませんでした。
橋本絵莉子と「CからはじまるABC」を歌った2023年
忘れらんねえよの音楽史には、2008年の結成と直接つながるもう一つの出来事があります。
2023年、柴田はチャットモンチーの元メンバーである橋本絵莉子と、メジャーデビュー曲「CからはじまるABC」を一緒に演奏しました。
チャットモンチーは、柴田が会社員時代にライブ映像を見て、もう一度バンドを始める決意をした相手です。
その橋本との共演は、2023年7月23日に開催された「ツレ伝フェス2023」でも実現しています。
さらに同年12月13日には、アルバム『いまも忘れらんねえよ。』が発売されました。
この作品のスペシャル・トリビュート企画には、橋本絵莉子と忘れらんねえよによる「CからはじまるABC」が収録されています。
同日、2人が共演するミュージックビデオも公開されました。
撮影場所は下北沢CLUB Que。柴田と橋本がともにギターを弾き、歌う姿を記録した映像です。
柴田は公開時のコメントで、2008年にチャットモンチーのライブ映像と出会ったことで自分の人生が変わったと説明しています。
バンドを始めるきっかけとなった橋本絵莉子と、その思いを歌にしたメジャーデビュー曲を一緒に演奏するまで、15年の時間が流れていました。
12月19日には、そのミュージックビデオの撮影日に起きた出来事を収めたドキュメンタリー完全版も、忘れらんねえよの公式YouTubeチャンネルで公開されています。
中学時代に友人の弾き語りを見てギターに憧れ、大学時代にバンドを組み、就職後に音楽から離れた柴田隆浩。
2008年の夜、チャットモンチーの映像を見たことから梅津拓也を誘い、忘れらんねえよを結成しました。メジャーデビューやメンバーとの別れを経ても、その名前で音楽を続けてきました。
そして2023年12月、かつて画面越しに憧れていた橋本絵莉子と、同じステージで「CからはじまるABC」を演奏する映像が残されました。

