| メンバー | 担当 |
|---|---|
| 内藤さち | ボーカル・ギター |
| 清水正太郎 | ギター・ボーカル |
| フクダリュウジ | ギター |
| 阿左美倫平 | ベース |
| 堀田庸輔 | ドラム |
東京・大井町を拠点とする5人組ロックバンド、kurayamisaka(くらやみざか)。その始まりには、少し珍しい結成の経緯がありました。
kurayamisakaは、ギタリストの清水正太郎が地元の「くらやみ坂」という名前を気に入ったことから構想が生まれ、大学時代の仲間や別バンドで知り合った演奏者を集めて結成されました。
メンバーよりも先にバンド名が決まり、5人が集まったときには、まだ演奏するオリジナル曲さえありませんでした。
2021年12月に5人が集まり、2022年3月には最初の楽曲「farewell」をSNSで公開。そこから初ライブ、ミニアルバムの制作を経て、2025年には1stフルアルバム『kurayamisaka yori ai wo komete』を発表しています。
その道のりをたどると、清水が聴いて育った音楽、5人が集まるまでのつながり、最初の曲を作った日の出来事、そしてバンドの表現が変わっていった理由が見えてきます。
| 音楽史の段階 | kurayamisakaの歩み |
|---|---|
| 音楽の原点 | 清水正太郎がゆずをきっかけにギターを始め、ASIAN KUNG-FU GENERATIONとの出会いからバンド音楽に夢中になる |
| 結成前の活動 | 大学の軽音楽サークルで仲間と出会い、清水は「せだい」などのバンドでも活動する |
| バンドの結成 | 大井町の「くらやみ坂」から名前が生まれ、2021年12月に5人が集まる |
| 最初の楽曲とライブ | 2022年3月に「farewell」を公開し、同年8月に下北沢近松で初ライブを行う |
| 音楽表現の形成 | 2022年の『kimi wo omotte iru』制作とライブ経験を通じて、音源とステージで異なる魅力を育てる |
| 重要な転機 | 2024年・2025年のフジロック出演、2025年の1stフルアルバム、2026年のCDショップ大賞〈青〉受賞へ進む |
清水正太郎の音楽ルーツと結成前の活動
kurayamisakaの結成を主導し、楽曲制作の中心を担ってきたのが、ギタリストの清水正太郎です。
清水が音楽に夢中になったきっかけは、最初からオルタナティブロックだったわけではありません。ゆずの曲を自分で弾いてみたいという、ごく身近な憧れからギターを手にしました。
ゆずからギターを始め、アジカンとの出会いでロックへ
清水は2023年に公開されたOaikoのインタビューで、最初に夢中になった音楽として、ゆずの名前を挙げています。
きっかけは「夏色」でした。この曲を自分でも演奏できるようになりたいと思い、アコースティックギターを購入したと振り返っています。
その後、音楽の好みを大きく広げたのが、中学3年生頃に車のラジオで聴いたASIAN KUNG-FU GENERATIONでした。
清水は当時、ニンテンドーDSの音楽ゲーム『押忍!闘え!応援団』を通じて「ループ&ループ」という曲自体は知っていました。しかし、そこで耳にしていたのは別の歌手によるカバーバージョン。ラジオから流れてきたアジカン本人の演奏を聴き、原曲の格好よさに驚いたといいます。
この出会いから、清水はロックバンドの音楽を掘り下げていくようになりました。
特に熱心に読んでいたのが、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文が発信していたブログです。そこで紹介されていた音楽を次々に聴き、国内外のさまざまなバンドを知っていきました。
清水の音楽的な関心は、アジカンだけにとどまりません。くるり、toddle、bloodthirsty butchersなど、後のバンド活動にもつながる幅広い音楽へと広がっていきます。
特定のジャンルだけを追うのではなく、好きなバンドから別の音楽を知り、その面白さを自分の演奏や曲作りにも取り込んでいく。そうした聴き方が、後のkurayamisakaの楽曲制作にも表れています。
