Lavtの音楽ルーツ|ベースとの出会いからボカロP、メジャーデビューまで

Lavtの音楽ルーツをテーマに、顔を隠したギター奏者とレコード、音楽制作の風景を組み合わせたコラージュ ここまでの会話は役に立っていますか? ソロアーティスト
項目プロフィール
活動名Lavt(ラウト)
生年2002年
出身地大阪府大阪市
活動形態シンガーソングライター
旧活動名義蒼透(あおと)
主な担当ボーカル、作詞、作曲、編曲
Lavt名義の活動開始2023年
メジャーデビュー2026年8月19日

Lavt(ラウト)は、大阪市出身のシンガーソングライター。ギターロックを軸に、ボーカロイド文化やインディーポップの要素も取り入れた楽曲を制作し、2026年8月19日にKi/oon Musicからメジャーデビューしました。

その音楽の始まりは、小学2年生の頃。兄が遊んでいたリズムゲームでASIAN KUNG-FU GENERATIONの「君という花」を聴き、曲の中で鳴っていたベースの音に心を奪われたことが、最初に楽器を始めるきっかけでした。

その後、一度は音楽から離れたものの、中学生時代にギターへ夢中になり、高校時代には作曲を開始。ボカロP「蒼透」として作品を発表したのち、2023年からLavt名義で自身の音楽を届けるようになります。

最初は自宅で曲を作っていた青年が、SNSを通じて音楽仲間と出会い、初めてライブのステージに立つまでには、いくつもの具体的な出来事がありました。

幼少期のベースとの出会いから、ボーカロイド時代の創作、ライブ活動による変化、自分自身の経験を歌うようになったメジャーデビューまでの歩みをたどります。

音楽史の段階Lavtの歩み
音楽との出会い小学2年生の頃、アジカンの「君という花」に影響を受けてベースを始める
創作の始まり中学生時代にギターやボカロ文化へ親しみ、高校時代にDTMと作曲を始める
初期の音楽活動「蒼透」名義でボカロ作品を発表し、2023年にLavt名義で活動を開始
認知の拡大2024年の「オレンジ」「L4DY」が配信やSNSを通じて反響を呼ぶ
ライブと制作の転機2024年11月に初ライブ、2025年8月に初ワンマンツアーを開催
メジャーデビュー2026年8月19日、Ki/oon Musicから「未練」をリリース

Lavtの音楽の原点は小学2年生で出会ったベース

Lavtが最初に手にした楽器は、ギターではなくベースでした。

本人が繰り返し語っている音楽の原点は、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「君という花」。曲を聴いて強い興味を持ったのは、メロディーや歌声だけではなく、曲の中で鳴る低い音だったといいます。

兄のリズムゲームで聴いたアジカン「君という花」

小学2年生の頃、Lavtの兄はリズムゲームで遊んでいました。そのゲームに使われていた曲の一つが、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「君という花」でした。

曲に興味を持ったLavtは、自宅でも聴くようになります。そこで耳に残ったのが、Aメロで響く低音でした。

何の楽器がその音を出しているのか分からず、母親に尋ねたところ、返ってきた答えは「ベース」。その音の正体を知ったLavtは、自分でも弾きたいと思い、ベースのレッスンに通い始めました。

好きな曲を聴いて終わるのではなく、気になった音を自分でも鳴らそうとしたことが、Lavtにとって最初の音楽活動でした。

この経験は、2025年10月の中国語音楽メディア「UPEE」のインタビューでも振り返られています。Lavtは、ASIAN KUNG-FU GENERATIONに加え、ボカロPのはるふりや海外のインディーロック、インディーポップからも音楽的な影響を受けたと語っています。

初めて好きになった音楽の影響が、後年のギターを中心とした楽曲制作にも残っていくことになります。

一度離れた音楽に、ギターで戻った中学時代

ベースを習い始めたLavtですが、音楽をずっと続けていたわけではありません。反抗期を迎えた頃、一度音楽から離れた時期がありました。

再び楽器への興味が強くなったのは、中学3年生の頃です。

きっかけは、当時好きだった女の子から見せてもらった「弾いてみた動画」でした。

ベースを弾いた経験があったLavtは、ギターにも挑戦してみようと考えます。実際に弾き始めると、その女の子への関心以上にギターそのものへ夢中になり、家で長い時間演奏するようになったそうです。

