アンと私の結成史|二口の音楽の原点からメジャーデビューまで

アンと私の結成史と二口の音楽の原点からメジャーデビューまでの歩みを、3人の人物イラストとレコードで表したビジュアル バンド

アンと私のメンバー(2026年11月時点)

メンバー担当
二口(ふたぐち)ボーカル・ギター
ヤマモトマキベース
れんじゅまんドラム

アンと私は、ボーカル・ギターの二口(ふたぐち)のソロプロジェクトとして始まったロックバンドです。2021年に結成され、サポートメンバーの正式加入や編成の変化を経て、2026年11月4日にビクターエンタテインメントからメジャーデビューしました。

その始まりは、二口が以前からバンド活動を目指して準備していたことではありません。2020年、アルバイト先のコールセンターで出会ったバンドマンに勧められたことが、アンと私の原点でした。

二口は、それまでバンドを組んだ経験も、曲を作った経験もなかったと語っています。それでも初めてのレコーディングに挑み、自分の言葉とメロディーを形にしていきました。

やがて「Tinder」が広まり、メンバーそれぞれが制作に関わるバンドへと発展。メジャーデビュー作『ANN』では、恋愛だけでなく、家族や自分自身の経験も歌うようになりました。

アンと私がどのように生まれ、音楽を変えながら歩んできたのか。その始まりを、二口自身が音楽に出会った頃からたどります。

音楽史の段階|アンと私の歩み

音楽史の段階アンと私の歩み
音楽の原点二口が家族の聴く音楽に親しみ、小学生の頃にRADWIMPSをきっかけにロックへ関心を持つ
結成のきっかけ2020年、コールセンターで出会ったバンドマンに音楽活動を勧められる
活動開始2021年、ソロプロジェクトとして始動し、初期EP『SWEET LILY / SAD FOREVER』を配信
バンドの形成サポートメンバーが正式加入し、ライブ活動と共同での楽曲制作が広がる
認知拡大2023年、「Tinder」がTikTokをきっかけに広まり、Spotify国内バイラルチャート8位を記録
メジャーデビュー編成の変化を経て、2026年11月4日にメジャー1stアルバム『ANN』を発売

二口の音楽ルーツ|RADWIMPSからヒップホップまで

アンと私の音楽には、ギターロックだけでなく、J-POPやヒップホップから得た発想も取り入れられています。その背景には、二口がバンドを始める前に親しんできたさまざまな音楽がありました。

家族の音楽とRADWIMPS「狭心症」の衝撃

二口が幼い頃から音楽に親しんでいたのは、両親が車の中などで曲を流していたからでした。

母親は嵐のファンで、二口もライブに連れて行ってもらった経験があります。父親はエレファントカシマシやTHE YELLOW MONKEYなどを聴いており、家庭の中には自然とさまざまな日本の音楽が流れていました。

そこからロックバンドという存在を強く意識するようになったのが、小学校6年生頃に出会ったRADWIMPSです。

特に印象に残っているのは「狭心症」のミュージックビデオでした。

二口は2024年のUSEN encoreのインタビューで、その映像が怖く、一人で見るのが不安になってリビングへ移動し、母親と一緒に見たことを振り返っています。母親からは、そんな映像を見るなと怒られたそうです。

当時の二口にとって、それまで親しんできたポップスとは違う刺激を持つ音楽でした。続いてRADWIMPSの「マニフェスト」にも惹かれ、やがて毛皮のマリーズを聴くようになります。

毛皮のマリーズを好きになった入口は、音だけではなく、その姿や雰囲気にもありました。当時、北海道の釧路市に住んでいた二口にとって、身近にはいない大人たちの姿が強く印象に残ったといいます。

その後、毛皮のマリーズの「ジャーニー」などに触れ、歌詞にも惹かれていきました。二口がロックに求めていたのは、整った音楽だけでは得られない刺激や、普段は表に出しにくい言葉に触れる面白さでもあったのです。

中学生で手にした初めてのギター

自分で楽器を触るようになったのは、中学生の頃でした。

父親に、リサイクルショップで売られていた5,000円ほどのアコースティックギターを買ってもらったのです。

ただし、ギターを手に入れたことが、すぐに本格的な演奏活動につながったわけではありません。

二口は、当時の演奏について、ゆずの曲を1曲どうにか弾けるかという程度だったと振り返っています。バンドを組んでいたわけでもなく、自分で作詞・作曲をしていたわけでもありませんでした。

