SiMの結成秘話と名前の由来|MAHの音楽ルーツと4人が揃うまで

SiMの結成秘話と名前の由来をテーマに、4人のメンバーを描いたイラストと、2004年の結成から2009年の4人体制成立までの年表を組み合わせたビジュアル バンド
メンバー 担当
MAH(マー) ボーカル
SHOW-HATE(ショウヘイト) ギター
SIN(シン) ベース
GODRi(ゴリ) ドラム
2009年に成立した4人編成

SiM(シム)は、2004年11月3日に神奈川県湘南で結成されたレゲエパンクバンドです。

レゲエやスカの軽快なリズムに、パンク、ハードコア、メタルの激しいサウンドを組み合わせた音楽で知られています。しかし、結成当初から現在の4人が揃っていたわけではありません。

SiMの始まりは、高校時代のMAHと初代ドラマーがライブハウスで出会い、3人組のバンドを結成したことでした。

その後、メンバーの加入と脱退を繰り返し、2009年にMAH、SHOW-HATE、SIN、GODRiという4人が揃います。

とりわけ印象的なのが、ベースとドラムが不在になったときの出来事です。MAHとSHOW-HATEは、メンバーが決まっていないにもかかわらず、約60公演のツアーを先に組んでしまいました。

その決断から新しい4人が集まり、ライブを重ねるなかで、現在知られるSiMの音楽が形づくられていきます。

音楽史の段階 SiMの歩み
音楽との出会い・結成 MAHがブルース、パンクなどに親しみ、2004年に湘南で3人組バンドを結成
初期活動・編成変更 2005年にSiMへ改名。2006年にSHOW-HATEが加入し、2008年に1stアルバムを発表
4人体制の成立 2009年にSINとGODRiが加入。約60公演のツアーでバンドの結束を深める
音楽性の形成・認知拡大 2010年にDEAD POP FESTiVALを始動。2011年の「KiLLiNG ME」と『SEEDS OF HOPE』が転機に
メジャーデビュー・活動拡大 2013年に「EViLS」でメジャーデビュー。日本武道館、横浜アリーナで単独公演を開催
創作方法の変化・海外への広がり 楽曲制作の方法を変化させながら活動を継続。2022年には「The Rumbling」で海外にも認知を広げる
  1. SiM結成のきっかけは高校時代のライブハウスでの出会い
    1. MAHの音楽ルーツはブルース、パンク、ラウドロック
    2. MAHと初代ドラマーが出会い、2004年に3人組を結成
    3. バンド名「SiM」の意味と、観客がいなかった初期ライブ
  2. SHOW-HATEの加入と、初期SiMの音楽性の変化
    1. SHOW-HATEがギターを始めたきっかけはL’Arc-en-Ciel
    2. 2006年に加入したSHOW-HATEはレゲエの演奏に苦労した
    3. ハードコアの要素が増え、2008年に1stアルバムを発売
  3. 2009年、メンバー2人で約60公演を決めたSiMにSINとGODRiが加入
    1. ベースとドラムが抜け、MAHとSHOW-HATEだけになった
    2. SINはMAHの中学校の先輩で、以前から対バンをしていた
    3. GODRiを紹介され、最初のスタジオで「Murderer」を演奏
    4. GODRiの音楽ルーツはL’Arc-en-Cielのyukihiro
  4. 約60公演のツアーがレゲエパンクの音楽性を育てた
    1. SHANK、EGG BRAIN、HEY-SMITHとの出会い
    2. 「ANTHEM」の誕生とDEAD POP FESTiVALの始まり
    3. SHOW-HATEの病気を経て、「生きること」が作品の主題に
    4. 2011年「KiLLiNG ME」のMVが認知拡大の転機になった
  5. 「KiLLiNG ME」から2013年のメジャーデビューへ
    1. 『LiFE and DEATH』とTRIPLE AXEで広がった活動
    2. 2013年にシングル「EViLS」でメジャーデビュー
    3. 日本武道館と横浜アリーナへ進んでも、音楽の原点はライブハウス
  6. SiMの曲はどう作られる?MAHと4人の創作思想
    1. 初期の曲づくりはMAHがデモを作り、メンバーが完成させる方法
    2. SHOW-HATEが語った、スタジオでの曲づくりと制作方法の変化
    3. 2017年頃から歌を起点にした曲づくりへ変化
    4. 「The Rumbling」で海外にも広がったSiMの音楽

