Creepy Nutsの結成史|R-指定とDJ松永の出会いから初音源まで

Creepy Nutsの結成史をテーマに、R-指定とDJ松永のイラストをレコードやDJ機材と組み合わせたデザイン グループ・ユニット
メンバー担当
R-指定MC・ラップ・作詞
DJ松永DJ・トラックメイク・ターンテーブリズム

Creepy Nuts(クリーピーナッツ)は、MCバトル全国大会3連覇のR-指定と、2019年にDJの世界大会を制したDJ松永によるヒップホップユニットです。

2024年には「Bling-Bang-Bang-Born」が国内外で大ヒットしましたが、2人が最初から世界的な成功を目指して集まったわけではありません。

結成のきっかけは、10代のころに大阪のイベントで出会ったR-指定とDJ松永が、友人として交流するうちに、互いのラップとトラックを気に入り、一緒に音楽を作るようになったことでした。

出会ってすぐにグループを結成したのではなく、R-指定は大阪で、DJ松永は新潟や東京で、それぞれの音楽活動を続けていました。

その後、DJ松永が作った少し変わったトラックにR-指定の日本語ラップが重なり、最初の共同楽曲「シラフで酔狂」が誕生します。

2人の音楽との出会いから、Creepy Nutsという名前が生まれた夜、初期作品の制作、メジャーデビュー、そして世界へ音楽が届くまでの歩みをたどります。

音楽史の段階Creepy Nutsの歩み
音楽の原点R-指定は日本語ラップに惹かれて中学時代に作詞を開始。DJ松永はRHYMESTERなどに影響を受け、17歳でDJを始める。
出会い・結成大阪のイベントで出会い、友人関係を経てユニットへ。2012年に一緒に活動する話になったと本人が証言。
初期音源2013年、最初の共同楽曲「シラフで酔狂」をコンピレーションアルバムで発表。
本格活動・デビュー2015年ごろからユニット活動を本格化。2016年に『たりないふたり』、2017年にメジャーデビュー。
国内での認知拡大2019年にDJ松永がDMC世界大会で優勝。2021年の「のびしろ」も広く聴かれる。
世界への広がり2024年の「Bling-Bang-Bang-Born」が世界的ヒット。2025年に東京ドーム公演、2026年に北米ツアーを実施。

R-指定とDJ松永、それぞれの音楽の原点

大阪府堺市出身のR-指定と、新潟県長岡市出身のDJ松永は、別々の場所で日本語ラップに出会いました。

どちらもヒップホップを聴くことから始まりましたが、R-指定は自分の言葉を書くMCへ、DJ松永はラッパーと一緒にステージへ立つDJへと進んでいきます。

R-指定が日本語ラップに出会い、自分で歌詞を書き始めるまで

R-指定は1991年9月10日、大阪府堺市に生まれました。

子どものころには桑田佳祐や中島みゆきなども聴いており、音楽との接点はヒップホップだけではありませんでした。

日本語ラップに強く惹かれたのは、小学6年生から中学1年生ごろ。SOUL’d OUTの「1,000,000 MONSTERS ATTACK」などをきっかけに、ラップという表現へ関心を深めていきます。

その後はZeebraやRHYMESTERなども聴くようになりました。

ただ、R-指定は当初、自分がラップで表現できることと、憧れて聴いていたラッパーたちの世界との間に距離を感じていたといいます。

転機になったのが、RHYMESTERのアルバム『グレイゾーン』でした。

強さや危険な経験を誇るだけでなく、等身大の自分をラップにできることに気づきます。

「あ、俺でもできるかも」

出典:高岡洋詞「Creepy Nuts(R-指定 & DJ松永)前編 童貞臭で通じ合った『たりないふたり』」(『CDジャーナル』取材ロング版)/R-指定の発言

中学2年生ごろには、自分でも歌詞を書き始めました。

2016年のインタビューでは、絵を描いたり漫画のキャラクターを考えたりすることが好きだった少年時代を振り返り、その延長でラップの歌詞も作り始めたと説明しています。