この時期のギターは、将来のバンド活動を具体的に計画して手にしたものというより、好きな音楽に触れるための道具でした。

それでも、後に突然曲を作ることになった際、ギターを触った経験があったことは大きな違いになります。作曲経験こそありませんでしたが、好きな曲のコード進行を手がかりに、最初の楽曲制作へ踏み出すことができたからです。

札幌で広がったヒップホップへの関心

二口の音楽遍歴は、ロック一筋だったわけではありません。

18歳から20歳頃まで札幌で生活していた時期には、クラブに通うようになり、ロックから少し距離を置いていました。

クラブで流れている曲が気になると、音楽認識アプリのShazamを使って曲名を調べていたそうです。そこでSALUやKOHHなど、日本のヒップホップをよく聴くようになりました。

AwichやBAD HOPのライブにも足を運んでおり、当時はロックバンドとは違う音楽の楽しみ方に親しんでいました。

この経験は、後にアンと私の制作方法を理解するうえでも重要です。

二口は2024年のインタビューで、楽曲のメロディーや歌詞の乗せ方を考える際、ヒップホップやK-POPなど、ロックとは別のジャンルから発想を得ることがあると語っています。

さらに2026年のReal Soundのインタビューでは、れんじゅまんが、二口から教わったTyler, The Creatorなどの音楽に触れ、それをバンドのサウンドへ取り入れることを考えていると話していました。

ロックに惹かれた少年時代と、札幌でヒップホップを聴き込んだ経験。その両方が、後にアンと私で音楽を作る際の引き出しになっていきました。

アンと私の結成|コールセンターでの出会いが始まりだった

二口が音楽を聴くことから、自分でバンドを始めることへ進んだのは、2020年の出会いがきっかけでした。

アンと私の公式プロフィールでは2021年結成とされています。一方、本人が振り返る活動の発端は、その前年にさかのぼります。

2020年、ライブハウス関係者と偶然出会う

2020年、新型コロナウイルスの感染拡大によって、多くのライブハウスが営業を制限されていました。

当時、二口がアルバイトをしていたコールセンターに、新宿のライブハウス「red cloth」で普段働いているバンドマンが、一時的に働きに来ることになります。

二口はその人物と知り合い、以前から好きだった毛皮のマリーズの話を聞くようになりました。

相手はライブハウスの現場を知る人物でした。二口にとっては、自分が音楽を聴いてきた側から、実際に演奏する人々の世界へ近づく出会いでもありました。

やがて二人は仕事以外でも頻繁に遊ぶようになり、カラオケにも出かけます。そこで二口の歌を聴いた相手が、バンドをやってみることを勧めました。

その頃の二口には、バンドを組もうという具体的な考えはなかったといいます。

2024年のTHE MAGAZINEのインタビューでは、なぜロックバンドという表現を選んだのかを聞かれ、次のように答えています。

たまたま目の前に転がってきたチャンスがバンドだったので。

二口/THE MAGAZINE「アンと私 インタビュー」(2024年1月12日)

アンと私の結成は、長年温めていた計画が実現したものではなく、人との偶然の出会いから始まったものでした。

初めての曲作りとレコーディング

バンドを勧めた人物は、言葉をかけただけではありませんでした。

二口がバンドを始めることになると、レコーディングの場所を手配し、演奏に参加する人たちも集めてくれたのです。

当時の二口は、曲を作ったことがありませんでした。まずは録音する機会が用意され、それに向けて曲を書き始めるという順序だったのです。

作曲の最初の手がかりは、それまで聴いてきた好きな楽曲でした。

2024年のUSEN encoreのインタビューによると、二口は好きな曲のコード進行を少し変えるところから、最初の楽曲を作っていたといいます。

最初から自分だけの作曲方法を確立していたわけではなく、耳に残っていた音楽を実際にギターで試しながら、曲として成立する形を探っていました。

歌詞についても、初めから大きなテーマを掲げていたわけではありません。

初期には、以前好きだったものの、振られてしまった相手のことを考えて曲を書いていたと語っています。身近な恋愛の感情は、自分が歌詞にできる最もわかりやすい題材だったのでしょう。