SiM結成のきっかけは高校時代のライブハウスでの出会い

MAHの音楽ルーツはブルース、パンク、ラウドロック

SiMの音楽を理解するうえで欠かせないのが、ボーカルMAHがバンド結成前に聴いていた音楽です。

2010年の『激ロック』インタビューで、MAHは最初に触れた音楽が両親の影響によるブルースだったと語っています。

最初に買ってもらったCDはエリック・クラプトン。そこから日本のパンクバンドHi-STANDARD、アメリカのRANCID、イギリスのTHE CLASHなどへと聴く音楽が広がっていきました。

さらに、LIMP BIZKITやDEFTONESといったヘヴィな音楽にも親しんでいます。特定のジャンルだけを追いかけてきたわけではありません。

MAHがインタビューで説明したのは、好きなバンドであっても、そこに別の音楽的な要素を求めたくなるという感覚でした。RANCIDの音楽に重さを、DEFTONESの音楽にレゲエの裏打ちのようなリズムを求める。それなら自分で組み合わせてしまおうという発想です。

レゲエのリズムも、パンクの疾走感も、メタルの重さも好きだったことが、SiMのジャンルを横断するサウンドの出発点になりました。

MAHと初代ドラマーが出会い、2004年に3人組を結成

MAHが初代ドラマーと知り合ったのは高校時代です。

2人は当時、それぞれ別のバンドで活動していました。ライブハウスで顔を合わせ、互いの演奏に惹かれたことから、一緒にバンドを組むようになります。

2004年11月3日、湘南で結成されたバンドの当初の名前は「Silence iz Mine」。MAHがギターとボーカルを兼任し、ベース、ドラムを加えた3人編成でした。

この頃の音楽性は、現在のSiMとはかなり異なっていました。

MAHは2010年のインタビューで、初期のコンセプトにMUSEとSUBLIMEを挙げています。UKロックの湿った雰囲気とレゲエ・ロックを組み合わせたサウンドで、ハードコアやメタルの激しさが前面に出たものではなかったそうです。

さらに、2012年に自身の公式ブログへ掲載した結成8周年の回想では、最初はジャック・ジョンソンのような、ゆったりしたサーフロックを考えていたことも明かしています。

ところが、MAH自身はそれ以前に重いグランジ系のバンドで活動していました。穏やかな音楽を目指していても、シャウトを入れたい、サビのギターを歪ませたいという気持ちが強くなり、次第にレゲエ・ロックへと方向が変わっていったのです。

最初から明確な完成形があったというより、演奏したい音を少しずつ足していくなかで、SiMの原型が生まれたといえます。

バンド名「SiM」の意味と、観客がいなかった初期ライブ

「SiM」という名前は、結成時の名称「Silence iz Mine」の頭文字を取ったものです。

2010年の『激ロック』インタビューによると、最初の1〜2本のライブでは長い名前を使っていました。しかし、観客に覚えてもらいにくかったため、短くSiMと呼ぶようになったとMAHは説明しています。

本人の回想では結成当初から短縮名が使われ始めたことがうかがえますが、公式プロフィールでは2005年を改名の年としています。

名前を変えたからといって、すぐに多くの人がライブへ足を運ぶようになったわけではありません。

MAHの結成8周年の回想には、善行Zや渋谷CYCLONEなどでライブを行いながら、出演ノルマを払い続けていた当時の様子が残っています。

フロアに観客がほとんどいない日もあり、物販にいた人だけが演奏を見ているような状況も珍しくなかったといいます。

後に大きな会場を満員にするバンドとなったSiMも、始まりは自分たちの音楽を聴いてくれる人を探しながら、地元と東京のライブハウスを回る3人組でした。

SHOW-HATEの加入と、初期SiMの音楽性の変化

SHOW-HATEがギターを始めたきっかけはL’Arc-en-Ciel

2006年にSiMへ加入したSHOW-HATEにも、MAHとは異なる音楽的な原点があります。

『BARKS』のギタリスト履歴を振り返るインタビューで、SHOW-HATEは中学2年生の頃にL’Arc-en-Cielのkenに憧れてギターを始めたと話しています。

