| メンバー | 担当 |
|---|---|
| Shen(シェン) | ボーカル・ラップ・楽曲制作 |
| Micro(マイクロ) | ボーカル・ラップ・楽曲制作 |
「My Way」で知られるDef Tech(デフ・テック)は、ハワイ育ちのShenと東京出身のMicroによる音楽ユニットです。
2人が出会った場所はハワイではなく、東京の居酒屋でした。RIZEのJESSEを介して知り合い、偶然声を重ねたときの心地よさが、Def Techの音楽につながっていきます。
2005年には1stアルバム『Def Tech』が大ヒット。しかし、成功の裏で2人の関係は悪化し、2007年9月に解散を発表しました。
解散の理由として発表されたのは音楽的な方向性の違いです。後年の本人たちは、制作をめぐる衝突や意思疎通の難しさも明かしています。
そして2010年、Shenの子どもの誕生をきっかけに再会した2人は、再び一緒に音楽を作り始めました。
その歩みには、屋根裏部屋での録音、JESSEと生み出した「My Way」、予想を超えるヒット、そして離れて初めて気づいた互いの歌声の存在がありました。
| 音楽史の段階 | Def Techの歩み |
|---|---|
| 音楽の原点 | Shenは家族の音楽環境で育ち、Microは幼少期からハワイや海外の音楽に親しんだ |
| 出会いと結成 | 2001年、JESSEの紹介で2人が出会い、共同での音楽活動へ進んだ |
| 初期活動 | 自宅の屋根裏部屋で楽曲を制作し、都内のクラブやライブハウスで経験を積んだ |
| デビューと認知拡大 | 2005年1月22日に1stアルバム『Def Tech』を発売。「My Way」がヒットした |
| 解散 | 2007年9月、音楽的な方向性の違いを理由に解散を発表した |
| 再結成 | 2010年、再会をきっかけに音楽制作を再開し、アルバム『Mind Shift』を発売した |
ShenとMicroが音楽に出会うまで
Def Techの2人は、同じ環境で音楽を学んできたわけではありません。
Shenは音楽に親しむ家族の中で楽器や歌に触れ、Microは東京で育ちながらハワイの文化や海外の音楽に親しんでいました。それぞれの経験が、後に2人で音楽を作るときの土台になっていきます。
Shenは家族の音楽とライオネル・リッチーに育てられた
Shenは中国の広東省で生まれ、幼い頃にハワイへ移りました。
家族には音楽に携わる人が多く、祖父はカリフォルニアで指揮者を務め、父親も楽器を演奏していたといいます。
Shenが記憶に残る最初の音楽として挙げているのが、ライオネル・リッチーです。
父親の車ではライオネル・リッチーのカセットテープが繰り返し流れていました。Shenは幼い頃から耳で歌詞を覚え、5歳の時点ですでに歌詞を歌えるほど聴き込んでいたそうです。
大きな転機になったのは、父親や姉と一緒に観に行ったライオネル・リッチーのライブでした。
目の前で歌う姿に触れたShenは、歌手になりたいと考えるようになります。
その後、小学校5年生の頃には祖父からトランペットを渡され、本格的に楽器へ親しむようになりました。フレンチホルンも学び、高校ではギターを始めています。
こうしてShenにとって音楽は、好きな歌を聴くものから、自分でも演奏し、表現するものへ変わっていきました。
2020年のJ-WAVE『SAPPORO BEER OTOAJITO』では、こうした幼少期の体験を本人が振り返っています。ガンズ・アンド・ローゼズの『Use Your Illusion II』を最初に購入したCDとして挙げていることからも、特定のジャンルだけに限らず、さまざまな音楽に触れていた様子がうかがえます。
Microは東京でハワイの音楽とサーフ文化に親しんだ
一方、Microは東京で生まれ育ちました。
2005年のJ-WAVE『TOKIO HOT 100』では、父親が東京・蒲田でサーフショップを営んでいたことを明かしています。
その影響で幼少期からハワイへ行く機会が多く、海外の音楽やハワイの音楽を身近に感じていたそうです。
東京に暮らしていても、Microの生活には海やサーフィンの文化がありました。後にDef Techで表現するアイランドミュージックは、そうした幼少期からの経験ともつながっています。
さらにMicroは、ヒップホップにも親しんでいました。2025年のGO OUT WEBのインタビューでは、15歳のときに初めて観たライブがKREVAのライブだったと振り返っています。
日本のヒップホップに憧れる気持ちと、ハワイや海外の音楽への親しみ。Microの中には、異なる音楽文化への関心が共存していました。
ハワイ育ちのShenと、東京で育ちながらハワイに親しんだMicro。2人は違う道を歩んでいましたが、音楽と海の文化という共通点を持っていたのです。
