「離婚伝説」という名前を初めて見たとき、メンバーの私生活に由来するのでは、と想像する人もいるかもしれません。ですが、松田歩と別府純が名乗る「離婚伝説」の由来は、マーヴィン・ゲイが1978年に発表したアルバム『Here, My Dear』の邦題です。
公式プロフィールでは、離婚伝説は2022年に松田歩(Vo)と別府純(Gt)の2人で活動を開始したバンドとされています。ただ、2人の音楽は2022年に突然始まったわけではありません。松田にはピアノ、ヒップホップ、歌と作曲へ進んだ時間があり、別府にはレッド・ホット・チリ・ペッパーズやRadioheadを入口にギターへ深くのめり込んだ時間がありました。
そして離婚伝説には、「この日が結成日」と一本の線を引きにくい理由があります。別々に音楽を続けていた2人が東京のバンドカラオケ店で出会い、コロナ禍に友人同士で送り合ったデモが少しずつ積み重なり、やがて2人の活動へ変わっていったからです。ここでは、それぞれの音楽ルーツから出会い、「愛が一層メロウ」、メジャーデビュー、そして日本武道館へ至るまでを時間順にたどります。
| 松田歩 | 別府純 | |
|---|---|---|
| 初期の音楽体験 | 幼少期のピアノ、歌 | 中学生でエレキギター |
| 大きな入口 | 西海岸ヒップホップ | Red Hot Chili Peppers |
| 本人が語る重要な音楽 | Stevie Wonderなど | Radiohead、The Beatlesなど |
| 離婚伝説以前 | ボーカルグループ、バンド、作曲 | 高校時代のバンド、サポートギター |
松田歩と別府純、それぞれの音楽は別々の場所から始まった
離婚伝説の2人は、同じ音楽環境で育ち、学生時代から一緒に演奏していた幼なじみではありません。松田は歌へ、別府はギターへ、それぞれ違う道を通ってきました。
あとに2人が同じバンドでポップミュージックを作ることになりますが、その手前にはかなり異なる音楽の入口があります。この違いを先に知ると、離婚伝説がどう生まれたのかも見えやすくなります。
松田歩|幼少期のピアノからヒップホップ、スティーヴィー・ワンダーへ
鹿児島県出身の松田歩は、幼少期に3年ほどピアノを習っていました。ただ、そのころから音楽家を目指していたわけではありません。音楽への入り込み方が大きく変わったのは中学生のころです。
ヒップホップ好きのいとこから教わり、Snoop Doggや2Pacなど西海岸のヒップホップを聴くようになりました。自分でもDJを始め、そこから洋楽を掘るようになり、R&Bやソウルなどブラックミュージックへ聴く範囲が広がっていきます。
高校時代にはStevie Wonderに衝撃を受け、シンガーソングライターへの憧れを抱くようになりました。18歳で鹿児島から上京し、19歳ごろにボーカルグループへ誘われたことをきっかけに歌う活動へ踏み出し、作曲にも深く向き合うようになります。
ギターとの関係も一直線ではありません。高校時代に母親のギターを触ったものの、指が痛くなって一度断念。改めて始めたのは22歳ごろで、目的はギタリストになることよりも自分で曲を作るためでした。ピアノ、ヒップホップ、DJ、歌、作曲、ギターと、松田の音楽は一つのジャンルや楽器に固定されず広がっていきました。
別府純|レッチリとの出会いからギター、ビートルズやソウルへ
埼玉県出身の別府純にとって、楽器を始める大きな入口になったのは、中学生のころに出会ったRed Hot Chili Peppersでした。エレキギターを手にし、周囲に楽器を教えてくれる人がほとんどいない中、コードやタブ譜を自分で覚えていきます。
同じころからRadioheadにも強く惹かれました。Radioheadからエレクトロニックな音楽へ、Red Hot Chili Peppersからロックの歴史を遡ってThe Beatlesへ、さらにソウル、ブルース、ジャズへ。別府自身はルーツを簡潔に挙げるならThe Beatlesとしつつ、RHCPとRadioheadも大きな転機だったと振り返っています。
高校時代にはバンド活動を経験し、大学卒業後はサポートギタリストとして音楽を続けました。就職活動をしていた時期には、バンド「どついたるねん」のライブを観たことが一つの転機になり、就職よりも音楽を続ける方向へ進んだと語っています。
松田が歌と作曲へ進み、別府がギターを軸に演奏の現場へ進む。別々に積み重ねられていた2人の音楽は、やがて東京の同じ職場で交差します。
バンドカラオケ店で出会い、デモ交換から離婚伝説が生まれた
松田と別府が知り合ったのは、演奏スタッフがお客の歌に合わせて伴奏する「バンドカラオケ」の店でした。後年のインタビューでは2018年ごろの出会いとして振り返られています。
