| 項目 | プロフィール |
|---|---|
| 活動名 | imase(イマセ) |
| 生年月日 | 2000年11月9日 |
| 出身地 | 岐阜県 |
| 活動形態 | ソロアーティスト/シンガーソングライター |
| メジャーデビュー | 2021年12月「Have a nice day」 |
「NIGHT DANCER」のヒットによって、日本だけでなく海外でも知られるようになったimase(イマセ)。独特のファルセットと、思わず口ずさみたくなるメロディーが印象的なアーティストです。
ところが、imaseが本格的に音楽を始めたのは20歳の頃。それまで音楽を専門的に学んでいたわけでも、プロの歌手になるために長年活動していたわけでもありませんでした。
音楽を始めた直接のきっかけは、地元の友人がギターを弾き始めたこと。その姿を見て自分も弾き語りをしたくなり、ギターを購入したのが出発点でした。
そこから自宅で作曲を覚え、短いオリジナル曲をSNSへ投稿。2021年12月にはメジャーデビューを果たし、翌2022年に発表した「NIGHT DANCER」で活動の舞台を海外へと広げていきます。
友人のギター、自営業の家で使っていたパソコン、試行錯誤しながら見つけた歌い方。そして、ライブや活動休止を経験した後の音楽表現まで。imaseが自分の音楽を形にしてきた歩みをたどります。
| 音楽史の段階 | imaseの歩み |
|---|---|
| 音楽との出会い | 幼少期から日本のポップスに親しみ、歌うことを好む |
| 音楽活動の開始 | 2020年秋、友人の影響でギターを購入し、弾き語りを始める |
| 初期の制作 | 2021年、自宅でDTMを学び、YouTubeやTikTokへの楽曲投稿を開始 |
| メジャーデビュー | 2021年12月、「Have a nice day」を発表 |
| 代表的な転機 | 2022年発表の「NIGHT DANCER」が韓国を中心に海外へ広がる |
| 音楽表現の発展 | 2023年に初の有観客ライブ、2024年に初アルバム『凡才』を発表 |
| 活動の再開 | 2025年8月の活動休止を経て、2026年9月に再開。10月にEP『はてな』を発表 |
imaseが音楽を始めたきっかけは友人のギター
imaseは、幼い頃から音楽を聴いたり歌ったりすることが好きでした。しかし、音楽を職業にするという具体的な目標を持って育ったわけではありません。
高校卒業後は地元で働き、音楽とは別の道を進んでいました。そこに訪れたのが、友人との何気ない出来事です。
幼い頃から親しんでいた日本のポップス
imaseの音楽的な土台には、幼い頃から耳にしていた日本のポップスがあります。
2023年のBillboard JAPANのインタビューでは、幼少期に親が車で流していた松田聖子などの楽曲を聴いていたことを明かしています。中学生の頃にはGReeeeNや湘南乃風、高校生になると米津玄師やSEKAI NO OWARIなどを聴くようになりました。
当時は、好きな曲を聴くことと、自分で曲を作ることの間には距離がありました。本人は学生時代、ライブへ足を運ぶ機会もほとんどなかったと振り返っています。
後年の東海テレビの取材では、親が聴いていた1980年代の日本の歌について、歌謡曲らしいメロディーや言葉の置き方が自分の音楽の根底にあると説明しました。単に昔の曲が好きだったというだけでなく、曲作りを始めた後に、その影響を自分でも意識するようになったのです。
一方、曲作りを始めてからは聴く音楽の幅も変わりました。R&Bやローファイ・ヒップホップに関心を持ち、VivaOla、iri、SIRUPなどの音楽に親しむようになります。
USENのインタビューでは、SIRUPやVivaOlaの音楽に触発されながら、自分なりのR&Bを模索したことも語っています。さらに、Jeremy Zuckerの楽曲からは、ファルセットの使い方や、少ない音数でメロディーを引き立てるアレンジを参考にしていたとJ-WAVEで明かしました。
幼少期から聴いていた日本の歌謡曲やポップスと、制作を始めてから出会ったR&Bや海外の音楽。その両方が、imaseのメロディーとサウンドを形作る材料になっていきました。
2020年、友人に影響されてギターを始める
大きな転機が訪れたのは2020年秋、imaseが20歳になる頃でした。
身近な友人がギターを始めたのを見て、自分も弾き語りをしてみたいと思うようになったのです。それまで音楽活動を本格的に経験していなかったimaseは、自分用のギターを購入して練習を始めました。
