Age Factoryのメンバーは?高校時代の結成から現在の3人になるまで

Age Factoryのメンバーと高校時代の結成から現在の3人体制までをテーマにした、3人の人物とレコードを配したイラスト バンド
メンバー担当
清水英介(しみず えいすけ)ボーカル・ギター
西口直人(にしぐち なおと)ベース・コーラス
増子央人(ましこ なかと)ドラム・コーラス
2014年に成立したAge Factoryの3人体制。

Age Factory(エイジ・ファクトリー)は、奈良県で生まれた3人組のロックバンドです。

清水英介、西口直人、増子央人というメンバー構成で知られていますが、実は2010年の結成時から、この3人がそろっていたわけではありません。

始まりは、高校1年生だった清水が同級生と組んだバンド。そこへ西口が加わり、ドラムの交代を経て2014年に現在知られる編成が完成しました。

その歩みには、兄の部屋から聞こえた洋楽、偶然手にしたベース、奈良の先輩バンドとの出会いなど、それぞれの音楽の始まりに関わる出来事があります。

さらに、初期の自主制作から五味岳久との共同制作を経て、3人で録音や音作りまで担うようになった経緯をたどると、Age Factoryというバンドの変化がよりはっきりと見えてきます。

音楽史の段階Age Factoryの歩み
音楽との出会い清水が兄の聴く音楽に触れ、西口は10歳でベースを始める
結成2010年、高校1年生の清水が同級生とバンドを結成
3人体制の成立西口の加入とドラムの交代を経て、2014年に清水・西口・増子の編成へ
全国流通作品2014年、ミニアルバム『手を振る』を発売
重要な共同制作2016年、五味岳久を迎えて1stフルアルバム『LOVE』を制作
音楽表現の変化2020年『EVERYNIGHT』、2021年『Pure Blue』を発表
制作体制の進化2024年『Songs』で3人主体の制作方法を確立
自主レーベル2025年、音楽とビジュアルを一体で制作する「0A」を設立

清水英介の音楽の原点は兄の影響と高校時代のギター

Age Factoryの音楽をたどると、最初に見えてくるのは、清水英介が家庭の中で触れたロックミュージックです。

一方、ベーシストの西口直人は、兄が買い間違えた楽器をきっかけに演奏を始めました。2人とも兄との関わりが音楽の入り口になっていますが、その経緯は異なります。

兄の部屋から聞こえた音楽と最初のギター

清水の兄はバンド活動をしており、清水は10代前半まで、兄の部屋から聞こえる洋楽を自然と耳にしていました。

2022年にJ-WAVEで語った音楽の思い出では、小学6年生ごろ、親から買ってもらったウォークマンに兄が音楽を入れてくれたことを振り返っています。

その中にあったのが、Fall Out Boyの「Sugar, We’re Goin Down」でした。清水にとって、強く印象に残る音楽との出会いだったといいます。

ただし、兄の音楽を聴いていたことと、自分で音楽を選び、演奏するようになったことは別の段階です。

高校に入るころにはMONGOL800やHi-STANDARDなどを聴き、ギターで曲をコピーするようになっていました。自分で音を出す楽しさを知ったことが、その後のバンド結成につながります。

やがて関心はeastern youthやbloodthirsty butchersなどにも広がっていきました。2017年のMikikiのインタビューでは、そうした日本のロックバンドを聴いていた時期についても語っています。

この経験は、単に激しいギターサウンドへの憧れだけではありません。清水が後に大切にすることになる、歌詞と言葉の持つ力にも関わっていました。

西口直人が10歳でベースを始めたきっかけ

西口直人がベースを始めたのは10歳のときです。しかし、最初から自分でベースを選んだわけではありません。

2022年のベース・マガジンの本人インタビューによると、兄がギターを購入しようとして、間違ってベースを買ってきたことがきっかけでした。

兄の手元で余ってしまったベースを、西口が弾くことになったのです。

音楽を始めた理由としては少し意外な出来事ですが、それが後にAge Factoryの低音を支える楽器との最初の出会いになりました。

西口自身の音楽的な原点には、ASIAN KUNG-FU GENERATIONやELLEGARDENなどがあります。2021年のEYESCREAMのインタビューでは、これらを自身の世代にとって身近だった音楽として挙げています。