最初は初心者でも弾きやすいGLAYの楽曲をコピーし、その後はL’Arc-en-Cielの楽曲に没頭しました。ライブ映像も繰り返し見て、通常の音源とは違うアレンジや、演奏中の細かな変化までギターで再現しようとしていたそうです。

特に惹かれていたのが、kenのギターソロや、同じ曲でも繰り返すたびにフレーズが変化するアレンジでした。

高校生になると、同級生から勧められたSlipknotのアルバム『Iowa』に衝撃を受けます。そこからKOЯN、Red Hot Chili Peppers、Rage Against the Machineなどにも親しみ、音楽的な関心がラウドロックへ広がっていきました。

つまり、SHOW-HATEはSiMへ加入する前から、メロディアスなギター表現と、重く激しいロックの両方を経験していたことになります。

2006年に加入したSHOW-HATEはレゲエの演奏に苦労した

SHOW-HATEとMAHには、SiM以前にも別のバンドで一緒に活動した経験がありました。

その後、SHOW-HATEがSiMのライブを見たことをきっかけに、MAHから声をかけられて加入します。

2006年にはベーシストの交代もあり、BUNを迎えて4人編成になりました。ギターが加わったことで、MAHがボーカルに集中できる形へと変わっていきます。

ただし、SHOW-HATEは加入直後からSiMの音楽に自然になじめたわけではありません。

『BARKS』のインタビューでは、当時のSiMは今よりレゲエ色が濃く、その演奏に苦労したと振り返っています。レゲエを聴いた経験はあっても、実際に独特のグルーヴをギターで表現するのは別の難しさがあったのです。

単に裏拍で音を鳴らせばよいのではなく、音をどの長さで切るか、リズムをどう揺らすか。その感覚を身につけるまでに何年もかかったといいます。

後にSiMの特徴となるうねるようなギターのグルーヴは、加入後の試行錯誤によって磨かれていったものでした。

ハードコアの要素が増え、2008年に1stアルバムを発売

SHOW-HATEとともに加入したベーシストのBUNは、ハードコアを好んでいました。

MAHは2010年のインタビューで、この時期から楽曲にハードコアの要素が増え、バンドのサウンドが大きく変わったと説明しています。

2007年にはデモ音源「paint sky blue」を公開。当時の音楽交流サービスMySpaceを通じてSiMを知った人から連絡が届き、名古屋のライブに出演する機会も生まれました。

地元以外へ出向くことで、レゲエ・ロックやハードコアのシーンにも活動のつながりが広がっていきます。

2008年6月には、1stアルバム『Silence iz Mine』を発売。バンド名としては短縮した「SiM」を使いながら、結成時の名称をアルバムタイトルに残しました。

しかし、アルバムを出したからといって、すぐに観客の反応が変わったわけではありません。

MAHは公式ブログの回想で、対バン相手や関係者からの評価に比べて観客の反応が乏しく、悔しい思いをしたと明かしています。

SUM 41の来日公演でオープニングアクトを務め、京都大作戦にも出演しましたが、その一方でベーシストの脱退など編成上の問題も続きました。

2008年の京都大作戦前にはBUNが脱退。サポートメンバーを迎え、ギタリストのfumiも参加したことで、一時的に5人編成になっています。この頃、MAHはステージでギターを弾く役割から完全に離れました。

年末にはfumiも離れ、SiMは再び編成を変えることになります。

2009年、メンバー2人で約60公演を決めたSiMにSINとGODRiが加入

ベースとドラムが抜け、MAHとSHOW-HATEだけになった

2009年、SiMは会場限定シングル「Murderer / Set Me Free」を発表しました。

楽曲は以前よりラウドでハードな方向へ進み、バンドとしてやりたい音楽が少しずつ明確になっていました。しかし、この時期にドラムとサポートベースが離れ、正式メンバーとして残ったのはMAHとSHOW-HATEの2人だけになります。

