Billyrromの結成史|町田の仲間が6人になり、フジロックへ進むまで

Billyrromの結成史をテーマに、6人の人物イラストと町田駅、フジロックのステージを組み合わせたコラージュ バンド
メンバー担当
Mol(モル)ボーカル
Rin(リン)ギター
Taiseiwatabiki(タイセイワタビキ)ベース
Shunsuke(シュンスケ)ドラム
Leno(レノ)キーボード/シンセサイザー
Yuta Hara(ユウタ・ハラ)DJ/MPC

Billyrrom(ビリーロム)は、東京都町田市をルーツとする6人組バンド。ソウル、ファンク、ディスコ、ロックなど、メンバーそれぞれの音楽的背景を重ねたサウンドを生み出してきた。

その始まりは、音楽学校やオーディションではない。2020年、地元の友人同士でバンドをやってみたいと考えたギターのRinが、仲間たちに声をかけたことだった。

しかも、結成当初から全員が楽器を演奏できたわけではない。ドラム未経験の友人を誘い、写真撮影を担当していた仲間が音楽メンバーになり、最後にキーボード奏者が加わった。

町田の友人4人から始まったバンドは、2021年に6人体制となり、2023年のフジロック出演、2026年のメジャーデビューへと歩みを進めた。

6人はどんな音楽を聴いて育ち、どうやって出会ったのか。Billyrromが生まれるまでの出来事から、音楽制作の変化、キャリア上の大きな転機までをたどっていこう。

音楽史の段階Billyrromの歩み
音楽の原点町田で育った仲間たちが、それぞれ異なる音楽に親しむ
バンドの原型2020年、Rinを中心に4人による活動が始まる
6人体制の成立2021年、Yuta HaraとLenoが加わる
初音源2021年9月、EP『Frontier』を発表
初ワンマンライブ2022年12月、東京・渋谷WWWで開催
フェスへの進出2023年、FUJI ROCK FESTIVALに初出演
初アルバム2024年9月、『WiND』を発売
メジャーデビュー2026年、ユニバーサルミュージックとの契約を発表

Billyrromの音楽ルーツ|町田の仲間たちは何を聴いて育ったのか

Billyrromを構成する6人は、同じ町田をルーツに持ちながら、必ずしも同じ音楽を聴いて育ったわけではない。

家庭でソウルやディスコを聴いていたメンバーもいれば、高校の軽音部で日本のロックバンドをコピーしていたメンバー、メタルやヒップホップに夢中になったメンバーもいた。

この違いは、後にBillyrromの音楽を形作る重要な要素となっていく。

Molが父親から受け継いだ音楽とマイケル・ジャクソン

ボーカルのMolにとって、音楽は幼いころから身近なものだった。

父親が熱心な音楽好きで、家ではアース・ウィンド・アンド・ファイアーやビージーズなど、1970〜80年代のポップスが日常的に流れていたという。

2024年8月公開のFenderNews「SESSIONS in TOKYO」で、Molは幼少期の音楽環境を振り返り、そこから自分でも音楽を探して聴くようになったと明かしている。

なかでも強い衝撃を受けたのが、マイケル・ジャクソンとの出会いだった。

子どものころにマイケル・ジャクソンの追悼番組を見たことがきっかけで、ミュージックビデオやライブ映像に引き込まれたという。音楽を耳で聴くだけでなく、映像やパフォーマンスを通して体験する面白さに触れた出来事でもあった。

Molは中学3年生ごろ、自宅にあったアコースティックギターにも手を伸ばしている。

エド・シーランやジャスティン・ビーバーなどのポップスを弾こうと、コード譜を見ながら少しずつ演奏を覚えていった。最初は弦を押さえる指が痛くなることにも苦労したという。

幼少期に親しんだディスコやソウル、マイケル・ジャクソンの映像表現、そして自分でギターを弾いた経験。その一つひとつが、後にBillyrromのボーカルを担うMolの音楽的な土台になった。

Rin、Taiseiwatabiki、Shunsukeが楽器を始めたころ

バンド結成の発起人となったRinがギターを始めたのは、高校を卒業して大学へ進学するころだった。

中学時代から知っていたTaiseiwatabikiが高校の軽音部でバンドを経験しており、自分も楽器をやってみようと思ったことが入口だったという。

最初に手にしたのは、自宅にあったアコースティックギター。コードの押さえ方を覚え、楽器を触るうちに音の響きそのものを楽しむようになっていった。

Rinが子どものころに聴いていたのは、親の車で流れていた槇原敬之や平井堅、RIP SLYMEなど。中学生になるとBIGBANGやEXOといったK-POPにも夢中になり、Shunsukeと一緒にBIGBANGのライブへ足を運んだこともあった。