JESSEがつないだ出会いとDef Techの結成
ShenとMicroが出会ううえで、欠かせない人物がいます。
ロックバンドRIZEのJESSEです。
JESSEは2人を引き合わせただけでなく、Def Techというユニット名を考え、初期の楽曲制作にも関わりました。
東京の居酒屋で出会い、2人でハーモニーを重ねた
2024年のFANY Magazineのインタビューで、MicroはShenとの出会いを振り返っています。
2001年、当時ニューヨークへ留学していたMicroは日本へ帰国しました。その後、JESSEの紹介でShenと知り合い、東京・五反田の居酒屋で意気投合したといいます。
音楽でハワイを感じさせる2人ですが、最初の交流の場所は日本の居酒屋だったのです。
2人で声を重ねる面白さに気づいた場面については、さらに古い本人の証言が残っています。
2005年1月のJ-WAVE『TOKIO HOT 100』でMicroは、JESSEに紹介された後、AIや仲間たちと戸越銀座の居酒屋で飲んだ帰りの出来事を語りました。
その帰り道、ShenとMicroは一緒に歌い、試しにハーモニーを重ねてみました。
すると、2人の声が重なったときの心地よさに気づき、改めて音楽そのものの面白さを感じたといいます。
Def Techの始まりには、誰かに決められた役割ではなく、2人が実際に声を合わせて感じた音楽の楽しさがありました。
五反田で意気投合した話と、戸越銀座でハーモニーを重ねた話は、本人が異なる時期に語ったエピソードです。最初の出会いと音楽的な発見を分けると、結成までの流れが見えてきます。
2025年にはDef Techの公式Xが、デビュー前のShenとMicroを振り返る2003年の記録を紹介しました。
JESSEが付けた「Def Tech」という名前
2人の音楽活動が始まる際、ユニット名を考えたのもJESSEでした。
2024年のFANY MagazineでMicroが語ったところによると、JESSEに名前を考えてほしいと頼んだとき、最初に出てきた案は「タロージロー」だったそうです。
さすがに別の名前を求めたところ、JESSEは世界的なギタリストのジェフ・ベックの名前を口にし、その響きから「Def Tech」という名前にたどり着いたといいます。
つまり、Def Techという名前には、JESSEとの交流から生まれた言葉遊びという一面があったのです。
Microは2014年の『月刊チャージ』のインタビューでも、JESSEが自分たちにとってどれほど大きな存在だったかを明かしています。
RIZEのJESSEがいなかったらDef Techは誕生していないだろう。
Micro/『月刊チャージ』2014年11月8日掲載インタビュー
JESSEは単に名前を付けた人物ではありません。ShenとMicroが出会い、ユニットとして音楽を作るための重要な橋渡し役でもありました。
屋根裏での制作から「My Way」誕生へ
Def Techの音楽は、最初から整った制作環境で生まれたわけではありません。
デビュー前の2人は、限られた機材を使って曲を作り、クラブやライブハウスで何度も歌いながら経験を積んでいました。
限られた機材で音楽を作った初期の活動
2014年の『月刊チャージ』でMicroは、1stアルバムの制作当時を振り返り、お金もほとんどない中で音楽を作っていたと語っています。
当時の制作道具として挙げたのが、MPC2000XLとMTRの2つの機材でした。
MPC2000XLはサンプリングやビート制作に使われる機材、MTRは複数の音を重ねて録音するための機材です。
Microの実家にあった屋根裏部屋で、2人はこうした機材を使って音楽を作りました。
2005年のJ-WAVEでは、Microがトラック制作について、自分たち2人で作っていると説明しています。打ち込みに加え、Shenがウクレレやギターを演奏することもあったそうです。
ハワイアンやレゲエの要素を持ちながら、ヒップホップのビートに日本語と英語の歌を乗せる。そんなスタイルを、2人は自分たちの手で形にしていきました。
活動の場は録音だけではありません。
2025年のGO OUT WEBのインタビューでは、ShenとMicroがデビュー前のクラブ活動を振り返っています。
渋谷のclub asiaやVUENOSなどで経験を積み、リハーサルが夜8時なのに、本番は翌朝4時という日もあったそうです。Microは、一日に4本のライブを一週間続けた時期もあったと語っています。
さらに、当時は言葉による意思疎通にも苦労していました。
Shenは英語、Microは日本語が中心で、互いの言葉を十分に理解できず、携帯電話の翻訳機能を使って会話していたといいます。