一方で、西口はAge Factoryというバンドの音楽的な方向性について、清水が影響を受けたオルタナティブロックやハードコアの流れが大きいとも説明しています。

メンバーがそれぞれ違う音楽を聴いて育ち、その好みを持ち寄ることになった点も、3人の音楽を理解するうえで重要です。

Age Factoryは2010年に結成|高校の同級生から現在の3人体制へ

Age Factoryの結成は2010年4月。地元の奈良で、高校1年生だった清水英介が同級生とバンドを組んだところから始まりました。

公式プロフィールには2010年結成、2014年に現在のメンバー体制になったと記されています。つまり、結成年と3人体制の成立年には4年の違いがあります。

高校1年生の清水英介が同級生とバンドを結成

バンドが最初に組まれたとき、清水は高校に入学したばかりでした。

当時のメンバーは、ボーカル・ギターの清水、ベースの碓井、ドラムの喜多という3人。高校の同級生によって始まったスリーピースバンドでした。

結成から間もない2010年12月には、自主企画イベント「生駒大行進曲 ~not silentnight~」を開催。翌2011年には奈良県内の音楽イベントや関西のライブハウスで活動を重ねていました。

2011年8月には「ヤマハMusic Revolution 2011」の奈良県大会で優秀賞を受賞した記録も残っています。

初期からライブを中心に活動していたことは、2013年当時の奈良の地域音楽メディア「なら音web」に掲載された活動記録からも確認できます。

清水が影響を受けた音楽の一つに、地元の先輩バンドであるLOSTAGEがありました。奈良で活動を続けながら全国へ音楽を発信するその姿は、若いAge Factoryにとって身近な存在だったのです。

西口直人の加入と増子央人が正式メンバーになるまで

Age Factoryの編成が最初に変わった大きな節目は、2011年11月でした。

初期ベーシストの碓井聖也が脱退し、代わって西口直人が加入します。西口もベース・マガジンで、高校3年生の途中にAge Factoryへ加入したと振り返っています。

続いて2012年5月、結成時からドラムを担当していた喜多が脱退しました。その後、増子央人がサポートドラマーとして演奏を担います。

ただし、この段階で増子が正式メンバーになったわけではありません。

2013年1月には吉村舞がドラム・コーラスとして正式加入。当時の地域音楽メディアには、吉村の加入を伝える記事が残っています。

その後、2014年2月に吉村が脱退し、サポート経験のあった増子が正式メンバーとして加わりました。

こうして2014年、清水英介・西口直人・増子央人の3人がそろったのです。

増子にとっては、サポートとして一緒に演奏した時期を経て正式加入した形になります。突然新しいドラマーが現れたのではなく、すでにバンドの音を知る人物が再びドラムを担うことになりました。

結成時と現在知られる編成の違いを整理すると、Age Factoryは高校の同級生バンドとして始まり、何度かのメンバーチェンジを経て現在の基礎を築いたことが分かります。

『ONE PIECE』とギターピックから生まれたバンド名

Age Factoryという名前にも、清水の高校時代らしいエピソードがあります。

名前の由来は、漫画『ONE PIECE』に登場する「氷河時代(アイスエイジ)」の「Age」と、当時使っていたギターピックの名前に含まれていた「Factory」を組み合わせたものとされています。

