Chevon(シェボン)は、谷絹茉優、Ktjm、オオノタツヤの3人で札幌市に結成されたロックバンドです。
2021年6月9日に結成し、2022年からライブ活動を開始。2026年4月8日には、cutting edgeからMajor 1st Album『三者山羊』を発売してメジャーデビューしました。
ただ、3人はもともと同じバンドで活動していた仲間でも、幼なじみでもありません。
小説とボカロに夢中になっていた谷絹、兄からギターを渡されたKtjm、学園祭をきっかけにベースへ本気で向き合ったオオノ。それぞれ別の場所で音楽を続けていた3人が、ある人物を介して出会いました。
さらに結成後は、すぐライブハウスへ出るのではなく、約半年にわたって楽曲制作と練習を重ねています。
今回は、そんなChevonの3人が音楽を始めたきっかけから、メンバーの出会い、結成、最初のオリジナル曲「No.4」、ライブ活動、メジャーデビューまでをたどります。
Chevonの音楽ルーツ早見表
| 項目 | Chevonの音楽史 |
|---|---|
| 結成 | 2021年6月9日、札幌市で結成 |
| メンバー | 谷絹茉優(Vo)、Ktjm(Gt)、オオノタツヤ(Ba) |
| 最初のオリジナル曲 | 「No.4」 |
| 初ライブ | 2022年1月、自主企画「よしなに vol.1」 |
| メジャーデビュー | 2026年4月8日、Major 1st Album『三者山羊』 |
Chevonとは?札幌で2021年に結成した3ピースバンド
Chevonは、北海道・札幌を拠点に始まった3ピースロックバンドです。
正式な結成日は2021年6月9日で、メンバーは谷絹茉優、Ktjm、オオノタツヤの3人。
公式プロフィールでは、楽曲制作も3人の役割が明確に分けられています。
谷絹茉優・Ktjm・オオノタツヤ――3人の役割
ボーカルの谷絹茉優は、主に歌詞とメロディを担当します。
ギターのKtjmはコードやギターリフ、ベースのオオノタツヤはリズムや楽曲のキメを担当し、最後はスタジオで3人の音を合わせながら曲を仕上げていきます。
つまり、作詞作曲を一人が完成させて残りのメンバーへ渡すタイプではなく、最初から3人の仕事が組み合わさることを前提にした制作方法です。
この分担は結成初期から始まっており、最初のオリジナル曲「No.4」も同じ流れで作られました。
「Chevon」は“成人したヤギの肉”――バンド名の意味
「Chevon」は英語で成人したヤギの肉を意味します。
ヤギはバンドのビジュアルにも使われており、公式キャラクターの「しぇぼんくん」もヤギの頭と人間の体を持つデザインです。
ただし、公式プロフィールで明示されているのは「Chevon」という単語の意味までで、なぜ数ある言葉の中からこの名称を選んだのかについては、確認できる情報以上に理由を補うことはできません。
3人の音楽はどこから始まった?
Chevonを結成する以前、3人が音楽へ入っていった道筋はかなり違っていました。
幼い頃から一直線にプロのバンドを目指した3人が集まったわけではなく、それぞれが一度離れたり、別の表現に夢中になったりしながら楽器や歌へ戻ってきています。
谷絹茉優|家族の音楽、小説、ボカロが歌と作詞の原点に
谷絹の家では、両親が車の中で音楽を流し、母親が家のピアノを弾くなど、幼い頃から音楽が身近にありました。
家族で歌うことも多く、幼少期のホームビデオには、食卓の周囲を回りながら歌っている姿が残っていると本人が振り返っています。
もう一つ大きかったのが、小学生の頃から続けていた小説を書く習慣です。
小説好きの友人や国語教師の影響で言葉に興味を持ち、自分でも物語を書くだけでなく、知らない言葉を調べながら語彙を増やしていました。
そこへ重なったのが、VOCALOIDと歌い手文化です。
初期のボカロには、人間が歌うには難しいほど音程差や細かな譜割を持つ曲も多く、そうした曲を歌う歌い手たちを聴いて「自分も歌えるようになりたい」と思った経験を本人は語っています。
小説で培った言葉への興味と、ボカロ・歌い手文化で触れた複雑なメロディ。その二つが、Chevonで谷絹が担う歌詞と旋律の出発点になりました。
Ktjm|兄にもらったギターと「Dani California」
Ktjmがギターを手にしたのは、小学5年生の頃です。
6歳上の兄とテレビのギター特集を見ていたときに「ギターってかっこいい」と口にしたところ、ベースを弾いていた兄からギターを始めるよう勧められました。
数日後には兄のアルバイト代で買ってもらったギターを手にしましたが、最初は思うように上達せず、約3カ月で一度弾かなくなります。
そこから再びギターへ戻るきっかけになったのが、Red Hot Chili Peppersでした。