演奏を続けるためには新しいメンバーが必要です。それでも2人は、メンバー探しを終えてから次の予定を決めるのではなく、先に約60公演のツアーを組みました。

2011年の『JUNGLE☆LIFE』インタビューで、MAHはその判断について次のように話しています。

でも決めなかったらそこでバンドを辞めてしまう気がしたんです。

MAH/出典:JUNGLE☆LIFE「SiM|4人が成し遂げた奇跡」

メンバーが揃ったからツアーを始めたのではなく、バンドを続けるためにツアーを決めた。この順番が、SiMの歴史の大きな転機になりました。

SINはMAHの中学校の先輩で、以前から対バンをしていた

新しいベーシストとして声をかけたのがSINです。

SINはMAHの中学校時代の先輩で、高校時代にもそれぞれのバンドで対バンをしたことがありました。突然現れた知らないミュージシャンではなく、以前から音楽活動を通じて接点のあった人物です。

当初はサポートとしてSiMの演奏に参加しましたが、その後、正式メンバーとして加入することになります。

SINは『JUNGLE☆LIFE』で、加入前からSiMがダブやレゲエの色合いが強いバンドだったことを知っていたと説明しています。

一緒にツアーへ出て曲を作るなかで、バンドが向かおうとしている方向性をつかみ、その音楽が自分に合っていると感じるようになったそうです。

最初から音楽性のすべてを共有していたわけではなく、実際に演奏し、ライブを重ねることで4人の音楽を理解していったという点が重要です。

GODRiを紹介され、最初のスタジオで「Murderer」を演奏

ドラマーのGODRiは、当時の事務所スタッフの知人を通じて紹介されました。

GODRiにはドラムコンテストで優勝した経験がありましたが、MAHたちが重視したのは経歴だけではありません。

MAH、SHOW-HATE、SIN、GODRiの4人が初めてスタジオに入ったとき、最初に合わせた曲は「Murderer」でした。

難しい楽曲だったにもかかわらず、4人の演奏は自然にまとまりました。

MAHは2012年の公式ブログで、曲を一通り演奏した時点で、このメンバーだと確信したことを振り返っています。

ここで2004年から続くSiMは、2009年にようやく現在知られる4人編成へたどり着きました。

GODRiの音楽ルーツはL’Arc-en-Cielのyukihiro

GODRi自身がドラムを始めたきっかけも、SiMの音楽史につながっています。

『BARKS』のKOUICHI(10-FEET)との対談によると、GODRiは仲間とバンドを組むことになった際、自分からドラムを担当したいと申し出ました。

そのバンドにはL’Arc-en-Cielが好きなメンバーがいて、楽曲を聴き込むうちにGODRi自身も魅了されたといいます。最初に憧れたドラマーとして名前を挙げたのは、L’Arc-en-Cielのyukihiroでした。

中学生のときには、お年玉を使ってメイプルシェルのスネアドラムを購入。その楽器は高校に入ってからも使い続けていました。

興味深いのは、そのスネアがSiM加入後にも使われたことです。GODRiは同じ対談で、SiMの初期音源を録音する際にも、その中学生時代からのスネアを使用したと語っています。

中学生の頃に手にした楽器が、後にSiMの音源にも登場した。GODRiの演奏には、バンド加入以前から続く長い時間が重なっています。

約60公演のツアーがレゲエパンクの音楽性を育てた

SHANK、EGG BRAIN、HEY-SMITHとの出会い

2009年、4人が揃ったSiMは、先に決めていた約60公演のツアーへ出発しました。

このツアーは新作アルバムの発売を記念したものではありません。各地のライブに出演し、ほかのバンドのツアーをサポートしながら、ひたすら演奏を続けるものでした。

そこで大きな影響を受けたのが、HEY-SMITH、SHANK、EGG BRAINなど、メロディックパンクのシーンで活動するバンドとの出会いです。

MAHは結成8周年の公式ブログで、HEY-SMITHのツアーファイナルに出演したときの光景を強く覚えていると記しています。

EGG BRAINの演奏中、楽しそうにダイブする観客の姿を見て感動し、SHANKのライブでは鳥肌が立つほどの衝撃を受けたそうです。

当時、MAHの感覚ではメロディックパンク、ラウドロック、ミクスチャーの各シーンには距離がありました。しかし、実際に同じステージへ立つことで、音楽の違いを超えて一緒にライブを行う可能性を感じるようになります。