一方、Taiseiwatabikiは高校の軽音部でベースを始めている。

入部当初はギターとベースの違いも十分に理解していなかったというが、担当することになったベースで日本のロックバンドの曲をコピーし、演奏を覚えていった。

当時親しんだのは、ELLEGARDEN、MAN WITH A MISSION、ONE OK ROCK、04 Limited Sazabysなど。バンドに誘われるころにはRed Hot Chili PeppersやSuchmosを通して、ファンクにも関心を広げていた。

ドラムのShunsukeは、さらに異なる出発点を持つ。

家庭では父親の好きな1970年代のソウル、ファンク、ディスコを聴いて育ち、高校時代にはブルーノ・マーズのアルバム『24K Magic』に強く惹かれた。

しかし、バンドに誘われるまでドラムの演奏経験はなかった。

2024年のFenderNewsのインタビューによると、Rinから繰り返し電子ドラムの購入を勧められ、最初は断っていたものの、実際に始めてみると演奏が好きになったという。

音楽を聴くことが好きだった友人が、バンドに誘われたことをきっかけに演奏する側へ進んだ。 Shunsukeの経歴は、Billyrromが最初から完成された演奏家の集まりではなかったことをよく示している。

Lenoのピアノ経験と、Yuta Haraが親しんだ音楽

後から加入するLenoとYuta Haraも、それぞれ異なる音楽経験を持っていた。

Lenoは幼いころからピアノを弾いていた。父親がビートルズ、特にジョン・レノンを好んでいたことは、Lenoという名前の由来にもなっている。

ただし、幼少期からピアノを習っていたことと、最初から音楽そのものを好きだったことは別だった。

中学生のころ、ONE OK ROCKのアルバム『Nicheシンドローム』を聴いて強い刺激を受け、ドラムへの関心が高まったという。中学では吹奏楽部で打楽器を担当し、高校では軽音部でドラムを演奏した。

そのころはLinkin ParkやSlipknotなどのメタルにも親しんでいたが、やがてKendrick Lamarをきっかけにヒップホップへ関心を広げ、Robert Glasperの音楽にも出会う。

Robert Glasperとの出会いは、ピアノを弾くLenoにとっても大きな意味を持ったという。

Yuta Haraは、中学時代にベースを弾き、ジャミロクワイやSuchmosに親しんでいた。

ジャミロクワイが好きだったことをベース教室の先生に知られ、Suchmosというバンドを教えてもらったのがきっかけだった。初期のSuchmosの音楽に強く惹かれ、その影響は後にDJとしてBillyrromに参加するYutaの音楽的な背景にもつながっている。

こうして見ると、6人の出発点は実に幅広い。ソウル、ディスコ、邦楽ロック、K-POP、メタル、ヒップホップ、ジャズに近い音楽まで、それぞれの好みと経験が重なっている。

Billyrromの音楽的な個性は、6人が初めから同じジャンルを目指したことではなく、異なる音楽の背景を持つ仲間が集まったことから生まれている。

6人がどんな音楽を聴いて育ったのかは、Fender Music Japanが公開したインタビューとライブセッションでも本人たちの言葉から知ることができる。

2024年に公開された「SESSIONS in TOKYO | Billyrrom」。Fenderの公開取材イベントで、楽器を始めたきっかけや幼少期の音楽体験を振り返っている。

2020年の結成|4人の友人から6人のBillyrromへ

Billyrromの結成を理解するうえで重要なのは、2020年に4人による活動の原型が生まれ、その後に2人が加わって6人体制になったという流れだ。

バンドが生まれた背景には、地元の友人関係と、コロナ禍で変化した大学生活があった。

大学で出会ったRinとMol、バンドを始めた一言

RinとMolは、同じ大学に通っていた。

それ以前から地元が近く、お互いの存在は知っていたものの、親しく話す関係ではなかったという。

2人は大学で同じ音楽サークルに入り、そこで交流するようになった。

2020年、新型コロナウイルスの感染拡大によって大学の授業がオンライン中心となり、日常の過ごし方が大きく変わった。

時間ができたRinは、以前から考えていた友人たちとのバンド活動を始めようとする。そして、大学の帰り道でMolを誘った。

Molは音楽好きではあったものの、最初は本格的な活動というより、友人同士の遊びに近いものとして受け止めていたという。

一方のRinは、早い段階からバンドに強い意欲を持っていた。

2024年のぴあ音楽のインタビューでは、Molが当初のメンバーには就職を考えている人もいたことを振り返っている。Rinの意識が先を進み、ほかのメンバーも活動を重ねるなかで、徐々にバンドへの向き合い方を変えていった。

