Soala(ソアラ)はなぜ歌手に?音楽の原点から「すれ違い」まで

Soala(ソアラ)の歌手への歩みを題材に、路上演奏からライブステージへ続く光の道と、マイクに向かう女性のシルエットを描いた音楽ルーツのビジュアル ソロアーティスト
項目プロフィール
活動名Soala(ソアラ)
出身地愛知県岡崎市
活動形態シンガーソングライター
Soala名義の活動開始2020年10月17日

「すれ違い」などの楽曲で知られるシンガーソングライター、Soala(ソアラ)。

愛知県岡崎市に生まれ、17歳で上京。東京での挫折を経て大阪へ活動拠点を移し、路上ライブとオリジナル曲の発表を重ねてきました。

その歌手人生の始まりには、意外な出来事があります。

Soalaが歌を習い始めたきっかけは、小学生時代の親友に何か一つ勝ちたいと思ったことでした。

最初から歌手を目指していたわけではありません。しかし、人前で歌う喜びを知り、不登校だった時期には音楽に救われた経験から、自分も誰かの心を支える歌手になりたいと考えるようになります。

さらに、高校時代にギターで作った「顔晴れ」、東京での活動、2023年の「すれ違い」へと歩みを進めるなかで、曲作りの方法や表現したいことも変化していきました。

Soalaがなぜ歌手を志し、どのように自分の音楽を作ってきたのか。その始まりから順にたどります。

音楽史の段階Soalaの歩み
音楽との出会い家族とのカラオケに親しみ、親友との出来事をきっかけにボーカルレッスンを始める
歌手への決意発表会で歌の力を実感し、不登校時代にはロックバンドおかんや森源太の音楽に救われる
初期の曲作り中学2年生頃からギターを独学で練習。高校時代に「顔晴れ」などのオリジナル曲を制作
活動名義の開始2020年4月に上京し、同年10月17日にSoala名義で活動を開始
大阪での再出発東京での挫折を経て大阪へ移り、路上ライブと多数のオリジナル曲の発表を続ける
認知拡大2023年7月に「すれ違い」をリリース。TikTokを中心に楽曲が広がり、ワンマンライブへと活動を拡大