清水が使っていたのは「ジャムズファクトリー」のピック。漫画で目にした言葉と、手元にあったギター用品の名前がバンド名につながりました。

後には「時代を創る」という意味も込められるようになりましたが、最初から壮大な理念だけをもとに決めた名前ではありません。

高校生のころに選んだ言葉が、作品を作り続けるうちに新しい意味を持つようになった。その経緯も、Age Factoryという名前の面白いところです。

奈良のライブハウスで磨いた音楽と初の全国流通盤『手を振る』

メンバーが入れ替わる時期にも、Age Factoryは地元のライブハウスを中心に演奏を続けていました。

2014年の『手を振る』はバンドにとって重要な作品ですが、それ以前にも自主制作の音源を発表しています。

自主制作音源から2014年の『手を振る』へ

全国流通盤の発売前から、Age Factoryは自分たちの音楽を録音し、発表していました。

その一つが、2013年5月29日に発売されたミニアルバム『Poolside Suicide』です。

収録曲は「プールサイドガール」「イエロウサルマリン」「海を見たいと思う」「昨日のこと」の4曲。全国流通盤が登場する前から、Age Factoryは自主制作で音源を発表し、ライブと並行して自分たちの音楽を届けていました。

その翌年、2014年12月にはミニアルバム『手を振る』を発売しました。

この作品は、バンドにとって初の全国流通盤に位置づけられています。「真空から」などを収録し、地元を中心に活動してきたバンドの音楽が、より広い地域の聴き手へ届く節目となりました。

ここで区別しておきたいのは、『手を振る』がAge Factoryの最初の音源というわけではないことです。

2013年の自主制作期を経て2014年の全国流通盤に至ったのであり、自主制作、全国流通、メジャーデビューはそれぞれ別の出来事です。

さらに2015年9月にはミニアルバム『NOHARA』を発表。ライブで磨いてきた3人の演奏を、音源として残す活動を続けていきました。

初期の3人はセッションからどのように曲を作っていたのか

Age Factoryの初期の曲作りでは、メンバーが実際に楽器を鳴らし、音を合わせながら曲を組み立てることが重要でした。

清水が曲の方向性を示す一方で、西口のベースと増子のドラムが加わることで、演奏の流れやアレンジが形になっていきます。

このころの音楽性には、90年代のUSエモ、オルタナティブロック、ハードコアなどへの関心が反映されていました。

2021年のEYESCREAMのインタビューで清水は、そうした音楽の流れに加え、LOSTAGEやbloodthirsty butchersのスタイルから強い影響を受けたことを明かしています。

激しい音を鳴らすことだけが目的だったのではありません。大きな音の中でも歌と言葉を届けることは、初期作品から続くバンドの大切な要素でした。

そして、この3人で音を出す制作方法は、その後いったん変化し、2021年の『Pure Blue』で改めて立ち戻ることになります。

LOSTAGE・五味岳久との出会いが『LOVE』の制作につながった

Age Factoryの初期活動を語るうえで欠かせないのが、同じ奈良を拠点とするバンドLOSTAGEと、そのメンバーである五味岳久との交流です。

五味は2016年に発表された1stフルアルバム『LOVE』のプロデューサーを務めています。しかし、最初から制作を依頼する関係だったわけではありません。

THROAT RECORDSに音源を持ち込んだ清水英介

清水と五味の交流が始まった場所は、五味が奈良で営むレコード店「THROAT RECORDS」でした。

2016年のQeticの座談会によると、清水は自分たちの音源を持って店を訪れたといいます。

五味は当時、奈良で活動する若いバンドとしてAge Factoryの存在を知っていたものの、最初にじっくり接したのはライブ会場ではありませんでした。

清水が店に通い、音源を聴いてもらったり、音楽の話をしたりするうちに、交流が深まっていきます。

興味深いのは、清水がすぐに五味をライブへ誘わなかったことです。

清水は、当時の自分たちの演奏を五味に見せるには、まだ十分ではないと考えていました。

今はまだ観てもらえるレベルじゃないだろう

清水英介/Qetic「Age Factory×五味岳久(LOSTAGE)座談会」(2016年)

