cinema staffの結成史|高校の同級生3人から久野加入、「great escape」まで

cinema staffの結成史をテーマに、4人の人物イラストと2003年から2013年の年表、「great escape」までを配したビジュアル バンド

TVアニメ『進撃の巨人』の後期エンディングテーマ「great escape」でcinema staffを知った人も多いかもしれません。

飯田瑞規、辻友貴、三島想平、久野洋平の4人によるこのバンドは、最初から4人で始まったわけではなく、出発点は2003年、岐阜の高校に通っていた3人の出会いにありました。

しかも飯田と辻が音楽仲間になった場所は教室ではなく、高校近くのライブハウスで、そこへ路上で弾き語りをしていた三島が加わり、前身バンドREALが動き始めます。

その後、大学で久野と出会って4人体制となり、岐阜・名古屋のライブハウスから残響record、メジャーデビューへ進み、2013年には「great escape」が大きな認知のきっかけになりました。

今回は、そんなcinema staffがどのように生まれ、4人がどう集まり、インディーズとメジャーを経て「great escape」までたどり着いたのかを、本人たちが残してきた言葉と出来事からたどります。

時期cinema staffにつながる出来事
2003年飯田瑞規・辻友貴・三島想平が前身バンドREALを結成
大学進学期バンド名をcinema staffへ改名
2006年7月久野洋平が加入し、4人体制になる
2008年11月『document』で残響recordからインディーズデビュー
2012年6月『into the green』でメジャーデビュー
2013年8月『進撃の巨人』後期ED「great escape」をリリース

高校時代、飯田・辻・三島が前身バンドREALを結成

cinema staffの始まりをたどると、まず見えてくるのは、岐阜で高校生活を送っていた飯田瑞規、辻友貴、三島想平の3人です。

後年のインタビューでは、3人はもともと同じ音楽を聴いていたわけではなく、それぞれ別の入口からギターやロックへ近づいていたことも語られています。

飯田と辻は高校近くのライブハウスで意気投合

飯田は小学6年生ごろからギターを弾き始め、高校生になったらバンドを組みたいと考えていました。

同じ高校にいた辻とは顔見知り程度で、学校では音楽の話をほとんどしていなかったものの、高校近くのライブハウスで偶然会ったことで、お互いに音楽へ興味があると分かります。

「じゃあ、一緒にバンドやろうか」

出典:CINRA「大いなる期待を背負ったバンド『cinema staff』」

cinema staffの母体は、教室ではなくライブハウスで起きた飯田と辻の偶然の再会から始まりました。

辻自身は小中学生のころGLAYなどを聴き、中学生ごろにギターを始めたと振り返っており、高校で飯田や三島とCDを貸し借りするようになってからオルタナティヴロックへ深く入っていきます。

路上で弾き語っていた三島を誘い、REALが始まる

もう1人の三島は、飯田が短期間所属していたサッカー部で知り合った友人でした。

三島の家には父親のギターがあり、小学生のころには荒井由実「ルージュの伝言」を簡単なアレンジで弾いていたと本人が明かしています。

高校時代には路上でゆずなどを弾き語っており、飯田に誘われてバンドへ参加すると、3人を中心に前身バンドREALが始まりました。

3人の違う音楽背景が、初期のcinema staffへ持ち込まれた

飯田は中学生のころTHE YELLOW MONKEYを好み、高校ではASIAN KUNG-FU GENERATIONやACIDMANを聴き、その後SONIC YOUTHなどのオルタナティヴロックへ興味を広げていきました。

三島は高校2年生ごろにNUMBER GIRLと出会い、『シブヤROCK TRANSFORMED状態』を「人生で一番聴いたCD」と語るほど聴き込み、バンドの楽器選びにも影響が出るほど強く傾倒しています。

一方の辻はJ-POPからギターへ入り、大学時代には名古屋のレコード店stiff slackへ通いながらエモやポストハードコアを掘り下げていき、3人の耳は高校から大学にかけて大きく広がっていきました。

2015年の『WAYPOINT E.P.』には、久野加入前の自主音源に入っていた高校時代の楽曲「AIMAI VISION」と「RIDICULOUS HONOR」も再録されており、3人時代の曲が後年まで残されています。

