First Love is Never Returnedの結成史|NY留学から5人編成まで

First Love is Never Returnedの5人を描き、2016年の前身バンド結成、2018年の改名、2023年の5人体制成立までを示したイラスト バンド
メンバー担当
Kazuki Ishidaボーカル・ギター・キーボード
Yuji Satoベース
Keita Kotakemoriギター・キーボード・コーラス
Mizuki Tsunemotoドラム
Arata Yamamotoギター・コーラス
2023年2月に成立した5人体制。担当パートは公式プロフィールに基づく。

北海道・札幌を拠点に活動する5人組バンド、First Love is Never Returned(ファーストラブイズネバーリターンド)。「ラブネバ」の愛称でも知られ、R&Bやソウルを背景にしたグルーヴと、Kazuki Ishidaの歌声を生かしたポップミュージックを届けています。

バンドの始まりは、2016年にさかのぼります。会社員生活を経てニューヨークで歌を学んだKazuki Ishidaが、帰国後の札幌でYuji Satoと出会い、2人で前身バンドを結成しました。

最初から5人が集まっていたわけではありません。仲間を探して何人ものミュージシャンに連絡し、対バンで出会った仲間を迎え、活動休止と再始動を経て、2023年2月に現在の5人体制が成立しています。

その歩みを知ると、ラブネバの音楽が単にR&Bとバンドサウンドを組み合わせたものではないことが分かります。音楽を始めた理由も、それぞれのメンバーが加わった経緯も、曲作りの変化と深く関わっているからです。

音楽史の段階First Love is Never Returnedの歩み
音楽の原点Kazuki Ishidaが学生時代に作曲や歌唱を経験。就職後、退職を機にニューヨークで歌を学ぶ。
前身バンド結成2016年、帰国したIshidaが札幌で出会ったYuji Satoと音楽活動を開始。
バンド名・音楽性の形成2018年に現在のバンド名へ変更。2019年にKeita Kotakemoriが加入。
活動休止と再始動2020年からコロナ禍で実質活動休止。2022年末に再始動し、2023年2月に現5人体制となる。
認知の広がり2023年にRISING SUN ROCK FESTIVALへ出演。2024年にはSpotify「RADAR: Early Noise 2024」に選出。
制作体制とデビューの転機2025年にHEiLO RECORDSを設立。2026年10月7日、1stフルアルバム『W.O.R.K.S.』でメジャーデビュー。

First Love is Never Returnedの原点はニューヨーク留学

ラブネバの音楽的な出発点をたどるうえで欠かせないのが、ボーカルのKazuki Ishidaがニューヨークで過ごした時間です。

ただし、彼は最初からプロのミュージシャンを目指して渡米したわけではありません。学生時代に音楽と親しみ、いったん会社員になった後、仕事を辞めて自分の好きなことに向き合おうとした。その行動の先にニューヨークがありました。

学生時代の音楽経験とブラックミュージックへの関心

Ishidaは学生時代にも曲を作ったり、ライブハウスのような場所で歌ったりした経験がありました。しかし、2024年のSENSAのインタビューでは、当時の音楽活動はほとんど趣味の範囲だったと振り返っています。

音楽的な好みの中心にあったのは、ブラックミュージックでした。本人が好きな音楽家として挙げているのは、Boyz II MenやBrian McKnightといった歌唱力を重視するアーティストです。

そこから聴く音楽をさかのぼり、1970年代のソウルやジャズ、アシッドジャズへと関心を広げていったといいます。同時代のアーティストでは、Justin Timberlakeの名前も挙げています。

こうした愛聴歴は、後のラブネバを理解する手がかりになります。ただし、本人が「好きだった」と語った音楽と、特定の楽曲へ直接影響した音楽は別のものです。彼の声の使い方やグルーヴへの関心を考える際には、その区別も大切になります。

大学卒業後、Ishidaは一般企業に就職しました。それでも、音楽への関心が消えたわけではありません。2026年のBillboard JAPANのインタビューでは、大学時代にもっと音楽をやっておけばよかったという思いと、当時の仕事に対する不満が、退職へ踏み出す原動力になったと説明しています。