そうした環境でも2人はライブを重ね、人前での歌い方や観客への伝え方を覚えていきました。
初期の音楽活動には、JESSEとの共同制作もありました。Microは2020年のMikikiのインタビューで、RIZEの「Vibration」のレコーディング中にShenと大きく衝突し、JESSEから厳しく叱られたこともあったと明かしています。
2人の意見がぶつかることは、ヒット後に突然始まったわけではありませんでした。
Charのスタジオで生まれた「My Way」
Def Techの代表曲「My Way」が生まれた場所にも、JESSEが関わっていました。
2005年のJ-WAVE『TOKIO HOT 100』でMicroは、戸越で飲んだ後にギタリストCharのスタジオへ連れて行ってもらい、その日に作った3曲目が「My Way」だったと語っています。
2014年の『月刊チャージ』では、Charの自宅の地下室で、JESSEと3人で制作したと振り返りました。
「My Way」は、ShenとMicroだけで閉じた制作ではなく、JESSEも加わったセッションの中で生まれた楽曲でした。
Microによれば、曲が出来上がるまでの時間は非常に短かったそうです。
当時のDef Techは、ハワイアンとレゲエを組み合わせた「ジャワイアン」という音楽を掲げていました。ただし、単純に海外のジャンルを取り入れるだけではなく、日本語の良さも音楽に加えたいという考えがありました。
ShenとMicroは、日本語と英語という異なる言葉を使いながら、一つの楽曲の中で自然に声を重ねていきます。
その初期の制作から生まれた「My Way」は、後に2人の代表曲となりました。しかし、発売当時のMicroは、この曲に複雑な思いを抱いていました。
アルバム発売までの時間とMicroの葛藤
2022年、J-WAVE『DIVE TO THE NEW WORLD』でSKY-HIと対談したMicroは、デビュー前の意外な事情を明かしています。
Microの回想によれば、「My Way」を収録したアルバムの楽曲は2001年にはすでに完成していたそうです。
しかし、そこからすぐに発売されたわけではありません。
当時の事務所からは、まだ自分たちの出番ではないと伝えられ、発売を待つ時間が続きました。
メジャーレコード会社との契約も目指し、デモテープを持ち込んだものの、望んだ反応は得られませんでした。Microは、目の前でデモテープを投げ捨てられた経験まで語っています。
そうした中、MONGOL800などインディーズで大きな成功を収めるアーティストも現れ、Def Techは自主制作で作品を世に出す道へ進みました。
ところが、ここで別の問題がありました。
Microは、後に大ヒットする「My Way」をアルバムから外したいと考えていたのです。
この9曲入りのアルバムは『My Way』を外したくて。
Micro/J-WAVE『DIVE TO THE NEW WORLD』2022年11月19日放送
当時のMicroは、クラブシーンで活動する自分たちにとって、「My Way」の柔らかく親しみやすい音楽性を恥ずかしく感じていたそうです。
もっと力強いヒップホップを表現したいという思いがあり、9曲入りではなく、同曲を除いた8曲入りのアルバムとして発売したいと事務所へ伝えました。
しかし、事務所側はその意見を認めませんでした。
Microは強く説得され、最終的には「My Way」を収録した9曲入りの作品として発売することを受け入れました。
自分たちが当時表現したかった音楽と、周囲が評価していた楽曲は必ずしも一致していなかったのです。
2005年のデビューとヒットが変えた2人の関係
2005年1月22日、Def Techは1stアルバム『Def Tech』を発売しました。
その後、「My Way」が広く知られるようになり、2人を取り巻く環境は大きく変化していきます。
1stアルバム『Def Tech』が広まるまで
『Def Tech』は、メジャーレーベルからのデビュー作品ではなく、インディーズから発売されたアルバムです。
収録曲「My Way」が自動車タイヤメーカーのCMソングとして使われたことで認知が広がり、作品の売上も伸びていきました。
Def Tech公式プロフィールによると、このアルバムは累計280万枚を超えるセールスを記録し、当時のインディーズ作品の販売記録を塗り替えています。
同年6月にはアルバム『Lokahi Lani』を発売。12月には、インディーズアーティストとして初めてNHK紅白歌合戦に出場しました。
自宅の屋根裏で音楽を作り、クラブで何度もライブを重ねていた2人は、短い期間で全国的に知られる存在となったのです。
ただし、突然の成功は、必ずしも2人の関係を良くするものではありませんでした。