特に「Dani California」を弾きたいと思い、難しいフレーズを繰り返し練習。好きな曲を自分で演奏できたことで、ギターの面白さを実感したといいます。
高校には軽音楽部がなかったため、学校の外でバンド仲間を探しました。
そこで一緒に演奏することになった同級生の一人が、のちにKALMAのドラマーとなる金田竜也でした。
オオノタツヤ|兄と父に勧められたベース、学園祭で知ったバンドの楽しさ
オオノも、楽器との出会いには家族が関係しています。
兄がギター、父がドラムを演奏していた家庭で育ち、自身もギターやドラムへ興味を持ちました。
ところが兄と父から勧められたのはベースでした。
最初は兄とONE OK ROCK、RADWIMPS、KANA-BOONなどの曲をコピーしたものの、しばらくするとベースをほとんど弾かなくなります。
転機は高校2年生の学園祭でした。
周囲に「ベースを弾ける」と話していたことから出演を頼まれ、引き受けた以上は演奏できるようにならなければならず、そこから猛練習を始めます。
FenderNewsのインタビューでは、このとき課題曲として椎名林檎「丸ノ内サディスティック」を繰り返し練習したことも明かしています。
実際に人前で演奏したことで、それまで家に置かれていたベースが「バンドで演奏するための楽器」に変わりました。
KALMA金田竜也がつないだ縁からChevon結成へ
別々の場所で音楽を続けていた3人が集まるきっかけを作ったのが、KALMAの金田竜也でした。
金田はKtjmと高校時代にバンドを組んだ仲間であり、その後、谷絹が通っていた音楽専門学校でも接点を持っています。
「バンド向きのボーカル」――谷絹とKtjmをつないだ金田竜也
専門学校でレコーディングエンジニアを専攻していた谷絹は、当時ネットへ「歌ってみた」動画を投稿するソロの活動をしていました。
その歌を知っていた金田から、バンド向きのボーカルなのにバンドをやらないのかと声をかけられたことが、バンドへの意識を強める一つのきっかけになります。
そして金田が紹介したのが、高校時代に一緒に演奏していたKtjmでした。
Ktjm自身も大学進学後はバンド活動から距離ができていましたが、金田から教えられて谷絹の「歌ってみた」を聴き、一緒にバンドを組むことへ興味を持ちます。
谷絹とKtjmを結びつけた人物が、高校時代からKtjmを知り、専門学校では谷絹を知っていた金田竜也でした。
Ktjmが大学の軽音サークルからオオノタツヤを誘う
谷絹とKtjmが曲作りを始めると、次に必要になったのがベースとドラムでした。
Ktjmが大学の軽音サークルから声をかけたのが、オオノです。
当初はオオノと、Chevonの活動を手伝っていたドラマーを交えた4人でスタジオへ入っています。
ただし、そのドラマーは正式メンバーにはならず、最終的に谷絹、Ktjm、オオノの3人で活動する形が固まりました。
音楽ナタリーのインタビューで谷絹は、Ktjmとオオノには以前から接点があったものの、自身にとって2人はほぼ初対面だったと振り返っています。
最初から長い友情があった3人ではなく、「バンドをやる」という目的によって初めて集まったメンバーでした。
カバーで3人の相性を確かめ、最初のオリジナル「No.4」が生まれる
メンバーが集まってすぐ、オリジナル曲を作り始めたわけではありません。
最初のスタジオでは、wacci「別の人の彼女になったよ」や、ナナホシ管弦楽団「デリヘル呼んだら君が来た」、カラスヤサボウ「バッド・ダンス・ホール」などをカバーしました。
演奏の相性だけではなく、一緒に活動を続けられそうかを確かめる意味もあり、スタジオだけでなく食事へ行くなどして少しずつ距離を縮めています。
その後、オリジナル曲を作る段階になると、Ktjmがいくつかのコード進行をクラウドへアップロードしました。
谷絹がその中からコード進行を選んでメロディと歌詞を作り、オオノがリズムや構成を整え、最後にスタジオで3人が仕上げます。
最初に完成した曲で選ばれたのが4番目のコード進行だったため、タイトルは「No.4」になりました。
「3人で100パーセントを作るという楽しさがあるんだなと」
出典:Real Sound「Chevon、文学とボカロをルーツに持つ新進気鋭の注目バンド 『音楽は最後の砦』鮮烈な言葉に込められたエゴと願望」
「No.4」は2021年10月10日に作品として発表され、Chevon公式の5周年ヒストリーでも結成後最初期の楽曲として記録されています。
Chevonの最初のオリジナル曲を、公式アーティストチャンネルのLyric Videoでも確認できます。
ライブをしなかった最初の時期、楽曲制作でChevonの土台を作る