会社を辞めてNYへ渡り、歌と挑戦する勇気を学んだ

Ishidaが退職後に選んだ行き先は、ニューヨークでした。2026年のDI:GA ONLINEのインタビューによると、退職時に受け取ったお金を使い、自分が行きたい場所へ行ってみようと考えたそうです。

ブラックミュージックへの関心に加え、映画で見てきたニューヨークの街並みに対する憧れもありました。公式プロフィールでは、現地のハーレム地区でボーカルを学んだ経歴が紹介されています。

現地では歌のレッスンを受けるだけでなく、飛び入りで歌う経験も重ねました。そこには、歌が抜群にうまい人だけでなく、技術にかかわらず堂々と人前に立つ人たちもいたといいます。

その光景は、Ishidaの音楽との向き合い方に影響しました。SENSAのインタビューで、彼はニューヨークで得たものを次のように表現しています。

音楽を学んだというよりは、勇気を得て戻ってきた。

Kazuki Ishida/SENSA「結成から『POP OUT! II』まで語り尽くす全員インタビュー」(2024年4月17日)

ニューヨークで歌を学んだ経験は、技術の習得だけでなく、自分も挑戦してよいと思えるようになった転機でした。

帰国後、Ishidaは札幌で音楽活動を始めます。興味深いのは、最初からソロシンガーとしての活動を考えていたわけではないことです。

彼が求めていたのは、一緒に音楽を作り、演奏できる仲間でした。ひとりではできないことをバンドで実現したい。その思いから、仲間を探しながら、自分でもオリジナル曲を作り始めます。

2016年、IshidaとYujiの出会いからバンドが始まった

First Love is Never Returnedの前身バンドは、2016年にKazuki IshidaとベーシストのYuji Satoが結成しました。

2人の出会いは、最初からバンドメンバーを募集する場で起きたものではありません。札幌に暮らす外国人たちも参加していた音楽活動の中で知り合い、お互いの演奏や歌を知るようになったことが始まりでした。

札幌の音楽サークルで出会った2人

ニューヨークから帰国したIshidaは、札幌で外国人も参加する趣味の音楽活動に加わりました。そこにベースを弾いていたYuji Satoがいたのです。

Yujiは当時、ベース演奏だけでなく、PAとして音響を扱うこともありました。Ishidaの歌声をヘッドホンで聴き、マイクを通したときにどの周波数帯が際立つのか、自分なりにメモを取っていたそうです。

単に「歌がうまい人がいる」と感じていたのではありません。声の響き方や音響的な特徴まで意識していたことが、後に一緒に音楽を作る関係へ進んだ背景として興味深いところです。

2026年のBillboard JAPANのインタビューで、Yujiは結成前の具体的な場面も明かしています。ある日、Ishidaに地元のコンビニの前へ呼び出され、作っていた曲を聴かせることになりました。

Yujiが用意していたのは、16小節ほどの短いループを使ったデモ音源でした。ところが、聴かせたときのIshidaの反応は、Yujiの記憶ではあまりよいものではなかったといいます。

それでも話はバンド結成へ進みました。Yujiにとっては、当初、新しいバンド活動がひとつ増える程度の感覚だったそうです。しかし、Ishidaの本気度に接し、自分も真剣に取り組むことを決めました。

2016年の結成は、Ishidaが歌い、Yujiがベースを弾く2人の活動から始まったというのが、本人たちの証言と公式プロフィールに共通する経緯です。

仲間が見つからず、DMでサポートメンバーを探した

2人でバンドを始めたものの、すぐに固定メンバーが集まったわけではありません。

IshidaもYujiも、学生時代から札幌のバンドシーンに深く入り込んでいたわけではありませんでした。ライブをしたくても、ギターやドラムを頼める知り合いが少なかったのです。

そこで2人が行ったのが、ミュージシャンへの直接の連絡でした。面識のない人たちにもSNSのDMを送り、演奏を頼み、サポート料金を支払ってライブに出演してもらっていました。