『JUNGLE☆LIFE』でもMAHは、ツアー先の観客がダイブやモッシュを楽しむ姿を見て、自分たちのライブや楽曲にも変化が生まれたと語っています。

SiMのサウンドは、スタジオでジャンルを組み合わせるだけで完成したのではありません。全国のライブハウスで異なる音楽と出会い、観客の反応を直接受け取ることで変化していきました。

「ANTHEM」の誕生とDEAD POP FESTiVALの始まり

SHANKの演奏からMAHが影響を受けた要素の一つが、速い2ビートのリズムでした。

その影響から制作した楽曲が「ANTHEM」です。

2012年の公式ブログでは、同曲のサビのフレーズが、新潟でのライブを終えて打ち上げに向かっている途中、突然浮かんだことも明かされています。

誰かの演奏に刺激を受けた経験と、ツアー中の移動という具体的な場面が、一つの楽曲の誕生につながりました。

2010年1月16日には、渋谷club asiaで主催イベント「DEAD POP FESTiVAL」の初回を開催します。

このイベントは、約60公演のツアーの締めくくりでもありました。初開催の時点では満員にならなかったものの、異なるシーンのバンドと同じ場所で演奏するという方向性が形になっています。

後に野外フェスへと発展するDEAD POP FESTiVALの出発点には、ツアーで知り合った仲間と、ジャンルの垣根を越えてライブをしたいという思いがありました。

SHOW-HATEの病気を経て、「生きること」が作品の主題に

4人体制が固まり、活動の手応えが生まれ始めた2010年、SiMは大きな出来事に直面します。

「ANTHEM」のツアーが始まった頃、SHOW-HATEが脳梗塞で倒れ、予定していたライブを中止せざるを得なくなったのです。

MAHは公式ブログで、当時はメンバーの命に関わるかもしれないという事態をすぐには受け止められなかったと振り返っています。

バンドはSHOW-HATEの回復を信じてサポートギタリストを探し、ONO-SHiTを迎えました。その後、SHOW-HATEが復帰し、体力面に配慮しながらライブと楽曲制作を続けていきます。

この経験を経て、メンバーは「生きること」をテーマにした作品づくりを考えるようになりました。

さらに2011年には東日本大震災が発生。MAHは自身の歌詞と向き合い直し、作品制作を改めて進めたと語っています。

激しさや反骨心だけではなく、生き続けることや失われるかもしれない日常をどう表現するか。バンドが実際に経験した出来事によって、歌詞の主題にも変化が生まれました。

2011年「KiLLiNG ME」のMVが認知拡大の転機になった

2011年には、所属先との契約終了や予定作品の発売中止など、制作環境にも大きな変化がありました。

MAHは公式ブログで、それまで準備していた楽曲の多くが権利上の問題で使用できなくなったことを明かしています。

その後、gil soundworksのもとで活動を進め、2011年10月12日に2ndアルバム『SEEDS OF HOPE』を発売しました。

このアルバムに収録された「KiLLiNG ME」は、SiMを知る人を増やす重要な楽曲となります。

2011年9月に公開されたミュージックビデオは、インディーズバンドとして大きな注目を集めました。音楽ナタリーのプロフィールでも、このMVの反響とアルバムのヒットがSiMの認知拡大における転機として取り上げられています。