本人はインタビューによって、この時期を2020年10月、あるいは11月頃と説明しています。いずれも友人の影響でギターを購入し、音楽に取り組み始めた時期を指しています。
実は中学生の頃にもギターを少し触ったことがありました。しかし、そのときはすぐに挫折してしまったそうです。2020年の再挑戦では集中的に練習し、弾き語りができる程度まで上達しました。
2024年のFenderのインタビューでは、初めて購入したのは1万円程度の初心者向けアコースティックギターだったと振り返っています。教室へ通うのではなく、YouTubeの演奏解説などを見ながら、実際に曲を弾く方法を覚えていきました。
練習した曲には、中島みゆきの「糸」や松任谷由実の「ひこうき雲」もあったといいます。好きな歌を自分でも演奏してみるという、身近な楽しみからの出発でした。
2022年のBARKSのインタビューでは、ギターを始めた理由について、音楽で成功したかったからというよりも、もともとさまざまなことに挑戦するのが好きだったからだと話しています。
将来のデビューを見据えて始めたのではなく、友人をきっかけに興味を持ったことが、その後の音楽活動の出発点になりました。
弾き語りからオリジナル曲の制作へ
ギターを練習するうちに、imaseは既存の曲を歌うだけでなく、自分でも曲を作ってみたいと考えるようになりました。
もともとカラオケで歌うことが好きだったため、ギターが弾けるようになれば歌も合わせられる。そして、弾き語りができるならオリジナル曲も作ってみよう。本人が振り返る過程は、そのように少しずつ次の行動へ進むものでした。
作った曲は、最初から大勢の人へ公開していたわけではありません。まず身近な友人に聴かせ、反応をもらうところから始めています。
2023年の「my HERO」のインタビューでは、歌入りのオリジナル曲を友人に聴かせたところ、TikTokへ投稿してみてはどうかと勧められたことも明かしました。
ギターを始めるきっかけも、曲を公開するきっかけも、身近な友人とのやり取りの中にありました。ただし、音楽への関心が芽生えたことと、プロとして活動する決心が固まったことは別です。この時点では、あくまで仕事のかたわらで曲作りを楽しんでいました。
岐阜の自宅で始めた独学DTMと初期の楽曲投稿
ギターから始まった音楽活動は、やがてパソコンを使った楽曲制作へと広がっていきます。
imaseが最初に曲を作っていたのは、専用のスタジオではなく、岐阜県の自宅でした。プロ仕様の機材を一式揃えてから制作を始めたわけでもありません。
家業で使っていたパソコンが制作の道具に
imaseの実家は自営業で、本人もその仕事を手伝っていました。見積書などの書類を作るため、もともとMacのパソコンを持っていたそうです。
そのパソコンに音楽制作ソフトを導入し、MIDIキーボードを購入。必要なものを一つずつ揃えることで、DTM(デスクトップミュージック)を始めました。
家業の書類作成に使っていたパソコンが、imaseにとって最初の楽曲制作環境になったのです。
2024年のSPURのインタビューでは、当時は仕事が終わると家へ帰り、パソコンとソフト、MIDIキーボードという必要最低限の機材で曲を作っていたことを振り返っています。その時間が純粋に楽しかったとも語っていました。
ただ、自宅での制作には独特の苦労もありました。
2022年のSPICEのインタビューでは、実家の裏が山で、鳥の鳴き声が録音中に入ってしまうことがあったと明かしています。夏になるとセミの声も大きく、静かな環境を確保するのが難しかったそうです。
なお、同インタビューでは、正式に発売された楽曲のボーカル録音は東京で行われていたことも補足されています。岐阜の自宅で曲を作っていたことと、商業作品のすべての録音を自宅で完結させていたことは同じではありません。
自宅でアイデアを形にしてから、作品として完成させる。その制作方法は、初期のimaseを理解するうえで重要な要素です。
ネットで学んだコード進行と初めての曲作り
DTMを始めたばかりの頃、imaseには作曲に必要な知識がほとんどありませんでした。
そこでインターネットで曲の作り方を調べ、気に入ったコード進行を音楽制作ソフトに打ち込み、その上にメロディーと歌詞を乗せていました。
トラックメーカーが公開している制作方法も参考にし、実際に手を動かしながら覚えていったそうです。体系的に作曲を学んでから作品を完成させるのではなく、曲を作るために必要なことを、その都度調べて試していく方法でした。
その後、制作の進め方にも変化が生まれます。
