| メンバー | 担当・メンバーカラー |
|---|---|
| おヨネ | 歌唱・イエロー |
| じん | 歌唱・オレンジ |
| サカイJr. | 歌唱・ブルー |
| ケンケン | 歌唱・ピンク |
モナキは、純烈のリーダー・酒井一圭がプロデュースする4人組の歌謡コーラスグループです。2025年11月26日に純烈のコンサートで初お披露目され、2026年4月8日に「ほんまやで☆なんでやねん☆しらんけど」でメジャーデビューしました。
グループ誕生のきっかけは、酒井が始めた「セカンドチャンスオーディション」。約1,000人の応募者の中から、おヨネ、じん、サカイJr.の3人が選ばれ、別の経緯でケンケンが加わりました。
歌や作曲を経験してきた人、建築の仕事から歌に挑戦した人、一度は芸能界を離れた人。 それぞれ違う道を歩んできた4人は、なぜ同じステージで歌うことになったのでしょうか。
モナキが生まれるまでの道のりには、純烈への憧れだけでは説明できない、一人ひとりの音楽への思いがありました。
| 音楽史の段階 | モナキの歩み |
|---|---|
| 企画の発端 | 2023年10月、酒井一圭が新グループのためのオーディション開催を発表 |
| メンバーの選出 | オーディションで3人が選ばれ、別の経緯でケンケンが合流 |
| 初お披露目 | 2025年11月26日、東京・LINE CUBE SHIBUYAの純烈公演に登場 |
| 初期の歌唱活動 | 2026年1月24日、初のリリースイベントでデビュー曲を観客の前で初歌唱 |
| メジャーデビュー | 2026年4月8日、日本クラウンからデビューシングルを発売 |
純烈・酒井一圭がモナキを生み出した理由
モナキの始まりをたどると、純烈のメンバー交代と、その周囲に集まった人たちの声に行き着きます。
酒井一圭が目を向けたのは、すでに芸能活動を経験している人だけではありません。別の仕事をしていても、歌やステージに立つことへの思いを持つ人たちがいました。
純烈への加入希望者から始まった新グループ構想
純烈では、2022年末に小田井涼平がグループを卒業しました。その前後、所属事務所には「自分も純烈に入りたい」という趣旨の連絡が寄せられていたといいます。
連絡してきたのは、芸能活動の経験がある人だけではありませんでした。一般の仕事に就いている人も、純烈のような活動に関心を示していたのです。
酒井はTBSのインタビューで、そのときの気づきを次のように振り返っています。
「別のことをされている方も、純烈的なことに興味があるんだな」
酒井一圭/出典:TBS NEWS DIG「独自【モナキ】平均33歳 セカンドチャンスを掴んだ4人」
酒井は、純烈を支える関係者の年齢が上がっていることも考えていました。純烈のメンバーを単純に増やすのではなく、新たな顔ぶれでグループを作る構想が、そこから動き始めます。
この企画の特徴は、芸能界ですでに実績を残している人だけを集めようとしなかったことです。別の道を歩んできた人にも、ステージへ戻る、あるいは初めて立つ機会を開こうとしました。
約1,000人が応募したセカンドチャンスオーディション
2023年10月、酒井一圭のプロデュースによる「セカンドチャンスオーディション」の開催が発表されました。
その名のとおり、人生の別の段階からもう一度挑戦する人たちを迎える企画です。応募者は約1,000人に上りました。
応募者の中には、舞台や映像作品に出演した経験を持つ人もいれば、会社で働きながら歌を続けていた人もいました。選考では、それまでの職歴や芸能歴だけでなく、歌やパフォーマンスへの向き合い方も見られていきます。
オーディションは、すぐにグループのデビューへ直結したわけではありません。2023年の企画始動から、2025年11月の初お披露目までには約2年の時間がありました。
その間に選ばれた人たちが、歌とダンスのレッスンを重ね、グループとしてステージに立つ準備を進めていきます。
歌や仕事の経験が異なる4人の原点
モナキの4人は、同じオーディション企画をきっかけに集まったものの、それまでの音楽経験は大きく異なります。
