Hump Backの結成史|高校の軽音部から現在の3人になるまで

Hump Backの結成史をテーマに、3人のメンバーを描いたイラストと校舎、レコードを組み合わせ、高校の軽音部から現在の3人体制になるまでの歩みを伝えるデザイン バンド
メンバー担当
林萌々子ボーカル・ギター
ぴかベース・コーラス
美咲ドラム・コーラス
2016年に成立したHump Backの3人体制

大阪出身の3ピースロックバンド、Hump Back(ハンプバック)。代表曲『拝啓、少年よ』をきっかけに知った人も多いかもしれません。

その始まりは、2009年の高校の軽音楽部でした。林萌々子が友人たちと結成したバンドは、メンバーの脱退や活動休止を経験しながらも名前を変えずに活動を続け、2016年に現在の3人が揃いました。

2009年の結成時と、2016年に成立した3人体制は、Hump Backの歴史では別の出来事です。

林萌々子が初めてギターを手にした中学時代から、チャットモンチーへの憧れ、何度も変わったメンバー、そして3人で音楽を作る方法が変化するまでには、バンドを続けてきた人たちの具体的な物語があります。

音楽史の段階Hump Backの歩み
音楽の原点林萌々子が中学時代にギターを始め、天王寺で路上ライブを経験
バンド結成2009年5月16日、高校の軽音楽部で結成
現体制成立2015年にぴか、2016年に美咲が加入し、現在の3人が揃う
初の全国流通盤2016年12月、ミニアルバム『夜になったら』を発売
メジャーデビュー2018年6月、シングル『拝啓、少年よ』をVAPから発売
制作方法の転機2023年からの産休・育休を経てDTMを取り入れ、2025年にアルバム『Hump Back』を発表

林萌々子の音楽の原点|ギターと歌に出会うまで

Hump Backの結成以前、林萌々子にとって音楽は、家の中で自然に耳にするものから、自分で演奏して人前に届けるものへと変わっていきました。

兄が聴いていたチャットモンチーに惹かれる

林萌々子は幼い頃から歌うことが好きで、3歳年上の兄の影響もあり、さまざまな音楽を聴いて育ちました。

2017年のBARKSのインタビューでは、家でASIAN KUNG-FU GENERATION、RIP SLYME、KICK THE CAN CREWなどが流れていたと振り返っています。家族で車に乗るときも音楽が流れており、ロックだけに限らない音楽環境だったといいます。

その中で、特に強い憧れを抱いたのがチャットモンチーでした。

林が惹かれたのは、女性3人のバンドでありながら、アイドル的な見せ方ではなく、楽曲と演奏そのもので存在感を示していたことです。

女性だけでも本格的なロックバンドとして活動できる。その姿に刺激を受けた経験が、後に自身も3ピースバンドを組む動機の一つになりました。

中学3年生でギターを始め、天王寺で路上ライブ

実際に楽器を始めたのは中学3年生の頃です。

2019年のFenderNewsのインタビューで林は、当時交際していた相手が文化祭でバンド演奏をしていたことに刺激を受け、自分も演奏してみたいと思ったと話しています。

最初に手にしたのは、親族が趣味で弾いていたギターでした。ギター雑誌や流行していた楽曲のコードが掲載された雑誌を買い、そこに書かれているコードを見ながら、弾いたり歌ったりする練習を始めました。

練習を続けるうちに、自分の部屋で演奏するだけでは物足りなくなります。

林が向かったのは、大阪・天王寺のMIO前でした。路上ライブで知られるコブクロが、かつてそこで演奏していたことを知っていたためです。

当時弾けた曲は3曲ほど。それでもギターを持って路上に立ち、通行人の前で歌いました。

立ち止まってくれる人もいれば、そのまま通り過ぎる人もいました。林はそのときの体験について、誰かが聴いてくれるかどうかだけでなく、自分の部屋とは違う場所で人前に立って演奏していること自体が楽しかったと振り返っています。

人前で演奏する楽しさを知ったことが、バンドを組む以前の大切な経験になりました。

Hump Back結成|高校の軽音楽部から始まったバンド

中学時代にギターと歌を始めた林萌々子は、高校進学後、以前から憧れていたバンド活動へ踏み出します。

2009年、高校の友人たちとHump Backを結成

Hump Backが結成されたのは2009年5月16日。林萌々子が高校1年生のとき、軽音楽部で友人たちと組んだバンドが始まりです。

結成当初は、林がボーカルとギター、めぐがベース、ゆっきーがドラムを担当していました。ぴかと美咲は、まだ加入していません。

林は高校に入った時点でバンドへの憧れを持っていました。チャットモンチーのように、3人で楽器を鳴らしながら自分たちの音楽を届ける活動をしたかったのです。

最初は文化祭だけを目標にした活動ではありませんでした。顧問の先生が紹介してくれた楽器店のイベントにも出演しています。

林はFenderNewsの取材で、この楽器店のイベントがHump Backとしての初ライブだったと思うと振り返っています。ただ、当時のイベント自体の記憶は曖昧だとも話しており、最初のステージでどのような演奏をしたかを細かく覚えているわけではありません。