大学時代の軽音楽と「せだい」での活動
清水は中学・高校時代には陸上部に所属し、文化祭などでバンド演奏をすることがあったと語っています。
本格的にバンド仲間とのつながりが広がったのは、大学進学後でした。
大学の軽音楽サークルでは、後にkurayamisakaのボーカルとなる内藤さちとも出会っています。清水と内藤は、ふくろうずなどの楽曲を演奏するコピーバンドでも一緒に活動していました。
興味深いのは、当時のバンドでは内藤が楽曲制作を担当していたことです。
清水は後年、もう一度内藤とバンドを組むなら、今度は自分が曲を作ろうと考えていたと振り返っています。
大学卒業後には、「せだい」というバンドで活動し、オリジナル楽曲の制作やライブの経験を積みました。
せだいを始めたとき、清水はくるりのようなバンドをやりたいと考えていたそうです。実際には当初のイメージとは異なる音楽へ発展していったものの、その活動を通じて曲作りやバンド運営についての経験が蓄積されていきました。
そして、もう一つバンドを始めようと考えたとき、その経験を新しい編成で生かせるのではないかと思うようになります。
なお、せだいはkurayamisakaの旧名義ではありません。清水が以前から参加していた別のバンドであり、そこでの経験や人間関係が新しいバンドの成立につながったという関係です。
kurayamisakaという名前が先に生まれた結成構想
バンドを始めるとき、まず仲間を集め、演奏したい音楽を話し合ってから名前を決めるケースは少なくありません。
ところがkurayamisakaの場合は、その順序が違いました。
「くらやみ坂」という名前のバンドがあったらいい。清水がそう思ったことが、メンバー集めよりも先にあったのです。
大井町の「くらやみ坂」からバンド名が誕生
バンド名の由来となったのは、東京都品川区の大井町から鮫洲方面へ下る「くらやみ坂」です。
この坂には「旧仙台坂」という別名もあります。
清水は2026年6月、音楽ナタリーの取材で実際のくらやみ坂を訪れ、バンド名が生まれた経緯を説明しています。
当時、清水は通勤のため自転車で移動しており、東大井にある「旧仙台坂(くらやみ坂)」と書かれた看板の前を毎日のように通っていました。
何度もその看板を眺めるうちに、くらやみ坂という響きが気に入るようになったといいます。
そして、その名前を持つバンドがあったらいいと考え、自分で始めることにしました。
完全に名前が先です。
清水正太郎/音楽ナタリーのインタビュー(2026年)
清水によれば、この段階では演奏する曲の方向性さえ、まだ具体的には決まっていませんでした。
名前を決めてからメンバーを集め、集まったからには曲を作らなければならない。そんな順番でバンドが形になっていったのです。
kurayamisakaが「大井町の5人組バンド」と名乗ることにも、地域とのつながりがあります。
阿左美倫平と堀田庸輔は大井町出身で、フクダリュウジも近隣に暮らしていた時期がありました。ただし、最初から大井町出身者を集めようとしたわけではありません。
メンバーが集まってみると、結果的に5人ともこの街にゆかりがあった。その偶然も、kurayamisakaというバンドの成り立ちの一部になっています。
toddleをお手本に、内藤さちの歌声を生かすバンドへ
名前が先に決まった一方で、清水には新しいバンドで実現したい音楽的な方向性もありました。
きっかけの一つになったのが、清水が好きだったバンド「overused」の解散です。
清水は、突然発表されたアルバムを気に入って聴いていたものの、そのバンドが解散してしまったことを残念に思っていました。その出来事を経て、もう一つバンドをやりたいと考えるようになったと、2023年のOaikoのインタビューで振り返っています。
そこで思い浮かんだのが、大学時代から歌声を知っている内藤さちでした。
清水は、せだいで得た制作や演奏の経験を使い、内藤の歌声を中心に据えたバンドを作れば、面白い音楽になるのではないかと考えました。