ただし、アンと私の恋愛曲をすべて二口の実体験として受け取るのは正確ではありません。本人は、楽曲の多くには想像した物語が含まれ、女性目線で書く場合には、かえって自分の気持ちを隠して表現することもあると説明しています。

つまり、初期のアンと私は、実際の感情と想像上の物語を重ねながら、歌にできる言葉を探すところから始まったのです。

ソロプロジェクトとして始動し初期EPを制作

二口は2020年の出会いを機に制作を始め、2021年にはアンと私として音楽活動を本格化させました。

最初から固定メンバーによるバンドとして始まったのではなく、二口のソロプロジェクトを起点に、演奏を支える人たちが加わっていく活動形態でした。

2021年3月20日には、初期EP『SWEET LILY / SAD FOREVER』を配信リリースしています。

収録されたのは「クソダサいパーティーを抜け出して君に会いたい」「クリトリスとバター」「シザーハンズ」「Virgin」の4曲。まだ大きな活動実績を持つ前の、アンと私の最初期の音楽が形になった作品です。

また、活動初期から「どうせ裏アカでしか呟かれないバンド」という言葉を掲げていました。

二口はこの言葉について、周囲に知られていない状態から人の目に留まる方法を考えて生まれたものだと振り返っています。単なる音楽ジャンルの説明ではなく、まだ知られていないバンドが自分たちの存在を示すための表現でもありました。

音楽を始めるきっかけをくれた人物は、二口をライブハウスへも連れて行きました。レコーディングを経験し、音源を配信し、人前で演奏する機会を得る。その一つひとつを重ねながら、アンと私は実際に活動するバンドへと進んでいきました。

サポートメンバーの加入からバンドとしての活動へ

二口個人の音楽制作から始まったアンと私は、ライブ活動を重ねる中で、サポートメンバーが正式なメンバーとして加わるバンドへ変わっていきました。

その過程では編成が何度か変わっています。初期のメンバーと2026年のメンバーは同じではありませんが、楽曲を人前で演奏し、複数人で作り上げるという経験が、アンと私の音楽を広げていきました。

初期メンバーが集まりライブ活動を開始

活動開始当初は二口のソロプロジェクトでしたが、やがてライブで演奏を支えていたメンバーが正式加入するようになります。

2022年11月の資料では、二口(ボーカル・ギター)、キイリョウタ(ギター)、ヤマモトマキ(ベース)、岩本充生(ドラム)の4人によるバンドとして紹介されています。

この時点では、後に加入するれんじゅまんは正式メンバーではありませんでした。アンと私の編成を理解するには、活動時期を分けて見る必要があります。

初期のライブ活動を伝える映像も残されています。

アンと私の公式YouTubeチャンネルでは、2021年5月9日に新宿red clothで演奏された「せめて音楽だけはやめないようにね」のライブ映像が、同年5月19日に公開されています。

red clothは、二口がバンドを始めるきっかけとなった人物の勤務先でもありました。そこで演奏した記録が、活動初期の映像として残っているのです。

初期のアンと私が、音源を作るだけでなく、ライブハウスで演奏する活動へ進んでいたことがわかります。

2022年のワンマンライブと初期作品

2022年4月には、東京・下北沢LIVE HAUSでワンマンライブ「春の一切」を開催しました。

公演はソールドアウト。さらに同年11月には、楽曲「一生忘れられない恋をした」を配信リリースしています。

この曲では、挫・人間の元メンバーである夏目創太が、プロデューサー兼エンジニアとして制作に参加しました。

初期の自分たちだけで試行錯誤していた制作から、外部の制作者とも協力して音源を仕上げる段階へ進んでいたことがわかります。

同年12月には下北沢Daisy Barでもワンマンライブを開催しました。楽曲の配信と並行して、ライブを通じてリスナーと接する機会が増えていきます。

ただ、後に二口が振り返ったところによると、手応えを感じて制作した曲が、必ずしも期待した反響につながったわけではありませんでした。

「一生忘れられない恋をした」や、翌2023年の「二番目」には自信があったものの、思っていたほどの結果にはならなかったといいます。

楽曲を作り、発表し、ライブを重ねる日々が続く中で、アンと私の認知を大きく広げる曲は、本人が特に自信を持って送り出した作品とは別のところから現れることになります。

メンバーが担うアレンジと制作方法の変化

アンと私の曲作りは、二口がすべての楽器を細かく決めて完成させる方法ではありませんでした。

2024年のインタビューで二口が説明した当時の基本的な流れは、まず自分が弾き語りで作ったものを持っていき、曲の方向性や重要な部分を伝え、その後のアレンジをメンバーに任せるというものでした。