大学進学でcinema staffへ改名、久野加入で4人体制に

高校時代にREALとして動き始めた3人は、大学進学を機にバンド名をcinema staffへ変更します。

ただし、この時点でも後に知られる4人はまだそろっておらず、ドラムの久野洋平との出会いは大学で訪れました。

大学の音楽サークルで三島と久野が出会う

三島と久野は、大学の音楽サークル「アメリカ民謡研究会」で別のバンドを一緒に組んでいました。

久野は3人とは違う高校出身で、cinema staff加入前はメロコアやパンクを好み、ドラマーとして速く叩くことにも魅力を感じていたと語っています。

三島から「昔からやっている別のバンドでも叩いてほしい」と誘われ、スタジオへ行った久野は、そこで飯田と辻に初めて会い、曲を合わせました。

2006年7月、久野が加入して4人がそろう

2006年7月に久野が加入し、飯田、辻、三島、久野の4人体制が成立すると、cinema staffは愛知・岐阜のライブハウスを中心に活動を進めていきます。

公式が2026年の解散発表で「2006年の結成から20年」と記しているのは、この4人体制が始まった2006年をcinema staffの結成年としているためです。

つまり、2003年は前身バンドREALの始まり、2006年は4人のcinema staffが成立した年と分けて見ると、資料による「結成年」の違いも整理しやすくなります。

高校の同級生3人で生まれた前身バンドに、大学で出会った久野が加わったことで、cinema staffの4人がそろいました。

「cinema staff」という名前は言葉の響きから決まった

バンド名には映画関係の仕事など特別な由来がありそうに見えますが、三島はJ-WAVE出演時にそのイメージを否定しています。

「特に理由はなくて言葉の響きだけで決めたんですけど」

出典:J-WAVE「TOKIO HOT100」2014年4月13日放送

「映画館で働いていた」という由来は、CDを出した後に名前の由来を聞かれることが増えたため冗談で使っていた話で、実際には語感から選んだ名前でした。

岐阜・名古屋のライブハウスから残響recordへ

4人体制になったcinema staffは、岐阜と愛知のライブハウスを拠点に演奏を重ねながら、全国流通作品を出す前の時期を過ごします。

2009年のOTOTOYインタビューでは、メンバーは現役大学生として紹介されており、まだ学生生活とバンド活動が重なっていた時期の空気も残っています。

高校時代の曲を抱えたまま、4人でライブ活動を続ける

初期には自主音源も制作しており、後年再録された高校時代の楽曲があったことからも、4人体制になった時点ですでにREAL時代から続くレパートリーが存在していました。

一方で、久野が加わってからオルタナティヴロックを共有するようになったという本人談もあり、同じ曲を引き継ぐだけではなく、4人で音楽の共通言語を作っていった時期でもありました。

辻の9mm Tシャツが残響recordとの縁を生む

大きな転機が訪れたのは2007年8月、東京でライブを行った日でした。

残響recordのスタッフはcinema staffではなく1つ前の出演バンドを見るため会場に来ており、そのバンドが終われば帰る予定だったといいます。

ところが、セッティングへ出てきた辻が9mm Parabellum BulletのTシャツを着ているのをスタッフが見つけたことで、cinema staffのステージも見ることになりました。

前身バンドの結成に続き、レーベルとの出会いもまた、ライブハウスで生まれた偶然が入口でした。

同じ岐阜のmudy on the 昨晩にも残響recordから話が来ていたため、メンバーは最初こそ半信半疑だったものの、レーベル代表の河野章宏らが岐阜を訪れてプリプロを行い、作品制作へ進んでいきます。

2008年『document』でインディーズデビュー

2008年11月19日、1stミニアルバム『document』を残響recordから発売し、cinema staffは全国流通作品でインディーズデビューしました。

初めての本格的なレコーディングでは試行錯誤も多く、飯田はボーカル録音を何度も重ね、休憩中にブースで眠ってしまったことまであったと2012年のCINRAで振り返っています。

2009年には2ndミニアルバム『Symmetoronica』、2010年には『Blue,under the imagination』へ進み、作品ごとに4人での音作りを深めていきました。