内藤を誘うときに伝えたイメージは、「toddleのようなバンドをやりたい」というものでした。
toddleは、清水が影響を受けてきた日本のロックバンドの一つです。複数のギターパートが重なり合う演奏と、歌の存在感を組み合わせた音楽に、清水は可能性を感じていました。
ただし、結成当初から5人全員で細かな音楽方針を共有していたわけではありません。
清水の頭にあったのは、内藤の歌声と自分の曲作りを組み合わせること。そして、バンドでしかできない演奏を形にしてみたいという思いでした。
kurayamisakaの5人はどう集まったのか
kurayamisakaは、清水正太郎を中心に、内藤さち、阿左美倫平、堀田庸輔、フクダリュウジが集まって結成されました。
当時の資料では2021年12月に5人が集まったと記録されており、2022年から音源公開やライブ活動が始まっています。そのため、紹介記事によって2021年結成と2022年結成の両方の表記が見られます。
メンバーの集まり方は、一人ひとり異なっていました。
大学時代からの仲間だった清水正太郎と内藤さち
清水が最初に誘ったのは、大学時代の同級生だった内藤さちです。
二人は軽音楽サークルで知り合い、以前にも同じバンドで演奏していました。
清水は内藤の歌声を以前から評価しており、好みの音楽にも共通点があったため、新しいバンドを始めるときに真っ先に参加を打診したといいます。
内藤の返事は早いものでした。
2023年のOaikoのインタビューでは、誘われてから数分ほどで参加すると返信したことを振り返っています。2025年のRolling Stone Japanの取材でも、以前のバンド活動が楽しかったことや、清水とは気心の知れた仲だったことを理由に挙げていました。
内藤は幼い頃からaikoの音楽が好きで、Charaからも歌唱面で大きな影響を受けています。
aikoを好きになったのは、CMで「シアワセ」を耳にしたことがきっかけでした。その後、CDを借りてアルバムを通して聴く楽しさを知ったと語っています。
大学時代にはロックバンドの音楽にも触れ、さまざまな楽曲を歌ってきました。
清水と内藤には、一緒に演奏した経験と、互いの音楽的な好みを知っているという土台がありました。
新しいバンドの出発点になったのは、初対面のメンバーによる募集ではなく、学生時代から続く二人のつながりだったのです。
阿左美倫平との縁から堀田庸輔が参加
次に清水が声をかけたのは、せだいでの活動を通じて知り合った阿左美倫平と、その幼なじみの堀田庸輔でした。
阿左美は、yubioriなどのバンドでも活動していたベーシストです。
もともとはギターを弾いていましたが、大学生頃にベースを始めています。特にcinema staffがベースを弾きたいと思うきっかけになり、syrup16gやbloodthirsty butchersからも大きな影響を受けてきました。
清水は以前から阿左美の演奏を知っており、新しいバンドでもベースを弾いてほしいと考えていました。
ところが、阿左美は複数のバンドやサポート活動を掛け持ちしていたため、清水は誘うことを少しためらっていたそうです。
そこで、まず阿左美から幼なじみの堀田を紹介してもらうことにしました。
清水が堀田に関心を持った理由は、SNSに公開されていたドラムの演奏動画です。
動画で堀田が叩いていたのは、NUMBER GIRLの「透明少女」でした。
その演奏を見て一緒にバンドをやってみたいと思った清水は、阿左美を通じて連絡先を聞き、堀田を直接誘いました。
堀田は幼少期、父親が見ていた洋楽番組を通じてKISSなどの音楽に触れ、小学6年生頃にドラムを始めています。中学2年生の頃には阿左美と一緒にバンドを組み、洋楽をコピーしていたといいます。
清水からの突然の誘いにも、堀田は気軽に応じました。
さらに清水は、堀田を紹介してもらった流れで、阿左美にもベースでの参加を打診します。
阿左美は清水を以前からバンドの先輩として尊敬しており、誘いを受けたことがうれしかったと振り返っています。
こうして、清水、内藤、阿左美、堀田の4人が集まりました。