例えば、どのようなコードやビートで作りたいのかを伝え、スタジオで演奏を重ねながら形にしていきます。

最初に二口が持ってきた曲の骨格と、メンバーが実際に演奏することで生まれるサウンドには違いがありました。

二口は、メンバーに曲を聴かせたときの反応を見て、手直しすることもあったと語っています。自分の頭の中だけで完成させるのではなく、ほかの演奏者とのやり取りが制作に入り込むようになっていたのです。

また、楽曲ごとに制作方法が異なるのもアンと私の特徴です。

ある曲では二口の弾き語りが出発点になり、別の曲では特定のジャンルやアーティストのサウンドをイメージとして伝えることもありました。

二口が曲の入口を作り、メンバーがそれを演奏できる音楽へ発展させる。この関係が、ソロプロジェクトからバンドへ移り変わっていく大切な部分でした。

「Tinder」のヒットが変えたアンと私の歩み

2023年、アンと私の音楽を、それまでより広い層へ届けるきっかけとなったのが「Tinder」です。

ただし、この曲は最初からヒットを目指して周到に準備された作品ではありませんでした。二口自身も、予想外の結果だったと振り返っています。

JIGDRESSの楽曲から発想した「Tinder」

「Tinder」の制作には、対バンで交流のあったJIGDRESSの楽曲「Goat」が関係しています。

二口は2024年のUSEN encoreのインタビューで、「Goat」を気に入っており、あの曲のようなものを作りたいと考えたことが制作の始まりだったと語っています。

そこで、譜割やリズムの感覚、キー、コード進行などを参考にしながら、試しに曲を作ってみたのです。

二口の説明によれば、当初は遊びのような感覚で作っており、正式にリリースする予定もありませんでした。

ところが、2023年8月に予定していたEP『FALL DOWN』の前に、もう1曲発表した方がよいという話になり、「Tinder」が選ばれます。

2023年6月24日に配信されたこの曲は、二口が強い手応えを感じていた以前のシングルとは、結果が大きく異なることになりました。

特にヒットを期待していなかった楽曲が、アンと私の存在を広く知らせるきっかけになったのです。

TikTokでの拡散と初の東名阪ワンマンツアー

「Tinder」はTikTokをきっかけに広まり、Spotifyの国内バイラルチャートで8位を記録しました。

配信記録によると、2023年7月25日のSpotify「Daily Viral Songs Japan」で8位に入っています。

この曲は短期間で話題が終わったわけではなく、二口が2024年のインタビューで振り返った際には、国内バイラルチャートに約2か月間ランクインしたことも話題になっていました。

本人が狙って送り出した作品が思うように広まらず、つなぎとして出した曲が支持されたという結果は、曲作りとリスナーの反応が必ずしも一致しないことを示しています。

一方、バンドとしてのライブ活動も着実に広がっていきました。

2023年には初の東名阪ワンマンツアーを開催。同年11月に東京・新代田FEVERで行われた公演もソールドアウトしています。

「Tinder」の反響とライブ活動は、同じ時期にアンと私がより多くのリスナーへ届いていく重要な出来事でした。

ただし、ライブ動員の変化を「Tinder」だけによるものと決めつけることはできません。アンと私はそれ以前からワンマンライブを重ね、初期の音源やライブ映像を通じてリスナーとの接点を作ってきました。