成功後に生まれた衝突と2007年の解散
2007年9月7日、Def Techは公式サイトで解散を発表しました。
当時の共同声明では、理由として音楽的な方向性の違いが挙げられています。
しかし、後年に語られた本人たちの証言からは、単に作りたい音楽のジャンルが違っていたというだけではない、2人の関係の難しさも見えてきます。
2022年のJ-WAVEでMicroは、ヒット当時すでに2人の仲が悪化していたことを明かしました。
ライブのステージでは一緒に歌っていても、普段はほとんど会話を交わさず、互いの目を合わせることさえ難しい状況だったといいます。
その背景としてMicroが挙げたのは、制作に対する自分の意見をShenへ強く押し付けてしまっていたことでした。
Def Techはこうあるべきだという考えから、Shenの歌い方や歌詞、メロディーに細かく意見するようになり、結果として相手の自由な表現を狭めてしまったと振り返っています。
Shenも2022年のマイナビニュースの取材で、ヒットしてから互いにわがままになり、関係が悪化したことを明かしました。
また、当時は現在ほど日本語と英語を使って意思疎通できず、十分に理解し合おうとしていなかったとも振り返っています。
2022年の同じ取材でMicroは、大きな成功によって急にお金を手にしたことや、次のアルバムを失敗させたくないという焦りも、関係悪化の背景にあったと語っています。
2人ともDef Techの音楽を大切にしていたからこそ、自分の考えを相手に求めすぎてしまった部分があったのです。
2007年の解散は、音楽的な方向性の違いに加え、成功後のプレッシャー、制作上の衝突、意思疎通の難しさが重なった結果でした。
解散後、Shenはハワイへ戻り、Microは日本でソロ活動や音楽制作に取り組みます。
しかし、離れてからも、2人にとって互いの歌声が簡単に消えることはありませんでした。
ShenとMicroが2010年に再結成するまで
Def Techの解散から約3年後、ShenとMicroは再び一緒に音楽を作り始めます。
そのきっかけは、仕事上の契約や新しいアルバムの企画ではなく、家族に関わる出来事でした。
ソロ活動で感じた相手の歌声の存在
解散後のMicroは、ソロアーティストとして活動する一方、レコードレーベルを立ち上げ、ほかのアーティストのプロデュースにも取り組みました。
Shenもハワイを拠点に活動し、自分自身の音楽へ向き合う時間を過ごしています。
ただし、音楽を別々に作るようになってから、Microは不思議な感覚を持つようになりました。
2010年6月の再結成発表時、Microはソロ楽曲をレコーディングしているとき、もし隣にShenがいたらどのようなハーモニーを重ねるだろうかと考えることがあったと明かしています。
一緒に活動していた頃よりも、1人になってからShenの声を想像するようになっていたのです。
Def Techの音楽には、単独の歌唱だけでは生まれない、2人の声の組み合わせがありました。
もっとも、相手の声を思い出すことと、実際に再会できることは別でした。
2010年のJ-WAVE『TOKIO HOT 100』では、解散後、ShenがMicroやマネージャーからの電話を着信拒否していたことも明かされています。
2人の間には、簡単には埋まらない距離が残っていました。
Shenの子どもの誕生をきっかけに再会
その距離が変わる出来事が、2009年に起きました。
Shenに子どもが生まれたのです。
2010年11月のJ-WAVE『TOKIO HOT 100』で再結成のきっかけを尋ねられたShenは、短くこう答えています。
ボクの子供。
Shen/J-WAVE『TOKIO HOT 100』2010年11月7日放送
子どもの誕生をきっかけに、MicroはShenのもとを訪れました。
Shenは2015年のBillboard JAPANのインタビューで、子どもが生まれたときにMicroが病院まで来てくれたと振り返っています。
そこでShenの妻が、子どものために2人で子守唄を歌ってほしいと伝えました。
その言葉をきっかけに、ShenとMicroは再び一緒に曲を作ることを考え始めます。
2022年のJ-WAVEでもMicroは、Shenの子どもを抱きに訪れたときの出来事を振り返り、再びスタジオに入ってみようという話になったと説明しています。
かつて音楽制作でぶつかり合っていた2人は、子どものために一緒に歌うという、以前とは違う目的を通じて再び向き合いました。
再びスタジオに入り、2人の音楽が動き始めた
2010年、2人は以前使っていたプライベートスタジオでレコーディングを再開しました。
久しぶりに一緒に音楽を作り始めると、互いのアイデアが次々に生まれ、以前のように自然にハーモニーを重ねられたといいます。