2022年のSPICEのインタビューでは、初期はコード進行から作ることが多かったものの、次第に鼻歌でメロディーを思いつき、そこからコードやリズムを考えるようになったと説明しています。
これは、いつでも同じ方法で作曲するようになったという意味ではありません。コードから作る曲もあれば、メロディーや言葉の響きから着想を広げる曲もあります。
後年の作品を見ると、その違いがよりはっきりします。運転中に突然浮かんだメロディーが楽曲になることもあれば、あらかじめ作りたいサウンドを決め、伴奏から組み立てる場合もあったのです。
2021年、短いオリジナル曲をTikTokへ投稿
2021年2月頃には、DTMで制作した音源をYouTubeへ投稿するようになっていました。ただし、最初に投稿していたのは歌入りの作品ではなく、打ち込みで制作したインストゥルメンタルのトラックです。
本人は後年、こうした歌のない音源には大きな反応がなかったものの、自分で歌を入れてみたところ反響が生まれたと振り返っています。
そして2021年5月、TikTokへオリジナル曲を投稿します。初期の楽曲として本人が挙げているのが「n1ght」です。
当時の投稿では、自分を音楽経験のない初心者として紹介し、DTMを始めてまだ数か月であることも伝えていました。
最初からフルサイズの曲を作る技術が十分にあったわけではありません。そのため、15秒や30秒ほどの短い曲から制作を始めたことが、TikTokという投稿形式にも合っていました。
2024年のWIREDのインタビューでも、当時はフルサイズの曲を作る力がなかったため、短い尺での投稿から始めたと説明しています。
短い楽曲では、限られた時間の中でメロディーを印象づけることが重要になります。imase自身も、聴いた人が口ずさみたくなるフレーズや、耳に残る音を意識して制作していました。
ただし、狙って作った曲が必ず広がるわけではありません。本人はSPICEで、反響があると思って投稿した曲が予想ほど伸びないこともあったと語っています。
それでも、歌入りのオリジナル曲を公開し、実際の反応を受け取りながら次の曲を作るという流れができたことで、曲作りにいっそうのめり込んでいきました。
TikTokからメジャーデビューへ至った経緯
TikTokでの投稿を続けるうちに、imaseの楽曲は少しずつ多くの人へ届くようになります。
しかし、デビューまでの変化は単に再生回数が増えただけではありませんでした。人前で歌う経験を通じて歌唱方法が変わり、レーベルとの出会いを経て、音楽を仕事として続けることへの意識も変わっていったのです。
オーディションで変わった地声と裏声の使い方
imaseの歌声を特徴づけるのが、低い地声と高い裏声を行き来するボーカルスタイルです。
ところが、活動初期から現在のように一つの歌唱の中で使い分けていたわけではありません。
2022年のBARKSのインタビューでは、初期に投稿していた楽曲は、地声で歌った低い声と裏声で歌った高い声を別々に録音し、重ねていたと説明しています。
当時は自分の声に自信がなく、二種類の声を重ねることで聴き心地を良くできるのではないかと考えていたそうです。また、TikTok上でほかのアーティストとの差別化を図る意図もありました。
この歌い方に変化をもたらしたのが、テレビ番組『~夢のオーディションバラエティー~DreamerZ』の弾き語りオーディション企画への参加でした。
これはもう、弾き語りオーディション企画の参加が決まったからです。
出典:BARKS「imase、クレバーな観察眼とピュアな優しさが心をつかむ2ndデジタルシングル『逃避行』」
録音であれば二つの声を重ねられますが、人前で歌うときには同じ方法は使えません。
そこでimaseは、録音で重ねていた地声と裏声を、実際の歌唱では部分ごとに切り替える方法へ変えていきました。
オーディションでは、音を加工・操作するカオスパッドも使用しています。本人は、限られた準備期間の中で機材の扱い方も練習していたと振り返りました。
オーディションに参加したことが、そのままアーティストとしての正式な合格やデビューを意味するわけではありません。しかし、人前で自分の音楽を表現する必要が生まれたことで、歌唱方法が変化したのは重要な転機でした。
レーベルとの出会いと「Have a nice day」
短いオリジナル曲を投稿する活動は、やがて音楽レーベルの目にも留まるようになります。
ユニバーサルミュージックの関係者は、TikTokに投稿されていたimaseの音楽に注目し、本人へ連絡を取るようになりました。