「Tinder」は、その積み重ねの中で訪れた、特に大きな認知拡大の機会だったといえます。

『FALL DOWN 2』と初期作品の再録音

2023年8月にEP『FALL DOWN』を発表したアンと私は、2024年1月10日、1stフルアルバム『FALL DOWN 2』をリリースしました。

『FALL DOWN 2』は、アンと私にとって初めてのフルアルバムであり、初のCD作品でもあります。

収録曲には、すでに発表していた楽曲に加えて新曲もあり、それまでの活動を一枚でたどることができる内容になりました。

二口はTHE MAGAZINEのインタビューで、CDについて、アンと私を好きな人たちに持っていてほしいという気持ちで制作したと説明しています。

このアルバムで特に重要なのが、初期の楽曲「せめて音楽だけはやめないようにね」と「手首と太腿」を再録音したことです。

二口によると、この2曲は最初に音源を発表した頃と、ライブで演奏していた頃とで、テンポやアレンジが大きく変わっていました。

そこで、ライブで演奏していた形を音源として残すために、録り直すことにしたのです。

これは、単に過去曲を新しく録音したというだけではありません。ライブを重ね、メンバーと演奏する中で、同じ曲が当初とは違う姿になっていたことを示す記録でもあります。

一方、新曲「FALL DOWN」では、別の制作方法も試されました。

二口はMÅNESKINのようなギターリフを発想の入口にしており、当時演奏に関わっていた吉村がそのアイデアを形にしたと語っています。

さらに、レコーディングまで時間が足りなかったため、二口が楽曲全体のイメージを伝え、演奏部分の制作をほかのメンバーに任せた場面もありました。

初めて曲を書いた頃は、好きな曲のコード進行を変えるところから始めていた二口。それが数年後には、自分の発想をほかの演奏者に託し、予想しなかった形で曲を完成させるようになっていました。

編成と音楽を変えながら進んだメジャーデビュー

2024年以降のアンと私は、過去の作品を振り返りながら新しい楽曲を作る一方、メンバーの加入・脱退も経験しました。

こうした変化を経て、2026年11月4日にメジャーデビュー。その作品では、初期の恋愛曲とは異なる題材にも踏み込んでいます。

『SWEET LILY / SAD FOREVER 2』に込めた変化

2024年9月4日、アンと私はミニアルバム『SWEET LILY / SAD FOREVER 2』を配信リリースしました。

タイトルの元になっているのは、2021年3月に発表した最初期のEP『SWEET LILY / SAD FOREVER』です。

初期作品のタイトルに「2」を加えたこの作品について、当時の発売発表では、バンドの進化を感じさせる内容として紹介されていました。

収録曲には、先行して公開された「ソープランド」や「Summer Emotion Man」などがあります。

同じ題名を受け継いでいるからといって、最初のEPをそのまま録り直した作品ではありません。新たな楽曲を収録したミニアルバムです。

アンと私にとって、2024年は初のフルアルバム『FALL DOWN 2』を発売し、渋谷WWWでのワンマンライブを含むツアーを行った年でもありました。

最初の音源を作った頃には、レコーディングそのものが初めての経験でした。そこからライブを重ね、メンバーとアレンジを作り上げ、かつての楽曲を再録する段階へ進んでいたのです。

その歩みの中で、バンドの編成も新しい段階を迎えます。

れんじゅまんの加入と3人体制への移行

2024年11月20日、アンと私はギターの吉村ハルキとドラムのれんじゅまんを正式メンバーに迎えました。

これによって、二口、ヤマモトマキ、吉村ハルキ、れんじゅまんの4人体制になります。

それ以前にもアンと私には複数の編成がありましたが、この4人体制は、後のメジャーデビュー発表へとつながる重要な時期を担いました。

2026年2月6日、東京キネマ倶楽部で開催されたワンマンライブで、アンと私はビクターエンタテインメントからのメジャーデビューを発表しました。

ただし、この時点ではメジャーデビューが決定した段階です。実際のメジャーデビュー作品が発売されたのは、同年11月4日でした。

その間にも編成の変化がありました。

2026年5月1日、公式サイトで吉村ハルキの脱退が発表され、同年5月末をもってバンドを離れています。6月以降はサポートメンバーを迎えて活動を続ける方針が示されました。

これにより、正式メンバーは二口、ヤマモトマキ、れんじゅまんの3人となりました。ギターのトキヤはレギュラーサポートとして活動しています。

この編成の変化は、単に人数が変わっただけではありませんでした。

れんじゅまんはドラム担当ですが、作曲に加えてギターやベースも演奏できる人物です。2026年のReal Soundのインタビューで二口は、メジャーアルバム『ANN』について、初めに制作した3曲には以前のギタリストの演奏が入っている一方、それ以外の楽曲は3人で作り、リードギターをれんじゅまんが弾いたと説明しています。

れんじゅまん自身は、Plastic TreeやThe Novembersなどから影響を受けており、ロックの中にさまざまな音楽的要素を取り入れることへの関心を語っています。