覚えているのは、チャットモンチーやELLEGARDENの曲を演奏したことです。

バンド名「Hump Back」の意味と由来

Hump Backというバンド名には、猫への親しみが関係しています。

FMヨコハマの番組『SORASHIGE BOOK』でも、「Hump Back」は英語で「猫背」を意味し、猫好きだったメンバーによって名付けられたと紹介されています。

「猫背」を連想させる英語表現をバンド名に選んだという由来は、力強いロックサウンドを鳴らすHump Backという名前の、少し意外な背景でもあります。

バンド名は、その後メンバーが入れ替わっても変わりませんでした。

高校生の頃に名付けたHump Backという名前を林が使い続けたことは、結成時のメンバーと現在のメンバーが異なっていても、2009年からの活動が一つのバンドの歴史として続いていることにつながっています。

コピーバンドからオリジナル曲を演奏するまで

結成当初のHump Backは、チャットモンチーの楽曲を中心に演奏するコピーバンドでした。

しかし、林は活動の中で少しずつ自分でも曲を書くようになります。高校卒業後には、オリジナル曲を中心にライブハウスへ出演するようになりました。

最初から大きなライブに出演できたわけではありません。林は専門学校の紹介で近くのライブハウスのイベントを企画したり、軽音楽部の友人たちに観に来てもらったりしながら、活動を広げていったと話しています。

2012年には10代の音楽イベント『閃光ライオット2012』に応募し、3次審査の大阪大会まで進出しました。

林にとって、この経験は、それまで自分たちの周囲で演奏してきた音楽が、初めて外部の人たちに認められたと感じる機会になりました。

同年8月にはデモ音源『say good bye』を発表しています。高校の軽音楽部で始まったバンドは、ライブハウスでの経験を重ね、音源を制作する段階へ進んでいました。

メンバー交代を経て現在の3人になるまで

Hump Backの結成から現在の3人体制までには、約7年の時間があります。その間には、初期メンバーの脱退、活動休止、サポートメンバーとの演奏、林萌々子が一人で名前を背負った時期がありました。

高校卒業後の脱退と活動休止

最初の大きな変化は、高校卒業後に訪れました。

それぞれのメンバーが進学や就職といった別の進路へ進み、バンド活動に向き合う気持ちにも違いが出てきたのです。

2013年には初期メンバーだったドラマーのゆっきーが脱退。その後、新たなドラマーを迎えながら活動を続けましたが、同年末にはベースのめぐも脱退しました。

林は2019年のFenderNewsのインタビューで、当時のベースメンバーとは、ずっとHump Backを続けていくと思っていたと語っています。

その脱退を受けて、Hump Backは一度活動を休止しました。

大学に通っていた林は、バンド活動が止まったことで、学校へ行き、アルバイトをして、家に帰る生活を送るようになります。

ライブの予定やバンドのことを考える時間がなくなり、生活そのものは楽になったそうです。しかし、しばらくすると、その生活に違和感を覚えるようになりました。

「ラクだけど全然楽しくない」

林萌々子/FenderNews「Turning Point of Performer Vol.9」

活動再開を勧めてくれた友人もおり、林はサポートベーシストを迎えて再びライブに出演しました。

久しぶりにバンドで演奏したとき、林は自分がやりたかったのはこれだったと感じたと振り返っています。

一方、その後も編成は安定しませんでした。2015年にはドラマーの脱退によって、林一人でHump Backの活動を続ける時期も生まれます。

バンド名を残して活動を続けた林萌々子

メンバーが一人になった時期にも、林はHump Backという名前を使い続けました。

2015年4月には、タワーレコードの一部店舗限定でシングル『帰り道』を発売。同年にはデモ音源『十七歳』や、林自身の弾き語り音源も発表しています。

バンドとして活動できない時期があっても、音楽を届けるための行動は止まっていませんでした。

2019年のCINRAのインタビューでは、なぜ一人になってもHump Backの名前を背負い続けたのかという質問が向けられています。

「本当に好きでやってただけやし」

林萌々子/CINRA「Hump Backが『生活』を歌う理由。人の優しさを信じるために」

林は、一人で活動していた時期を特別な決意や苦難として語るより、好きだから続けていたという感覚だったと説明しています。

同じインタビューでは、過去の大変さを必要な経験だったと思えるのは、その後の自分たちの活動に納得できるようになったからではないか、とも振り返っています。

高校時代の友人たちとのバンドが形を変えながらも続いたのは、最初の編成に戻ろうとしたからではありません。林が音楽を続け、そこへ新たなメンバーが加わっていったためです。