歌を始めたきっかけは親友との小さな競争だった

Soalaは幼い頃から歌うことが好きでした。家族全員がカラオケ好きで、親戚が集まると一緒に歌いに行くことも多かったといいます。

兄と町内のお祭りのカラオケ大会に参加した経験もあり、音楽は特別な習い事を始める前から身近な存在でした。

ただし、幼い頃から明確に歌手を志していたわけではありません。

歌を本格的に習うことになった理由は、音楽への憧れとは少し違うところにありました。

母親の紹介でボーカル教室へ

小学生だったSoalaには、何かにつけて張り合う親友がいました。

足の速さや絵の上手さ、容姿など、さまざまなことで互いを比較する関係だったといいます。

Soala自身は、その友人に負けているような気持ちになることが多く、何か一つでも勝てるものが欲しいと考えました。

そこで思いついたのが、カラオケの点数でした。

母親に相談すると、知人がボーカル教室を開いていることを教えてもらいます。これをきっかけに歌のレッスンへ通うようになりました。

歌を習い始めた当初の目的は、プロの歌手になることではなく、親友に歌で勝つことだったのです。

2024年のSTREAMのインタビューでは、当時の競争心について笑いを交えながら振り返っています。

それまで家族と楽しんでいた歌が、週に一度のレッスンを通して上達を目指すものへ変わりました。

しかし、実際に人前で歌い始めると、当初は想像していなかった経験をすることになります。

発表会と文化祭で知った歌の力

ボーカル教室の発表会で歌ったとき、Soalaは自分の歌を聴いている人たちの反応に驚きました。

笑顔になってくれる人がいるだけでなく、涙を流してくれる人までいたのです。

自分の声によって、聴いている人の感情が動く。それまで親友に勝つために練習していた歌に、別の魅力を感じ始めました。

2026年1月のReal Soundのインタビューでは、この発表会の経験を通して、歌を仕事にして生きていきたいという夢が明確になったと説明しています。

親友との間にも、忘れられない出来事がありました。

もともと仲が良かった二人ですが、競争する関係のなかで、一時は絶交しかけるほど関係が悪くなったこともあったそうです。

ところが、Soalaが文化祭で歌った際、その親友が涙を流してくれました。

本人はSTREAMのインタビューで、その出来事を、親友が自分を認めてくれたように感じた経験として振り返っています。

その後は再び仲良く話すようになり、取材当時も時折連絡を取り合っていると語っていました。

親友に勝ちたくて始めた歌が、今度はその親友の心を動かすものになったのです。

発表会では知らない人の感情を動かし、文化祭では身近な友人の心にも届いた。

この二つの経験を通して、歌手になるという夢が少しずつ具体的なものになっていきました。

不登校時代に出会った音楽が目指す歌手像を変えた

ボーカルレッスンを始めたSoalaが、最初から現在のような感情を強く伝える歌手像を目指していたわけではありません。

小学生時代には歌とダンスの両方に憧れ、中学生になってからは、学校へ通えなくなった時期に出会ったライブによって、音楽に求めるものが変わりました。

AAAに憧れて歌とダンスに取り組んだ日々

Soalaが小学生の頃から憧れていたアーティストの一つが、AAAです。

テレビの音楽番組でAAAを見て、歌いながら踊るパフォーマンスに魅力を感じました。当時はファンクラブにも入っていたといいます。

家では動画を見ながら歌とダンスをまねしていましたが、ダンスはなかなか思うように踊れませんでした。

2025年のUSEN encoreのインタビューでは、当時の踊り方を母親からお笑い芸人のようだと言われたことも、笑いながら明かしています。

それでも、好きなAAAの曲を歌いながら踊ることは、日常の楽しみでした。

また、AAAのメンバーとして活動していたNissy(西島隆弘)の歌声をまねて練習していたことも、本人がインタビューで語っています。

この頃のSoalaにとって、歌手への憧れは歌唱だけではなく、ステージ全体を使って表現するアーティストへの憧れでもありました。

一方、中学生になって経験した出来事が、音楽に対する考え方をさらに深く変えていきます。

ロックバンドおかんと森源太のライブが居場所になった

中学生の頃、Soalaは人間関係の問題から学校へ通えなくなった時期がありました。

学校に行くことが難しい状況でも、好きなアーティストのライブには足を運ぶことができたといいます。

その時期、母親に連れられて観に行ったのが、ロックバンドおかんとシンガーソングライターの森源太のライブでした。

二組の存在は小学生の頃から知っていたものの、以前は音楽を深く聴くまでには至っていませんでした。

しかし、中学生になってライブ会場で歌声を聴いたとき、全身から感情を届けるような歌い方に強く引き込まれ、自然と涙が流れたそうです。

学校に行けずにいた自分が、ライブ会場では心から笑い、涙を流すことができる。

その経験によって、Soalaが歌手として目指すものは、歌とダンスで人を楽しませることだけではなくなりました。

自分が音楽に救われたように、今度は自分の音楽で誰かの心を救いたい。

この思いが、歌手を目指すうえでの中心になっていきます。

USEN encoreのインタビューでは、当時の経験について、次のように語っています。

私も音楽で人を救えるアーティストになりたい

出典:USEN encore「Soala『Message Bluem』インタビュー」(2025年6月9日)