その後、自分たちが納得できる新曲を演奏するようになった段階で、清水は五味をライブに招きました。

五味は実際の演奏を見て、音源だけでは分からなかったバンドとしての完成度を感じたと振り返っています。

音源を持ち込むことから始まった交流が、ライブでの評価を経て、作品を一緒に作る関係へと発展したのです。

五味岳久をプロデューサーに迎えた理由

清水が五味にプロデュースを依頼したのは、LOSTAGEへの憧れだけが理由ではありませんでした。

2016年の座談会で清水は、曲作りで選択肢が生まれたとき、メンバー以外にも判断してくれる人がほしかったと説明しています。

以前から好きだったバンドのメンバーに、自分たちの作品へ関わってもらいたいという思いもありました。

実際、清水は新しい曲のデモができるたびにTHROAT RECORDSへ持っていき、五味から感想やアドバイスを受けていたといいます。

五味への依頼について、清水はメンバー全員で時間をかけて相談したわけではなかったことも明かしています。西口と増子は、清水から依頼を決めたことを知らされたというのです。

こうしたやり取りを経て、2016年10月に1stフルアルバム『LOVE』が発売されました。

録音場所にも、地元奈良へのこだわりがありました。

レコーディングには、LOSTAGEの作品も手掛けるエンジニアの岩谷啓士郎が参加。五味と直接やり取りしながら、曲の構成や音のあり方を検討していきました。

五味も同じ座談会で、曲作りの段階からメンバーと一緒に考えて作品へ仕上げることを、自身のプロデュースの方法として説明しています。

外部の誰かが完成済みの楽曲を整えるだけではなく、バンドとプロデューサーが曲を作る過程そのものを共有した作品でした。

『LOVE』から『GOLD』へ広がったバンドの表現

『LOVE』で外部のプロデューサーと共同制作した経験は、Age Factoryが自分たちの音楽を見つめ直す機会になりました。

それまでの3人の演奏を土台にしながら、歌をどう前に出すか、曲のどの部分を生かすかといった判断に、五味の視点が加わりました。

2018年10月には、2ndフルアルバム『GOLD』を発表します。

この時期の表現について、清水は後年の『音楽と人』のインタビューで、強い怒りやエネルギーを外へ向けていたころとして振り返っています。

当時は、音楽を通じて自分たちの存在や考えを強く示そうとする姿勢がありました。バンドの成長とともに、その表現は少しずつ変化していきます。

重要なのは、『LOVE』と『GOLD』で作り上げた音楽を、その後のAge Factoryが捨て去ったわけではないことです。

3人で演奏を組み立てた経験と、外部の制作者を迎えた経験の両方が、後の作品づくりの選択肢になっていきました。

『EVERYNIGHT』『Pure Blue』で見つめ直した音楽の原点

2018年の『GOLD』を経て、Age Factoryの音楽は、外へ向けた強いメッセージだけでなく、個人的な感情や記憶にも深く目を向けるようになりました。

その変化がよく分かるのが、2020年の『EVERYNIGHT』と2021年の『Pure Blue』です。

『EVERYNIGHT』で表現が変わった理由

2020年4月に発表された『EVERYNIGHT』は、Age Factoryにとって3枚目のフルアルバムです。

それまでの作品にあった攻撃的な表現を受け継ぎながらも、清水自身の内面に近い感情を音楽へ落とし込む方向が強まりました。

2024年の『音楽と人』のインタビューで、清水はこのころの音楽について、規模の大きな表現だけでなく、もっと個人に寄り添う小さな音楽のよさに気づいたことを振り返っています。

これは、音量が小さくなったというだけの話ではありません。

聴き手の大勢へ一度に訴えることと、一人の人間の感情に触れること。清水は後者の表現にも価値を見いだすようになりました。

また、音楽づくりの方法そのものも変化していました。『EVERYNIGHT』では、以前のように演奏を始めてから曲を組み立てるだけでなく、構成を練る工程も重視するようになります。

ただし、この方法だけが正解になったわけではありません。次の作品では、3人が再び直接音を合わせることの意味を確かめることになります。

『Pure Blue』で3人がセッションに立ち戻った経緯

2021年11月発売の『Pure Blue』は、ライブ活動が思うようにできない時期に制作されたアルバムでした。

清水はEYESCREAMのインタビューで、当時の制作が非常に苦しかったことを語っています。作品の方向性も簡単には定まらず、アルバムを完成させるまでに試行錯誤がありました。