一方、二口はヒップホップから発想を得た楽曲を持ち込むこともあります。れんじゅまんは、その音楽を聴き込み、自分たちのロックサウンドへ取り入れることを考えていると話しました。

二口の発想をほかのメンバーが演奏する段階から、メンバー自身が作曲やギター演奏まで担う段階へ。アンと私の制作体制は、編成の変化とともに広がっていったのです。

『ANN』で広がった音楽表現と2026年のメジャーデビュー

2026年11月4日、アンと私はメジャー1stアルバム『ANN』を発売し、ビクターエンタテインメントからメジャーデビューしました。

『ANN』は全10曲を収録した作品です。2024年の『FALL DOWN 2』がバンド初のフルアルバムだったのに対し、『ANN』はメジャーデビュー後の最初のアルバムという位置づけになります。

制作にあたって二口は、それまでのアンと私らしさを残しながら、新しいことにも挑戦しようとしていました。

特に変わったのは、歌詞の題材です。

初期からアンと私の楽曲には恋愛を題材にしたものが多くありました。しかし『ANN』では、家族のことや、自分自身が経験してきた出来事にも踏み込むようになりました。

二口は2026年のReal Soundのインタビューで、父親を亡くしたことや、その後の家族に関わる出来事が、楽曲制作に影響したと語っています。

アルバム収録曲「ワンスアポンアタイムイン・一つ屋根の下」は、そうした経験が直接的なきっかけとなって生まれた作品です。

一方、「ペースメーカー」は、父親が亡くなる前から別の形で存在していた曲で、その後に歌詞の一部を変更したと説明しています。

同じように家族の存在が感じられる曲でも、最初からその出来事をきっかけに作ったものと、以前からあった曲を作り直したものでは、制作の経緯が異なります。

音源の作り方にも、具体的な変化が現れています。

例えば「ナイフ」は、ライブハウスに観客が2〜3人しかいなかった頃、二口が自分たちをもっと知ってほしいと感じていた時期に書いた楽曲でした。

それを数年後の『ANN』制作時に取り上げ、二口の弾き語りをもとに短期間で演奏を組み立て、収録曲として完成させています。

また「4:00 a.m.」は、ギタリストの脱退が決まり、レコーディングの日程もすでに決まっている中で制作された曲でした。

二口によると、録音の直前まで曲が完成せず、歌いながら歌詞を考えたそうです。この曲にギターが入っていないのも、当時の制作状況が関係していました。

完成後に聴けば意図的な音楽表現に感じられる部分も、実際には制作上の制約から生まれていたのです。

『ANN』では、多くの曲を作っては選び直すことも繰り返されました。二口は、メンバーに聴かせていないものまで含めると、50〜60曲ほど制作したと振り返っています。

その過程で重視した考えについて、二口は次のように語りました。

背伸びせずに作るものが必要だ

二口/Real Sound「アンと私、1stアルバム『ANN』で選んだ“背伸びしない”闘い方」(2026年11月4日)

新しい表現に挑戦する一方で、それまでのアンと私を好きになってくれた人にも届く音楽を作る。その考えのもと、初期の楽曲からつながる部分と、これまで歌ってこなかった個人的な経験の両方が『ANN』へ取り入れられました。

メジャーデビュー当日には、アンと私の公式Xでも『ANN』の発売とメジャーデビューが発表されています。

振り返れば、アンと私は、二口が初めからプロのバンドを目指して結成したものではありませんでした。

小学生の頃にRADWIMPSの映像に衝撃を受け、中学生でギターを手にし、札幌ではヒップホップを聴くようになる。その音楽体験を持った二口が、コールセンターで出会った一人のバンドマンに勧められ、初めて曲を書きました。

そこからライブを重ね、「Tinder」の予想外のヒットを経験し、メンバーの加入や脱退を経ながら、作曲も演奏も複数人で担うバンドへと変化してきました。

アンと私の音楽の始まりをたどると、偶然の出会いから動き出した一人の音楽が、ほかの演奏者との関わりによって広がってきたことがわかります。

メジャーデビュー作『ANN』は、その歩みの中で生まれた一つの到達点です。そこには、初めてレコーディングに向かった頃の音楽だけでなく、バンド活動を続ける中で得た経験と、新たに向き合うようになった言葉が刻まれています。

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