技術のある演奏者を呼べば、音楽的には成立します。けれどもIshidaは、固定メンバーで活動する若いバンドを見て、自分たちには足りないものがあると感じたそうです。

2024年のSENSAのインタビューでは、演奏歴が浅い高校生のバンドと比べても、ライブで伝わる一体感では及ばないと感じた経験を振り返っています。個々の演奏技術だけでは、バンドとしての強さを説明できない。2人で活動していた時期に、その違いを強く意識したのです。

ラブネバが仲間を探し続けた理由は、単に演奏に必要な人数をそろえるためだけではありませんでした。同じ目標に向かって音を鳴らす、固定メンバーのバンドを作りたかったのです。

この頃、IshidaはDTMを使ったオリジナル曲作りにも取り組んでいます。ライブハウスでバンドとして演奏するなら、自分たちの曲が必要だと考えたことがきっかけでした。

初期のメンバー探しでは、連絡をしても返事が来なかったり、誘いを断られたりすることもありました。こうした経験は、ずっと後になって「僕らの行進曲」という楽曲にも取り入れられます。

2018年にバンド名を変更した理由

2016年に始まった活動は、2018年に現在のバンド名「First Love is Never Returned」へと変わりました。

公式プロフィールでは、この名前に込めた意味を、初恋のような、音楽と出会ったときの初期衝動を忘れないことだと説明しています。

「First Love」という言葉が使われていますが、特定の恋人との出来事や失恋体験を表す名前だと決めつけるのは正確ではありません。公式に説明されているのは、音楽に初めて心を動かされたときの感覚を大切にするという意味です。

また、2018年はバンド名が変わった年であり、最初に音楽活動を始めた年ではありません。結成を2016年とする公式年表との違いは、前身バンドの結成と改名を別の出来事として考えることで整理できます。

音楽を職業として始めたわけではないIshidaが、好きだった音楽をきっかけに行動し、仲間と曲を作り始めた。その歩みを踏まえると、バンド名に込められた「初期衝動」という言葉は、彼らの出発点と重なります。

対バンで仲間が増え、現在の5人体制へ

現在のラブネバを構成する5人は、最初から同じ音楽仲間だったわけではありません。札幌のライブハウスでの対バン、以前のバンドで築いた人間関係、サポート演奏の依頼がつながり、少しずつメンバーが集まりました。

その中心的な役割を果たしたのが、2019年に加わったKeita Kotakemoriです。

2019年、元フロントマンのKeitaがギターで加入

Keitaは、もともと別のギターロックバンドでボーカルとギターを担当していました。IshidaとYujiのバンドとは、ライブイベントで対バンしたことがありました。

そのときKeitaが印象に残していたのは、Ishidaの歌声です。ギターロックを演奏しているのに、歌い方や声質がそのジャンルの定型から大きく外れている。それでも非常に歌がうまいことに驚いたと、後のインタビューで語っています。

Yujiのベースも、当時Keitaが慣れ親しんでいたギターロックとは異なる弾き方でした。本人たちは流行のギターロックを真剣に演奏しようとしていましたが、別の音楽を背景に持つ2人の個性が、演奏に表れていたのです。

Keitaが所属していたバンドの解散後、Ishidaたちの活動を手伝っていたマネージャーから演奏への誘いがありました。こうして2019年、Keitaはギタリストとして加入します。

Keitaの加入によって変わったのは、演奏できる人数だけではありません。彼はIshidaの声やYujiのベースを生かすなら、もっとグルーヴのある音楽やポップな歌ものを目指したほうがよいと感じていました。

後にラブネバの音楽性を方向づける意見が、バンドの外から見ていたミュージシャンの加入によって持ち込まれたことになります。

活動休止とMizukiの参加

Keitaの加入後、バンドは新しい曲を作り、固定メンバーで活動を進めようとしていました。しかし、2020年からのコロナ禍で状況が変わります。

ライブの機会が失われ、活動拠点としていたライブハウスも閉店。メンバーが集まり始めたばかりの時期に、バンドは演奏を続ける場所を失いました。

IshidaはSENSAのインタビューで、その間はライブだけでなく曲作りもほとんど行わず、音楽活動そのものが止まっていたと振り返っています。公式プロフィールでも、2020年から2年以上にわたり実質的な活動休止状態にあったとされています。