自分の名前を歌詞に入れたり、言葉の響きをそろえて韻を踏んだりする日本語ラップの仕組みが面白かったのです。

高校1年生のころ、友人と訪れた野外イベントのオープンマイクで、初めて知らない人たちの前でラップを披露しました。

高校2年生ごろからはMCバトルにも本格的に参加し、大阪・梅田でラッパーたちが集まる梅田サイファーにも通うようになります。

同世代のラッパーと実際に言葉を交わし、即興でラップを披露し合う経験は、家で歌詞を書いていた時期とは異なるものでした。

その後、R-指定はULTIMATE MC BATTLEの全国大会で2012年、2013年、2014年と3連覇を達成します。

しかし、バトルでの実績が増える一方、本人が以前から大切にしていたのは、自分の曲を作り、ライブで披露することでした。

DJ松永がRHYMESTERに憧れ、DJを選んだ理由

DJ松永は1990年8月23日、新潟県長岡市に生まれました。

小学生のころに映画『ブルース・ブラザース』を観たことが、音楽に惹かれる初期の体験の一つだったと振り返っています。

中学生になるとRHYMESTERやKGDR、BUDDHA BRANDなどの日本語ヒップホップに夢中になりました。

とくにRHYMESTERへの憧れは、後にDJとして目指す活動の形にもつながっています。

DJ松永が最初からクラブで選曲するDJだけを目指していたわけではありません。

2016年のインタビューでは、当初ラッパーに憧れたものの、自分で歌詞を書いて人前で歌うことには抵抗があり、DJという道を選んだと説明しています。

やりたかったのは、好きなラッパーと正式に組み、一緒に曲を作ってライブを行うことでした。

17歳でターンテーブルを購入し、DJの練習を始めます。

本人によると、高校を辞めた時期にアルバイトで資金を貯め、機材を手に入れたそうです。

活動を始めてからは、さまざまなラッパーのバックDJを頼まれる機会が増えていきました。

それでもDJ松永には、単にステージで音源を流す役割ではなく、ラッパーと音楽の方向性を共有し、互いの技術を認め合いながら作品を作りたいという思いがありました。

2020年のNHK FM『サウンドクリエイターズ・ファイル』では、当時レコード店の店主から受けた助言も語っています。

一緒に組むラッパーを探していたDJ松永は、MySpaceで見つけた候補の音源を店主に聴かせました。しかし、心から最高だと思える相手でなければ組むべきではないという趣旨の助言を受け、無理に相方を探すことをやめたそうです。

その後は自身の技術を磨き、ソロでトラックを作る活動に取り組みました。

2012年にはソロアルバム『DA FOOLISH』、2014年には『サーカス・メロディー』を発表しています。

R-指定はラップの言葉を磨き、DJ松永は自分の音を作ることを続けていたのです。

2021年12月公開の『FUKA/BORI』では、2人がそれぞれの音楽の原体験と、影響を受けた楽曲について振り返っています。

Creepy Nuts結成のきっかけ|大阪で出会った2人

R-指定とDJ松永が初めて出会ったのは、2人がまだ10代だったころです。

R-指定は大阪でラップを続け、DJ松永は新潟から各地のイベントへ参加していました。交流が始まったきっかけには、R-指定が当時一緒に活動していたラッパー、KOPERUの存在がありました。