2010年のTOWER RECORDS ONLINEのインタビューでは、MicroがShenの妻から子守唄を頼まれたことをきっかけに、「Rays of Light」という楽曲を作ったと明かしています。
この曲は、同年10月27日に発売された再結成後のアルバム『Mind Shift』にも収録されました。
2010年6月3日にDef Techは活動再開を発表。ShenとMicroは再び一つのユニットとして音楽を届けることになりました。
再結成は、過去の関係にそのまま戻るということではありませんでした。
Shenは2010年のインタビューで、時間を経て物事の見方が変わり、音楽を作りながら楽しめるようになったと語っています。
一度離れた経験を経て、2人は再び一緒に音楽を作る方法を見つけたのです。
再結成後に変わった音楽との向き合い方
2010年に再結成したDef Techは、その後も作品を発表し、ライブ活動を重ねていきました。
ただし、音楽を作るときの考え方は、解散前と同じではありませんでした。
音楽的な違いを生かしながら制作を続けた
2015年のBillboard JAPANのインタビューでShenは、再結成後の制作では互いに異なる方向を示してくれることを楽しんでいると語りました。
以前は対立につながることもあった音楽的な違いを、新しい発想へつなげるようになったのです。
2020年のMikikiのインタビューでもMicroは、以前は制作のたびに大きなケンカをしていたものの、再結成後はまず試してから考える姿勢へ変わったと振り返っています。
後年には、2人で話しているうちに何時間も経ってしまい、その日は曲が完成しないこともあったそうです。
制作方法そのものにも変化がありました。
2022年のJ-WAVEでMicroは、ビートやトラックを先に作り、その音をShenと繰り返し聴きながら、歌詞で何を伝えるべきかを話し合っていく方法を説明しています。
日本語と英語をどこに配置するかも重要でした。
曲の冒頭を英語にするか、日本語へ切り替える部分をどこに置くか。単に2つの言語を混ぜるのではなく、聴こえ方の変化まで考えて構成していたといいます。
また、Microは初期のライブ活動について、深夜のクラブに海や自然を感じられる音楽を持ち込みたかったと語っています。
波の音を直接入れなくても、海を感じられる音楽を作れるかどうか。その感覚もDef Techのサウンドを考えるうえで大切にしていたそうです。
2015年にはShenが、作品を作る際には売れることだけを目的とせず、その時代にどのような音楽が必要なのかを考えていると説明しています。
2人が歩んできた時間や経験が、そのまま制作に向き合う姿勢の変化につながっていました。
「My Way」が再び届いた2020年
2020年11月20日、Def TechはYouTubeチャンネル『THE FIRST TAKE』に出演し、「My Way」を披露しました。
2005年に発表された曲が、15年の時を経て、新たなアレンジと2人の歌声で届けられたのです。
このパフォーマンスをきっかけに、Def Techは過去の楽曲を知らなかった世代にも広く聴かれるようになりました。
Def Tech公式プロフィールでも、『THE FIRST TAKE』での「My Way」は大きな節目として紹介されています。
2022年のJ-WAVEでMicroは、この動画を通じて歌詞の内容が改めて伝わったことについても語りました。
「My Way」は日本語と英語が混ざった楽曲です。Micro自身も、長い間Shenが歌っていた英語の歌詞を十分には理解していなかった部分があり、動画に字幕が付いたことで改めて意味を知ったと振り返っています。
同じ楽曲でも、聴く人や届け方が変われば、新しい発見が生まれることを示す出来事でした。
2025年には、JESSEも参加したアルバム『4ELEMENTS』を発売。結成期から関係の深い人物と再び作品を残しています。
その後、2026年6月にはMicroが株式会社2VOXとのアーティスト契約を終了し、個人事務所を拠点とすることが発表されました。Shenは引き続き2VOXのマネジメントを受けています。
この所属体制の変更について、MicroはDef Techとしての活動と自身のソロ活動を継続する意向を表明しました。2007年の解散発表とは異なる出来事です。
幼い頃にそれぞれ音楽へ親しみ、JESSEを通じて出会ったShenとMicro。2人で声を重ねることから始まった音楽は、「My Way」のヒットと解散、再結成を経て、長い時間を歩んできました。
屋根裏部屋で曲を作っていた頃から、その音楽の中心にあったのは、ShenとMicroという異なる2つの声が重なることでした。