活動再開を考え始めた頃には、当時のドラマーが家庭の事情で離れることになりました。そこでKeitaが声をかけたのが、以前のバンドでも一緒だったドラマー、Mizuki Tsunemotoです。

KeitaとMizukiは幼い頃からの知り合いでもありました。2026年のBillboard JAPANのインタビューによると、KeitaはMizukiを飲みに誘い、週に2回ほど、趣味の延長のような感覚でスタジオに入ろうと持ちかけたそうです。

ところが、実際に参加すると、スタジオに入る頻度は週4〜5回ほどに増えていきました。Mizuki自身も、それまで中心にしていたギターロックとは異なる音楽へどう順応するかを考えながら参加していました。

彼が加わった時期に制作が進んだ重要な楽曲が、「シューズは脱がないで」です。Mizukiにとっても、ラブネバの楽曲制作に深く参加する初期の機会となりました。

演奏上の転機からArataを迎えた経緯

5人目となったArata Yamamotoも、札幌のライブシーンで以前からメンバーと接点がありました。自身のバンド「Arata」でも活動しており、ラブネバとは対バンやライブハウスでの交流を通じて知り合っていました。

2026年のBillboard JAPANのインタビューでは、「シューズは脱がないで」のレコーディングにあたり、Arataが所有するギターアンプを貸してほしいという依頼を受けたことが、加入につながるきっかけのひとつだったと語っています。

Arataは機材を貸すだけでなく、レコーディングの様子も見学していました。その後、バンドの編成に大きな変化が起こります。

それまでギターを担当していたKeitaが、演奏に支障の出る体調上の問題を抱え、ギターからキーボードへ役割を移すことになったのです。本人は後のインタビューで、ギターをうまく弾けなくなった経緯を説明しています。

バンドには新たにギターを弾く人が必要になりました。そこでKeitaがArataに声をかけ、まずはサポートギタリストとして参加してもらうことになります。

Arataは当時からIshidaの歌声やラブネバの音楽に魅力を感じていました。最初から正式メンバーとして移籍したわけではなく、自分のバンド活動と並行しながら関わり、『POP OUT!』の制作を進める中で正式加入の誘いを受けています。

2023年2月、Ishida、Yuji、Keita、Mizuki、Arataによる5人体制が成立しました。

この編成では、ギター、ベース、ドラムに加えてキーボードも生演奏で取り入れられ、複数人によるコーラスも可能になりました。メンバーたちは、5人になったことでライブの音の厚みや演奏できる表現の幅が増えたと話しています。

2人でサポート奏者を探していたバンドが、対バンでの出会いと演奏上の必要性を経て、ようやく現在知られる形になったのです。

ギターロックからR&Bを生かしたポップミュージックへ

First Love is Never Returnedの音楽には、R&Bやソウルに由来するリズム、ポップなメロディー、ギターロックで培われた演奏感覚が同居しています。

しかし、最初から現在のスタイルが確立されていたわけではありません。むしろ初期には、自分たちの個性を生かす方向とは反対の試行錯誤もしていました。

自分たちの音楽性を見つけるまでの試行錯誤

前身バンドの頃、IshidaとYujiが取り組んでいたのは、札幌のライブハウスで広く演奏されていたギターロックでした。

ところが、Ishidaはブラックミュージックを好み、Yujiのベースにもその影響が表れていました。2人が一生懸命にギターロックを演奏しても、周囲のバンドとは何かが違っていたのです。

当時のIshidaは、思うように人気が出ない理由を、自分たちの演奏に残るブラックミュージック的な要素に求めたこともありました。Yujiに対して、そうした弾き方を控えるよう伝えたというエピソードも残っています。

ところが、後から加わったKeitaの見方は反対でした。Ishidaの歌声もYujiのベースも、一般的なギターロックとは異なる魅力を持っている。それを抑えるのではなく、もっと生かしたほうがよいと考えていたのです。

Keita自身はギターロック出身でしたが、だからこそ2人との違いをはっきり感じ取れたのでしょう。加入後には、もっとグルーヴを重視した音楽へ向かうことを提案しました。

