ヤバイTシャツ屋さんの結成史|大阪芸大での出会いからメジャーデビューまで

ヤバイTシャツ屋さんの結成史を、3人の人物イラストとレコード、大阪芸大での出会いからメジャーデビューまでを示す2012〜2016年の年表風デザインで描いたビジュアル バンド
メンバー担当
こやまたくやギター・ボーカル
ありぼぼベース・ボーカル
もりもりもとドラム・コーラス

ヤバイTシャツ屋さん(通称・ヤバT)は、大阪芸術大学の軽音サークルで出会った3人から生まれたロックバンドです。

結成の直接的なきっかけは、ギター・ボーカルのこやまたくやが大学の学園祭に出演したいと考え、後輩だったありぼぼともりもりもとを誘ったことでした。

ただし、その歴史は「2013年に結成した」という一文だけでは説明できません。公式サイトには2012年5月の結成から複数回の活動休止・再開が記録されており、2013年には現在知られる3人の活動につながる学園祭出演がありました。

最初のオリジナル曲「ネコ飼いたい」を作ったときも、大きなデビュー計画があったわけではありません。こやまが曲を作り、ありぼぼを大学のスタジオに呼んで歌ってもらったという、サークルらしい始まりでした。

中学時代のギターとの出会いから、大学での3人の関係、ユニークなバンド名の誕生、そして解散を考えていた時期を経てメジャーデビューするまでをたどります。

音楽史の段階ヤバイTシャツ屋さんの歩み
音楽の原点こやまが中学時代にギターを始め、10-FEETなどのライブから刺激を受ける。3人はそれぞれ異なる音楽を好んでいた
メンバーとの出会い大阪芸術大学の軽音サークルで知り合い、コピーバンドなどで共演する
結成・再始動公式年表では2012年5月に結成。2013年10月に活動を再開し、同年11月に学園祭へ出演。2014年7月にも活動を再開する
初期作品「ネコ飼いたい」などを制作し、2015年には自主制作シングル『そこまでヤバくない』を発表
重要な転機2015年にSUMMER SONICへ出演し、eo Music Tryでグランプリを獲得する
メジャーデビュー2016年11月2日、1stフルアルバム『We love Tank-top』を発売する

ヤバイTシャツ屋さん3人の音楽ルーツ

ヤバイTシャツ屋さんの音楽は、最初から3人が同じジャンルを追いかけて生まれたものではありません。

こやまたくやが影響を受けた日本のロックバンド、ありぼぼが親しんできたアイドル音楽、もりもりもとが好んで聴いていた海外のハードロック。それぞれの音楽との関わり方には違いがありました。

こやまたくやがギターを始め、10-FEETに憧れるまで

こやまたくやがギターを始めたのは、中学2年生ごろのことです。

2019年にFenderのインタビューで語ったところによると、母親がピアノの先生をしていたため、自分も何か楽器ができた方がよいのではないかと考えたことがきっかけでした。

最初に手にしたのは、親戚の家にあった使われていないアコースティックギターです。

マキシマム ザ ホルモンなどの楽曲を弾こうとしていましたが、最初からギターの演奏方法を理解していたわけではありません。

楽譜に書かれたコードを見ながら音を鳴らしていたものの、原曲の演奏とは何かが違うと感じていました。

そのうち、TAB譜に記された数字と指を置く場所の関係に気づき、自分で弾き方を理解していったといいます。

誰かに一から教わったのではなく、試行錯誤しながら演奏方法を身につけていった経験でした。

中学・高校時代にはギターを弾いていてもバンドを組む相手がおらず、自宅で一人で演奏することが中心だったそうです。

そんなこやまの音楽観を変えたのが、高校1年生のころに足を運んだ初年度の「京都大作戦」でした。

当初の目当てはマキシマム ザ ホルモンでしたが、そこで目にした10-FEETのライブに強い衝撃を受けました。

こやまはFenderの取材で、曲を知らなくても会場で飛び跳ねてしまうほどライブに夢中になり、10-FEETのようなバンドをやりたいと考えたことを振り返っています。

大きな編成で華やかな演奏をするのではなく、3人で力強いライブを成立させるバンドへの憧れが生まれたのです。

それまで一人でギターを弾いていたこやまにとって、大学の軽音サークルは、ようやくほかの演奏者とバンドを組める場所になりました。

ありぼぼのハロプロ愛ともりもりもとの洋楽ロック

ありぼぼは、ハロー!プロジェクト、とくにモーニング娘。などのアイドル音楽を好んできました。

大阪芸術大学のインタビューでは、もともとCMやミュージックビデオを見ることが好きで、映像を学ぶことによって大好きなハロー!プロジェクトに関わりたいと考えていたと語っています。