ここで注目したいのは、Soalaが不登校になったこと自体を歌手への唯一のきっかけにしているわけではない点です。

歌う喜びは、それ以前のボーカルレッスンや発表会ですでに知っていました。

その後、自分自身が音楽に支えられる経験をしたことで、歌を通して何を届けたいのかが明確になったのです。

AAAから受けた歌とダンスへの憧れと、ロックバンドおかんや森源太から受けた心を動かす音楽への影響は、異なる形でSoalaの中に残りました。

ギターを独学で覚え、オリジナル曲を作り始める

人の心に届く歌を歌いたいと考えるようになったSoalaは、歌唱だけでなく、自分で曲を作ることにも取り組み始めました。

その入口となったのが、中学2年生頃から独学で練習したギターでした。

初めての曲作りにつながったギター練習

Soalaの家庭には、以前から楽器との接点がありました。

兄がエレクトーンを習っていたため、本人も少しだけエレクトーンを習ったことがありましたが、長くは続かなかったそうです。

本格的に自分で演奏を覚え始めたのは、中学2年生頃にギターの初心者セットを買ってもらってからでした。

特定の先生から習うのではなく、コードを一つずつ覚える独学の練習です。

ギター初心者が苦戦することの多いFコードには、Soalaも一度つまずきました。

しかし、少し練習期間を空けてから弾いてみると、以前は難しかったFコードを押さえられるようになっていたといいます。

本人は当時の演奏技術を、人前で披露できるほどではなかったと振り返っていますが、コードを使って自分の曲を作れるようにはなっていました。

高校時代にはギターを使って3曲のオリジナル曲を制作しています。

その一つが、後にSoala名義でリリースされる「顔晴れ」です。

2026年のReal Soundのインタビューでは、「顔晴れ」を自分なりに試行錯誤しながら初めて作った曲として挙げています。

つまり、「顔晴れ」が配信された時期と、曲そのものが生まれた時期は同じではありません。

高校生の頃に作った曲を、Soalaとして活動するようになってから世に出したという関係です。

「顔晴れ」と高校時代の路上ライブ

オリジナル曲を作るようになった一方で、最初から自作曲を中心にライブ活動をしていたわけではありません。

初めてライブに出演したとき、Soalaはすでにオリジナル曲を1曲持っていました。

ところが、そのステージで選んだのはカバー曲でした。

周囲の出演者は、自分のオリジナル曲を歌っているアーティストばかりでした。

当時のSoalaのライブを観に来ていたのは主に家族や友人でしたが、ほかの出演者にはすでにファンがついている人もいました。

本気でアーティストを目指すなら、オリジナル曲で勝負できるようになるべきだという助言も受けます。

それまでは人の曲を歌って喜んでもらう経験を重ねていましたが、このライブで、自分自身の作品を届けることの必要性を強く感じました。

自分で書いた曲で勝負し、自分の言葉で誰かの心を支える歌手になりたいという思いが、具体的な活動目標になったのです。

高校時代に制作した3曲は、路上ライブでも歌っていました。

なかでも「顔晴れ」は、当時の気持ちが残る作品として、本人にとって思い入れの深い曲になっています。

後に配信された「顔晴れ」を多くの人が聴いてくれたことについて、Soalaは高校時代の思いを受け取ってもらえたようでうれしかったと振り返っています。

まだ大勢のファンがいたわけではない時期に、自分の言葉とギターで作った曲が、数年を経てリスナーへ届きました。

この初期の弾き語りによる曲作りは、後年の制作方法とは異なるものでした。

17歳で上京、Soala名義の始まりと大阪での再出発

高校時代から音楽活動を続けていたSoalaは、プロとしての道を目指し、地元の愛知県を離れる決断をします。

2020年4月、高校3年生になるタイミングで東京へ移りました。

その東京でSoalaという活動名義を使い始めますが、音楽活動は思い描いていたようには進みませんでした。

2020年10月17日から始まったSoalaとしての活動

Soalaは当初、高校を卒業してから上京することを考えていました。