MAH自身も結成8周年の回想で、「KiLLiNG ME」の映像を発表してから周囲の反応が明らかに変わったと記しています。

それまでは自分たちの曲を知らない観客の前で演奏することが多かったのに、ツアーでは楽曲を知っている人が各地に現れるようになりました。

初期のレゲエ・ロックから試行錯誤を続け、2009年に4人が揃ってライブを重ねた先に生まれた楽曲が「KiLLiNG ME」でした。

「KiLLiNG ME」から2013年のメジャーデビューへ

『LiFE and DEATH』とTRIPLE AXEで広がった活動

『SEEDS OF HOPE』によって認知を広げたSiMは、2012年にミニアルバム『LiFE and DEATH』を発売します。

同作はオリコンのアルバムランキングで初登場9位を記録しました。

「Amy」のミュージックビデオでMAHが披露したツーステップも、ライブでの盛り上がり方を象徴するものとして広まっていきます。

同じ年には、coldrain、HEY-SMITHとともに3バンドによる企画「TRIPLE AXE」を始動しました。

2008年頃に各地のライブで出会い、2009年のツアーを通じて関係を深めてきたバンドとのつながりが、継続的な共同イベントへ発展したのです。

ジャンルの異なるバンドが同じステージに立つことを大切にしてきたSiMにとって、TRIPLE AXEはその活動の延長線上にありました。

2013年にシングル「EViLS」でメジャーデビュー

SiMは2008年に1stアルバム『Silence iz Mine』を発売して音源デビューを果たしていますが、メジャーデビューは別の出来事です。

2013年、ユニバーサルミュージックとの契約を発表し、同年4月3日にシングル「EViLS」を発売しました。これがメジャーデビュー作です。

すでにインディーズ時代から全国ツアーや自主企画を続け、多くの観客を集めていたSiMにとって、メジャー進出はバンドの始まりではありません。

2013年の『激ロック』インタビューでは、メンバーはレーベルが変わっても曲づくりや音楽に向き合う姿勢そのものを大きく変えるつもりはないと話しています。

結成から約9年、そして現在の4人が揃ってから約4年。ライブハウスで育ててきた音楽を、より広い環境で届ける段階へ進んだことになります。

日本武道館と横浜アリーナへ進んでも、音楽の原点はライブハウス

2015年には、SiMが主催するDEAD POP FESTiVALが野外開催へ発展しました。

同年11月には日本武道館で単独公演を開催。2016年にはアルバム『THE BEAUTiFUL PEOPLE』を発表し、ツアーファイナルとして横浜アリーナでの単独公演を実現しています。

かつては出演ノルマを払い、ほとんど観客がいないライブハウスで演奏していたバンドが、大規模な会場を満員にするようになりました。

ただし、会場の規模が変わることは、必ずしも音楽をつくる目的が変わることを意味しません。

2017年の『激ロック』インタビューでは、MAHがアリーナでもライブハウスでも楽曲を成立させられることについて語っています。

ライブハウスで観客の反応を受けて音楽を変えてきた経験は、大きなステージに立つようになってからも、SiMの演奏と曲づくりの土台にあり続けました。

SiMの曲はどう作られる?MAHと4人の創作思想

初期の曲づくりはMAHがデモを作り、メンバーが完成させる方法

レゲエ、メタル、パンク、ハードコアが次々に現れるSiMの楽曲は、どのように作られてきたのでしょうか。

2011年の『JUNGLE☆LIFE』インタビューで、MAHは当時の楽曲制作について、まず自分がデモの大部分を用意し、その後メンバーと細かなフレーズや構成を仕上げていたと説明しています。

