| メンバー | 担当 |
|---|---|
| 吉田右京 | ボーカル・ギター |
| shuji | ギター |
| フジイタクミ | ベース |
福岡発のバンド・マルシィは、吉田右京が作った「Drama」という一曲をきっかけにメンバーが集まり、2018年に活動を始めたバンドです。
吉田右京が友人の紹介でフジイタクミと出会い、最初のバンドを結成。その後、アルバイト先で知り合ったギタリストのshujiが加入し、現在につながる音楽性が形になっていきました。
メンバーを探して音楽専門学校へ飛び込んだこともあれば、初期のライブでは観客が10人にも満たないこともありました。それでも、自分たちの曲を聴いてもらいたいという思いを持ち続け、制作と発信を重ねていったのです。
歌うことが好きだった少年のギターとの出会いから、一曲のデモ音源でつながった仲間、そして全国へ音楽が届くまでの歩みをたどります。
| 音楽史の段階 | マルシィの歩み |
|---|---|
| 音楽の原点 | 吉田右京が高校卒業時にギターを譲り受け、大学時代に曲作りを始める |
| 結成 | 2018年、吉田右京とフジイタクミを中心に福岡でバンド活動を開始 |
| 編成と改名 | 2019年にshujiが加入し、バンド名をマルシィへ変更 |
| 初期作品の発表 | 2019年に「Drama」のMVを公開。2020年には「Drama」「絵空」を主要配信サービスで配信 |
| メジャーデビュー | 2022年6月1日、1stアルバム『Memory』を発売 |
| 認知拡大と転機 | 「ラブソング」のヒットを経て、2025年に日本武道館、2026年に横浜アリーナで単独公演 |
吉田右京は歌が好きな少年だった
マルシィの曲作りの中心にいる吉田右京は、幼いころから歌うことが好きでした。ギターを習ったり、学生時代から本格的な音楽活動を続けたりしていたわけではありません。
むしろ、バンド結成までの歩みは意外なほど身近な出来事から始まっています。
学生時代に親しんだ音楽と歌うことへの憧れ
吉田が子どものころに触れていたのは、親が車や家で流していた音楽でした。中学・高校時代にはGReeeeN、清水翔太、AAAなどを聴き、幅広いJ-POPに親しんでいたといいます。
高校時代は硬式テニス部に所属しており、音楽活動を本格的にしていたわけではありません。それでも歌うことは大好きで、休み時間には友人からリクエストされ、スキマスイッチの「奏」を歌うこともありました。
本人は、幼いころから人に歌を届ける仕事ができたらいいと考えていたそうです。ただ、その思いがすぐにバンド活動へ結びついたわけではありません。
バンドそのものに興味を持ったのは、福岡でバンド好きの友人にライブハウスへ連れていってもらった経験も関係しています。
そこで観たのは、名前も覚えていないようなインディーズバンド。それでも、生演奏に触れたことで、バンドという活動の面白さを感じたと2022年のSPICEインタビューで振り返っています。
一方、後にメンバーとなるフジイタクミとshujiは、X JAPANに強い関心を持っていました。
フジイはX JAPANのライブ映像を観たことが音楽にのめり込むきっかけとなり、最初に購入したベースもTAIJIモデルだったといいます。
shujiも高校1年生でエレキギターを購入し、X JAPANの「紅」などをコピーしていました。高校の軽音楽部では、9mm Parabellum Bulletの楽曲なども演奏していたそうです。
吉田は歌やJ-POPを中心に親しみ、フジイとshujiはロックバンドの演奏に憧れて楽器を始めた。3人は異なる入り口から音楽に向き合っていました。
友人から譲られたギターをきっかけに曲作りを始める
吉田がギターを手にしたのは、高校を卒業するときでした。
硬式テニス部の友人から、使わなくなったアコースティックギターを譲り受けたのです。
高校卒業後、吉田は福岡県内の大学の経営学部へ進学しました。大学の音楽サークルには所属せず、授業とアルバイトを中心とした生活を送っていたといいます。
そのなかで、譲ってもらったギターを使い、自分でも曲を作るようになりました。
カバー曲を歌うだけでは、自分が思い描いていた歌い手の姿とは少し違う。自分のオリジナル曲を作って歌いたい。
吉田は2021年のぴあ音楽のインタビューで、そうした思いから曲作りに向かったことを明かしています。