転換は一度で完了したわけではありません。Ishidaによると、The 1975のような音楽を意識してみるなど、ロックとブラックミュージックの要素をどう組み合わせるかを試していました。

昔から好きだったR&Bをそのまま演奏するだけでも、自分たちが目指すものとは違っていました。札幌のライブハウスで聴く人にも、配信を通じて初めて曲に触れる人にも届く、新しい表現を考える必要があったのです。

ラブネバの音楽性は、ブラックミュージックへ単純に戻ったことで完成したのではなく、異なる音楽経験を持つメンバー同士の試行錯誤から形になっていきました。

「シューズは脱がないで」と『POP OUT!』で再始動

コロナ禍で活動が止まった後、メンバーたちは、以前作りかけていた曲や音源をもう一度見直しました。まったく新しい音楽をゼロから作り直すのではなく、休止前に取り組んでいたものを磨き直すところから再始動したのです。

その転機となった作品のひとつが、2022年末に発表した「シューズは脱がないで」でした。

Ishidaは2024年のSENSAのインタビューで、この楽曲をきっかけに、それまでとは違う手応えを得たと語っています。楽曲がプレイリストに入り、札幌のライブ会場へ足を運ぶ人以外にも自分たちの音楽が聴かれていることを実感できたのです。

それ以前にも音源を公開していましたが、どのような人に届いているのか、はっきりとは感じられていませんでした。「シューズは脱がないで」への反応は、次にどんな曲を作り、どう届けるかを考えるきっかけにもなりました。

2023年2月には、ミニアルバム『POP OUT!』を発表。Arataの正式加入を含む5人体制の成立とも重なる時期であり、バンドは新しい編成で音源制作とライブ活動を進めていきます。

「シューズは脱がないで」の制作は、Mizukiが加わり、Keitaの担当楽器が変わり、Arataとの接点が深まった時期とも重なっています。楽曲の完成とバンドの編成変更が、別々ではなく同時に進んでいたことが分かります。

メンバーそれぞれの創作がバンドの音を広げた

ラブネバの曲作りは、Ishidaが中心となって進めてきました。しかし、5人体制で活動を続けるうちに、ほかのメンバーがそれぞれの音楽経験を作品へ持ち込む機会が増えていきます。

2025年の『POP OUT! III』では、Keitaが手がけた「メモリーフラッグ」や、Arataによる「落日々」など、複数のメンバーの創作が作品に反映されました。

Keitaは「メモリーフラッグ」について、印象に残るフレーズやスラップベースを意識し、楽器を演奏する人にも魅力が伝わる曲を目指したとUSEN encoreで説明しています。

また、Arataは自身の音楽的な背景を生かした楽曲を制作しました。もともとギターロックを演奏していたKeitaやMizuki、別のバンドでも活動するArataが加わったことで、Ishidaひとりの愛聴歴だけでは説明できない表現が増えていったのです。

2026年の1stフルアルバム『W.O.R.K.S.』では、この流れがさらに進みます。Ishidaは全員に楽曲制作を求め、メンバーそれぞれが自分の音楽的な好みや日常生活を作品に持ち込むことになりました。

最初は2人で音を鳴らし、仲間を探していたバンドが、やがて5人それぞれの創作を受け止める場へ変わっていったのです。

札幌から全国へ、メジャーデビューまでの歩み

2022年末の再始動と2023年の5人体制成立を経て、ラブネバの音楽は札幌の外へも届くようになりました。

ただし、その歩みは突然の大ヒットや、ひとつの出来事ですべてが変わったというものではありません。フェス出演、配信サービスでの紹介、作品制作、レーベル設立を積み重ねた先に、2026年のメジャーデビューがあります。

RISING SUNとSpotify選出で広がった活動

2023年、First Love is Never Returnedは北海道の音楽フェス「RISING SUN ROCK FESTIVAL」に出演しました。公式プロフィールによると、活動再開からおよそ半年後に出演が決まった出来事でした。