2023年のORICON NEWSでは、レーベル側が発掘当時の様子を振り返っています。まだ視聴者の少ないTikTokライブで歌っていた段階から、その音楽に関心を持っていたという内容です。
一方のimaseは、最初から音楽で生活していくつもりだったわけではありません。
2025年の美人百花のインタビューでは、当時は実家の家業を手伝っていたため、デビューすることに迷いもあったと明かしています。それでも、せっかくの機会だから挑戦してみようと決断しました。
こうして2021年12月、ユニバーサルミュージック内のVirgin Musicから「Have a nice day」でメジャーデビューを果たします。
「Have a nice day」は、メジャーデビューが決まってから初めて作った曲ではありません。すでに短いバージョンをSNSへ投稿しており、そこで反響を得ていた楽曲でした。
本人はSPICEで、短いバージョンが広がったことを受け、フルサイズの曲を制作することになったと説明しています。
また、曲が生まれた背景には新型コロナウイルスの流行による社会の変化もありました。本人自身がすべてを経験したわけではなく、修学旅行がなくなった学生たちなどの状況をニュースで見て、当時感じたことを作品へ取り入れたそうです。
つまり、「Have a nice day」は、自宅で作った短い楽曲がSNSで聴かれ、正式な配信作品へと発展したという、imaseの初期活動を象徴する一曲だったのです。
「逃避行」を経て音楽を仕事にする覚悟へ
メジャーデビューの翌月、2022年1月には2作目のデジタルシングル「逃避行」を発表しました。
「Have a nice day」に続いて「逃避行」も多くの人に聴かれるようになったことで、imaseの音楽は一曲だけの話題にとどまらず、活動として広がっていきます。
ただし、楽曲が拡散されたからといって、本人がすぐに音楽だけでやっていけると確信できたわけではありません。
2023年のBillboard JAPANのインタビューでは、「Have a nice day」と「逃避行」が広がった後も、SNSでのヒットには運の要素が大きく、自分の実力で活動を続けられるのか不安があったと振り返っています。
その後、レーベルとの活動やタイアップなどを経験し、少しずつ自信をつけていったと語りました。
友人に勧められてギターを始めた頃は、音楽を仕事にするつもりがなかったimase。デビューを決断し、複数の楽曲を世に送り出し、制作や仕事の経験を重ねる中で、プロとして活動する意識が育っていきました。
メジャーデビューの日と、音楽を職業として続ける覚悟が固まった時期は、必ずしも同じではなかったのです。
「NIGHT DANCER」の誕生と海外への広がり
2022年8月に発表した「NIGHT DANCER」は、imaseの名前を国内外へ広める大きな転機となった楽曲です。
日本のポップスらしい覚えやすいメロディーと、ダンスミュージックの要素を組み合わせたこの曲には、imaseが自分なりに育ててきた作曲方法が生かされていました。
運転中に浮かんだメロディーと制作方法
「NIGHT DANCER」のメロディーは、岐阜で車を運転していたときに思いついたものです。
2024年のCREAのインタビューでimaseは、この曲の着想について、運転しているときにメロディーが浮かんだと説明しています。
当時のimaseには、運転中に鼻歌を歌いながらメロディーを考える習慣がありました。思いついたフレーズは、その場でスマートフォンへ録音していたそうです。
テレビ朝日『関ジャム 完全燃SHOW』で取り上げられた際には、帰宅後に楽曲を形にしてレーベルへ聴かせ、その後短期間で調整してSNSへ投稿した流れも語っています。
最初はネットで調べたコード進行から曲を組み立てていたimaseが、日常の中で浮かんだメロディーを出発点にして楽曲を作るようになっていたことが分かります。
本人は「NIGHT DANCER」の制作以前から、ダンスナンバーを作りたいと考えていました。しかし、音楽を始めたばかりの頃は、思い描く楽曲を十分に形にする技術がなかったといいます。
2022年のTOKYO FM『SCHOOL OF LOCK!』では、制作経験を積んで、ようやくダンスナンバーを作品にできるようになったと説明していました。
「NIGHT DANCER」は、単に思いついたメロディーが偶然ヒットした曲ではありません。短い楽曲の投稿を重ね、メロディーの作り方や音の組み立て方を試してきた時期に生まれた作品です。
韓国から広がった楽曲と新しいリスナー
「NIGHT DANCER」はSNSで広がり、特に韓国で大きな反響を呼びました。