ぴか・美咲の加入と2016年の現体制成立

現在のHump Backにつながるメンバーの加入が始まったのは2015年です。

同年5月、ベースのぴかとドラムのカンナが加入し、3人でのバンド活動が再開しました。

ぴかは加入以前からHump Backを知っており、ベーシストが必要になったタイミングで自ら加入を希望したと、当時のメンバー紹介記事などで伝えられています。

ぴか自身の音楽的な原点はGalileo Galileiです。2017年のBARKSのインタビューでは、高校時代にFM802の番組を通じて『夏空』を聴き、好きになったと語っています。ライブにも足を運んでいたほど、強い思い入れがあったそうです。

しかし、ぴかと同じ時期に加入したカンナは2015年中に脱退します。

そこで新たなドラマーとなったのが美咲でした。2016年2月、知人の紹介を通じて林とつながり、加入したと紹介されています。

美咲はELLEGARDENを好み、特にドラマーの高橋宏貴から影響を受けたと話しています。ELLEGARDENを知ったのは活動休止後だったため、当時のライブを見る機会はありませんでしたが、バンドスコアを集め、一人でドラムのコピーを続けていました。

2016年に美咲が加入したことで、林萌々子、ぴか、美咲という現在の3人体制が成立しました。

高校で結成したときの3人と、現在の3人は同じではありません。それでも、林が続けてきたHump Backの活動に新しい2人が加わったことで、バンドは次の段階へ進みました。

2019年のCINRAのインタビューで林は、今のメンバー2人と一緒に何かをすることへの強いこだわりを語っています。

一人でバンド名を守り続けた時期を経て、信頼できる2人と音楽を作れるようになったことは、単に演奏メンバーが揃ったという以上に、林自身のバンド観を変える出来事になりました。

全国流通盤からメジャーデビューへ

2016年に現在の3人が揃うと、Hump Backの活動は音源の全国発売、ライブツアー、メジャーデビューへと広がっていきます。

『夜になったら』『hanamuke』で広がった活動

2016年8月、Hump BackはインディーズレーベルのWELL BUCKET RECORDSへの所属を発表しました。

そして同年12月7日、1stミニアルバム『夜になったら』を発売します。

『夜になったら』は、Hump Backにとって初の全国流通盤です。2015年に一部店舗限定で発売した『帰り道』とは、流通の規模が異なります。

2017年には全国34公演のリリースツアーを行い、11月に2ndミニアルバム『hanamuke』を発表しました。

『hanamuke』には、それ以前からライブで演奏していた『サーカス』『うたいたいこと』も収録されています。林はBARKSのインタビューで、これらは今後も演奏していくと思う曲だったため、作品に入れたと説明しています。

同じインタビューで林は、作品全体の雰囲気をあらかじめ設計していたわけではないと語っています。完成した曲を並べてみると別れを題材にした曲が多く、振り返れば自分自身も別れの多い時期を過ごしていた、という説明でした。

曲を作る段階でテーマを揃えるのではなく、その時々に生まれた楽曲が一つの作品へまとまっていったのです。

2018年3月には、Hump Backが強く影響を受けたチャットモンチーのトリビュートアルバム『CHATMONCHY Tribute ~My CHATMONCHY~』にも参加しました。

さらに、チャットモンチーが活動を完結させた2018年には、最後のワンマンライブを観覧し、徳島で開催された『チャットモンチーの徳島こなそんそんフェス2018』にも出演しています。