バンド活動を始める約3カ月前にギターと作曲を始めたとも振り返っており、曲作りとバンド結成の間には、それほど長い期間があったわけではありません。
このころに生まれた楽曲の一つが「Drama」です。後にマルシィの最初のMVとなり、メンバーの出会いにも関わる一曲でした。
「Drama」がきっかけとなった2018年のバンド結成
2018年の終わりごろ、吉田右京はバンドを組みたいと考えていました。しかし、身近に一緒に活動できる演奏者が見つかりません。
そこで吉田は、自分から動いて仲間を探し始めます。その行動には、後のインタビューでメンバーが笑ってしまうような出来事もありました。
仲間を探して音楽専門学校へ足を運んだ吉田右京
バンドを結成したかった吉田は、演奏できる人と出会うため、音楽系の専門学校へ行ったことがありました。
学校に通っていたわけではありません。演奏者を探そうと考え、建物のエレベーターホールで学生が来るのを待っていたそうです。
勇気を出して学生に声をかけたものの、先生に見つかり、部外者として退出を求められる結果になりました。
2022年のスタディサプリ進路のインタビューでこの出来事を話すと、フジイタクミも初めて聞いた様子で驚いていました。
結局、専門学校ではバンド仲間を見つけられませんでした。それでも吉田は、別の方法でメンバーを探し続けます。
友人の紹介でフジイタクミと出会う
吉田がフジイタクミと知り合ったのは、共通の友人を通じてでした。
友人とカラオケに行った際、吉田がバンドをやりたいと話したところ、楽器を演奏する知り合いとしてフジイを紹介してもらうことになったのです。
フジイも当時は大学生でした。大学のバンドサークルに所属し、そこでベースを始めていました。
もともとギターにも触れていたものの、思うように演奏できず、大学のサークルではベースを選んだといいます。仲間と一緒に演奏する楽しさを知り、本格的にバンド活動をしたいという思いも持っていました。
吉田は、まだ直接会ったことのないフジイへ、自分で作った曲のデモ音源を送りました。
その中に入っていたのが「Drama」です。
2021年のふくおかナビのインタビューによると、吉田はスマートフォンのボイスメモで弾き語りを録音しており、フジイに渡した3曲ほどのデモの中に、最初に作った「Drama」があったそうです。
フジイは当初、バンド経験もほとんどないという吉田の説明から、そこまで期待していなかったと振り返っています。
しかし、実際に音源を聴くと印象が変わりました。歌声だけでなく、メロディーや歌詞にも魅力を感じ、一緒に活動したいと思ったのです。
「Drama」は、マルシィの初期代表曲であると同時に、吉田右京とフジイタクミがバンドを始める決め手となった楽曲でした。
実は2人には、それ以前にも意外な接点がありました。
高校時代、吉田もフジイも大分県で硬式テニスをしており、県大会のシングルスで対戦したことがあったというのです。
フジイはその試合を覚えていた一方、吉田には対戦した記憶がなかったそうです。
音楽活動を始める前にテニスの試合で顔を合わせていた2人が、大学生になってから友人の紹介で再びつながったことになります。
最初の4人編成で福岡のライブ活動を開始
吉田とフジイは、ほかのギタリスト、ドラマーとともに4人でバンド活動を始めました。
この段階では、後に知られる3人編成とは異なります。マルシィは最初から吉田右京、shuji、フジイタクミの3人で結成されたわけではありません。
フジイは2021年のインタビューで、初代ギタリストとドラマーを含む4人で活動を始めたと説明しています。
大学生同士で始まったバンドだったこともあり、進路を考えるなかでメンバーの入れ替わりが起こりました。
結成当初の活動は、アルバイト代を使って練習やライブをするというものでした。初期の録音では、吉田自身も知識が十分ではなく、頭の中にある音楽を思いどおりに形にする難しさを感じていたといいます。
それでも、吉田が持ってくる曲をバンドとして完成させ、多くの人へ届けたいという方向性は、結成当初から共有されていました。
shujiの加入と「マルシィ」という名前の誕生
初期メンバーの交代を経て、2019年1月に新たなギタリストとして加入したのが、当時「おさみぃ」と名乗っていたshujiです。
shujiの加入には、アルバイト先での偶然の出会いと、再び「Drama」のデモ音源が関わっていました。
アルバイト先で出会ったギタリストを誘う