その思いが、大阪芸術大学の映像学科へ進む動機の一つにもなりました。

大学では音響だけでなく、照明やカメラなどの分野にも触れ、映像制作への関心を広げていったそうです。

一方、ドラムのもりもりもとは、2016年のMeMeOn Musicのインタビューで、Bon JoviやGuns N’ Rosesなどの海外ハードロックを好んで聴いていたと答えています。

大学では芸術計画学科に所属していました。

もともと芸術や音楽に興味があり、イベント運営などの裏方の仕事にも関心を持っていたことが進学の背景にありました。

大阪芸術大学でさまざまな芸術分野を学んだ経験について、もりもりもとは音楽の幅や自分の引き出しが広がったと振り返っています。

こやまのメロディックなロックへの憧れ、ありぼぼのアイドル音楽への関心、もりもりもとの海外ロックへの親しみは、必ずしも同じ方向を向いていたわけではありません。

それでも、異なる音楽を聴いてきた3人が同じサークルで演奏するようになり、ヤバイTシャツ屋さんの活動へと進んでいきました。

大阪芸術大学で3人が出会い、バンドが生まれる

ヤバイTシャツ屋さんの結成を語るうえで欠かせないのが、大阪芸術大学の軽音サークルです。

こやまたくやとありぼぼは映像学科、もりもりもとは芸術計画学科に所属していました。

3人は最初からプロのバンドを作るために集まったのではなく、大学のサークル活動を通じて知り合い、一緒に演奏する機会を重ねていました。

軽音サークルでつながった先輩と後輩

こやまは、ありぼぼより1学年上の先輩でした。

2020年に大阪芸術大学で行われたFM802の公開収録に関連するインタビューでは、こやまはサークルにありぼぼがいることを知り、同じ映像学科だったことから親しくなったと説明しています。

サークルでは、さまざまな組み合わせのメンバーによるコピーバンドが活動していました。

ありぼぼによると、こやま、ありぼぼ、もりもりもとの3人を含むバンドで演奏する機会もありましたが、最初からこの3人だけで固定された編成だったわけではありません。

つまり、ヤバTのメンバーが集まる前に、3人には同じサークルで演奏した経験があったのです。

また、大阪芸術大学の環境そのものも、バンドの成立に大きく関わっていました。

こやまは大学の取材で、映像学科には作品づくりに決められた型がなく、自分で考えて制作できる自由さがあったと語っています。

必要に応じて協力してくれる学生や教員がいて、スタジオや機材、作品を発表する場所も利用できました。

こやまはほかの学科の学生に映像作品への協力を頼むこともあり、もりもりもとにアニメの声を担当してもらった経験もあったそうです。

音楽だけに閉じない人間関係を作れることが、大阪芸術大学ならではの環境でした。

こやまが学園祭に出るために2人を誘った

現在知られるヤバイTシャツ屋さんの結成に直接つながったのは、こやまが大学の学園祭に出演したいと考えたことでした。

2016年のSkream!のインタビューでは、こやまがその動機を明確に語っています。

大学の学祭のライヴに出たくて結成しました。

こやまたくや/Skream!(2016年3月)