上京とインディーズ期を経てメジャーデビューへ

残響recordから作品を重ねる中で、ライブの規模も少しずつ広がっていきます。

2010年3月には渋谷O-nestと名古屋ROCK’N’ROLLで初のワンマンライブを行い、両公演ともソールドアウトを記録しました。

2010年末、4人で東京へ移り共同生活を始める

地元を拠点に活動してきた4人は、2010年末に上京し、共同生活を始めます。

翌2011年1月にシングル『水平線は夜動く』、6月には初のフルアルバム『cinema staff』を発表し、インディーズ期に積み重ねてきた音をセルフタイトル作品へまとめました。

三島が強く影響を受けたNUMBER GIRLのライブ盤と同じ渋谷CLUB QUATTROに立った際には、その舞台に立てた喜びをMCで口にしたことも記録されています。

2012年『into the green』でメジャーデビュー

2012年4月14日、渋谷CLUB QUATTROで行われたツアーファイナルで、cinema staffはメジャーへ移籍することを発表しました。

その約2か月後の2012年6月20日、1st E.P.『into the green』でメジャーデビューします。

インディーズデビューは2008年の『document』、メジャーデビューは2012年の『into the green』であり、cinema staffの「デビュー」をたどるときは、この2段階を分けて考える必要があります。

メジャーへ移っても、4人の出発点は岐阜に残った

上京後も地元との関係は切れず、2013年には岐阜で自主企画OOPARTSをスタートさせました。

三島は当時、好きなバンドを呼びながら地元のバンドも紹介し、岐阜の音楽シーンを活性化させたいという考えを語っており、OOPARTSは単なる凱旋ライブではなく、地元へ音楽の場を作る企画として始まっています。

「great escape」が広げたcinema staffの名前

メジャーデビュー翌年の2013年、cinema staffに大きな認知の広がりをもたらした楽曲が「great escape」でした。

TVアニメ『進撃の巨人』の後期エンディングテーマとして制作され、2013年8月21日にシングルとして発売されています。

『進撃の巨人』のために書き下ろし、亀田誠治と初タッグ

「great escape」は、cinema staffにとって初の書き下ろしタイアップ曲であり、プロデューサーを迎えて制作した初の楽曲でもありました。

メンバーは原作コミックを読み込みながら曲を作り、プロデュースには亀田誠治が参加しています。

音楽ナタリーは当時「great escape」をスマッシュヒットと紹介しており、『進撃の巨人』とcinema staffを結ぶ代表曲の一つになりました。

公式アーティストチャンネルには「great escape」のMVが公開されており、4人の演奏と楽曲そのものを映像で確認できます。

「great escape」の年に、岐阜でOOPARTSも始まった

2013年は「great escape」のリリースだけでなく、cinema staffが地元・岐阜でOOPARTSを始めた年でもあります。

バンドが全国へ名前を広げていく時期に、同時に岐阜へ人やバンドを呼ぶ自主企画を始めたことは、cinema staffの歩みを理解するうえで外せない出来事です。

外へ広がるきっかけになった「great escape」と、地元へ音楽を呼び込むOOPARTSが同じ2013年に生まれました。

結成20年を経て、2026年に解散を発表

cinema staffは2026年9月23日、バンドとしての活動を終了し、解散することを公式サイトで発表しました。

公式は同日、2006年の結成から20年という節目を明記し、2026年12月17日のLIQUIDROOMでのイベント出演を最後に活動を一旦終了し、2027年9月12日の豊洲PIT公演をもって正式解散すると告知しました。

また、2013年から岐阜で続けてきたOOPARTSについても、2026年の開催をもって終了すると発表されました。

4人が最後に振り返った「偶然の出会い」

解散発表に寄せたコメントで、飯田は高校の同級生だった辻と三島に出会い、大学から久野が加わった始まりを改めて振り返っています。

「偶然出会って、一緒に音楽を始めた4人でした」

出典:cinema staff Official Web Site「cinema staffより皆さまへ大切なお知らせ」

三島も同じ発表の中で、辻と飯田には15歳、久野には18歳で出会ったと記し、人生で初めて組んだバンドから150曲を超える楽曲を生み出したと振り返りました。

高校近くのライブハウスで飯田と辻が出会い、三島を誘い、大学で久野と出会ったところから始まったcinema staffは、残響recordとの縁、上京、メジャーデビュー、「great escape」、そして岐阜のOOPARTSへと歩みを重ねました。

20年後の解散発表でも4人が最初に語ったのは、その長い作品一覧ではなく、10代のころに起きたメンバー同士の出会いでした。

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