歌うことが日常の一部だったおヨネ、幼い頃から楽器と作曲に親しんだじん。サカイJr.は会社員として建築の仕事に取り組み、ケンケンは俳優として活動した後に芸能界を離れていました。
おヨネはカラオケとアカペラを通じて歌を磨いた
おヨネは、大阪府寝屋川市出身。幼い頃から歌うことが好きで、高校時代にはテレビ東京系の歌唱番組『THEカラオケ★バトル』に出場しました。
歌との関わりは、テレビ出演だけではありません。高校生の頃から一人でカラオケへ通い、歌を録音する習慣がありました。大学ではアカペラサークルに所属し、複数の声を合わせる音楽にも親しんでいます。
カラオケ喫茶で歌う経験も、おヨネの音楽歴の一部です。普段の生活の中で歌を続けてきたことが、後に思いがけない応募のきっかけとなりました。
会社員として働きながら利用していたカラオケの機器には、録音・動画を使ってオーディションに応募できるサービスがありました。そこで見つけたのが、酒井一圭によるセカンドチャンスオーディションだったのです。
日刊ゲンダイのインタビューで、おヨネは以前の職場について、人間関係も良く、働くこと自体が嫌だったわけではないと語っています。
「ただ、音楽やりたいっていう気持ちの方が圧倒的に強くて。」
おヨネ/出典:日刊ゲンダイDIGITAL「歌謡コーラスグループ『モナキ』4人がそれぞれの転機を語る」
おヨネにとっての転機は、仕事から逃れるための決断ではありませんでした。続けたいと思える仕事がありながらも、それを上回るほど歌への思いが強くなったことが、応募につながったのです。
じんは幼少期のエレクトーンから作曲と表現の世界へ
じんは、3歳からエレクトーンを習い、小学生の頃には作曲を始めていました。4人の中でも、幼い時期から楽器と音楽制作に触れてきたメンバーです。
その後は舞台やテレビドラマにも出演。ミュージカル『テニスの王子様』2ndシーズンへの出演を経て、2014年には『烈車戦隊トッキュウジャー』でトカッチ/トッキュウ2号を演じました。
俳優として知られる一方、じん自身の活動は演技だけに限られていませんでした。音楽活動にも取り組み、ミュージシャンとしてステージに立つ道を歩んでいます。
その後、一度は芸能界を離れ、一般企業で働く時期も経験しました。日刊ゲンダイのインタビューでは、デザイン会社に就職し、営業の仕事に取り組んでいたことを明かしています。
再び芸能の世界へ踏み出すきっかけになったのは、俳優仲間からの勧めでした。知人に純烈の弟分となるグループへの応募を勧められ、じんはオーディションに挑みます。
幼少期の作曲経験、舞台での表現、ミュージシャンとしての活動。そのいずれもが、モナキへ参加する前からじんの中に積み重なっていた音楽の経験でした。
サカイJr.は建築の仕事から歌とダンスに挑戦
サカイJr.は、モナキ以前に本格的な歌やダンスの活動経験がなかったメンバーです。
千葉大学大学院で建築を学び、卒業後は鉄道会社に就職。働きながら一級建築士の資格を取得し、駅舎や駅ビルの開発などに携わりました。その後は不動産開発の会社へ転職し、再開発事業にも関わっています。
会社での仕事には充実感がありました。しかし、子どもの頃から持っていた「人を楽しませる表現者になりたい」という思いも消えていませんでした。
仕事を通じて多くの人に関わる経験を重ねるうちに、会社の名前ではなく、自分自身の力で目の前の観客を楽しませたいと考えるようになったといいます。
そんなとき、SNSでセカンドチャンスオーディションの情報を目にしました。
日刊ゲンダイの取材では、歌もダンスも経験がなく、落ちると思いながら応募したことを明かしています。歌唱が必須ではない選考でも、自ら歌うことを選びました。
建築で積み重ねてきた仕事の経験が、そのまま歌の技術になるわけではありません。それでも、新しい分野へ挑戦するために、それまでのキャリアに区切りをつけたことが、サカイJr.のモナキ参加における大きな転機となりました。
ケンケンは俳優活動を離れ、再び表現の世界へ
ケンケンは、俳優として活動した後、一度芸能界を離れた経験を持ちます。