こやまは当時、友達があまり多くなかったと冗談交じりに振り返り、後輩なら誘いやすいのではないかと考えて、ありぼぼともりもりもとに声をかけたと説明しています。

ありぼぼにとっては、突然「ヤバイTシャツ屋さん」という名前のバンドをやろうと誘われる出来事でした。

バンドの将来について細かな計画を立てていたというより、学園祭のステージに立ちたいという目の前の目的から始まったのです。

2021年2月のJFN『アーティスト・プロデュース・スーパー・エディション』で、3人は初期のライブについても振り返っています。

ありぼぼによれば、2013年10月12日に大阪芸術大学で行われた学園祭のオーディションが、当時の3人にとって最初の演奏機会でした。

そして11月4日、大阪芸術大学の学園祭に出演しました。

本人たちは、この学園祭出演をヤバイTシャツ屋さんの初ライブとして位置づけています。

この発言は、公式サイトに残る2012年のライブ記録とは分けて理解する必要があります。2013年11月の学園祭は、現在知られる3人の活動にとって重要な節目でした。

バンド名の由来と2012年から続く結成史

「ヤバイTシャツ屋さん」という名前を聞くと、実際にTシャツを売る店やアパレルブランドを想像する人もいるかもしれません。

しかし、バンド名は具体的な事業や商品から生まれたわけではありません。

大学の先輩が口にした何気ない言葉が、こやまの記憶に残っていたことが発端でした。

先輩の一言から「ヤバイTシャツ屋さん」が誕生

2016年にMeMeOn Musicが行ったインタビューで、こやまはバンド名の由来を説明しています。

大学の先輩が「ヤバイTシャツ屋さん」に行こうという趣旨の言葉を口にし、その響きがこやまの印象に残ったそうです。

もりもりもとも、面白い先輩が突然その言葉を発したことが、こやまにとって強く印象に残ったのだと振り返っています。

こやま自身は、名前に深い理由があったわけではなく、言葉の語感が気に入ったから選んだと説明しています。

ありぼぼは、ヤバイTシャツ屋さんという名前のバンドを組みたいと、こやまから以前から聞かされていたそうです。

そのため、バンドへの誘いがあったときも、名前そのものには特別な違和感を覚えませんでした。

このバンド名の由来には、もう一つ面白い点があります。

こやまが2016年のインタビューで、名前だけでなく、公式サイトのプロフィールにも冗談が多く含まれていると明かしていたことです。

旧公式サイトには、以前THE ALFEEのコピーバンドとして活動していたという記述や、メンバーの担当楽器を事実と異なる形で紹介する文章が掲載されていました。

しかし、こやま本人はこれらを冗談だと説明しています。THE ALFEEのコピーバンドだったという記述を、実際の前身活動として受け取ることはできません。

バンドの正式な活動史を知るには、こうした遊び心のある紹介文と、実際のライブ記録や本人の証言を区別することが重要です。

2012年の結成と2013年の再始動は何が違う?

ヤバイTシャツ屋さんの結成年には、2012年と2013年という二つの表記が見られます。

バンドの公式サイトに掲載されている「ヤバイヒストリー」では、2012年5月に結成し、同年6月に活動を休止したとされています。

一方、ユニバーサルミュージックの公式プロフィールでは、2013年に大阪芸術大学のサークル仲間で結成したと紹介されています。

さらに音楽ナタリーのプロフィールでは、2013年10月に大阪芸術大学に通っていた3人によって結成され、2015年に本格的な活動を始めたと整理されています。

これらは、必ずしも同じ出来事の日付を示しているとは限りません。

実際に、公式サイトの過去ライブ記録には、2012年6月5日に京都MOJOでヤバイTシャツ屋さん名義のライブが行われたことが残っています。

この日のセットリストには、カバー曲を中心に、「Pineapple」や「またあの先輩はニルバーナのあのフレーズを弾く」といった曲名が記載されています。

つまり、2013年の学園祭出演より前に、ヤバイTシャツ屋さんという名前でステージに立った記録が存在するのです。

ただし、この2012年のライブで現在の3人がどのような編成で演奏したかについては、公式のセットリストだけでは確定できません。

したがって、2012年のライブを現在知られる3人組による最初のステージと断定することも、2013年にまったく新しいバンドとして初めて活動を始めたと断定することも避ける必要があります。

2012年は公式年表上の結成と初期ライブの記録がある年、2013年は現在の3人による大学サークルでの活動が明確に語られている年として整理できます。

2014年の活動再開までに何があったのか

バンド公式サイトの年表には、2013年10月に活動を再開し、同年11月に再び活動を休止したと記載されています。

しかし、同じ公式サイトのライブ記録を見ると、2013年12月13日の大阪芸術大学クリスマスステージと、12月14日の公演も掲載されています。

12月のセットリストには「ネコ飼いたい」「週10ですき家」「天王寺経由してなんば」など、初期のオリジナル曲が並んでいます。

そのため、公式年表の「活動休止」が、すべての演奏活動を完全に停止していたことを意味するとは限りません。

活動休止の具体的な範囲や、12月のライブとの関係について、詳細な理由を示す確かな本人説明はありません。

少なくとも、2013年の学園祭出演後も、大学内で演奏を行った記録が残っていることは確かです。

そして公式年表では、2014年7月に活動を再開したとされています。

以降はライブハウスでの演奏を重ね、2015年に自主制作音源の発表や大型フェスへの出演を経験することになります。

このように、ヤバイTシャツ屋さんは一度結成してすぐに現在の活動形態が完成したのではなく、大学内での演奏と複数回の休止・再開を経て、本格的なバンド活動へ進んでいきました。