しかし、挑戦したいという気持ちが強く、高校3年生へ進級するタイミングで転校する道を選びました。

地元での生活から一転し、知り合いの少ない東京で新しい学校生活を送ることになります。

後のインタビューでは、友人もいない環境で孤独を感じ、母親へ毎日のように電話していたことを明かしています。

そんな東京での生活が始まって約半年後、2020年10月17日にSoala名義での音楽活動を開始しました。

この日付は本人にとって特別なものです。

2025年に開催したワンマンライブ「To my 17」のタイトルにも、活動を始めた10月17日と、当時17歳だった自分という二つの意味を込めています。

高校時代から歌や曲作りを続けていたため、2020年10月17日は音楽との最初の出会いではありません。

Soalaというアーティスト名義での活動開始を示す日付です。

ただし、新しい名前で夢を追い始めた東京では、その後大きな挫折を経験することになります。

東京での挫折から大阪で音楽を届け直すまで

東京では路上ライブを中心に音楽活動を続けていましたが、本人が大きな挫折と表現する経験をしました。

2025年のUSEN encoreのインタビューでは、当時について、自分を知る人がほとんどいない場所でやり直したくなったと振り返っています。

地元の愛知県へ戻ることも選択肢にはありましたが、短い期間で帰ってきたと思われることへの悔しさがありました。

そこで選んだのが大阪です。

20歳になる直前、ほとんど知り合いのいない大阪へ移り、音楽活動をゼロからやり直すことを決めました。

東京での経験について、本人は環境を変えたい気持ちと、音楽を諦めきれない気持ちの両方があったと説明しています。

大阪での再出発は、すぐに大きなステージへ立てるようになることを意味していたわけではありません。

月に10回以上の路上ライブを行い、楽曲制作とSNSでの発信を繰り返しました。

大阪に移ってから最初の1年間で発表した楽曲は、本人の説明によれば22曲にのぼります。

短期間で多数の楽曲を発表したのには、明確な理由がありました。

路上ライブだけでは、カバー曲を歌っている人として認識されてしまうこともあったためです。

Soalaは、自分がオリジナル曲を作り、歌っているアーティストであることを知ってほしいと考えていました。

そのため、路上で歌い続けるだけでなく、新しい楽曲を制作し、配信し、SNSで発信する活動を止めませんでした。

この時期の努力を本人は、大阪での下積みとして振り返っています。

東京で活動していたときも、大阪へ移ってからも、歌手として届けたいものは同じでした。

ただ、大阪ではそれを実現するために、自分の作品を継続して発表することへ強く力を注いだのです。

そして2023年、その活動のなかから「すれ違い」という楽曲が生まれました。

「すれ違い」のヒットが変えた音楽との向き合い方

大阪へ拠点を移したSoalaが、2023年7月に発表したのが「すれ違い」です。

失恋の痛みを率直な言葉で描いたこの曲は、TikTokを中心に広がり、Soalaを知る入口となる作品になりました。

ただし、本人にとっての意味は、再生回数が増えたことだけではありません。

それまで苦手意識を持っていたラブソングに対する考え方が変わる出来事でもありました。

自分の恋愛経験から生まれた「すれ違い」

Soalaはもともと、恋愛ソングを書くことが得意ではなかったといいます。

恋愛ドラマを見ることは好きでしたが、いざ自分でラブソングを書こうとすると、ありきたりな表現になってしまうように感じていました。

そのため、自分は恋愛ソングを歌うタイプではないのかもしれないと考えていた時期もあったそうです。

一方で、Soalaは自分の強みを、感情をストレートに表現することだと考えていました。

それなら、作り物の恋愛物語ではなく、自分が実際に経験したことを書いてみよう。

そう考えて生まれたのが「すれ違い」でした。

2025年のUSEN encoreのインタビューでは、当時の恋愛について、謝ることが当たり前になり、本当に言いたいことを言えなくなっていた経験を語っています。