2014年に「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」のファイナリストに選ばれ、芸能活動を開始。2016年には『動物戦隊ジュウオウジャー』でタスク/ジュウオウエレファントを演じ、2018年には映画『花は咲くか』で主演しました。
その後は芸能界を離れ、飲食業で働く生活へ移ります。大阪では、かつて純烈に所属していた友井雄亮が営む焼肉店で働いていました。
ケンケンは日刊ゲンダイのインタビューで、芸能界から離れている間も、その世界への思いが心の片隅に残っていたと振り返っています。
そして、友井の店で働いていた縁から、モナキへの参加につながる声がかかりました。
ほかの3人がオーディションへ応募したのに対し、ケンケンの入口は人とのつながりでした。本人にとってモナキは、歌とダンスを中心とする新たな活動であると同時に、離れていた表現の世界へ戻る機会でもあったのです。
3人の選出とケンケンの合流で生まれたモナキ
4人の前歴を並べると、モナキが一般的な音楽グループの結成とは少し違う道をたどったことが分かります。
全員が同じ学校や事務所で出会ったわけではなく、4人全員が同じオーディションを勝ち抜いたわけでもありませんでした。
オーディションで選ばれた3人と別ルートで加わったケンケン
セカンドチャンスオーディションを通じて選ばれたのは、おヨネ、じん、サカイJr.の3人です。
応募に至るまでの道のりからして、それぞれ違っていました。
おヨネは通い慣れたカラオケ店で募集を知り、歌を録音して応募。じんは俳優仲間の言葉に背中を押されて参加しました。サカイJr.は、会社員としての人生とは別に、自分自身が人を楽しませる仕事をしてみたいと考えて応募しています。
一方、ケンケンは友井雄亮の店で働いていたところから、酒井の新グループ構想につながりました。
モナキは「オーディション合格者4人」ではなく、オーディションで選ばれた3人と、別の経緯で加わったケンケンによって成立した4人組です。
加わった時点では、すぐにメジャーデビューできる見通しが立っていたわけではありません。ケンケンも取材で、グループ名や活動の先行きがまだ定まっていない時期があったことを振り返っています。
それぞれが仕事や生活の形を変えながら集まり、練習を重ねていく。その準備期間を経て、初めて4人が観客の前に姿を現すことになります。
「名もなき者たち」に込められたグループ名の意味
「モナキ」という名前には、まだ名前を知られていない者たちが、これから自分たちの存在を示していくという意味が込められています。
グループ名の由来にあるのは、「名もなき者たち」という言葉です。
TBSのインタビューでサカイJr.は、「名もなきものたち」から生まれた名前であることや、何も持っていないところから何かを持てるグループになっていくという意味を説明しています。
また、公式プロフィールでは「もなき」という言葉について、古語の「名もなき」「心もなき」「物もなき」といった表現にも触れています。それぞれに、有名ではないこと、無心であること、たいしたものがないことなど、異なる意味があります。
オーディションに集まった人たちは、人生の経験も、舞台での実績も同じではありませんでした。だからこそ、まだグループとしての名前も実績も持たない4人が、新しい活動を始めるという状況に合う名前だったのでしょう。
おヨネはTBSの取材で、「モナカ」に似た響きのかわいらしさや、ほかにはない名前であることにも愛着を語っています。
名前に込められた意味と、実際にステージへ立つために進んできた道のりが、モナキというグループの出発点で重なっていました。
4人が歌を合わせ、純烈のステージで初お披露目するまで
メンバーが集まっても、すぐに歌謡コーラスグループとしてのパフォーマンスが完成するわけではありません。
もともとの歌唱経験が異なる4人は、歌とダンスを合わせるレッスンを重ねていきました。
歌唱とダンスの経験差を埋めるレッスン
レッスンの出発点は、メンバーによって違いました。