最初の1曲「ネコ飼いたい」から自主制作へ

ヤバイTシャツ屋さんの楽曲を語るうえで、最初期の代表的な作品が「ネコ飼いたい」です。

こやまは大学のインタビューで、現在知られるバンドを組むにあたり、まずこの曲を制作したと説明しています。

猫を飼いたいという日常的な願望をそのまま楽曲にしたような題材ですが、3人の音楽活動の始まりを知るうえで大切な作品です。

ありぼぼをスタジオへ呼んで歌ってもらった

「ネコ飼いたい」の制作について、こやまは2020年の大阪芸術大学でのインタビューで、具体的な場面を振り返っています。

バンドを組むにあたって曲を作り、ありぼぼを大学のサークルのスタジオに呼び出しました。

そして、自分が作った曲を歌ってほしいとお願いしたそうです。

ありぼぼは、こやまが以前から「ヤバイTシャツ屋さん」という名前のバンドをやりたがっていたことを知っていました。

実際に「ネコ飼いたい」を聴いたときも、こういう歌詞を書くのが好きなのだろうと受け止め、特に驚かなかったと振り返っています。

もりもりもとも、2016年のSkream!の取材で、次の練習のときにはすでに「ネコ飼いたい」が完成していたと話しています。

バンド名と楽曲の方向性について、こやまには最初からある程度はっきりした考えがあり、ほかの2人はそれを受け取って一緒に演奏していったことがわかります。

ただし、2012年の公式ライブ記録には別の曲名も残っているため、「ネコ飼いたい」をヤバイTシャツ屋さん名義の全期間を通じた最初のオリジナル曲と断定することはできません。

本人たちが現在知られるバンドの最初の楽曲として繰り返し語っている、重要な原点の曲と理解するのが適切です。

この曲は2015年のライブでも演奏されており、こやまが「寿司くん」名義で運営するYouTubeチャンネルには、同年のMINAMI WHEELでのライブ映像が公開されています。

2015年10月11日に大阪・SUN HALLで行われたライブの映像で、初期のヤバTが「ネコ飼いたい」をどのようなステージで演奏していたのかを知ることができます。

身近な言葉を曲にするヤバTの作風

ヤバイTシャツ屋さんの歌詞には、日常生活の何気ない言葉や、身近な出来事をそのまま題材にしたものが数多くあります。

その作風について、こやまは2016年のMeMeOn Musicのインタビューで、まずテーマを決め、デモに合わせて歌詞を考えていたと説明しています。

「ネコ飼いたい」に関しても、何か複雑な物語があったわけではなく、猫を飼いたいと思ったことが曲の発想になったと話しています。

興味深いのは、こやま自身が猫アレルギーであり、実際には猫を飼えないと語っていることです。

ありぼぼは実家で猫を飼っており、もりもりもとはどちらかというと犬が好きだとも話していました。

メンバー全員が強い猫好きだったから作られた楽曲というわけではありません。

こやまは同じインタビューで、曲のメッセージ性をできるだけ強くしないようにしていたとも説明しています。

ただし、何も伝えたくないという意味ではなく、表現したいことをシンプルに届ける感覚だったと語っています。

その後、活動を重ねるうちに、以前のように単純な言葉だけで曲を作ることが難しくなってきたとも明かしていました。

2016年の時点ですでに、初期のシンプルな作詞方法と、その後の変化を本人が意識していたのです。

さらに2020年の大阪芸術大学での公開収録では、印象的な短い言葉を思いついたところから歌詞を広げ、同時にメロディーを考える制作方法も紹介しています。

SNSに投稿した言葉を後から読み返し、面白いと思ったものを楽曲に使うこともあるそうです。

2016年のテーマ先行型の説明と、2020年の短いフレーズを起点とする説明は、必ずしも矛盾しません。いずれも言葉や発想が曲作りの重要な入口になっていることを示しています。