韓国の音楽配信サービスMelonでは、日本のポップスとして初めて総合チャートTOP20入りを記録。imaseの公式プロフィールでも、海外での広がりを示す重要な実績として紹介されています。
また、SpotifyのバイラルチャートTOP50には、48の国と地域でランクインしました。こうした記録は、SNSで動画が拡散したというだけでなく、海外の音楽配信サービスでも楽曲が聴かれていたことを示しています。
Billboard JAPANのインタビューでは、LE SSERAFIMやTOMORROW X TOGETHERなど、K-POPアーティストによるダンス動画も楽曲の広がりに関わっていたことが紹介されています。
海外で聴かれた理由を一つに決めることはできません。ただ、SNS上の短い動画を通じて知った人が楽曲を聴き、そこからさらに別のリスナーへ届くという流れが生まれていました。
2023年には「NIGHT DANCER」で第65回日本レコード大賞の優秀作品賞を受賞。韓国の音楽授賞式でも評価され、活動の範囲を広げていきました。
2020年に友人のギターを見て音楽を始めたimaseにとって、海外のリスナーへ自作曲が届くまでの期間はわずか数年でした。短い動画で楽曲を発表していた経験が、世界へ音楽を届ける入口の一つとなったのです。
ライブとアルバム『凡才』で見えてきた音楽観
楽曲が多くの人に聴かれるようになると、imaseの活動は自宅での制作やSNSへの投稿だけでは完結しなくなっていきました。
人前で歌うこと、観客の反応を直接受け取ること、これまでの楽曲をアルバムとしてまとめること。それぞれの経験が、音楽との向き合い方に変化をもたらします。
初の有観客ライブが変えた曲作りへの意識
2022年12月19日、imaseは初のオンラインライブ『POP ROOM』を開催しました。
自身の部屋から始まった音楽を、バンドとともにステージで演奏する形へ広げた公演です。公式YouTubeチャンネルでは、メジャーデビュー曲「Have a nice day」のライブ映像が公開されています。
そして2023年3月30日、東京・渋谷WWWで初の有観客ワンマンライブ『POP OVER』を開催しました。
2022年のオンラインライブと、2023年の初有観客ライブは別の出来事です。imase自身にとって特に大きな転機となったのは、目の前に観客がいる空間で歌った経験でした。
2023年のBillboard JAPANのインタビューでは、それまではTikTokや音楽配信サービスを通して楽曲を聴いていた人たちと、初めて直接向き合ったことが印象に残っていると語っています。
自分が観客を楽しませる立場であることを実感し、今後はライブで映える曲も作りたいと考えるようになったそうです。
初期の作品は打ち込みを中心に作られており、必ずしもステージで演奏することを想定したものではありませんでした。しかし、観客と音楽を共有する経験を通じて、楽曲を作るときにライブでの響き方も考えるようになったのです。
その後は国内外でライブを重ね、2025年7月25日には初の日本武道館公演を開催しました。短い動画の中から始まった音楽は、バンドとともに大きな会場で届けるものへと発展していきました。
『凡才』というタイトルに込めた考え
2024年5月15日、imaseは初のフルアルバム『凡才』をリリースしました。
この作品には、デビュー初期から積み重ねてきた楽曲が収録されています。本人はアルバムについて、音楽を始めてから約3年間の歩みを振り返ることができる作品だと説明しました。
では、なぜタイトルを『凡才』にしたのでしょうか。
2024年のPenやCREAのインタビューでimaseは、もともと歌や楽器が特別に上手だったわけではなく、どうすれば多くの人に自分の曲を聴いてもらえるかを考えながら制作してきたと語っています。
その姿勢を表す言葉として選んだのが『凡才』でした。
タイトルには、海外でも知られる日本の「盆栽」との言葉遊びも込められています。CREAのインタビューでは、「凡祭」など別の漢字表記も検討した末、最終的に『凡才』を選んだことを明かしています。
アルバムの制作方法にも、それまでとの違いがありました。
「NIGHT DANCER」のように突然浮かんだメロディーから生まれた曲がある一方、「BONSAI」「Rainy Driver」「LIT」などは、先に作りたい楽曲の方向性を決めてから制作したと説明しています。
これらの曲では、伴奏を考え、メロディーを乗せ、最後に歌詞を組み立てる方法を取ったそうです。