相手を大切に思っているのに、自分の気持ちがうまく伝わらない。その経験を楽曲へ変えました。

制作当初は、自分の個人的な思いを歌にしたところで、多くの人が共感してくれるとは想像していなかったそうです。

また、「すれ違い」は、5カ月連続でシングルを発表しようと決めて制作を始めた最初の作品でもありました。

大阪で曲を作り続けていた当時は、どの曲が大きく広まるかを予測して制作していたわけではありません。

そうした状況のなかで生まれた「すれ違い」が、予想していなかった規模でリスナーへ届くことになります。

SNSで広がるなかで見つけた自分の表現

「すれ違い」は2023年7月にリリースされ、その後TikTokなどで注目を集めました。

ユニバーサルミュージックの公式プロフィールでは、リリースから半年間でTikTokでの再生回数が2,000万回を超えた楽曲として紹介されています。

2023年10月21日には、Soalaの公式YouTubeチャンネルでミュージックビデオも公開されました。

楽曲の認知が広がる一方で、Soalaには複雑な気持ちもありました。

イベントなどで「すれ違い」を歌うと、多くの人がスマートフォンを向けて撮影してくれるようになりました。

しかし、そのなかには曲を知っていても、歌っているのがSoalaだとは知らない人もいたといいます。

曲だけが知られていることへの悔しさがありながらも、自分の音楽が大勢に届いている喜びも感じていました。

この経験から、一曲だけではなく、さまざまなオリジナル曲を歌っているアーティストとして知ってもらいたいという思いも強くなります。

もう一つの変化は、曲作りに対する考え方でした。

「すれ違い」を聴いた人たちから共感の声が届いたことで、自分だけの苦しい経験だと思っていたことを、ほかの人も抱えていると知りました。

2026年のReal Soundのインタビューでは、この経験について次のように振り返っています。

自分の思いをさらけ出してもいいんだな

出典:Real Sound「Soala、『声の軌跡』と自身の歩んできた道を語る」(2026年1月29日)

これまでSoalaは、自分の苦い経験や、誰かの背中を押すための応援歌を大切にしていました。

しかし「すれ違い」をきっかけに、恋愛の痛みを歌うことも、誰かの心を支えることにつながると感じるようになりました。

「誰かを救う音楽」は応援歌だけではなく、失恋や不安をそのまま歌うラブソングでも届けられると気づいたのです。

そこからは自分の恋愛経験に限らず、周囲の人やファンの恋愛の話も曲作りの題材にするようになりました。

「すれ違い」に続いて「恋花火」などの楽曲も広がり、2024年3月には初のワンマンライブ「STORY」を大阪・阿倍野ROCK TOWNで開催しました。

同年8月には2度目のワンマンライブ「CINDERELLA」を江坂MUSEで開催。さらに名古屋・東京・大阪を巡るワンマンツアー「Bluem」へと活動を広げました。

音楽活動の初期には、自分の曲を誰にどう届ければよいかを模索していました。

「すれ違い」の反響によって、実体験を率直に歌うことが自分の表現になり得ると、リスナーの反応から確かめることができました。

初期の弾き語りから「声の軌跡」まで、変化した曲作り

高校時代にはギターで曲を作っていたSoalaですが、活動を続けるなかで楽曲制作の方法は変化していきました。

一方、歌詞の言葉選びや歌い方では、自分の感情をできるだけ直接届けることを大切にしています。

その二つの特徴は、2026年1月に発表された「声の軌跡」の制作過程にも表れています。

トラック先行の制作と恋愛物語からの着想

Soalaは2026年1月のReal Soundのインタビューで、普段の曲作りについて具体的に説明しています。

現在の制作では、トラックメーカーに先に音源を作ってもらい、そこへ自分でメロディーと歌詞を乗せていく方法が多いそうです。

ただし、すべての曲が同じ作り方というわけではありません。

Soalaが鼻歌で作ったメロディーをもとにトラックを組み立ててもらう場合もあれば、YouTubeで公開されているフリートラックを聴き、事前に曲の大まかな形を考える場合もあります。