ただし、後年語られた制作方法を、初期のすべての楽曲へそのまま当てはめることはできません。

ヤバTの音楽は、身近な言葉を面白がる感覚と、それを勢いのあるロックサウンドに乗せる発想から形づくられてきました。

自主制作シングル『そこまでヤバくない』の発売

大学のサークルで生まれた楽曲は、やがてライブ会場などで販売する自主制作CDへと発展しました。

2015年には、1stシングル『そこまでヤバくない』を自主制作で発表しています。

収録曲には「喜志駅周辺なんもない」「ネコ飼いたい」など、大学時代の生活や身近な発想から生まれた楽曲が含まれています。

当時の公式サイトには、ライブ会場の物販や一部のヴィレッジヴァンガード店舗でCDを販売していた記録が残っています。

全国的な流通体制が整う前の段階で、ライブを通じて音源を届ける活動をしていたのです。

続く自主制作作品『ピアノロックバンド』には、「あつまれ!パーティーピーポー」などが収録されました。

こやまは映像作家「寿司くん」としても活動しており、初期のミュージックビデオ制作にも関わっています。

2016年のMeMeOn Musicのインタビューでは、「あつまれ!パーティーピーポー」の初期映像について、楽曲だけでは寂しいと感じたため、練習スタジオでiPhoneを置いて撮影したと説明しています。

大がかりな撮影設備を用意するのではなく、普段使っている場所や機材で映像を作っていました。

こやまは大阪芸術大学の映像学科で、学生時代からアニメーションや映像作品の制作に取り組んでいました。

音楽だけでなく、映像でも自分たちの作品を発信できたことは、初期のヤバTの活動を理解するうえで重要です。

2015年のSUMMER SONICがバンドの転機になった

ヤバイTシャツ屋さんが大学のサークル活動から、より広いライブシーンへ進む重要な転機となったのが2015年です。

この年にはSUMMER SONICへの出演を果たし、eo Music Tryでグランプリを獲得しました。

ただし、当初から大きなステージを目指して長期的に活動する予定だったわけではありません。

メンバーは後年、バンドを解散するつもりだった時期についても語っています。

解散を想定していた学生バンド

2021年2月のJFN『アーティスト・プロデュース・スーパー・エディション』で、3人は初期のライブ活動を振り返りました。

その中で、ありぼぼは2015年のSUMMER SONIC出演について、バンドが解散せずに続いたきっかけといっても過言ではないと話しています。

こやまも、あの出来事がなければ、いつの間にか活動を終えていたかもしれないと振り返っていました。

当時はアルバムを1枚作ったら辞めようという話まで出ていたそうです。

これは、明確な解散日を決めていたという意味ではありません。しかし、バンドを長く続けることが当然ではなかったという当時の考え方が伝わります。

2016年3月のSkream!のインタビューでも、こやまは大学のサークルで楽しむために組んだバンドであり、活動が大きくなっても基本的な姿勢は変わっていないと説明していました。

ありぼぼも、無理をせず楽しく活動することを大切にしていると語り、もりもりもとは、できる範囲で続けるという考え方を示しています。

成功するために大学でバンドを始めたというより、楽しんでいた活動が周囲の後押しによって続いていったのです。

SUMMER SONIC出演とeo Music Tryグランプリ

2015年の転機には、メンバーだけでなく、初期の活動を支えたライブハウス関係者の存在もありました。

JFNでの本人たちの回想によると、世話になっていたライブハウスの店長から、SUMMER SONICへの出演をかけたオーディションに応募するよう勧められたそうです。