最初からバンドメンバーを探していたわけではなく、同じ職場で働く友人として関係が始まりました。そこから数年をかけて、仕事仲間、音楽を話せる友人、そして一緒に曲を作る相手へと関係が変わっていきます。
職場では松田歩がホール、別府純がギターを担当
バンドカラオケ店では、松田がホール側、別府がギター演奏側を担当していました。松田はホールから別府が演奏する姿を見ており、別府も松田について、音楽性より先に人として信頼できる相手だったと振り返っています。
当時の2人は、それぞれ別の音楽活動を続けていました。松田はのちに、それ以前に組んでいたバンドが終わり、一人で活動することも考えていた時期があったと話しています。別府はサポートギターを続けながら、もしバンドを組むなら「一緒にやっていけそう」と思える相手とやりたいと考えていました。
つまり、職場で出会った瞬間に離婚伝説が始まったのではありません。友人として音楽の話を重ね、互いの人柄を知っていた時間が、その後の共同制作を支える土台になりました。
コロナ禍にデモを送り合い「2人ならやれる」と思った
2人の関係が音楽制作へ動いたのは2020年ごろのコロナ禍です。仕事やそれまでの音楽活動の動き方が変わり、時間ができた時期に、軽い弾き語りのようなオリジナル曲を送り合うようになりました。
最初から「バンドを結成しよう」と会議を開いたわけではありません。曲を送り、返し、また作る。そのやりとりから曲が溜まり、松田には「別府とならいい音楽ができそう」という感覚が生まれ、別府にも同じ方向を向ける相手だという意識がありました。
離婚伝説の結成の核心は、宣言やオーディションではなく、友人同士のデモ交換が自然に2人の活動へ変わったことにあります。
正確な結成時期が自分たちでもわからないんです。
出典:Spincoaster「彗星のように現れた離婚伝説、非凡なポップ・センスで注目集める2人の素顔に迫る」
公式プロフィールは2022年を活動開始年としています。一方、曲を送り合う制作の芽はそれ以前からあり、2021年ごろには2人の活動が形になり、2022年1月にはSNSアカウントを開設しました。離婚伝説では、「デモを作り始めた時期」と「公式に活動を始めた年」を分けて捉えるほうが実態に近いでしょう。
バンド名はマーヴィン・ゲイ『Here, My Dear』の邦題から
検索されることの多い「離婚伝説」という名前について、本人たちが明らかにしている由来は明確です。メンバー自身の離婚歴から付いた名前ではなく、Marvin Gayeが1978年に発表したアルバム『Here, My Dear』の邦題『離婚伝説』から取られています。
別府はこの名前を以前からバンド名の候補として温めていたといい、2人はカフェで話し合って決めました。単に奇抜な言葉を選ぶのではなく、自分たちが好きな音楽へのリスペクトを示せて、なおかつ一度聞けば残る名前にしたかったという考えがありました。
原題の「Here, My Dear」も候補に挙がったものの、日本語の「離婚伝説」が持つフックの強さを選択。名前のインパクトは大きいですが、その奥には2人が聴いてきたソウルミュージックの文脈が置かれています。
ライブより先に「愛が一層メロウ」を公開|口コミで広がった最初の転機
離婚伝説の活動初期には、「ライブで名前を広めてから音源を出す」という順番が当てはまりません。2人が先に世へ出した重要な作品が「愛が一層メロウ」でした。
この曲は、のちに離婚伝説を代表する一曲となりますが、最初から大きなヒットを狙った企画として作られたわけではありません。曲作りも公開方法も、2人が手探りで活動を形にしていた時期の空気を残しています。
2022年6月、ライブ活動より先にMVを公開
2022年6月5日、離婚伝説は公式YouTubeで「愛が一層メロウ」のミュージックビデオを公開しました。2人がライブステージへ本格的に立つよりも前のことです。
曲は、別府が持ってきたギターのリフを起点に、松田がメロディを作り、2人で手を加えながら形になりました。本人たちは、誰にでも届くような分かりやすいヒット曲を狙ったというより、自分たちが面白いと思える音を突き詰めていたと振り返っています。
そして公開方法にも初期らしさがありました。デジタル配信の手順を十分に把握していなかったため、まずMVをYouTubeへ公開。その後、視聴者から配信を望む反応が届き、およそ2か月後に配信へ進みます。「まずMVを出し、聴きたいという反応を受けて配信する」という順番が、離婚伝説の最初の重要曲を世に出した形でした。
配信を望む声からリリースへ|一度のバズではなく徐々に広がった
2022年夏にはライブ活動も始まり、2023年1月にはEP『愛が一層メロウ』を発表。初回分が完売して再プレスされるなど、少しずつ反応が大きくなっていきました。
その広がり方も離婚伝説の重要なポイントです。SNS上の一度の大きなバズだけで状況が一変したのではなく、曲を聴いた人の口コミ、ラジオでのオンエア、ライブなど複数の入口から知る人が増えていきました。