コッペパンのKOPERUがつないだ最初の出会い

R-指定はCreepy Nuts以前に、KOPERUらと「コッペパン」というラップグループで活動していました。

そのKOPERUが、全国各地で活動している同世代のラッパーやDJを大阪へ集めるイベントを企画します。

2016年のインタビューで、R-指定はイベント名を「Tiny Titan Box」、会場を心斎橋サウンドチャンネルと説明しています。

DJ松永はKOPERUに呼ばれ、新潟から大阪へ向かいました。

R-指定が18歳、DJ松永が19歳だったころのことです。

当時のR-指定たちは、全国からやって来るラッパーやDJにどのような人がいるのかを気にしていました。

2020年のラジオで2人が振り返ったところによると、集まった参加者には強面の人も多く、R-指定たちは緊張していたそうです。

そこへ新潟からやって来たのがDJ松永でした。

他の参加者とは違う親しみやすさを感じ、すぐに会話が弾んだといいます。

2016年のインタビューでは、2人が初対面から冗談を交わし、お互いを気の合う仲間として受け入れた様子も語られています。

ただし、この出会いがそのままCreepy Nutsの結成につながったわけではありません。

R-指定はコッペパンなどの活動を続け、DJ松永も個人でのDJやトラック制作に取り組んでいました。

友人関係から音楽制作のパートナーになるまで

2人は出会ってからしばらくの間、音楽ユニットのメンバーではなく友人として交流していました。

DJ松永が東京へ移り住み、R-指定がライブやMCバトルの仕事で東京を訪れるようになると、一緒に過ごす機会が増えていきます。

東京の知人の家に集まってYouTubeを見たり、それぞれが好きだった曲を聴かせ合ったりしていたそうです。

R-指定はDJ松永が作ったトラックにも興味を持ち、音源を聴かせてもらうようになりました。

2020年の『サウンドクリエイターズ・ファイル』で2人が語ったところによると、当時はmixiを通じてトラックを送り合い、R-指定が気に入った音源について電話で2〜3時間話すこともあったといいます。

R-指定が特に惹かれたのは、DJ松永のトラックにある独特のメロディーや、予想しにくい音の選び方でした。

一方のDJ松永も、R-指定のラップや楽曲制作への向き合い方を知るようになります。

実はDJ松永は当初、KOPERUと一緒に活動することにも関心を持っていました。

2016年のインタビューで、DJ松永はKOPERUの行動力を評価しており、コッペパンの楽曲の中心的なアイデアもKOPERUが考えていると思っていたと振り返っています。

しかし、実際にはR-指定がフックや楽曲のコンセプトを考える場面も多くありました。

交流を続けるうちに、DJ松永はR-指定の音楽的な発想を理解していきます。

R-指定にとっても、DJ松永は単に曲を流すDJではなく、自分のラップに合う音を作れる存在になっていました。

R-指定が求めていたのは、ステージで息の合ったやり取りができるDJ。DJ松永が求めていたのは、互いの音楽を認め合いながら曲を作れるラッパーでした。

2人の希望が重なり、自然な流れで一緒に活動するようになったのです。

2017年のSkream!のインタビューでは、結成の動機について、DJ松永が次のように説明しています。

「もともと友達なんです。」

出典:Skream!「Creepy Nuts(R-指定&DJ松永)インタビュー」/DJ松永の発言

2016年の本人インタビューでは、DJ松永は2012年に一緒に活動する話になったと説明しています。

一方、2013年を結成年とする紹介資料もあり、結成を決めた時期と、実際に音源を世に出して活動を始めた時期には表記の違いがあります。

2人自身は、2015年春ごろからCreepy Nutsとしてのライブや音源制作を本格化させたと振り返っています。

Creepy Nutsという名前が生まれた夜

一緒に活動することになった2人には、ユニット名を決める必要がありました。

名前を考えた場所は、DJ松永の自宅です。

2020年のTOKYO FM『木村拓哉 Flow』で、R-指定は夜中に2人でヒップホップに関係する俗語や英語のスラングを調べ、響きのよい言葉を探していたと語っています。

映画から言葉を拾ったり、インターネットでスラングを検索したりしながら、朝方まで候補を考えていたそうです。

その中で決まったのが「Creepy Nuts」でした。

「Creepy」には不気味な、気味の悪いといった意味があり、「Nuts」にも俗語として複数の意味があります。

R-指定は『Flow』で、後半の言葉には下ネタのニュアンスが含まれていることも説明しています。

壮大な理念や音楽的な宣言を名前へ込めたというより、2人が夜中に言葉を調べながら、自分たちの感覚に合う響きを選んだという命名でした。

最初の楽曲「シラフで酔狂」と初期の音楽活動

Creepy Nutsとしての活動を始めた2人が最初に共同制作した楽曲は「シラフで酔狂」です。

2013年8月7日発売のコンピレーションアルバム『KAIKOO PLANET III』に収録され、R-指定とDJ松永の音楽が一つの作品として世に出ました。

最初の共同制作で生まれた音楽スタイル

「シラフで酔狂」は、最初から自分たちのアルバムを作るために生まれた曲ではありません。

2020年のNHK FM『サウンドクリエイターズ・ファイル』でDJ松永が振り返ったところによると、レーベルPOPGROUPの関係者から、コンピレーションアルバム用に一曲書き下ろしてほしいと依頼されたことが制作のきっかけでした。