デモ段階でAメロとサビを入れ替えたり、別の曲で考えていたフレーズを持ち込んだりすることもありました。

曲の着想が浮かぶのは、移動中などの何気ない時間。MAHの頭の中では、リズムを含む伴奏とメロディーが同時に鳴っているような感覚だったそうです。

そこからギターで音を探り、鼻歌でメロディーを確かめ、ドラムやベースの流れを組み立てていきます。

一方で、SHOW-HATEはギターならではのフレーズを加え、SINとGODRiもそれぞれの演奏を通じて楽曲を仕上げていきました。

複雑な曲の展開をMAHが考え、そのアイデアを4人の演奏によって形にしていく。これが『SEEDS OF HOPE』の頃に語られていた制作の姿です。

SHOW-HATEが語った、スタジオでの曲づくりと制作方法の変化

制作方法については、SHOW-HATEも『BARKS』のインタビューで詳しく振り返っています。

2008年の1stアルバム『Silence iz Mine』の頃は、MAHが原曲を用意し、スタジオで全員が演奏しながらアレンジを考える方法が中心でした。

当時は全員がパソコンで音楽データをやり取りする制作環境ではなかったため、スタジオで音を合わせること自体が大切な工程だったのです。

2009年にSINとGODRiが加入してからは、デモをもとにアレンジを詰める方法も広がっていきました。

楽曲の土台をMAHが作る形は続きながらも、メンバーが考えたフレーズを提案したり、別の楽器のアレンジに意見を出したりして、音楽を完成させていきます。

さらに制作環境が発達すると、スタジオへ全員が集まらずに、各自が録音した音や打ち込んだリズムをデータでやり取りする方法も使われるようになりました。

ただし、制作機材の変化だけでSiMの音楽を説明することはできません。

SHOW-HATEが特に重視してきたのは、演奏のグルーヴです。単に速く正確に弾くことより、音の長さやタイミングを工夫し、リズムがうねるような感覚を生み出すことに面白さを感じると語っています。

MAHが考える楽曲全体の構造と、各メンバーが持つ音の感覚。その組み合わせがSiMの複雑でありながら耳に残るサウンドを作ってきました。

2017年頃から歌を起点にした曲づくりへ変化

SiMの創作方法は、バンドの活動規模が大きくなってからも変化しています。

2017年に発表した「A / The Sound Of Breath」の制作では、従来のように伴奏の大部分を先に作る方法から、歌やメロディーを早い段階で組み立てる方法を試したとMAHが語っています。

その後、2020年の5thアルバム『THANK GOD, THERE ARE HUNDREDS OF WAYS TO KiLL ENEMiES』に関する公式インタビューでは、こうした変化をさらに詳しく説明しました。

以前は曲を作るとき、SiMらしい重さやシャウトをどこに配置するかまで考えていたといいます。

しかし、歌やメロディーから作り始めることで、楽曲によっては必ずしもヘヴィな音を加える必要がないと気づきました。

その結果、重い音を増やすだけでなく、必要に応じて音を減らすこともできるようになったそうです。

あらかじめ決めた「SiMらしさ」に曲を合わせるのではなく、楽曲が必要とする音を選ぶ方向へ制作思想が変わっていったことが分かります。

デビュー当時から複数のジャンルを組み合わせてきたSiMは、経験を重ねた先で、その組み合わせ方そのものを見直していったのです。

「The Rumbling」で海外にも広がったSiMの音楽

2022年には、テレビアニメ『進撃の巨人 The Final Season Part 2』のオープニングテーマとして「The Rumbling」を発表しました。

この楽曲は米国BillboardのHot Hard Rock Songsチャートで1位を記録するなど、海外でも大きな反響を呼びました。

「The Rumbling」でSiMを初めて知った人にとっては、激しいシャウトと重厚なサウンドがバンドの第一印象になったかもしれません。

けれど、その音楽を結成当初までさかのぼると、最初にあったのは、MAHがギターを弾きながら歌う3人組のレゲエ・ロックでした。

そこにSHOW-HATEのギターが加わり、SINとGODRiが加入。ライブハウスでの出会いを通じてパンクやハードコアの要素が強まり、曲づくりの方法も変化してきました。

2004年の結成、2009年の4人体制成立、2011年の「KiLLiNG ME」、2013年のメジャーデビュー、そして2022年の「The Rumbling」。それぞれの出来事は独立した成功談ではなく、長い活動の中で積み重なってきた音楽史です。

SiMが最初から一つの完成されたジャンルを鳴らしていたわけではないことは、MAHやメンバー自身の言葉からも明らかです。

高校時代のライブハウスでの出会いから始まり、観客がほとんどいなかった時期を経て、メンバーが2人になっても約60公演のツアーを決めた。その先で4人が揃い、全国のステージで新しい音楽と出会い続けました。

SiMの音楽の原点は、異なるジャンルへの好奇心と、ライブハウスで演奏を続けながら自分たちの音を探してきた経験にあります。

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