長く活動してきたバンドにとっても重要な出演ですが、ラブネバの場合は、活動休止から立て直した時期に実現した点が特徴的です。

さらに2024年には、Spotifyが注目するアーティストを紹介する「RADAR: Early Noise 2024」に選出されました。

2025年のUSEN encoreのインタビューで、Ishidaはこの選出を、それまで北海道を中心に活動していたバンドが、道外のライブへ出演し、より多くの人に音楽を届ける機会につながった出来事として振り返っています。

同じ2024年には「VIVA LA ROCK 2024」にも出演。札幌での活動を土台にしながら、全国の音楽リスナーと接する機会が増えていきました。

配信サービスで取り上げられる経験は、楽曲制作への意識も変えました。ライブで演奏したときの反応だけでなく、プレイリストの中で初めて聴いた人にどう届くかも考えながら、作品を作るようになっていったのです。

HEiLO RECORDS設立と「挿入歌」に表れた変化

2025年5月28日、First Love is Never Returnedは、エイベックスと共同で立ち上げたレーベル「HEiLO RECORDS」から、3作目のミニアルバム『POP OUT! III』を発表しました。

ここで区別しておきたいのは、2025年のレーベル設立と、2026年のメジャーデビューは別の出来事だという点です。

当時のバンドは、HEiLO RECORDSを設立したことを、華々しい「メジャーデビュー」とは位置づけていませんでした。社会人として働きながら、自分たちの音楽を作り続ける活動の延長として発表しています。

『POP OUT! III』に収録された「僕らの行進曲」は、彼らの始まりを知ると、違った角度から聴ける楽曲です。

IshidaはUSEN encoreのインタビューで、この曲が最初からバンドの結成史を説明する目的で作られたわけではないと話しています。出発点にあったのは、DMやメールを送っても返事が来ない人の気持ちを曲にしたいという発想でした。

そこへ、自分がメンバーを探して連絡を送り続けたものの、なかなか仲間が増えず、Yujiとの2人の活動が続いた経験を重ねていったのです。

つまり「僕らの行進曲」は、結成史をそのまま歌に置き換えた作品ではありません。返信を待つ気持ちを描くために、実際のバンド結成時の体験が使われています。

アレンジにも具体的な工夫がありました。Mizukiによると、曲の途中でテンポが変化する部分を自然につなぐため、スタジオで何度もBPMを調整したそうです。テンポを急に切り替えるのではなく、なだらかに変化させる方向を選んでいます。

初期の苦労を知ったうえで聴くと、曲の題材と演奏の組み立て方の両方に、バンドならではの工夫が見えてきます。

同じ『POP OUT! III』の「挿入歌」では、別の方向で楽曲制作を変えています。

Ishidaによると、以前制作した「それが恋だと言ってくれ!」ではトレンディドラマを意識していました。その発想をさらに広げ、ドラマの挿入歌のような雰囲気を、もっと身近な日常の出来事と結びつけられないかと考えたことが、「挿入歌」の制作につながっています。

歌詞の着想には、結婚して時間がたった人や、家族が増えていく身近な人たちの姿がありました。恋愛を大きな出来事として描くのではなく、生活の中で少しずつ変化していく関係を見つめています。

アレンジ面では、BIGMAMAの東出真緒による生ストリングスの録音も取り入れました。Keitaは、これまでの曲で目立たせていた個々のフレーズとは異なり、この作品では楽曲全体を支える演奏を意識したと説明しています。

「僕らの行進曲」が過去の実体験を楽曲へ変えた例だとすれば、「挿入歌」は身近な生活の景色を、より多くの人に届くポップソングへ組み立てようとした例です。

どちらも、Ishidaの発想だけで完成した作品ではありません。ほかのメンバーの演奏やアレンジの工夫が加わることで、ラブネバの音楽になっています。

『W.O.R.K.S.』で5人が迎えたメジャーデビュー

2026年10月7日、First Love is Never Returnedは1stフルアルバム『W.O.R.K.S.』を発売し、メジャーデビューを果たしました。

2025年にはあえて使わなかった「メジャーデビュー」という言葉を、なぜこのタイミングで選んだのでしょうか。

IshidaはBillboard JAPANのインタビューで、HEiLO RECORDS設立後の約1年間に、以前より大きなイベントへの出演やタイアップ、メディアでのプロモーションなど、さまざまな経験を重ねたことを説明しています。