おヨネには、一人カラオケやアカペラで培ってきた歌唱経験がありました。じんも幼少期から楽器を演奏し、作曲や音楽活動を経験しています。
これに対して、サカイJr.は本格的に歌とダンスを学ぶところからのスタートでした。ケンケンは俳優経験を持っていたものの、グループの歌唱と振り付けを身につけていく必要がありました。
メンバー同士も、互いの得意分野を生かして練習に取り組んでいます。歌の経験があるおヨネやじんがほかのメンバーを支えながら、全員で声を合わせていきました。
歌だけでなく、ダンスも課題でした。ケンケンは取材で、足と上半身の動きを同時に合わせることに苦労した経験を語っています。振り付けを覚えるだけでは、4人がそろって見えるパフォーマンスにはなりません。
サカイJr.にとっても、建築の仕事で求められてきた技術とはまったく違う練習の連続でした。新しい動きを一から覚え、歌いながら観客へ届けることに取り組みます。
経験者が歌を引っ張り、未経験から始めたメンバーが技術を積み重ねる。 その過程で、別々の人生を送っていた4人が、同じ曲を届けるグループになっていきました。
公式YouTubeで公開された密着ドキュメンタリーにも、ボイストレーニングやレコーディング、お披露目前のリハーサルなど、デビューに至るまでの準備が記録されています。
2025年11月26日、LINE CUBE SHIBUYAで初お披露目
2025年11月26日、東京・LINE CUBE SHIBUYAで開かれた純烈の全国ツアーファイナル公演で、モナキの4人が初めてお披露目されました。
酒井一圭が始めたオーディションの構想から、約2年。選考や合流、歌とダンスのレッスンを経て、4人が一つのグループとして観客の前に立った日です。
同日、モナキの公式Xでは4人のビジュアルが公開されました。おヨネ、じん、サカイJr.、ケンケンの顔ぶれが、グループ名とともに紹介されています。
この初お披露目は、メジャーデビューとは別の出来事です。2025年11月に4人の姿が公開され、その後、2026年4月の正式な音源デビューへ向けて活動が進んでいきました。
また、モナキは最初から独立した大規模公演だけで活動を始めたわけではありません。純烈のステージに登場する機会を得た後、各地の小さな会場でも観客と接する経験を重ねていきます。
純烈が築いてきた、歌い手と観客が近い距離で交流するスタイルも、モナキの初期活動に受け継がれていきました。
デビュー曲「ほんまやで☆なんでやねん☆しらんけど」の誕生と広がり
初お披露目を経たモナキは、2026年4月8日のメジャーデビューへ向かいます。
4人の最初の代表曲となったのが「ほんまやで☆なんでやねん☆しらんけど」。ユーモラスな言葉の響きとダンスを備えた楽曲は、発売前からSNSを通じて広がっていきました。
酒井一圭と岩崎貴文によるデビュー曲の制作
モナキのデビュー曲「ほんまやで☆なんでやねん☆しらんけど」は、酒井一圭と岩崎貴文が作詩を担当し、岩崎貴文が作曲・編曲を手がけた楽曲です。
岩崎は『魔法戦隊マジレンジャー』の主題歌や、氷川きよしの「限界突破×サバイバー」などに携わってきた音楽家。スーパー戦隊シリーズと関わりの深い作品を手がけてきた人物が、元戦隊俳優を含むモナキのデビュー曲に参加しました。
楽曲には、どこか懐かしさを感じさせるシンセサウンドと、現代的なリズムが組み合わされています。歌謡曲の親しみやすさと、踊って楽しめる音楽としての性格を併せ持つ仕上がりです。
デビューシングルでは、表題曲だけでなく「こんなもんじゃねぇ」「ねがい」も制作されました。「こんなもんじゃねぇ」は酒井と岩崎が作詩、岩崎が作曲・編曲を担当。「ねがい」は酒井が作詩し、向井浩二が作曲、猪股義周が編曲を手がけています。
こうした楽曲を録音する段階では、単に各メンバーが自分のパートを歌えば完成するわけではありませんでした。公式の密着ドキュメンタリー第10回「レコーディング編」には、酒井が立ち会い、メンバーの歌唱を確認しながら録音を進める様子が収められています。
音楽経験が異なる4人にとって、レコーディングは、自分の声を作品として残すための大切な工程でもありました。