吉田とshujiは、同じアルバイト先で働いていました。
ただし、当時のshujiは複数のアルバイトを掛け持ちしており、吉田と同じ時間帯に働く機会がなかなかなかったそうです。
吉田はアルバイト先のオーナーを通じて、ギターが上手な人がいることを聞いていました。やがて2人の勤務時間が重なり、ギターを演奏しているという話から、バンドへ誘うことになります。
そのころ、バンドには初代ギタリストがいなくなっており、新しいメンバーを探していました。
吉田はshujiにもデモ音源を聴いてもらいます。
shujiは歌声やメロディーの良さに惹かれ、一度スタジオで一緒に演奏することになりました。
最初はサポートに近い立場でしたが、その後、2019年1月に正式加入しています。
shujiはそれ以前、さまざまな曲をコピーして演奏する活動も経験していました。オールディーズやブルースなど幅広い楽曲を演奏し、本人によると、その数は300曲ほどに及んだそうです。
X JAPANをきっかけにギターを始めたshujiでしたが、自分が組みたいバンドのジャンルだけにこだわっていたわけではありません。
吉田の曲を聴いて、いい曲だと感じたことが加入の理由だったと振り返っています。
「Drama」のアレンジで見つかった理想の音
shujiの加入は、マルシィのサウンドにも変化をもたらしました。
吉田は初期メンバーと「Drama」のデモを録音していたものの、自分が思い描いていた音楽とはどこか違うと感じていたそうです。
ところがshujiが加入すると、ギターの音色やメロディーの組み立て方が、吉田の理想に近づきました。
2021年のぴあ音楽のインタビューでは、shujiが入ったことで、自分の思うサウンドを作りやすくなったと吉田が説明しています。
ここで見逃せないのは、「Drama」がフジイとの出会いを生んだだけでなく、shujiが加入するきっかけにもなり、その後のサウンド形成にも関わっていたことです。
フジイも、吉田の曲には最初のデモの段階から魅力を感じていたと話しています。吉田が作る曲を、メンバーそれぞれの演奏によってより良い形へ仕上げることが、バンドの制作の基本になっていきました。
一方で、メンバーの音楽的な好みは必ずしも同じではありませんでした。
フジイとshujiがX JAPANに憧れて楽器を始めたのに対し、吉田が作っていたのは、日本語のメロディーと歌詞を大切にした楽曲です。
shujiは、自身のギターフレーズにはX JAPANからの影響があると思うと語る一方、マルシィでは吉田の歌声に寄り添う演奏を意識していました。
それぞれが好きだった音楽をそのまま再現するのではなく、吉田の曲を中心に音を組み立てていたのです。
覚えやすさを求めて決まったバンド名
現在の「マルシィ」というバンド名が決まったのも、shujiが加入したころでした。
それ以前のバンド名は長く、shujiは覚えにくいと感じていたそうです。
そこで、もっと覚えやすい名前に変えないかとメンバーへ提案しました。
2021年のふくおかナビのインタビューによると、スタジオでの練習を終えたあと、メンバー同士で新しいバンド名の候補を出し合ったといいます。
そのとき、shujiが何気なく口にした名前が「マルシィ」でした。
候補には、カクテルの名前に由来する「ニコラシカ」もありました。しかし、同じ名前のバンドがすでに存在していると分かり、採用されませんでした。
吉田は、親しみやすいバンドになりたかったため、覚えやすさを重視していたと説明しています。
「マルシィ」という名前は、スタジオ帰りの会話でshujiが出した案から決まったものです。
初期の長いバンド名から、短く覚えやすい「マルシィ」へ。2019年の改名を経て、バンドはこの名前で楽曲を発表するようになりました。
福岡のライブハウスから始まったマルシィの挑戦
メンバーが集まり、バンド名も決まったマルシィは、福岡のライブハウスで活動しながら、オリジナル曲の録音や映像制作を進めていきました。
最初から大勢の観客に囲まれていたわけではありません。初期のライブでは客席が少人数にとどまり、活動資金にも限りがありました。
初期ライブでは観客が10人に満たないこともあった
マルシィが福岡のライブハウスに出演し始めたころ、ライブを観に来る人は決して多くありませんでした。
吉田は2022年のスタディサプリ進路のインタビューで、当時の観客が10人にも満たず、悔しかったことを振り返っています。