SNSを見たフクダリュウジが自ら参加を希望
当初、清水はこの4人でバンドを始めることを考えていました。
しかし、メンバーがそろったあとにSNSで新しいバンドを始めることを発信したところ、思いがけない連絡が届きます。
連絡してきたのは、大学の軽音楽サークルで清水や内藤と面識のあったフクダリュウジでした。
フクダはそれまでオリジナル曲を演奏するバンドでの活動経験がなく、社会人になってからも音楽への思いを抱いていました。
清水の投稿を見て、新しいバンドに参加してみたいと考え、自ら連絡したのです。
最初から参加できると確信していたわけではありません。本人は後のインタビューで、緊張しながら思い切って連絡したことを振り返っています。
清水も当初は4人編成を想定していましたが、阿左美が参加していたyubioriのようなトリプルギター編成も面白いと考え、フクダの参加を受け入れました。
清水からの誘いで集まった4人に、SNSを見て自ら立候補したフクダが加わり、kurayamisakaは3本のギターを持つ5人編成になりました。
フクダはART-SCHOOLやTHE NOVEMBERS、cinema staffなどの音楽を好み、それぞれのメンバーが奏でるギターの音作りやフレーズに関心を持っていました。
5人が集まった段階では、まだオリジナル曲がありませんでした。音楽の方向性について全員で細かく決めたわけでもなく、まずは集まったメンバーで何かを作ってみようという状態だったのです。
最初の楽曲「farewell」から音楽活動が始まる
5人が集まったkurayamisakaでしたが、演奏するためにはオリジナル曲が必要でした。
そこで清水が作り始めたのが、後にバンドの最初の発表曲となる「farewell」です。
この曲の誕生には、清水が自転車で帰宅していたときの出来事が関係しています。
自転車で浮かんだメロディーと初めてのデモ制作
清水は会社からの帰り道、自転車を漕いでいるときに、ふとメロディーを思いつきました。
忘れてしまわないように、そのメロディーを鼻歌で歌い、スマートフォンのボイスメモに録音します。
本人にとって手応えのあるメロディーだったため、清水はすぐに内藤へ送りました。
ところが、内藤に届いたのは、伴奏もコードもない鼻歌だけの録音でした。
新しい曲ができたという連絡を受けて楽しみに聴いた内藤でしたが、その音声だけでは具体的な曲の形が分かりませんでした。
そこで清水はGarageBandを使い、伴奏や仮歌を含めたデモ音源を制作します。
内藤によれば、鼻歌が届いてから数日ほどで、曲として聴けるデモが完成したそうです。
そのデモをもとに5人でスタジオに入り、初めて「farewell」を合わせました。
清水は、実際に演奏してみて手応えを感じたと語っています。内藤は久しぶりにバンドで演奏する楽しさを感じ、阿左美も曲を合わせることそのものを楽しんでいました。
一方、初めてオリジナル曲を演奏するバンドに参加したフクダには、戸惑いや緊張もあったといいます。
堀田も最初は曲を覚えることで精いっぱいだったそうですが、メンバーが楽しそうに演奏していたことを覚えていると振り返っています。
スタジオで曲を合わせたあと、5人は録音にも取りかかりました。
レコーディングを行ったのは、中野のSTUDIO LIFEです。清水によれば、通常なら複数曲を録音できるほどの時間を使い、「farewell」1曲の制作にじっくり取り組んだといいます。
最初は自転車の上で浮かんだ短い鼻歌だったメロディーが、5人の演奏とレコーディングを経て、kurayamisakaの最初の音源になりました。
清水は録音・ミックスを終えた音源に手応えを感じ、完成した曲を早く聴いてもらいたいと思うようになりました。
そして2022年3月2日、まだメンバーの詳しい情報を明かしていなかったkurayamisakaのSNSアカウントから、「farewell」の約40秒の動画が公開されました。
説明文を添えずに投稿された短い映像は、バンドの正体を知らない音楽ファンの間にも広がっていきます。