デビュー曲の作詩・作曲・編曲を担った制作者と、歌を届ける4人。制作の現場をたどると、モナキの楽曲がグループの準備期間と並行して形になっていったことが見えてきます。
初歌唱から2026年4月8日のメジャーデビューへ
2026年1月24日、モナキは千葉県のユアエルム八千代台で初のリリースイベントを開催しました。
この日、4人はデビュー曲「ほんまやで☆なんでやねん☆しらんけど」を、観客の前で初めて歌いました。
イベントでは、歌謡曲のカバーやカップリング曲も披露。客席の近くを回りながら観客と交流する「ラウンド」も行われました。
ラウンドは、純烈の公演でも親しまれてきたスタイルです。モナキにとっては、自分たちの歌を聴いてもらうだけでなく、観客の反応を間近で受け取る機会にもなりました。
初イベントでは酒井一圭も観客との交流に加わり、握手に夢中になるメンバーへ声をかける場面がありました。純烈のリーダーとしてステージを重ねてきた酒井が、モナキの初期の現場にも関わっていたことが伝わる出来事です。
その後もモナキは、CDショップや商業施設などでリリースイベントを積み重ねました。テレビ朝日の取材では、酒井がメジャーデビューまでに50回以上のイベントを経験させたことが紹介されています。
観客の前で歌い、話し、握手をする。その一つひとつが、4人にとって実際のステージを学ぶ機会になっていきました。
そして2026年4月8日、日本クラウンから「ほんまやで☆なんでやねん☆しらんけど」を発売し、正式にメジャーデビューしました。
2025年11月の初お披露目、2026年1月の初リリースイベント、そして4月のメジャーデビューは、それぞれ異なる段階です。約2年にわたる準備を経て、モナキの音楽は一つの商業作品として世に送り出されました。
SNSでの認知拡大から初のZeppツアーへ
モナキの名前が広く知られるようになった大きなきっかけの一つが、TikTokでの楽曲の広がりでした。
デビュー曲「ほんまやで☆なんでやねん☆しらんけど」は、発売前からサビを使った動画が投稿され、踊ったり、まねしたりする人たちの間で広がっていきました。
2026年6月30日に開催された「TikTok上半期トレンド大賞2026」の授賞式では、モナキが大賞を受賞しています。
TikTokの公式発表によると、デビュー曲のサビを先行公開した動画は、メジャーデビュー前に7億回再生を突破。歌を聴くだけでなく、振り付けを踊り、動画を投稿し、ほかの人へ広げていく動きが評価されました。
ただし、モナキの活動がSNSだけで成り立っていたわけではありません。デビュー前から各地のイベントで観客と向き合ってきた経験も、グループを支える重要な要素でした。
じんは音楽活動への思いを持ち続け、サカイJr.は会社員から未経験の歌とダンスへ挑戦。おヨネは仕事を続けながら育ててきた歌への思いを形にし、ケンケンは離れていた芸能の世界へ戻ってきました。
そうした4人が、今度は一つのグループとして大きなステージを目指すことになります。
2026年8月には、初のZeppツアー「MONAKI 1st Tour 2026『モナキやで☆しらんけど』」を開催。8月18日に大阪・Zepp Namba、19日にZepp Nagoya、24日に東京・Zepp Hanedaで公演を行いました。
東京公演の公式ライブレポートでは、Zepp Hanedaに約2,900人のファンが集まったと伝えられています。じんは、ミュージシャンを志していた10代の頃からZeppのステージを目指していたことを、この公演で語りました。
幼い頃から楽器に親しんだ人も、カラオケで歌を磨いた人も、まったく別の仕事から飛び込んだ人もいました。芸能界を離れた後、再びステージに戻ってきた人もいます。
4人が歩いてきた道は、それぞれ違います。しかし、その道が酒井一圭のオーディションと新グループ構想を通じて交わり、モナキの音楽が生まれました。
「名もなき者たち」という言葉から名付けられた4人は、練習や小さなステージを積み重ね、自分たちの歌を届けるグループになっていったのです。