増子によると、最初は『EVERYNIGHT』のように曲の構成を考えながら制作を進めていました。しかし、思うようにいかず、行き詰まってしまいます。

そこで3人は、以前のように集まって演奏する方法に立ち戻りました。

バンドやねんから、まずはガチで演奏しようや

増子央人/EYESCREAM「Age Factory 気骨稜稜たるロックバンド」(2021年)

『LOVE』や『GOLD』を作っていたころのように、最初から3人でセッションし、そこから曲を形にしていったのです。

この制作では、予定していたアレンジとは違うものが、実際に録音した瞬間に生まれることもありました。

西口は、ある曲のアレンジについてA案とB案で意見が割れていたものの、録音時には想定していなかったC案のような演奏が生まれたと振り返っています。

以前なら、突然生まれた意外なアイデアに対して、採用してよいのか立ち止まることもあったといいます。

しかし、このときはメンバー全員がよいと感じた演奏を受け入れられるようになっていました。

あらかじめ考え抜いた構成と、その場で3人が鳴らした音。その両方を使えるようになったことが、『Pure Blue』の大きな変化でした。

作品名にも、清水自身の記憶や初期衝動への思いが込められています。

未来を簡単には想像できない時期だからこそ、過去の何気ない思い出が美しく感じられる。清水は、自分を形作ってきた記憶や、音楽を始めたころの感覚を作品へ込めたと説明しています。

音楽の原点へ立ち戻ったのは、音作りの方法だけではなかったのです。

『Songs』から自主レーベル「0A」へ|3人で音楽を作る新たな段階

『Pure Blue』で3人の演奏の可能性を改めて確かめたAge Factoryは、2024年の『Songs』で制作体制をさらに変化させました。

そして2025年には自主レーベル「0A(ゼロエー)」を設立。楽曲だけでなく、音楽に伴うビジュアルや作品の見せ方まで、自分たちの考えで作り上げる活動へ進みます。

『Songs』で変わった作曲・アレンジ・録音の役割

2024年2月に発売された『Songs』は、Age Factoryの5枚目のフルアルバムです。

清水は『音楽と人』のインタビューで、この作品について、それまで以上に3人で作り上げた感覚があったことを語っています。

以前は、清水自身の曲という意識や、清水が制作を主導する部分が強かったといいます。

しかし『Songs』では、清水が歌詞を考えるように、増子がビートを作り、西口がベースのフレーズを考える。それぞれに創作を任せることを意識しました。

そこで清水は、長く一緒に演奏してきたメンバーについても、それまで知らなかった好みやアイデアに気づいたと振り返っています。

単に担当パートを分けただけではありません。誰かの完成した曲をほかの2人が演奏するのではなく、3人の考えを持ち寄って曲そのものを作っていく方向へ進んだのです。

制作ではスタジオに3人で集まり、最初の段階から曲を組み立てていきました。

一方で、楽曲の発想はスタジオの中だけで生まれたわけではありません。

2024年のDIGLE MAGAZINEのインタビューでは、ツアーで移動する日々や、そのときに感じたことが作品の着想に関わっていたことも語られています。

長年のバンド活動で積み重ねた経験が、曲の内容にも制作方法にも反映されるようになっていました。

そうした3人の音楽を、ライブで確かめられる映像があります。

2024年12月7日、幕張メッセで開催された音楽イベント「REDLINE ALL THE FINAL」でのパフォーマンスです。

この映像には、2024年のアルバム『Songs』に収録された「Shadow」と、2018年の『GOLD』に収録された「TONBO」の演奏が収められています。

異なる時期に生まれた2曲を同じステージで聴くと、3人が長い活動の中で積み重ねてきたバンドサウンドを感じ取れます。

「Shadow」と「TONBO」は、それぞれ制作された時期も収録アルバムも違います。しかし、ステージ上では清水のギターと歌、西口のベース、増子のドラムが一つのバンドとして鳴り響きます。