つまり、最初から6人全員がプロのミュージシャンを目指して集まったわけではなかった。

Rinが地元の友人と音楽をやりたいと思い、大学で再びつながったMolを誘ったことが、Billyrrom結成の大きなきっかけとなった。

町田の友人たちが集まり、4人で活動を開始

RinはMolを誘う前から、地元のTaiseiwatabikiやShunsukeらとバンドを組むことを考えていた。

3人は中学校時代からつながりがあり、TaiseiwatabikiとShunsukeは幼稚園からの長い付き合いだったという。

さらにTaiseiwatabiki、Shunsuke、Molは同じ高校に通っていた。RinとMolは大学で一緒になったため、学校生活のなかでできた複数の友人関係がつながっていった。

2022年10月のSpincoasterのインタビューによると、2020年の春から夏にかけてMolが加わり、同年9月ごろにRin、Mol、Taiseiwatabiki、Shunsukeの4人による形ができたという。

この時点では、まだBillyrromというバンド名も決まっていなかった。

スタジオではYogee New Wavesやシュガー・ベイブの楽曲をコピーすることもあったが、演奏は簡単ではなかったという。

高校の軽音部で経験を積んでいたTaiseiwatabikiがいる一方、Rinはギターを始めたばかりで、Shunsukeはドラム未経験。Molもボーカルとしての活動を本格化させる前だった。

当初はメンバーが担当を兼ねながら演奏していた時期もあり、少しずつバンドとしての形を探っていた。

2025年1月公開のFenderNews「Cover Artist | Billyrrom -後編-」では、Taiseiwatabikiが加入を誘われた当時の出来事として、町田駅前のマクドナルドに呼ばれた話を明かしている。

RinとMolからデモ音源を聴かされ、そこには後に初EP『Frontier』へ収録される「Magnet」や「Babel」があったという。

地元の友人が、これまで身近にはなかったR&Bやソウルに近い音楽を制作していた。その音を実際に聴いたことも、Taiseiwatabikiが活動へ深く関わっていく背景の一つだった。

バンド経験の異なる仲間たちが同じ音楽を演奏し、デモを作り、ライブを目指すようになった。こうして2020年、Billyrromの前身となる4人の活動が始まった。

カメラマンのYuta Haraと、Lenoが加入するまで

4人から6人へと変わっていく過程には、少し意外な出会いがあった。

5人目として活動に加わったYuta Haraは、もともとバンドの演奏メンバーではなかった。

写真を撮っていたYutaは、Billyrromからアーティスト写真の撮影を頼まれたことをきっかけに、バンドの活動に関わるようになった。

最初はカメラマンとして同行していたが、次第にライブで映像を扱うVJも担当するようになる。

その後、ある日のスタジオ帰りにRinから声をかけられた。

お前はもうBillyrromだよ

Rinの言葉をYuta Haraが回想/Spincoaster「抑圧された世界を自由に踊らすBillyrrom。加速する6人の向かう先とは」(2022年10月26日)

Yutaはその後、映像だけでなく音も出したいと考えるようになり、DJとしても活動するようになった。

写真撮影のためにバンドと出会った人物が、映像を担当し、さらに音楽を演奏する正式メンバーになった。 Billyrromの結成史でも特徴的な出来事だ。

そして、最後に加わったのがキーボードのLenoだった。

YutaとLenoは小学校・中学校時代からの知り合いで、バンドのほかのメンバーとは少し離れた地域で育っていた。

Billyrromでは活動を進めるなかでシンセサイザーの音を取り入れたいという話が出ていた。そこでYutaが、地元に音楽のできる友人がいるとLenoを紹介した。

Lenoは加入前、ヒップホップ系のビートメイカーやプロデューサーとして個人で音楽を制作していた。

Yutaからバンドの存在を教えられ、実際にライブを観たLenoは、自分が参加することで音楽をさらに面白くできると感じたという。

メンバー側もLenoの人柄や音楽に魅力を感じ、加入へとつながった。

2022年のSpincoasterのインタビューでは、Molが6人そろった時期を2021年6月ごろと振り返っている。ほかのインタビューには同年春ごろを示す回想もあり、6人体制が成立したのは2021年春から初夏にかけてと整理できる。