ヤバイTシャツ屋さんは「出れんの!?サマソニ!? 2015」に参加し、大谷ノブ彦賞を受賞しました。

そして2015年8月15日、SUMMER SONIC 2015の東京会場に出演しています。

ありぼぼは後年、インターネットを通じて多くの人に応援してもらい、オーディションを勝ち抜いたことを振り返っています。

それまで主に大学や関西のライブハウスで活動していたバンドにとって、大型フェスのステージに立てたことは大きな経験でした。

2015年8月には初のワンマンライブも開催され、チケットは完売しました。

さらに同年、「eo Music Try 2015」でグランプリを獲得します。

SUMMER SONICへの出演とeo Music Tryの受賞は別の出来事ですが、どちらもその後の活動を広げる重要な節目になりました。

ライブハウスの店長たちは、オーディションへの応募を勧めるだけでなく、ワンマンライブの会場を押さえるなどして活動を支えていたといいます。

2015年の成功を経て、バンドは自分たちが考えていた以上に多くの観客と音楽関係者に知られるようになっていきました。

そして翌2016年、さらに大きな転機が訪れます。

憧れの事務所との出会いからメジャーデビューへ

2015年に大型フェスへの出演とコンテストでの受賞を経験したヤバイTシャツ屋さんは、2016年にメジャーデビューを決定しました。

その背景には、所属事務所との出会いや、大学時代から続けてきた音楽活動への考え方がありました。

10-FEETが所属するBADASSからの誘い

ヤバイTシャツ屋さんは2016年、10-FEETが所属する事務所BADASSのマネージメントを受けることになりました。

10-FEETは、こやまが高校時代に京都大作戦でライブを観て以来、強く憧れてきたバンドです。

こやまは2019年のFenderのインタビューで、10-FEETのライブを初めて観た際、楽曲をよく知らなくても会場の熱気に引き込まれた経験を振り返っています。

そのとき憧れたバンドと同じ事務所に所属することになったのです。

2016年8月のメジャーデビュー発表では、BADASSへの所属も正式に公表されました。

当時の発表によれば、BADASSにとって13年ぶりの新たなマネージメントアーティストでした。

ただし、事務所へ所属することと、レコード会社からメジャーデビューすることは同じ出来事ではありません。

BADASSがマネージメントを担うことになり、ユニバーサルミュージックからアルバムを発売することが決まったという、二つの段階があります。

大学のサークルで始めたバンドが、ライブハウスやフェスでの活動を通じて音楽関係者と出会い、より広い場所で作品を発表できる体制を整えていきました。

2016年『We love Tank-top』でメジャーデビュー

ヤバイTシャツ屋さんのメジャーデビューが発表されたのは、2016年8月12日のことです。

大阪・心斎橋BIGCATで開催したワンマンライブ「まだ早い。」で、ユニバーサルミュージックからのメジャーデビューを発表しました。

当時のバンド公式Xでも、メジャーデビュー決定を報告しています。

2021年のJFNでの回想によると、このBIGCAT公演も、世話になっていたライブハウス関係者が会場を押さえてくれたことから実現したものでした。

こやまは、ライブを行う時期とメジャーデビューの発表が重なったことについて、偶然だったと振り返っています。

また、eo Music Tryでの優勝後にさまざまな関係者から声がかかるようになったことも語っています。

そして2016年11月2日、1stフルアルバム『We love Tank-top』を発売し、メジャーデビューを果たしました。

アルバムには「ネコ飼いたい」「喜志駅周辺なんもない」「あつまれ!パーティーピーポー」など、インディーズ時代から演奏してきた楽曲も収録されています。

大学のサークルで生まれた音楽が、メジャーデビュー作品の中にも残されたのです。

メジャーデビュー後のヤバイTシャツ屋さんは、全国ツアーや大型フェスへの出演を重ね、2021年には大阪城ホール、2022年には日本武道館での単独公演も実現しました。

2023年には結成10周年を記念したベストアルバム『BEST of the Tank-top』を発表し、初の47都道府県ツアーも開催しています。

初期にはアルバムを1枚作って活動を終えることも考えていたバンドが、何年にもわたって全国各地で演奏を続けるようになりました。

サークル時代から続く自由な曲作りと映像表現

ヤバイTシャツ屋さんの活動には、大学のサークル時代から続いている特徴があります。

その一つが、身近な言葉を音楽へ変える作詞・作曲の発想です。

こやまは2016年のSkream!で、シンプルなサウンドやメロディーの良さを大切にしながら、いわゆる「あるある」を少しずらした歌詞を作っていると説明しています。

普段の生活から見つけた言葉を曲にする発想は、「ネコ飼いたい」や「喜志駅周辺なんもない」といった初期作品にも表れています。

また、こやまが学生時代から映像制作に取り組んできたことも、バンドの表現方法に関係しています。

大阪芸術大学では、映像作品を作る際に別の学科の学生へ協力を頼むことができ、発想を実際の作品にする環境がありました。

初期のMVも、練習スタジオでiPhoneを使って撮影するなど、身近な場所や道具を活用して制作していました。

音楽と映像の両方を自分たちで形にしてきたことは、活動の規模が大きくなっても見失えないバンドの重要な出発点です。

2019年の大阪芸術大学のインタビューで、こやまは大学の自由な環境について、自分で考えて制作し、必要なときには周囲の協力を得られる場所だったと振り返っています。

ありぼぼも、自由だからこそ自分から動くことが大切で、その経験は活動を続けるうえでも生かされていると語りました。

ヤバイTシャツ屋さんの始まりをたどると、一人でギターを弾いていたこやまが大学で仲間と出会い、学園祭のためにバンドを組み、最初の曲を作ったことに行き着きます。

そして、長く続けるつもりではなかった活動を、ライブハウスの関係者や観客が後押しし、メジャーデビューへとつなげていきました。

変わった名前とユーモラスな歌詞で知られる3人組の音楽史には、大学のサークルで自由に作品を作り、仲間と演奏することを楽しんできた経験が息づいています。

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