当時の2人にとって、すでに知られたアーティストたちが参加する作品へ楽曲を収録できることは大きな機会でした。

DJ松永は、それまで作っていたトラックの中から音源を準備します。

R-指定が気に入ったのは、一般的なヒップホップの定番から少し外れた、独特のメロディーを持つトラックでした。

DJ松永自身も、その音を選んでよいのか完全には確信を持てていなかったといいます。

R-指定にも、当時は自分のラップがアメリカのヒップホップらしい歌い方やリズムに合わないのではないかという迷いがありました。

しかしDJ松永は、R-指定の日本語らしいメロディーや歌謡曲に通じる感覚を評価していました。

そこでR-指定は、自分が得意とする歌い方を生かしてラップを乗せます。

DJ松永の変わったメロディーを持つトラックと、R-指定の日本語らしいラップが組み合わさり、2人がそれまで聴いたことのないと感じる楽曲が完成しました。

DJ松永は2020年のラジオで、この曲を作ったときに初めて自分たちで新しい音楽を生み出した実感があったと振り返っています。

完成した音源を依頼元へ送ると好意的な反応が返ってきました。

さらに、アルバム発売後のiTunes Storeでは、収録曲の中でも「シラフで酔狂」がよく売れていたとDJ松永は語っています。

自分たちが選んだ音楽的な方向性で、実際に聴いてくれる人がいる。

その手応えを、2人は最初の共同制作で得ることになりました。

『たりないふたり』とインディーズ時代の制作風景

「シラフで酔狂」の発表後も、R-指定とDJ松永はそれぞれのソロ活動を続けながら、Creepy Nutsとして音楽を作っていきました。

2015年ごろになると、ユニットとしてのライブや音源制作に本格的に取り組むようになります。

初期作品の一つが「合法的トビ方ノススメ」です。

2017年のCINRAのインタビューでは、R-指定がDJ松永の自宅に滞在していた時期に生まれた楽曲だと明かしています。

当時、DJ松永は日々トラックを制作しており、R-指定はその途中段階から音を聴いていました。

「合法的トビ方ノススメ」のトラックも、その中にあった一つです。

DJ松永は当初、もっと展開のある曲や、少し変わった方向の楽曲を考えていました。

しかし、R-指定が気に入ったのは繰り返される一つのループでした。

R-指定はその部分を中心に使いたいと伝え、2人で何度もやり取りを重ねて曲が完成します。

DJ松永が想定していた音の使い方を、R-指定のラップが別の方向へ変えていく。

2人の初期作品には、こうした共同制作の特徴が表れています。

2016年1月20日には、1stミニアルバム『たりないふたり』を発売しました。

アルバム名にも表れているように、2人は自分たちの格好悪さや満たされない部分を、音楽の題材として使っていました。

2016年のDISK GARAGEのインタビューでは、R-指定がMCバトルでの実績だけで評価されることへの思いを語っています。

バトルで勝ち続けるほど、その場での勝負を期待される一方、自分が本来やりたかった曲作りやライブで評価されたいという気持ちも強くありました。

ライブでは、ヒップホップに詳しくない観客にも楽しんでもらえるよう、フリースタイルやスクラッチを交えた構成を考えていました。

初期のCreepy Nutsは、バトルやDJの技術を見せるだけでなく、2人で作った楽曲を聴いてもらうために活動を積み重ねていきました。

2017年のメジャーデビューと音楽表現の変化

インディーズで作品を発表したCreepy Nutsは、2017年にSony Musicからメジャーデビューしました。

2人の持ち味だった、自分たちの経験を題材にする歌詞や、独特なトラックと日本語ラップの組み合わせは、メジャーデビュー後の作品にも受け継がれていきます。

メジャーデビューまでに積み重ねたライブ活動

2016年の『たりないふたり』に続き、2017年2月にはミニアルバム『助演男優賞』を発売しました。

『助演男優賞』のタイトル曲では、自分たちを物語の主役ではなく、脇役のような存在に重ねた表現が使われています。

同曲のサビは、アルバムの制作が進んでいたころ、R-指定がライブの楽屋で思いついたものだったと2017年のSkream!のインタビューで語っています。

そのメロディーと歌詞に合うトラックをDJ松永へ相談し、アルバムの中心的な楽曲へ仕上げていきました。

最初にビートがあり、そこへラップを乗せるだけではなく、R-指定が先に思いついたメロディーや歌詞から楽曲を組み立てる場合もあったのです。