2020年の4人による出発から、Yuta HaraとLenoの加入によって2021年に6人体制が成立したことが、Billyrromの結成をたどるうえで重要な節目となる。

Rinの呼びかけから始まった友人同士のバンドは、それぞれ異なる音楽経験と役割を持つ6人の音楽集団へと変わっていった。

Billyrromという名前の誕生と、初音源『Frontier』

6人が集まったBillyrromは、バンド名を決め、自分たちの音楽を作品として発表する段階へ進んでいく。

その名前には、Rinが大切にしたかった二つの考え方が込められていた。

ビル・エヴァンスとロマ族に由来するバンド名

Billyrromという名前は、ジャズピアニストのビル・エヴァンスと、ロマ族に由来する造語だ。

2022年10月のSpincoasterのインタビューによると、名前を考え始めてから数か月が経っても決まらず、メンバーがそれぞれ案を持ち寄ることになったという。

ところが、実際に候補を考えてきたのはRinだけだった。

Rinが大切にしていたのは、ビル・エヴァンスが持っていたと捉える周囲に流されず自分の信念を貫く姿勢と、ロマ族の移動する文化から着想を得たさまざまな場所へ音楽を届ける流動性だった。

この二つを組み合わせて生まれた言葉が、Billyrromだった。

もともとメンバーの間には、既存の言葉ではない独自の名前を付けたいという考えがあった。Rinは検索したときに見つけやすいよう、綴りにも工夫を加えている。

提案を聞いたメンバーたちも賛同し、バンド名が決まった。

バンドが特定の音楽ジャンルに収まることなく、さまざまな音楽を吸収して活動していく姿勢は、名前を考えた時点から意識されていたものだった。

GarageBandで作ったデモから2021年の初EPへ

Billyrromが最初の音源を発表したのは、2021年9月。EP『Frontier』が、バンドとしての最初のリリース作品となった。

当時は、全員でスタジオに入り、演奏を重ねながら曲を作り上げる方法が十分に身についていたわけではなかった。

主にRinやMolがGarageBandを使ってデモを制作し、ほかのメンバーが意見を出したり、音を加えたりしながら曲を完成させていたという。

『Frontier』には、当時持っていた5曲のなかから3曲を収録した。初期の楽曲「Magnet」や「Babel」も、この時期の作品だ。

この段階では、まず楽曲の原型を作り、そこへ演奏やアレンジを重ねることが制作の中心だった。

しかし、活動が進むにつれて方法も変化していく。

一人がほとんど完成させたデモをほかのメンバーが演奏するのではなく、未完成の段階で持ち寄り、6人の発想によって曲を作り替える機会が増えていった。

2022年9月に発表した「Danceless Island」は、その変化が見える楽曲の一つだった。

Rinが作った原案を一度解体し、メンバー全員で組み直して完成させたという。

Rinはこの曲について、身体を動かして踊ることだけでなく、心が動くことも含めて「踊る」と捉えたと説明している。

コロナ禍のなかで感じた閉塞感と、自由に音楽を楽しむ感覚が重ねられた楽曲だった。

『Frontier』のデモ中心の制作から、「Danceless Island」での共同アレンジへ。 Billyrromは音源を発表しながら、6人ならではの曲作りの方法を少しずつ見つけていった。