作品ごとに音楽性や制作方法が変わっても、ライブでは3人の演奏そのものがAge Factoryの核であり続けていることが伝わってきます。

ミックス・マスタリングも自分たちで担った理由

『Songs』の大きな特徴は、作曲や演奏だけでなく、録音後の音作りまでバンド側で担ったことです。

ミックスは、録音された歌や楽器の音量、音質、位置関係などを調整し、一つの楽曲にまとめる工程です。

マスタリングは、その音源を作品として聴ける状態へ最終的に整える工程を指します。

『Songs』では、3人が制作全体を自分たちの手で進め、ミックスとマスタリングは西口直人が担当しました。

それまでのAge Factoryには、2016年の『LOVE』で五味岳久をプロデューサーに迎えるなど、外部の制作者と音楽を形にしてきた歴史があります。

それに対して『Songs』では、作品の完成に至るまでの判断を、できる限り自分たちで行うことを目指しました。

清水は、最初からスタジオに集まって10曲を作り、ミックスからマスタリングまで行うことをテーマにしていたと説明しています。

それによって、増子と西口の発想をこれまで以上に曲へ反映でき、自分たちの音楽に対する理解も深まったといいます。

さらに、表現したい感情にも変化がありました。

清水は『音楽と人』で、かつては怒りやエネルギーをぶつけることが中心だった一方、年齢を重ねる中で、ファン一人ひとりに音楽を届けたいという思いが強くなったことを話しています。

『Pure Blue』のころには音楽を作ることに苦しさも感じていましたが、その時期を支えたのがファンやメンバーの存在だったとも振り返っています。

『Songs』では、自分たちが受け取ってきたものを音楽として返したいという思いが、作品を作る動機の一つになりました。

3人が制作を主導するようになったことと、音楽を届けたい相手をより具体的に考えるようになったこと。この二つの変化が、同じ作品の中で重なっています。

2025年の自主レーベル設立が意味するもの

2025年5月、Age Factoryは自主レーベル「0A(ゼロエー)」の設立を発表しました。

0Aは、単に自分たちの音源を発売するためだけのレーベルではありません。

公式プロフィールでは、アーティスト、スタイリスト、デザイナー、カメラマンなど、音楽以外の分野で活動する人々も参加するクリエイティブの場として説明されています。

楽曲制作からアーティストのプロデュース、音源に伴うビジュアルやコンセプトの設計まで、一貫して手掛けることを目指す活動です。

レーベル名について、清水は2025年のDIGLE MAGAZINEのインタビューで、ゼロから一を生み出すという意味があることを説明しています。

また、自分たちで制作を進めたいという考えは、0A設立の直前に突然生まれたものではありませんでした。

清水は『EVERYNIGHT』のころから、作品をできる限り自分たちの手で作り、余計な解釈を通さず届けたいと考えていたと語っています。

その思いが『Pure Blue』でのセッション、『Songs』での制作体制の変化を経て、レーベルという形にまで発展しました。

同年7月には、0Aからの最初のアルバムとして『Sono nanika in my daze』を発表。前作に続いてセルフプロデュースを行い、西口がミックスとマスタリングを担当しています。

2016年の『LOVE』では、地元の先輩である五味岳久を迎え、外部の視点を取り入れることで作品を完成させました。

それから長い時間を経て、Age Factoryは3人で曲を作り、音の仕上げまで担い、作品のビジュアルや発表方法も自分たちで考えるところまで進んだのです。

その出発点は、2010年に奈良で始まった高校生のバンド活動でした。

兄から受け取った音楽、偶然手にしたベース、メンバーの交代、憧れの先輩との交流。そうした一つひとつの出来事が、現在知られるAge Factoryの音楽を形作ってきました。

同じ3人で演奏を続けることと、同じ方法で音楽を作り続けることは違います。

Age Factoryの歩みには、初期の演奏方法を大切にしながら、新しい制作方法を試し、必要なときには原点へ戻る。その積み重ねが残されています。

タイトルとURLをコピーしました