高校時代のギターを中心にした曲作りとは異なり、音源制作を担う人との共同作業が重要になっています。

本人によれば、初期の「顔晴れ」や「強がり」などはギターで作った作品ですが、その後はギターを使って作曲することがほとんどなくなりました。

初期の弾き語りから、トラックを土台にメロディーと歌詞を組み立てる制作へと方法が変化したのです。

曲の着想を得るために、日常でもさまざまな音を聴いているといいます。

邦楽や洋楽だけでなく、寝る前にオルゴールや自然の音を聴くこともあり、そこからメロディーの発想が生まれる場合もあるそうです。

歌詞の題材としては、映画やドラマ、恋愛リアリティーショーなども挙げています。

「すれ違い」のように本人の実体験を直接歌った作品もあれば、物語の登場人物の立場に立って曲を書く作品もあります。

後者の代表的な例が、テレビアニメ『真夜中ハートチューン』のエンディング主題歌として制作された「声の軌跡」です。

この曲では、原作漫画を読み、主人公の山吹有栖の視点から、愛する人へ思いを届けるような気持ちで歌詞を書いたと説明しています。

作曲では玉木千尋が先にトラックを制作し、そこへSoalaがメロディーと歌詞を重ねる方法を取りました。

作品の世界観を大切にしながらも、Soala自身が経験してきた「声に救われる」という感覚も重ねています。

本人の失恋経験から生まれた「すれ違い」と、物語の登場人物の視点で制作された「声の軌跡」。

二つの楽曲は題材の取り方が違いますが、感情を言葉とメロディーで伝えることを重視している点では共通しています。

感情を声で伝える表現と音楽の原点

Soalaが自分の歌声について特に大切にしているのが、感情表現です。

歌唱力の高い人が数多くいるなかで、自分にしか出せないものは何かを考えた結果、感情を声に乗せることが、自分の強みだと考えるようになったといいます。

その考えは、録音の際の歌い方にも表れています。

「声の軌跡」では、サビで強い感情を聴かせる一方、AメロやBメロでは心の中の思いを話すように歌うことを意識しました。

曲の終盤には、涙が出そうな声を意識して録音した部分もあると明かしています。

きれいに歌うことだけを目指すのではなく、曲のどの部分で、どのような感情を伝えるのかを考えて声を使い分けています。

メロディーについても、曲を多く作るほど似た表現になってしまうことを意識しているそうです。

そのため、洋楽のようなメロディーを取り入れたり、音の上がり下がりを工夫したりしています。

一曲を完成させても、以前の曲に似ていると感じた場合には、最初から作り直すこともあると語っています。

歌詞でも、比喩や難しい言葉を使うことより、自分の気持ちが直接伝わる表現を大切にしています。

その音楽観を象徴する作品の一つが、2025年5月に発表した「Message Bluem」です。

この曲は、同年1月に発表された「Bluem」のアンサーソングとして制作されました。

「Bluem」が自分自身の夢や決意を込めた楽曲だったのに対し、「Message Bluem」では、苦しい状況にいる人へ言葉を届けることを意識しています。

本人は過去に、自分より歌が上手な人はいくらでもいる、歌手になるのは難しいといった言葉をかけられた経験を振り返り、同じように否定的な言葉に傷ついている人を励ましたいと語っています。

自分自身が音楽に救われた経験から始まった思いが、実際の楽曲制作にも生かされている例です。

また、2025年7月には東京・Spotify O-EASTで「To my 17」を開催しました。

17歳で上京した頃の自分へ向けた意味を持つこのライブは、本人にとって東京での苦い記憶と向き合う場にもなりました。

2026年のBillboard JAPANのインタビューでは、かつて逃げたいと感じていた東京で、自分のファンが集まる会場を見たことによって、東京へ行く怖さが和らいだと振り返っています。

高校時代には、自分の曲で勝負する必要性を感じながら、オリジナル曲を作り始めました。

東京では大きな挫折を経験し、大阪では誰も自分を知らない場所から路上ライブと楽曲発表を続けました。

「すれ違い」では、自分の失恋経験を歌にしたことで、同じ思いを抱えるリスナーとつながることができました。

その後も創作方法を変えながら、感情を直接届ける音楽を作り続けています。

2026年10月には、ユニバーサルミュージックからのメジャーデビュー決定も正式に発表されました。

親友に勝ちたくて通い始めたボーカル教室から、自分の経験を言葉にし、多くの人へ歌を届ける活動へ。

Soalaが中学生の頃、ライブ会場で見つけた「自分も誰かの心を支える音楽を歌いたい」という思いは、その後に生まれた楽曲のなかにも残っています。

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