ライブで育った6人の音楽|初ワンマンからフジロックへ

Billyrromの音楽を語るうえで欠かせないのが、ライブハウスで積み重ねた経験だ。

結成当初から大勢の観客が集まっていたわけではない。ライブ出演の方法を覚えることから始まり、客席との距離や演奏の伝え方を少しずつ身につけていった。

観客の少ないライブハウスで重ねた経験

初期のBillyrromは、下北沢周辺のライブハウスを中心に演奏していた。

当時は出演の仕組みも十分に分からず、メンバーたちはライブハウスのSNSアカウントへ直接メッセージを送っていたという。

2025年1月のFenderNewsのインタビューで、Taiseiwatabikiは自分たちのライブを観に来た観客が一人もいなかったこともあると振り返っている。

音楽性の異なるバンドと共演することも多く、観客に自分たちのリズムやノリを伝えることは簡単ではなかった。

演奏だけでなく、ライブ中の表情や客席とのコミュニケーションも課題になった。

そこで、手拍子を取り入れたり、ソロ演奏の場面を設けたりしながら、観客が自然に音楽へ参加できる工夫を重ねた。

2021年末には、バンド「鋭児」と大阪で共演。このライブについて、メンバーは観客と濃いコミュニケーションが生まれ、バンドの姿勢にも刺激を受けた出来事として語っている。

6人の異なる音楽的ルーツを、ライブで観客へどう伝えるか。 初期の活動では、その試行錯誤が続いていた。

『Danceless Island』と初ワンマンライブ

2022年9月21日、Billyrromは「Danceless Island」を配信リリースした。

続いて同年10月に「Defunk」を発表するなど、継続して音源を届けながらライブ活動を重ねていく。

そして2022年12月17日、東京・渋谷WWWで初のワンマンライブ「Billyrrom First One-Man Live」を開催した。

対バン相手の観客が中心だったころを経て、自分たちの音楽を聴くために来た人たちの前で公演を行う段階へ進んだことになる。

この初ワンマンライブは、メンバーの活動に対する意識にも変化をもたらした。

2024年10月のぴあ音楽のインタビューでは、Molが結成時を振り返り、メンバー全員が最初から音楽一本で生きていくと決めていたわけではないと語っている。

Shunsukeも、初ワンマンライブのころまで就職を考えていたという。

しかし、演奏を重ね、観客が増え、同じ目標を共有する時間が長くなるなかで、6人の意識は自然とバンド活動へ向かっていった。

遊びの延長として始まった音楽が、次第に生活と将来を左右する大きな活動へ変わっていった時期だった。

結成時の目標だった2023年のフジロック出演

Billyrromの初期のエピソードで、特に印象的なのがRinとフジロックの話だ。

2020年にバンドを始めたころ、Rinは仲間たちに大きな目標を伝えていた。

3年後にフジロック出るから就職しないで

Rinの発言/ぴあ音楽「今もっとも勢いに乗るバンド・Billyrromインタビュー『体当たりでこれからもやっていく』」(2023年9月)

当時はギターを始めて間もない時期だったRinだが、3年後のフジロック出演を目標に掲げていたという。

そして2023年7月、FUJI ROCK FESTIVAL ’23への初出演が実現した。

出演したのは苗場食堂のステージ。結成時に口にしていた目標が、約3年後に現実のものとなった。

2023年のインタビューでは、Rin自身も目標が実現したことに驚きと喜びを語っている。

この出演は、単に大型フェスへ参加したというだけではない。友人たちを誘ってバンドを始めたRinの目標と、6人がライブハウスで重ねてきた活動が結びついた出来事だった。

翌2024年には再びフジロックに出演し、RED MARQUEEのステージで演奏している。

2023年の苗場食堂から2024年のRED MARQUEEへ。フェスでの出演経験を重ねたことも、Billyrromのキャリアにおける重要な変化となった。

2020年にRinが仲間へ語ったフジロック出演という目標は、2023年に実現した。 この出来事は、Billyrromの結成から最初の大きな到達点までを象徴している。

6人の音楽が広がるまで|『WiND』とメジャーデビュー

フジロックへの出演を経て、Billyrromは楽曲制作の方法をさらに発展させ、アルバム制作や海外での活動へと歩みを進めた。

その過程では、6人それぞれの音楽的な個性をどう作品へ反映させるかが重要になっていった。

『noidleap』で変化した楽曲制作

2023年9月、BillyrromはEP『noidleap』を発表した。

初EP『Frontier』のころは、MolやRinがGarageBandで作ったデモを中心に楽曲を組み立てていたが、活動を重ねるなかで制作の進め方は変化していた。