林はFenderNewsの取材で、チャットモンチーの最後のステージを見たことによって、バンドに終わりがあることへの考え方が変わったと話しています。

メンバーが何度も変わったHump Backを続けてきた林にとって、続けることだけではないバンドの美しさを感じた経験でした。

『拝啓、少年よ』と2018年のメジャーデビュー

Hump Backは2018年6月20日、シングル『拝啓、少年よ』をVAPから発売し、メジャーデビューしました。

この曲は、林萌々子が高校時代から書いていた言葉ともつながりのある楽曲です。

2019年のCINRAのインタビューで林は、『拝啓、少年よ』に含まれる一部の言葉について、高校生の頃に書いていたものを改めて歌にしたと説明しています。

何度もメンバーが入れ替わり、一人で活動した時期も経てきたバンドが、初めてのメジャーシングルとして送り出した曲でした。

ミュージックビデオは発売に先立つ2018年5月に公開され、メンバー3人が演奏する姿を中心に構成されています。

『拝啓、少年よ』は、メジャーデビュー後も長く聴かれ続ける代表曲となり、ミュージックビデオは2025年にYouTubeでの再生回数が1億回を突破しました。

ただし、Hump Backの活動はこの曲から始まったわけではありません。

2009年に結成し、デモ音源や全国流通盤を発売し、ライブを積み重ねた末に、2018年のメジャーデビューへ到達しています。

『人間なのさ』とライブ活動の広がり

2019年7月には、メジャー1stフルアルバム『人間なのさ』を発売しました。

『拝啓、少年よ』がメジャーデビューシングルであるのに対し、『人間なのさ』はメジャーで最初のフルアルバムです。両者は別の段階に位置する作品です。

このアルバムの制作では、林のメロディーと歌を中心に据え、必要以上に音を飾らないことを意識したと語られています。

2019年のCINRAのインタビューで林は、ぴかと美咲がベース、ドラム、コーラスを付ける際にも、自分の歌を生かすことを大切にしてくれると説明しました。

2016年から一緒に活動してきた時間によって、3人の間で何を大切にするかを自然に共有できるようになったとも話しています。

また、林が作る歌の題材も、日々の生活やそこで出会う人々と深く関係していました。

林は洗濯物が干されている風景や、帰り道に見える住宅の明かりなど、人が暮らしている気配を感じる景色が好きだと語っています。

そうした何気ない生活の場面に目を向ける感覚が、『人間なのさ』の時期に本人が説明した音楽観の一つでした。

ライブ活動もさらに規模を広げ、2020年には大阪城ホール、2021年には日本武道館での単独公演を実現しました。

高校時代に楽器店のイベントで演奏を始めたバンドが、大規模な会場での単独ライブへと活動を広げていきました。

生活から生まれる歌と、3人で作るHump Backの音楽

Hump Backの音楽には、林萌々子が日々の生活から言葉とメロディーを生み出し、ぴかと美咲が演奏を重ねていくという制作の流れがあります。

その方法は、2016年に現在の3人が揃ってからの時間と、2023年以降の生活の変化によって、少しずつ広がっていきました。

実体験を歌詞とメロディーに変える林萌々子

林萌々子は、曲を作るときにメロディーから考え始めることが多いと語っています。

2017年のBARKSのインタビューでは、以前からピアノを弾いていたこともあり、鍵盤を使ってメロディーを考える場合もあると説明しました。

他のアーティストの音楽を聴くときにも、最初に耳が向くのはメロディーだといいます。

歌詞を書くときは、言葉の意味だけでなく、音としての響きも重視しています。

メロディーを聴いて自然に浮かんだ言葉について、語感がよければそのまま使うことも多いそうです。韻を踏むために言葉を選ぶというより、歌ったときの響きや、メロディーとの合い方を大切にしています。

そして、歌詞の題材になるのは、自分自身が実際に経験した出来事です。

例えば2019年のCINRAのインタビューでは、楽曲『オレンジ』について、大切な友人の心の不調を知り、近くにいたのに気づけなかった経験が制作のきっかけになったと明かしています。

身近な人の出来事を受け止め、そこで考えたことを歌にしていく。林が生活と音楽を結びつける方法がよく表れたエピソードです。

2025年のRolling Stone JAPANのインタビューでは、『明るい葬式』という曲名を思いついた背景も語られました。

大学時代の友人が事故で亡くなったことをきっかけに、お葬式を暗いだけの時間にしたくないと考え、『明るい葬式』という言葉が浮かんだそうです。

ただし、その場ですぐ一曲が完成したわけではありません。言葉を思いついてから、いつか曲にしたいと考え続け、後に歌詞が形になっていきました。

日常の出来事から言葉が生まれ、それが時間を経て楽曲になることも、林の創作方法の一つです。

ぴかと美咲が加わるバンドアレンジ

林が作ったメロディーや歌詞を、3人の演奏によってHump Backの楽曲へ仕上げていくことも、バンドの重要な制作過程です。

2019年のCINRAのインタビューで林は、ぴかと美咲が自分の歌を生かすように演奏を組み立ててくれることや、長い時間を一緒に過ごしたことで、3人の意思疎通が自然になったことを話しています。