また、shujiは別のインタビューで、マルシィとして初めて出演したライブには20人ほどの観客がいたと話しています。
それぞれの発言は、必ずしも同じ公演について話したものではありません。初期には観客が少ないライブもあった一方で、メンバーは自分たちの楽曲に手応えを感じていました。
フジイは、吉田の弾き語りを初めて聴いたときから、いい曲だと感じていました。shujiも、その楽曲を演奏したいと思って加入しています。
演奏する側の3人には、曲をもっと多くの人に届けられるという思いがありました。
しかし、ライブを重ねるだけでは、すぐに全国へ名前が広がるわけではありません。
そこで力を入れていたのが、録音した楽曲を映像とともにインターネット上へ公開することでした。
「Drama」と「絵空」の自主制作から配信へ
2019年4月6日、マルシィは初めてのミュージックビデオとなる「Drama」を公開しました。
このMVは映像制作チームのstudio imaginaryが手がけ、吉田右京自身も男性役として出演しています。相手役を務めたのは、きりまるです。
吉田の書いた失恋の感情を、歌声やバンドの演奏だけでなく、物語のある映像として届ける作品でした。
録音・ミックス・マスタリングは福岡県太宰府市の音楽堂PLUMが担当しており、同スタジオには当時のMV公開記録が残されています。
公開当日、バンド公式Xでも初MVの完成が告知されました。
「Drama」は当時、広告宣伝に大きな費用をかけた楽曲ではありませんでした。それでもYouTubeで少しずつ再生され、リスナーの間で広がっていきました。
Billboard JAPANによると、2019年4月に公開された「Drama」は、派手な一度の拡散によって広まったというより、時間をかけて再生数を伸ばしていった作品でした。
2020年にはMVの再生回数が100万回を突破するなど、初期から楽曲そのものに関心が集まっていたことが分かります。
続いて2020年5月2日には「絵空」のMVを公開。同月31日には「Drama」と「絵空」が主要な音楽配信サービスでも聴けるようになりました。
2019年の「Drama」MV公開と、2020年の「Drama/絵空」の配信開始は、それぞれ異なる段階の出来事です。
初期の「Drama」の映像を見ると、吉田が最初に作った曲が、どのようにバンド作品として形になったのかを知ることができます。
マルシィは、楽曲の制作だけでなく、どうすればその曲を必要としている人に届けられるかも考えていました。
吉田は2021年のインタビューで、メンバーとMVの作り方を一緒に考えながら発信してきたと話しています。
当時は新型コロナウイルスの感染拡大によってライブ活動が難しい時期でもありました。マルシィは一曲ずつ制作を重ね、インターネットを通じて楽曲を届ける活動に力を注いでいきます。
メンバー交代を経て3人編成になるまで
初期のマルシィは4人編成のバンドでしたが、結成後もメンバーの入れ替わりがありました。
2019年1月にはshujiが加入。同年にはドラマーの交代もあり、めゐびーが加入しています。
2021年7月のふくおかナビのインタビューには、うきょう、おさみぃ、フジイタクミ、めゐびーの4人が登場しています。
当時、めゐびーは以前に所属していた3人組バンドが解散し、東京へ行くことも考えていた時期に、マルシィから声がかかったと説明していました。
その後、めゐびーがバンドを離れ、マルシィは吉田右京、shuji、フジイタクミの3人で活動する形になりました。
2021年12月のぴあ音楽のインタビューには、この3人が出演しています。
その年の12月17日には、福岡のBEAT STATIONで初めてのワンマンライブを開催しました。
初期のライブでは観客が少なかったバンドが、自分たちの音楽を聴くために集まった人たちの前で演奏する機会を得たのです。
2022年3月のSPICEのインタビューでは、メンバーが初ワンマンの光景を振り返り、以前同じ会場で出演したイベントとは違う感覚があったと語っています。
こうしたライブの経験と並行して、曲作りや演奏の方法も少しずつ磨かれていきました。
実体験から生まれるラブソングとマルシィの曲作り
マルシィの音楽を特徴づけているのは、吉田右京が自分の感情をもとに書く歌詞と、それを支えるメンバーの演奏です。
特に失恋や、誰かを好きだからこそ生まれる不安、忘れられない記憶などは、初期の楽曲から繰り返し扱われてきました。