FMヨコハマ『Tresen』やFM802『WEEKEND PLUS』で紹介されたこのエピソードは、Lavtが音楽へ戻った理由を具体的に伝えています。

小学2年生のベースは「音への興味」、中学生時代のギターは「人から見せてもらった演奏動画」が入り口でした。どちらも、日常の中で偶然出会った音楽から始まっています。

ギターは独学で練習を続け、のちに作曲へも取り組むようになります。

ボカロ文化との出会いから作曲を始めるまで

ギターを弾くようになったLavtは、やがて自分で音楽を作ることにも興味を持ち始めます。

その入口となったのが、家族を通じて親しんだボーカロイド文化でした。自分の声や楽器だけでなく、パソコンを使って音楽を形にする方法へ関心が広がっていきました。

姉の影響でボーカロイドとニコニコ動画へ

中学生時代、Lavtは姉の影響でボーカロイドを好きになりました。

ニコニコ動画では、ボーカロイド楽曲を自分で歌う「歌ってみた」の投稿も経験しています。

それまでは楽器を演奏することが中心でしたが、ネット上では自分の歌を録音し、音源として公開する活動にも触れるようになりました。

ボーカロイドの魅力は、歌う人がいなくてもパソコンを使って楽曲を完成させられることにもあります。Lavt自身も、高校生になるとDTM(パソコンを使った音楽制作)に挑戦し、オリジナル曲を作るようになりました。

幼い頃からパソコンに慣れ親しんでいたこともあり、分からないことを自分で調べながら制作を進めていたといいます。

高校時代にDTMを始め、「蒼透」名義で曲を制作

高校2年生の頃、ボーカロイドに興味を持ったLavtは、DTMで本格的に音源を制作するようになります。

当時使用していた名義が、「蒼透(あおと)」です。

「蒼透」名義では、ボーカロイド関連のオリジナル作品をニコニコ動画などで発表。2020年には、重音テトを使用した「フリップ・ダンス・ガール」を公開しています。

ニコニコ動画に残る「フリップ・ダンス・ガール」の投稿には、制作者として「蒼透」の名前が記されています。曲だけでなく、イラスト担当者も明記されており、当時のネット音楽文化の中で作品が制作・公開されていたことが分かります。

また、TuneCore Japanには、2020年5月8日に配信された蒼透名義の同曲が登録されています。

2024年にLINE MUSICの「NEXT SPIKES」へ選ばれた際の公式プロフィールでも、蒼透名義でボカロオリジナルを投稿し、週間ランキング2位を獲得した経歴が紹介されていました。

このように、Lavt名義の活動が始まる前から、自分で音楽を作って発表する経験を積んでいたのです。

次の映像は、蒼透名義で公開された「フリップ・ダンス・ガール」のオリジナル動画です。重音テトの歌声とともに、LavtがボカロPとして活動していた頃の楽曲を聴くことができます。

音楽を職業にしようと決めた進路の転機

曲を作ることは好きでも、それを仕事にするかどうかは別の問題です。Lavtも、当初は音楽を趣味として続けていくつもりだったといいます。

考えが変わったのは、大学に入る前のコロナ禍の時期でした。

FMヨコハマ『Tresen』に出演した際、Lavtは、自分が本当にやりたいことは何なのかを考える時間があったと振り返っています。

そこで改めて気づいたのが、子どもの頃から続いている音楽への気持ちでした。

「音楽だけはずっと好きだな」

出典:FMヨコハマ『Tresen』2025年11月12日放送ゲスト紹介

それまで何度か音楽との距離が変わっても、好きな気持ちは残っていた。そのことを確かめたLavtは、音楽を趣味で終わらせず、ミュージシャンとして生きていく道を選びました。