その経験を経て、初のフルアルバムを発表する段階になり、自分たちの実感としてメジャーデビューを宣言できるようになったということです。単にレーベルの規模が変わった日ではなく、バンド自身が節目として選んだ日でもありました。

『W.O.R.K.S.』というアルバムには、それまでの活動をさらに発展させる制作上の挑戦がありました。

従来はIshidaが中心となって曲を作っていましたが、この作品では5人全員が作曲に参加し、それぞれが自分の言葉や音楽的な好みを作品へ持ち込んでいます。

制作にあたり、Ishidaがメンバーへ伝えたのは、次のような要望でした。

1人1曲は出してほしい

Kazuki Ishida/DI:GA ONLINE「First Love is Never Returnedにインタビュー!」(2026年10月7日)

できればひとりで作詞と作曲を完成させてほしいという考えもあったといいます。その結果、これまで曲全体の制作経験が少なかったYujiやMizukiも、自分が得意とする音楽を出発点にして作品を作りました。

Yujiが担当した「ミッドナイトブルー」は、楽器による演奏を中心に、スタジオでのセッションを繰り返して形にした楽曲です。以前は短いループを作ることがあっても、1曲全体の構成まで完成させた経験は多くありませんでした。ほかのメンバーと制作しながら、曲全体を組み立てていったのです。

Mizukiが制作した「Twilight」には、本人が好きだったアメリカのポップスと、それまで演奏してきたギターロックの要素が取り入れられました。作曲経験がほとんどない状態から挑戦し、各メンバーへ自分の考えを伝えながら完成させています。

Keitaの「期末評価会議」では、ディスコファンクへの好みが表れました。もともとギターロックを演奏していた彼が、R&Bやファンクに触れてきた経験の中から、自分に合う表現を見つけた作品でもあります。

Arataが手がけた「最近変わりない?」には、幼い頃に車内で聴いていた、R&Bの要素を持つ日本のポップスの記憶が生かされています。本人は平井堅の楽曲などを思い出しながら、Ishidaが歌うと面白い曲を考えたと説明しています。

一方、Ishidaが手がけた「退職代行」は、本人の会社員経験が制作の出発点です。自分が仕事を辞める側だった経験に加え、退職する人の気持ちを受け止める立場も知っていたことから、楽曲のテーマを思いつきました。

さらに「退職代行」では、IshidaだけでなくKeitaとArataも歌唱を担当しています。部下側、上司側という異なる立場を歌い分ける構成は、複数人で声を重ねるバンドへ発展してきたからこそ実現した表現です。

『W.O.R.K.S.』は、5人が集まったバンドから、5人それぞれが曲を生み出すバンドへ進んだことを示す作品になりました。

バンドは、メジャーデビューに向けた決意を公式Xでも発表しています。2025年のレーベル設立とは区別し、2026年10月7日を新たな節目として迎えることを、自分たちの言葉で伝えた投稿です。

ラブネバのもうひとつの特徴は、メンバーが社会人として仕事を続けながら、バンド活動にも取り組んでいることです。

2026年のインタビューでは、Ishidaが、仕事をする日常とステージに立つ時間との大きな違いが、自分の活動を支える力になっていると話しています。『W.O.R.K.S.』にも、そうした日常生活に根差した題材が多く取り入れられました。

2016年、札幌で知り合った2人が、演奏してくれる仲間を探してDMを送り続けていたところから始まったFirst Love is Never Returned。2018年の改名、Keitaとの出会い、活動休止、MizukiとArataの加入を経て、現在の5人がそろいました。

その間、音楽性もギターロック中心の演奏から、R&Bのグルーヴと各メンバーの経験を生かしたポップミュージックへと変化しています。

ニューヨークで歌う勇気を得たIshidaが、ひとりで音楽を続けるのではなく仲間とバンドを組むことを選び、やがて5人全員が曲を作るようになった。そこに、First Love is Never Returnedの結成からメジャーデビューまでを貫く音楽の歩みがあります。

タイトルとURLをコピーしました