そして2017年11月8日、シングル『高校デビュー、大学デビュー、全部失敗したけどメジャーデビュー。』でメジャーデビューを果たしました。

この作品には「メジャーデビュー指南」や「だがそれでいい」などが収録されています。

音楽ナタリーの当時のインタビューによると、制作では先に「だがそれでいい」ができ、その後に「メジャーデビュー指南」が作られました。

ラジオ番組のようなパートも収録され、2人の会話と楽曲を組み合わせた構成になっています。

その後、2018年には初のフルアルバム『クリープ・ショー』を発表しました。

同年のReal Soundのインタビューでは、DJ松永がトラック制作について、サンプリングした音を細かく分解し、再構築していることを説明しています。

最初から完成形がはっきり決まっているのではなく、音を組み直す途中で予想外の形になることもあったそうです。

2019年にはDJ松永がロンドンで開催されたDMC WORLD DJ CHAMPIONSHIPSのバトル部門で優勝しました。

R-指定のMCバトル全国3連覇に加え、DJ松永も世界大会で優勝。2人がそれぞれ続けてきた技術を、客観的な大会実績として残しました。

「のびしろ」に込められた30歳の節目

2021年9月、Creepy Nutsはアルバム『Case』を発売しました。

収録曲「のびしろ」は、2人が30歳という年齢を迎えることから生まれた楽曲です。

R-指定は当時のインタビューで、自分とDJ松永が10代から知り合っており、2人とも30歳を迎える節目に曲を作りたいと考えていたと振り返っています。

ただし、30歳を題材にする構想がそのまま最初から完成形になったわけではありません。

アルバムの制作を進める中で、曲順やほかの楽曲との関係を考え、以前に思いついていたアイデアを使うことになりました。

音楽的な出発点の一つには、DJ TATSUTA feat. RHYMESTERの「Trust Over 30」がありました。

R-指定は2022年のTHE FIRST TAKE出演時のコメントでも、同曲を出発点にしたと説明しています。

「のびしろ」が描いたのは、30歳になって完成された自分ではなく、その年齢になっても変化する余地があるという感覚でした。

その題材はR-指定自身の経験から生まれたものですが、楽曲は2人と同じ世代以外にも広く聴かれるようになります。

ソニーミュージックの公式プロフィールによると、「のびしろ」はCreepy Nutsとして初めてストリーミング累計再生数1億回を突破しました。

少年時代には、自分がラップで何を表現できるのかを考えていたR-指定が、30歳という自身の節目を一曲の主題にしたのです。

「Bling-Bang-Bang-Born」から世界へ広がったCreepy Nuts

2024年、Creepy Nutsの音楽は日本国内だけでなく、海外でも広く聴かれるようになりました。

その中心にあったのが「Bling-Bang-Bang-Born」です。さらに「オトノケ」でも異なる制作手法を試み、2025年には東京ドーム公演、2026年には初の北米ツアーを実現しました。

世界的ヒットと2人の予想を超えた反響

「Bling-Bang-Bang-Born」は、2024年1月7日に配信された楽曲です。

テレビアニメ『マッシュル-MASHLE- 神覚者候補選抜試験編』のオープニングテーマに起用されました。

特徴的な反復フレーズとビート、アニメのオープニング映像に登場するダンスが結びつき、ショート動画でも広く使われるようになります。

ただし、2人が最初からSNSで流行させることを計算して作ったというわけではありません。

2024年のBillboard JAPANのインタビューでは、DJ松永が制作時に自分のやりたい音を追求していたことを説明しています。

アニメ主題歌として一般的に想像される音楽とは異なるものを作りたいという発想があり、そこへR-指定のラップが重なっていきました。

R-指定も2025年のラジオ出演で、当初は「生身」という仮タイトルを使っていたことを明かしています。

制作の過程で印象的なフレーズが生まれ、最終的に「Bling-Bang-Bang-Born」という形になりました。

2024年のBillboard JAPAN年間総合ソング・チャート「JAPAN Hot 100」で、「Bling-Bang-Bang-Born」は1位を獲得しました。