ただし、すべての曲が吉田本人の経験をそのまま描いたものとは限りません。本人は、実体験から作ることも多いと話す一方、伝えたい感情をどう音楽として表現するかを大切にしていました。
吉田右京が恋愛の感情を歌詞にする理由
吉田は2021年のぴあ音楽のインタビューで、「Drama」を書いたころに曲へつながるような出来事があったと振り返っています。
最初の楽曲から恋愛を題材にしていた背景には、本人の感情や経験がありました。
2022年のVANITYMIXのインタビューでは、恋愛の始まりにある幸福感よりも、別れの悲しさや悔しさの方が長く残ることがあると話しています。
好きだからこそ相手の気持ちが気になり、心配や不安が生まれる。そうした感情も、吉田にとって曲を作る材料になっていました。
スタディサプリ進路のインタビューでは、人と関わるなかで考えたことや、自分でも認めたくないような感情を歌詞にしてきたことを明かしています。
女性の視点から描いた歌詞にも、実際に相手から言われた言葉が使われていることがあるそうです。
その一方で、歌詞を書く目的は自分の経験を説明することだけではありませんでした。
吉田は、自分の記憶を正直に言葉にすることで、似た経験をした人がそれぞれの記憶を思い出してくれたらいいと話しています。
自分の中にある感情を言葉にし、それを聴いた人が自分自身の記憶と重ねられるようにすることが、マルシィのラブソングの重要な考え方でした。
2022年の1stアルバム『Memory』にも、そうした発想が表れています。
吉田はアルバムを一つの物語として構成したいと考え、冒頭の「ラブストーリー」に、失ってから気づく日常の大切さというメッセージを込めました。
作品を単に発売順に並べるのではなく、アルバム全体を通して恋愛の記憶を描こうとしていたのです。
弾き語りの曲をメンバーがバンドサウンドへ仕上げる
マルシィの初期の曲作りは、吉田が持ってきた弾き語りの曲を、メンバーとともにスタジオでアレンジする方法が中心でした。
shujiは2021年のぴあ音楽のインタビューで、吉田が一曲を通して弾き語りで作り、それをスタジオで合わせていくことが多いと説明しています。
デモの段階で歌詞が付いていることもありましたが、後から変更する場合もありました。
吉田がメロディーや歌詞の中心を作り、shujiがギター、フジイがベースの演奏を通じて曲の表情を整える。そうした制作の積み重ねによって、マルシィの楽曲は完成していきます。
フジイは2022年のSPICEのインタビューで、吉田が弾き語りで作った曲をバンドでアレンジするときには、かなり時間をかけていたと話しています。
メロディーを中心とした親しみやすい楽曲であっても、演奏を単純に重ねるだけではありません。吉田が思い描く曲の姿に近づけるため、それぞれの音を検討していました。
また、すべての楽曲が同じ時間や方法で作られているわけでもありません。
例えば「プラネタリウム」について、吉田は歌詞とメロディーを30分ほどで作ったと2022年のVANITYMIXのインタビューで明かしています。
勢いに任せて完成させた部分もあり、後から聴くと恥ずかしさを感じることもあるそうです。それでも、当時の自分が思い描いた言葉を曲にできたことを大切にしていました。
短い時間で生まれた「プラネタリウム」と、バンドの初期から何度も録音やアレンジを重ねた「Drama」。制作の経緯は異なりますが、どちらも吉田の感情やメロディーから始まった作品です。
映像表現についても、吉田は楽曲の世界を伝える方法を考えていました。
初期のMVで女性の登場人物を中心に描いたのは、ラブソングに登場する人物を映像でも表現したいという考えからでした。吉田は、1stアルバムを出すまではそうしたMVの方向性を続けようと考えていたと説明しています。
作詞・作曲、メンバーによるアレンジ、そして映像。マルシィはそれぞれの工程で、楽曲の中にある感情を伝える方法を探していました。
『Memory』でのメジャーデビューから認知拡大へ
初期の自主制作曲を発表し、ライブとインターネットで活動を重ねてきたマルシィは、2022年にメジャーデビューを迎えます。
その後もラブソングを中心とした楽曲を発表し、ストリーミングやSNSでの広がりを経て、より大きな会場で演奏するようになりました。
2022年のアルバム『Memory』でメジャーデビュー