思いついたフレーズをすぐに短い動画へする初期の制作から、楽曲全体の方向性を計画して組み立てる制作へ。『凡才』には、音楽を作りながら技術と表現を身につけてきたimaseの考え方が表れています。
活動休止から再開へ――音楽表現の変化
ギターを始めてから短期間でメジャーデビューし、海外でのヒット、アルバム制作、ライブ活動へと進んできたimase。しかし、その歩みは2025年に一度止まることになります。
活動休止とその後の再開は、単に活動が止まって再び始まったというだけではありません。本人は、休止していた時間の中で、自分自身や音楽との向き合い方を見つめ直したと説明しています。
2025年の活動休止と本人が振り返った理由
2025年8月4日、所属するユニバーサルミュージックは、imaseが当面の間、アーティスト活動を休止すると発表しました。
公式発表によると、同年7月25日の日本武道館公演後に体調が悪化し、医師から長期療養が必要と判断されたことが休止の理由でした。
本人も、これまで常に動き続けてきたため、立ち止まることにはためらいがあったと説明しています。それでも、医師の指導のもとで回復に専念することを選びました。
その後、2026年9月4日に発表した活動再開の声明では、当時の心境について、さらに踏み込んで振り返っています。
音楽活動を始めてから環境が急速に変わり、その変化を楽しみながらも、スピードに追いつけない自分がいたといいます。迷いや葛藤を抱えていても、十分に向き合う余裕を持てなかったことを明かしました。
公式発表で確認できるのは、体調悪化によって療養が必要となったことと、本人が急激な環境変化や当時の心境について語っていることです。これらをもとに特定の病名を推測したり、休止の原因を一つに断定したりすることはできません。
一方で、休止期間にはこれまで取り組めなかったことにも挑戦しました。絵を描いたり、ゲームを作ったり、旅行をしたりしながら、音楽以外の表現方法にも触れたそうです。
新しい体験を重ねる中で、自分ならどんな音楽を作りたいのか、今の自分だからできることは何かを考える時間が生まれました。
音楽から離れた時間が、その後の新しい音楽表現を考えるきっかけにもなっていたのです。
2026年の活動再開とEP『はてな』の制作
2026年9月4日、imaseはアーティスト活動を再開しました。
同日には「風になれるはず」を発表し、10月2日には同曲を収録した8曲入りのEP『はてな』をリリースしています。
この作品で重要なのは、活動再開後の最初のリリースだったという事実だけではありません。
所属レーベルの公式説明では、『はてな』について、それまでの楽曲よりも本人の感情や思いを直接的に綴った作品だと紹介しています。
2026年9月4日の本人声明でも、休止期間にさまざまな表現へ触れ、自分自身と向き合ったことが制作につながったと説明しました。
その時々にしか作れない歌を届ける。
出典:imase「活動再開のお知らせ」2026年9月4日
この言葉には、活動を再開した時点での音楽との向き合い方が表れています。
特に「風になれるはず」では、以前よりも生々しい感情を歌詞に込めるとともに、長くライブをともにしてきたバンドメンバーとレコーディングを行いました。
サウンドプロデュースは松本ジュンが担当。ギター、ベース、ドラムなどの生演奏を生かしたバンドサウンドが、楽曲の大きな特徴となっています。
公式スタッフのXでは、活動再開後初となる「風になれるはず」のミュージックビデオ制作について、バンドメンバーにも注目してほしいと案内したメイキング映像が紹介されています。
EP『はてな』では、初期の活動に関わったHANO+7MDに加え、松本ジュン、mabanua、Shin Sakiura、蓮沼執太、Yaffleら、さまざまな制作者が楽曲ごとに参加しました。
一人で音楽制作ソフトを操作し、短いメロディーを投稿していた時期から、バンドやプロデューサーと音楽を作り上げる活動へと広がったことが分かります。
それでも、作品の出発点にあるのは、自分の中に生まれた感情や音楽のアイデアを形にしたいという思いです。
友人のギターから始まったimaseの音楽は、独学の宅録、SNSでの発信、ライブでの経験を経て、自分自身の内面をより直接的に表現する音楽へと進んでいきました。
20歳の頃、身近な友人に影響されてギターを手に取ったimase。そこからパソコンで作曲を覚え、短い曲を世に出し、人前で歌うために歌唱方法を変え、さまざまな人と音楽を作るようになりました。
その歩みをたどると、最初から完成された音楽家だったのではなく、一つひとつの経験を通じて、自分の音楽を作る方法を見つけてきたことが伝わってきます。