林の歌を中心に据えながらも、すべてを林一人で決めるのではありません。3人で生まれた音に対して意見を交わし、楽曲を育てていく関係になっていきました。

ぴかは2017年のBARKSのインタビューで、『hanamuke』に収録された『ゆれる』を特に好きな曲として挙げています。

その理由として、歌やコーラスだけでなく、自分が考えたベースラインにも愛着があると話しました。

美咲も、ELLEGARDENのドラムをコピーしてきた経験を持ち、3人の音楽の中でドラムを担当してきました。

林のメロディー、ぴかのベース、美咲のドラムには、それぞれ異なる音楽を聴き、演奏してきた経験が重なっています。

2019年の『人間なのさ』では、林の歌を前に出すために、音を必要以上に重ねないことを意識していました。そのシンプルさは、3人で何を鳴らすかを共有できるようになったからこそ選べた制作方針でもありました。

産休・育休を経て変わった制作方法と新たな音楽

Hump Backの曲作りに大きな変化が起きたのは、2023年からの活動休止期間です。

2023年7月、メンバーの産休に伴ってライブ活動を休止。2024年5月16日には、林萌々子、ぴか、美咲の3人全員が出産を終えたことを報告しました。

公式Xでは、育児に取り組みながらも、ライブ復帰に向けて準備を始めていると伝えています。

ライブ活動を休んでいた間も、3人は曲作りを続けていました。

2025年のRolling Stone JAPANのインタビューで林は、産休・育休以前の曲作りについて、スタジオで自分が弾き語りをし、それをメンバーがスマートフォンで録音しながらアレンジを考える方法だったと説明しています。

ドラムやベースの動きを言葉で伝えながら、実際に楽器を合わせていく、スタジオ中心の制作でした。

しかし、子育てが始まると、以前のように長時間スタジオへ集まることは難しくなります。

そこで新たに取り入れたのが、パソコンを使ったDTMによる制作でした。

美咲は産休中に友人からDTMを教わり、パソコンを使ってドラムのフレーズを考えるようになったと話しています。

それまでは、自分が実際に演奏できる範囲でフレーズを考えることが多かったそうです。ところがDTMを使うようになってからは、まず理想のフレーズを作り、後から演奏できるように練習する方法へと変わりました。

また、トラックごとに楽器の音を聴けるようになったことで、ギターやベースとの組み合わせも以前より深く考えられるようになったといいます。

ぴかも制作方法を変えました。

それまではベースでルート音を弾き、その上に歌を重ねながら曲を考えることが多かったそうですが、マネージャーから借りたギターを使ってコードを弾きながら作曲するようになりました。

3人がそれぞれ新しい制作方法を身につけたことで、活動休止前とは違う形で楽曲を組み立てられるようになったのです。

その変化が反映された作品の一つが、2025年3月に発売された3rdフルアルバム『Hump Back』です。

収録曲の多くは産休・育休中に制作されました。林は、子どもが生まれたら自分がどのような曲を書くのか以前から楽しみにしていたと話しています。

アルバム収録曲『オーマイラブ』については、出産を経たその時期だったからこそ書くことができた曲だと振り返っています。

また、ぴかが制作した『ヤドカリ feat.GIMA☆KENTA(愛はズボーン)』では、男性ボーカルとの掛け合いを取り入れ、仮歌を聴いた後に歌詞の構成も変えていきました。

このアルバムにバンド名そのものを付けようと提案したのも、ぴかでした。

以前からセルフタイトルのアルバムを出したいという思いがあり、出産を経て3人が再び音楽を作るようになった時期に、その名前を選ぶことになったといいます。

2024年12月にライブ活動を再開したHump Backは、2025年にこの作品を発表。さらに2026年8月には、2018年のメジャーデビューから所属してきたVAPを離れ、ソニー・ミュージックエンタテインメント内のマネジメント&レーベル「Echoes」への移籍を発表しました。

高校の軽音楽部で始まったHump Backは、メンバーの交代、活動休止、メジャーデビュー、そして3人全員が母親になった後の制作方法の変化を経験してきました。

最初は林萌々子が雑誌のコード譜を見ながらギターを練習するところから始まった音楽が、3人それぞれの作曲や演奏の工夫を取り入れた作品へと発展しています。

2025年のセルフタイトルアルバム『Hump Back』には、2009年の結成から積み重ねてきたバンドの名前と、2016年から一緒に演奏してきた3人の新しい音楽が重なっています。

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