週間チャートでは13週連続、通算19回の首位を記録しています。

さらに日本国外で聴かれた日本楽曲を対象とする「Global Japan Songs Excl. Japan」でも2024年の年間1位となりました。

海外のリスナーにも日本語のラップが届いたことを、チャート記録が示しています。

2025年には同曲がアメリカレコード協会(RIAA)のゴールド認定を受け、2026年2月には「オトノケ」も同認定を獲得しました。

音楽ナタリーによると、日本人アーティストが日本語詞の2曲でRIAAゴールド認定を受けたのは初めてのことでした。

2013年の初音源から続いてきた、日本語のラップと独特なトラックを組み合わせる音楽が、国外でも記録を残したのです。

「オトノケ」に見る新たな楽曲制作の方法

「Bling-Bang-Bang-Born」の世界的なヒットと並ぶ重要な作品が、2024年10月に配信された「オトノケ」です。

テレビアニメ『ダンダダン』のオープニングテーマとして制作されました。

この曲では、Creepy Nutsが普段行っていた制作の順序を変えたと、2人がBillboard JAPANのインタビューで語っています。

通常はDJ松永がビートを作り、R-指定がそこへラップを乗せる形で制作が進むことが多かったそうです。

しかし「オトノケ」では、R-指定が先に言葉になる前のリズムやメロディーを考えました。

発想の入口は、アニメのタイトル『ダンダダン』の音の響きでした。

R-指定は「ダンダダン」という言葉のリズムを出発点に、同じ韻を使ったラップや、少しずつ変化するメロディーを考えていきます。

その段階では、完成した歌詞ではなく、言葉になる前のスキャットに近い音も使われていました。

R-指定が録音したアイデアをDJ松永へ送り、DJ松永がそこへトラックを加えていきます。

DJ松永は、曲の途中で印象が大きく変わる展開も加えました。

「オトノケ」は、最初に完成したビートへラップを乗せるのではなく、R-指定が考えた声とリズムの骨格をDJ松永が音楽として広げていった作品です。

2人は「Bling-Bang-Bang-Born」が世界的にヒットする前から、「オトノケ」の制作にも取り組んでいました。

R-指定は2024年のBillboard JAPANのインタビューで、両曲を作っていた当時には、「Bling-Bang-Bang-Born」がここまでヒットするとは予想していなかったと話しています。

作品を作る段階での手応えと、発売後にどれだけ多くの人へ届くかは、必ずしも一致するわけではありません。

初期の「シラフで酔狂」でも、2人は互いが予想していなかった組み合わせから音楽が生まれたことを喜んでいました。

「オトノケ」でも、制作の順序を変えることで、2人だけでは最初から想像していなかった音へ進んでいったのです。

東京ドーム公演から北米ツアーへ

2025年2月、Creepy Nutsは東京ドームで単独公演を開催しました。

同月にはアルバム『LEGION』も発表しています。

『LEGION』制作時のBillboard JAPANのインタビューでは、DJ松永が用意したトラックにR-指定が予想外のラップを返し、当初の構想とは異なる楽曲に仕上がった経験も語られています。

結成初期の2人が手応えを感じていた、音とラップのやり取りから予想外の作品が生まれるという制作の仕方は、アルバムを重ねても続いていました。

2025年には初のアジアツアーも開催し、海外でのライブ活動を広げます。

翌2026年4月には初の北米ツアーを実施しました。

アメリカ・カリフォルニア州の大型音楽フェス「Coachella」へ初出演し、ニューヨークでも初の単独公演を開催しています。

ニューヨークはヒップホップが生まれた街として知られています。

少年時代に日本語ラップへ出会い、それぞれMCとDJの技術を磨いたR-指定とDJ松永は、大阪の小さなイベントで知り合い、長い友人関係を経てCreepy Nutsを結成しました。

2013年の「シラフで酔狂」で初めて自分たちの音楽を形にした2人は、2017年のメジャーデビュー、国内での認知拡大、2024年の世界的ヒットを経て、2026年には北米のステージで日本語ラップを披露しました。

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