2021年6月に結成したChevonですが、その年のうちにライブへ出演することはありませんでした。
演奏が固まっていない状態でステージへ立つより、まずはしっかり練習期間を作ることを選んだからです。
一方で、ライブをしなければバンドを知ってもらう機会も限られます。
そこでChevonは、ライブの代わりに継続して楽曲を届けながら、その裏で演奏の準備を進めました。
2021年はライブより練習を優先、継続的に楽曲を発表
本人たちは結成後の初期活動について、12カ月連続でシングルを配信する企画に取り組んだと振り返っています。
公式ディスコグラフィーでも、2021年10月10日の「No.4」「アオタカゼ」「アイシティ」をはじめ、「ハイカラ」「マイペース」「プノペタリラ」「さいごにしよう」など、結成した年から多くの楽曲を発表した記録が残っています。
谷絹はReal Soundのインタビューで、最初のライブで未完成な演奏を見せたくなかったため、2021年は練習に時間を使っていたと説明しています。
ライブをしない一方で作品を発表し続けるという形で、ステージへ立つ前からChevonの曲を蓄積していきました。
2022年にライブ活動を開始、札幌で初ワンマンへ
Chevonが初めてライブを行ったのは、2022年1月に札幌・PLANTで開いた自主企画「よしなに vol.1」でした。
公式の5周年ヒストリーでも「初ライブ」と明記されており、結成から約7カ月を経てステージでの活動が始まっています。
当時は新型コロナウイルスの影響による制限が残り、観客の声出しがなく、会場の収容人数も制限された状態でした。
その環境からライブ経験を積み、2022年7月27日には札幌・Sound Lab moleで初のワンマンライブを開催しました。
公式5周年ヒストリーには、この公演がキャパシティ200の1stワンマンとして記録されています。
翌2023年6月9日、結成2周年の日には札幌PENNY LANE24で「Banquet」を開催。約500人規模の会場までワンマンの規模を広げました。
札幌から全国へ――1stアルバム、Zeppを経てメジャーデビュー
初ライブから活動を広げたChevonは、北海道の外でもライブを重ねていきます。
2022年12月には渋谷eggmanで東京初ライブを行い、2023年には札幌PENNY LANE24で結成2周年公演を開催。さらに同年末には大阪、東京、札幌を回る「大行侵」ツアーを行いました。
2024年に1stアルバム『Chevon』、初ワンマンツアーへ
2024年2月21日、初のフルアルバム『Chevon』を発売しました。
1曲目には、3人が最初に作った「No.4」を収録。
それまで発表してきた楽曲と新曲をまとめ、結成からの音源を一つのアルバムとして形にした作品です。
同年7月からは、初のワンマンツアー「冥冥」がスタートしました。
当初の公演に追加公演が加わり、札幌、仙台、東京、名古屋、岡山、大阪などを巡り、最終的にはZepp Shinjukuまで会場を広げています。
Zepp全7公演ソールドアウトからメジャーデビュー発表へ
2025年にはZeppワンマンツアー「DUA・RHYTHM」を開催しました。
福岡、札幌、大阪、名古屋、東京を回り、追加公演を含む全7公演がソールドアウトしています。
その秋には、UNISON SQUARE GARDEN、フレデリック、THE ORAL CIGARETTES、須田景凪、indigo la Endを各地のゲストに迎えた「よしなに 〜全国編〜」を開催しました。
ファイナルとなった2025年11月15日のZepp Haneda公演では、2026年春にavexのcutting edgeからメジャーデビューすることが発表されます。
2022年に初ライブを行った「よしなに」という企画名が、3年後には全国を巡るツアーになり、その最終公演で次の段階が告げられました。
2026年4月『三者山羊』でcutting edgeからメジャーデビュー
2026年4月8日、ChevonはMajor 1st Album『三者山羊』をcutting edgeから発売しました。
公式5周年ヒストリーでも、この日が「メジャーデビュー」として記録されています。
2021年6月の結成時点では、谷絹、Ktjm、オオノの3人は長年一緒に活動してきた仲間ではありませんでした。
金田竜也を介して出会い、カバー曲で互いを知り、4番目のコード進行から「No.4」を作り、ライブに出る前に曲と演奏を積み上げていった3人です。
その3人による最初のオリジナル曲から4年半を経た2026年4月8日、『三者山羊』の発売によってChevonはメジャーデビューを迎えました。