この決断の前から、蒼透名義で自分の曲を制作する活動は始まっていました。音楽を職業にすると決めたことと、最初に作曲を始めたことは、異なる段階の出来事です。

その後、Lavtは新たな活動名義で自身の作品を発表していきます。

2023年、Lavt名義の活動が始まる

ボカロP「蒼透」として楽曲を制作していたLavtは、2023年から「Lavt」という名前で本格的な音楽活動を始めました。

「蒼透」と「Lavt」は、別の人物やバンドではありません。どちらも同じアーティストが使用してきた活動名義です。

「海」に由来するLavtという名前の誕生

Lavtという名前には、本人の名前に含まれる「海」という言葉が関係しています。

本人によると、「海」をインドネシア語に翻訳した「Laut(ラウト)」が名前の由来です。

ただし、そのままLautとは表記せず、「u」を「v」に置き換えて「Lavt」にしたところに、ゲーム文化に親しんできた本人らしい遊び心があるといいます。

この名前の由来は、2024年のLINE MUSIC公式紹介や、2025年のFMヨコハマでの本人の話でも確認できます。

名前の意味を考えるときには、本名全体を推測する必要はありません。Lavtが説明しているのは、名前に含まれる「海」という言葉と、それを外国語に置き換えた経緯です。

ボーカロイド作品を発表していた蒼透時代とは異なり、Lavt名義では自身の歌声を前面に出したシンガーソングライターとして作品を届けるようになりました。

初シングル「アルコール」から「HOLD ME」へ

2023年2月4日、Lavt名義での初シングル「アルコール」が配信されました。

同年10月11日には「HOLD ME」を発表。この2曲は、2024年の「オレンジ」や「L4DY」で広く知られるようになる前の、Lavt名義における初期作品です。

それまでの活動では、DTMを使い、一人で楽曲を組み立てる制作スタイルが中心でした。Lavtは作詞・作曲・編曲を自ら手がけ、自分の音楽を形にしていました。

2025年11月の『Tresen』では、当時の基本的な曲作りの流れについても説明しています。

まずパソコンの前に座り、DTMでドラムを組み立て、続いてベース、ギターを加え、最後にメロディーを作るという方法です。

もちろん、すべての曲を必ず同じ順番で作っていたという意味ではありません。それでも、ベースとギターから音楽を始めたLavtが、複数の楽器の音を自分で組み立て、一人で楽曲を完成させる制作方法を身につけていたことは分かります。

こうして自宅で制作してきた音楽が、次第に多くの人へ届くようになっていきました。

「オレンジ」「L4DY」から初ライブへ

Lavt名義の活動が広がるきっかけの一つになったのが、2024年に発表した楽曲でした。

インターネット上で楽曲が聴かれる機会が増える一方、Lavt自身は、それまでほとんど経験のなかったライブ活動へも進み始めます。

2024年の楽曲がネットを通じて広がる

2024年1月、LavtはLINE MUSICが新たに始めた次世代アーティスト支援企画「NEXT SPIKES」の第1弾に選ばれました。

その時点ですでに、蒼透時代から自分で作曲・編曲を行ってきたアーティストとして紹介されています。

同年2月21日に「有象無象」、4月24日に「オレンジ」、6月26日に「ユウウツダンスフロア」、7月31日に「L4DY」を配信しました。

なかでも「オレンジ」はSpotifyのバイラルチャートに入り、「L4DY」は正式リリース前のデモ音源がInstagramで反響を呼びました。

公式プロフィールによると、「L4DY」のデモ音源はInstagramで300万回を超える再生を記録。リリース後には台湾のSpotifyバイラルTOP50にもランクインしています。

これらの楽曲は、ネットを通じてLavtの音楽を知る人が増えていったことを示す具体的な記録です。

同年11月6日には、初のEP『ZERO』をリリース。「カゲロウ」「HOLD ME」「オレンジ」「ユウウツダンスフロア」「都会病」「L4DY」の6曲が収録されました。