何かがバズったということはまだ一度もないんですよ。
出典:Cocotame「離婚伝説はどこから来たのか? ぬるっと始まったふたりの音楽づくり」
大きな会場や受賞歴だけを後から並べると、突然人気が跳ねたようにも見えます。しかし本人の実感は、曲が少しずつ人に届き、それが次のライブや作品へつながっていくというもの。離婚伝説のブレイクは一つの出来事ではなく、いくつもの小さな転機が重なった過程として見るほうが自然です。
音楽も映像も自分たちで作るセルフプロデュースが形になる
公式プロフィールでは、離婚伝説は音源と映像を含むクリエイティブに関する部分をセルフプロデュースで制作すると説明されています。ただし、これはすべての作業を松田と別府の2人だけで完結させるという意味ではありません。
「愛が一層メロウ」のMVでも、映像制作では友人のクリエイターたちと組み、ライブではサポートミュージシャンと演奏しています。中心にあるのは、音だけでなく映像や見せ方まで、2人が主体になって方向を決めることです。
ライブより先にMVを公開した最初期の動きも、その姿勢とつながっています。曲、映像、アートワーク、ライブをばらばらの宣伝材料としてではなく、離婚伝説という一つの表現として組み立てる。この制作姿勢は、活動規模が大きくなってからもバンドの軸として残っていきます。
1stアルバムと初ワンマンを経てメジャーデビューへ
「愛が一層メロウ」から始まった活動は、数曲を発表して終わるプロジェクトではありませんでした。2024年春、離婚伝説は初のフルアルバムと初ワンマンという二つの節目を続けて迎えます。
職場で知り合った2人が、友人同士のデモ交換から始めた制作。その積み重ねが、作品としてもライブとしても一つの形になった時期です。
2024年3月、1stアルバム『離婚伝説』を発表
2024年3月20日、1stアルバム『離婚伝説』をリリースしました。「愛が一層メロウ」から積み重ねてきた離婚伝説の初期を、アルバムという形でまとめた最初のフル作品です。
この作品は翌2025年、第17回CDショップ大賞2025の<青>大賞を受賞します。メジャーデビュー発表より前に作り上げた1stアルバムが、翌年に全国のCDショップ店員による投票で評価されたことになります。
Zepp Shinjukuの初ワンマンでメジャーデビューを発表
アルバム発売から3日後の2024年3月23日、Zepp Shinjukuで初ワンマンライブ「愛が一層メロウ -Love is more Mellow-」を開催しました。新宿は、松田と別府が出会った場所でもあります。
松田はこの日のステージで、新宿を2人のスタート地点とも言える場所として語りました。そしてアンコールで発表されたのがメジャーデビューです。所属先はソニー・ミュージックレーベルズのAriola Japanと発表されました。
初ワンマンでは「愛が一層メロウ」を客席が合唱する光景も生まれました。ライブより先にYouTubeへ出した一曲が約2年後には大勢で歌われ、その会場で次の段階への移行が告げられたことになります。初ワンマンとメジャーデビュー発表が、離婚伝説の活動初期と次の段階をつなぐ大きな節目になりました。
CDショップ大賞<青>から日本武道館2DAYSへ
2025年3月、1stアルバム『離婚伝説』が第17回CDショップ大賞2025<青>大賞を受賞。さらに同年5月には、「愛が一層メロウ」がMUSIC AWARDS JAPANの「ラジオ特別賞」を受賞しました。全国のラジオ関係者1,000人による投票で選ばれた賞です。
これは、活動初期からラジオや口コミを通じて少しずつ広がってきた「愛が一層メロウ」が、数年後にラジオの側から評価された出来事でもあります。最初の一曲が、メジャーデビュー後も離婚伝説の音楽史をつなぐ軸として残りました。
そして2026年9月10日・11日、離婚伝説は日本武道館で2日間のワンマンライブ「愛が一層メロウ」を開催。両日ともチケットは完売し、2日間の公演を終えました。
離婚伝説の歩みを振り返ると、一つの強烈なバズやオーディションが起点にあったわけではありません。松田と別府はそれぞれ違う音楽を聴き、別の活動をし、たまたま同じ職場で出会いました。友人として過ごす中でコロナ禍にデモを送り合い、明確な結成日さえ決めないまま、曲作りが2人のバンドへ変わっていきます。
名前はマーヴィン・ゲイの名盤から借り、「愛が一層メロウ」はライブより先に映像で世へ出ました。その曲は口コミやラジオを通じて少しずつ広がり、初ワンマン、メジャーデビュー、受賞、日本武道館へとつながっています。
「離婚伝説はどうやって始まったのか」という問いへの答えは、特定の一日よりも、2人が音楽と信頼関係を重ねながら自然に同じ方向へ進んだ、その時間そのものにあります。