一人が完成に近いデモを持ち込むのではなく、まだ余白の多い状態で共有し、メンバーが互いのアイデアを加えていく。

Rinが持ってきたギターのフレーズにLenoが音を重ねたり、リズム隊の演奏から曲の方向性が変わったりすることもあった。

2022年のSpincoasterのインタビューでは、メンバー全員が曲作りに関わり、特定の一人に主導権を固定しない姿勢が語られている。

さらに2023年の『noidleap』をめぐるインタビューでは、6人の音楽性を作品にどう落とし込むかという問題が、より深く意識されるようになっていた。

ライブで観客を踊らせることと、自分たちが表現したい音楽を作ること。その両方を大切にしながら、楽曲の幅を広げていった。

バンドの音楽を一つのジャンルへ固定するのではなく、6人の好みや経験を持ち寄りながら進化させていく。この制作姿勢は、その後のアルバムにも引き継がれていく。

初アルバム『WiND』と海外のバンドとの出会い

2024年9月25日、Billyrromは初のフルアルバム『WiND』を発表した。

アルバム制作では、メンバーが持つ音楽的な背景をさらに広く作品へ反映させている。

2024年10月のSpincoasterのインタビューでは、『WiND』の方向性が固まるまでの出来事が詳しく語られている。

重要な話し合いが行われたのは、台湾のバンドWendy Wanderのツアーに同行して京都を訪れたときだった。

メンバーたちは約2時間をかけて、アルバムのテーマや方向性について話し合ったという。

そのなかで鍵になったのが、Lenoが持ち寄った「Walk in New Directions」という言葉だった。

新しい方向へ進むという意味を持つこの言葉は、アルバム『WiND』の名前やコンセプトを考えるうえで重要な要素となった。

アルバムには「DUNE」「Windy You」「Once Upon a Night」などが収録され、風をモチーフにしながら、決意や変化、前へ進む意思が表現された。

制作方法にも新しい試みがあった。

「SERENADE for Brahma」や「Sun shower」では、メンバーが同じ空間で演奏し、互いの音を感じながら録音する方法を取り入れた。

事前にすべてを決めておくのではなく、その場で生まれる演奏や反応も作品に残そうとしたという。

デモを作って音を足す初期の制作から、同じ空間で6人が音を出し合う録音へ。 『WiND』は、Billyrromの楽曲制作の変化が具体的な形になった作品でもあった。

また、活動の範囲も日本国内だけにとどまらなくなっていった。

台湾のWendy Wanderとの交流をはじめ、海外のミュージシャンや観客との接点が増え、台湾などアジア各地のイベントにも出演している。

2024年にはFenderのアーティスト支援プログラム「Fender NEXT」に選出され、国内外で活動を続ける足がかりを広げた。

町田の友人同士による活動として始まったBillyrromは、アルバム制作と海外での演奏経験を通して、さらに多くの人へ音楽を届けるバンドへと成長していった。

2026年、ユニバーサルミュージックとの契約へ

2026年4月18日、Billyrromはユニバーサルミュージックとのグローバルパートナーシップ契約を発表した。

この発表にあわせて、メジャーデビューすることも正式に明らかにされた。

それまでの作品制作や国内外でのライブ活動を経て、世界へ音楽を届けるための新しい体制が整えられたことになる。

同年5月25日には、ユニバーサルシグマから「Boogie」を配信リリース。メジャーデビュー後の最初のシングルとなった。

ここで区別したいのは、Billyrromの音楽活動そのものが2026年に始まったわけではないということだ。

最初の音源『Frontier』を発表したのは2021年。2022年には初ワンマンライブを開催し、2023年にはフジロックへ出演。2024年には初アルバム『WiND』を完成させている。

2026年のメジャーデビューは、それまで約6年間にわたって積み重ねてきた活動の先に生まれた、新たなキャリア上の節目だった。

振り返れば、Billyrromの音楽はRinが地元の友人を誘ったところから始まっている。

楽器を始めたばかりのメンバーとスタジオで音を出し、写真を撮っていた友人がDJになり、最後にピアノやヒップホップの制作経験を持つLenoが加わった。

最初は遊びの延長だった活動が、音源制作とライブを通して本格的なものになり、結成当初から口にしていたフジロックという目標も実現した。

Billyrromの原点にあるのは、同じ場所で育った友人たちが、それぞれ違う音楽を持ち寄って一緒に演奏し始めたことだ。

ソウル、ディスコ、ロック、ヒップホップなどの異なる音楽的背景を一つにまとめるのではなく、6人それぞれの個性を生かしながら音を重ねる。その歩みが、Billyrromというバンドの音楽史を形作ってきた。

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