個別に発表してきた楽曲が、一つの作品としてまとまった時期でもあります。

2024年11月、初めて観客の前で演奏

曲を作って公開する経験は積んでいたLavtですが、実際に観客の前で演奏する機会はほとんどありませんでした。

中学・高校には軽音楽部がなく、学生時代にライブを経験する機会がなかったといいます。また、身近に一緒に演奏する音楽仲間もいませんでした。

そんな状況が変わったのは、SNSを通じて音楽仲間と出会ってからです。

2024年8月30日、Lavtは自身の公式Xで、地元大阪で初めてライブを行うことを告知しました。

その初ライブは、2024年11月8日、大阪のYogibo META VALLEYで開催されたイベント「浪華万博」でした。

2025年10月のUPEEインタビューでも、Lavt本人はこの公演を人生で初めてのライブだったと振り返っています。

初めてのステージは、やはり緊張したようです。

2025年11月のFMヨコハマ『Tresen』では、初ライブについて「ガクガクだった」と話す一方、実際にステージへ出てみると一気に楽しくなったことを明かしています。

それまでのLavtにとって、音楽制作はパソコンの前で一人で行う時間が中心でした。しかし、ライブでは一緒に演奏する仲間がいて、その音を聴く観客がいます。

2024年11月の初ライブは、自宅で音楽を作っていたLavtが、人と一緒に演奏する世界へ踏み出した出来事でした。

その経験を重ねたLavtは、翌2025年、初めてのワンマンツアーを開催することになります。

初ワンマンでつながった原点と音楽制作の変化

2025年、LavtはSpotifyの「RADAR: Early Noise 2025」に選出され、ライブ活動の機会も増えていきました。

8月には、初のワンマンツアー「growing pains」を大阪と東京で開催。ツアータイトルには「成長痛」という意味がありました。

このライブでは、小学生時代に音楽を始めるきっかけとなった曲と、ボカロP時代に自分で作った曲の両方が演奏されています。

「君という花」と蒼透時代の曲を同じステージで演奏

2025年8月11日、東京・渋谷Spotify O-WESTで行われた初ワンマンツアーの東京公演。

Lavtはライブの途中で、曲作りに行き詰まった経験や、その時期を経て生まれた楽曲について話しました。

そして演奏したのが、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「君という花」です。

小学生時代、兄のゲームで初めて聴き、ベースを始める理由になったあの曲でした。

rockin’on.comのライブレポートによると、Lavtはこの曲をフルサイズでカバーしました。

さらに、その直後に披露されたのが「フリップ・ダンス・ガール」でした。

これは2020年にボカロP「蒼透」として制作した作品。重音テトを使用して発表した曲を、Lavtとしてライブで歌ったのです。

アジカンの「君という花」は、Lavtが音楽を始めた原点。「フリップ・ダンス・ガール」は、自分で音楽を作る側になった頃の作品です。

2025年のワンマンライブでは、この2曲が続けて演奏されました。

その日のセットリストには、Lavt名義の「アルコール」「L4DY」「オレンジ」なども並んでいます。

小学2年生でベースに興味を持った頃、ボカロPとして曲を作っていた頃、そして観客の前で自分の音楽を歌うようになった頃。その異なる時期の音楽が、同じ公演の中で演奏されていたことになります。

なお、この公演で一緒に演奏したギター、ベース、ドラムの奏者はライブバンドのメンバーであり、Lavt自体が固定メンバーによるバンドとして結成されたわけではありません。

一人のDTM制作からバンド録音へ

人前で演奏する機会が増えたことは、Lavtの音楽制作にも変化をもたらしました。

それまでのLavtは、DTMを使用してドラムやベース、ギターなどを一人で組み立てる方法を中心に制作してきました。

しかし、2025年11月6日にリリースしたミニアルバム『glauben』では、初めてバンド編成でのレコーディングに挑戦しています。

一人で作業する場合、各楽器の音や演奏のタイミングを自分の判断で調整できます。一方、バンド録音では、ほかの演奏者とコミュニケーションを取りながら音を完成させていかなければなりません。