2022年6月1日、マルシィはユニバーサルシグマから1stアルバム『Memory』を発売し、メジャーデビューしました。
『Memory』は、恋の始まりから愛が終わるまでの記憶を一つの作品として描いたアルバムです。
それまで配信してきた「プラネタリウム」「ワスレナグサ」「白雪」などに、新たな楽曲を加えた作品で、CD盤には「絵空」も収録されました。
マルシィの活動は2018年の結成、2019年の初MV公開、2020年の主要配信サービスでの楽曲配信を経て、2022年6月1日のメジャーデビューへ至っています。
結成からメジャーデビューまでの間、バンドは初期に作った楽曲を大切にしながら活動を続けてきました。
吉田は2022年のVANITYMIXのインタビューで、「Drama」「雫」「プラネタリウム」「絵空」は結成から半年ほどの間にできた曲だと話しています。
大学時代に曲作りを始めた吉田が、メンバーとともに形にしてきた初期作品が、メジャーデビュー後のアルバムにもつながっていたのです。
吉田は『Memory』について、バンドを始めたころのすべてが詰まっており、後から立ち返ることもできる作品だと語っています。
メジャーデビューは、初期の活動と切り離された新たな出発ではなく、自主制作時代から積み重ねてきた楽曲を一枚の作品として残す機会にもなりました。
「ラブソング」の広がりとチャートでの記録
メジャーデビュー後、マルシィの楽曲がどの程度広がったのかを示す出来事の一つが、2023年9月27日に配信された「ラブソング」のヒットです。
「ラブソング」は、カップルの日常や結婚式などの映像に使われ、TikTokでも広く聴かれるようになりました。
Billboard JAPANによると、同曲は2023年10月にTikTok Weekly Top 20で2週連続首位を獲得しています。
さらに、Billboard JAPANのHeatseekers Songsでは、2024年2月14日公開チャートまで16週連続で首位を獲得。当時の通算首位と連続首位の記録を更新しました。
2024年10月2日には、Billboard JAPANの集計でマルシィとして初めてストリーミング累計再生回数1億回を突破したことが発表されています。
初期からマルシィが大切にしてきた、誰かの記憶と重なるようなラブソングが、ストリーミングやSNSを通じて多くの人に届いたことを示す記録でした。
ただし、マルシィの認知が広がったきっかけを「ラブソング」一曲だけに限定することはできません。
2019年に公開した「Drama」、2020年の「絵空」、その後の「白雪」「プラネタリウム」「未来図」など、初期から発表してきた楽曲が、少しずつ聴き手を増やしていました。
自主制作曲から広がった支持が、メジャーデビュー後の作品やライブへとつながり、2023年から2024年にかけて客観的なチャート記録としても現れるようになったのです。
日本武道館・横浜アリーナへと広がったステージ
マルシィは、楽曲の広がりとともに、ライブの規模も変えていきました。
2021年12月には福岡のBEAT STATIONで初ワンマンライブを開催。2022年には全国ツアーを行い、ロックフェスにも出演するようになります。
その後、ライブハウスでの公演やツアーを重ね、2025年4月12日には初の日本武道館単独公演「マルシィ one man live 2025 “with your daily”」を開催しました。
この公演はチケットが完売し、全国の映画館でライブ・ビューイングも行われています。
日本武道館は、マルシィがかねてから目標の一つとして掲げていた場所でした。
そして2026年1月9日・10日には、横浜アリーナで初のアリーナ単独公演を2日間にわたって開催しています。
2026年3月のReal Soundのインタビューでは、吉田がこの横浜アリーナ公演を振り返り、その経験が後の楽曲制作にも影響していると話しました。
歌詞が思うように出てこないとき、公演当日の写真を見返すことが、もう一度頑張ろうと思うきっかけになることもあるそうです。
大学時代、友人から譲ってもらったギターを手に曲作りを始めた吉田右京。自分で作った「Drama」をフジイタクミに聴いてもらい、shujiと出会い、福岡の小さなライブハウスで演奏を重ねてきました。
初めての楽曲を形にするために集まったメンバーが、同じ曲を何度も磨き、届け方を考え続けた。その初期の活動から、マルシィの音楽は広がっていったのです。