LavtはFMヨコハマ『Tresen』で、人が実際に演奏することで生まれる「良い意味でのノイズ」をどう扱うかについて悩んだことを語っています。

DTMで音を組み立てることと、人が演奏した音を録音することでは、楽曲の仕上げ方が異なります。

それでもライブ活動を重ねたことで、新しい表現へ挑戦する機会が増え、収録曲ごとに異なるカラーを生み出せたと振り返っています。

『glauben』というタイトルは、ドイツ語で「信じる」という意味を持つ言葉です。

音楽を一人で制作していた時期から、他者の演奏を取り入れた作品制作へ。初ライブから約1年の間に、Lavtは楽曲の作り方そのものにも新しい経験を重ねていきました。

自分自身の経験を歌い、メジャーデビューへ

Lavtの音楽が変化したのは、演奏や録音の方法だけではありません。

作詞の題材や、歌詞とメロディーを作る順番にも変化が生まれました。2026年には、そうした表現の変化を経て、メジャーデビューを迎えています。

歌詞の題材と曲の作り方が変わった理由

Lavtは初期の頃、サウンドやメロディーを先に作り、その後で歌詞を考えることが多かったといいます。

歌詞の題材には、友人から聞いたエピソードを使うこともありました。

ところが、制作を続けるうちに、自分自身の感情や経験を歌にすることが増えていきました。

rockin’on.comの2026年10月23日付の記事では、2025年夏に発表した「涙のスイマー」あたりから、その変化が徐々に表れてきたことが紹介されています。

以前はメロディーに歌詞を乗せる方法が中心だったのに対し、歌詞に合わせてメロディーが浮かんでくる場合も増えたといいます。

これは、単に制作手順が変わったという話ではありません。

友人の出来事を題材にしていた頃から、自分自身の感情を直接歌うようになったことで、言葉とメロディーの関係も変わっていったのです。

2026年6月10日には、EP『solitude』をリリースしました。

この作品で掲げたテーマは「孤独と共に生きること」。リード曲「voicemail」では、繰り返す思考や自意識、行き場のない感情を、ギターとエレクトロなビートを交えて表現しています。

2025年の中国語メディアUPEEのインタビューでも、Lavtは音楽ジャンルにとらわれず、自分の好きな音楽を作るという考えを語っていました。

そこからさらに、自分の経験や人間らしい弱さを楽曲に込め、音楽と自分自身の姿を近づけていくという方向性が明確になっていきました。

「未練」でKi/oon Musicからメジャーデビュー

2026年8月2日、Lavtは東京・恵比寿LIQUIDROOMで行われたワンマンツアー最終公演で、Ki/oon Musicからメジャーデビューすることを発表しました。

Ki/oon MusicはSony Music Labels内のレーベルです。

そして同年8月19日、メジャー1stシングル「未練」を配信リリースしました。

この曲では、過去の出来事を否定するのではなく、大切だった思い出や苦い後悔も受け入れながら前へ進む気持ちが描かれています。

ソニーミュージックの公式プロフィールでも、過去を抱えたまま前へ進む決意を表した作品として紹介されています。

2026年10月に公開されたrockin’on.comの記事によれば、Lavtは、陰も陽もある自分自身のキャラクターと音楽を一致させ、どの曲からでも自分らしさが伝わる表現を目指しているといいます。

「未練」では、自分の経験や感情を歌詞へ反映する近年の制作姿勢が、メジャーデビューという節目の作品にも表れています。

ただし、2026年8月19日はLavtとして初めて音楽を発表した日ではなく、メジャーレーベルからデビューした日です。

Lavt名義では2023年に「アルコール」を配信しており、それ以前には蒼透名義でボカロ曲を制作していました。

そのさらに前には、小学生時代に「君という花」のベースの音へ興味を持ち、楽器の練習を始めた経験があります。

兄のゲームで耳にした一曲から始まり、ギター、DTM、ボカロPとしての活動を経て、自分の声で歌うようになったLavt。

2025年の初ワンマンで演奏した「君という花」と「フリップ・ダンス・ガール」は、そんな音楽人生の異なる時期を象徴する2曲でした。

音楽との最初の出会いから約十数年を経て、Lavtは自分で作った曲を歌い、ライブで人と演奏し、自身の経験を音楽にするシンガーソングライターとして、2026年のメジャーデビューを迎えました。

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