のちのOTOTOYの取材では、内藤が完成した音源を早く公開したかったことや、投稿が広まっていく様子に驚いたことを語っています。清水にとっても、正体を知らない友人たちが反応してくれることはうれしい経験だったそうです。
その後、同年3月15日には「farewell」のミュージックビデオが公開され、3月29日にはシングルとして配信されました。
最初の楽曲を聴くと、清水が目指していた女性ボーカルと複数のギターによる音作りが、どのような形で生まれたのかが分かります。
2022年の音源公開と初ライブ
「farewell」を公開したあと、kurayamisakaは次の楽曲制作を進めながら、ライブ活動へ踏み出していきました。
初ライブが行われたのは、2022年8月29日、東京・下北沢近松で開催されたイベント「Now」です。
このライブでは、同月に発表した楽曲「seasons」のシングルを来場者特典として配布しました。
kurayamisakaは当初、音源制作を中心に活動するつもりでした。
清水も、メンバーを誘う際には音源を作ることに集中し、ライブはときどきできればよいと考えていたといいます。
しかし、実際にステージに立つと、メンバーが思い思いに演奏する姿が、音源とは違う面白さを生み出しました。
ギターやベースを担当するメンバーが大きく動き、内藤の歌声がその中に重なる。静かな雰囲気を持つ録音作品と、勢いのあるライブ演奏との違いが、バンドの魅力になっていきます。
こうしたステージ経験は、その後の曲作りや演奏方法にも影響を与えました。
『kimi wo omotte iru』に描かれた2人の少女の物語
2022年10月2日、kurayamisakaは1stミニアルバム『kimi wo omotte iru』を発売しました。
収録されたのは「theme (kimi wo omotte iru)」「cinema paradiso」「seasons」「last dance」「farewell」「curtain call」の6曲です。
この作品には、架空の2人の少女の人生を描くというコンセプトがありました。
登場人物は、向井あかりと松井遥香。作品は、2人の人生の一部を音楽を通じて表現する構成になっています。
ただし、最初から物語の全体像が完成していたわけではありません。
清水によれば、「farewell」を作った段階では、一つの別れを描く楽曲として制作していました。
その後、ミニアルバムを作ることになり、「farewell」を中心にほかの楽曲を並べていくうちに、複数の曲を一つの物語としてつなげられると考えるようになったそうです。
この作品の世界観を形にする過程には、清水の家族旅行での出来事も関係しています。
沖縄旅行中、ホテルのロビーで過ごしていた清水は、旅先の雰囲気に心が弾んで眠れなくなりました。そのとき、作品に登場する人物や物語について、音楽とは別の文章で表現するアイデアを思いついたといいます。
曲の内容をそのまま説明するのではなく、架空の物語のあらすじとして表現する。この発想が『kimi wo omotte iru』の世界観をより具体的なものにしました。
「farewell」という1曲の別れの物語から、複数の楽曲で人物の人生を描く作品へ。
kurayamisakaは活動初期から、楽曲を単独で発表するだけでなく、アルバム全体を一つの表現として組み立てる制作を行っていました。
5人の音楽的影響と制作スタイルの変化
kurayamisakaの楽曲には、オルタナティブロックやシューゲイザー、ギターロック、J-POPなど、さまざまな音楽の要素が感じられます。
その背景には、清水だけでなく、5人それぞれが異なる音楽を聴き、演奏してきた経験があります。
楽曲制作では清水が中心的な役割を担いますが、完成する音は、メンバーが持ち寄る演奏によって形作られてきました。
清水正太郎のデモを5人で仕上げる曲作り
kurayamisakaの基本的な制作方法は、清水が自宅で曲を作り、そのデモをメンバーに送るところから始まります。
2025年のRolling Stone Japanのインタビューで清水は、メンバー全員が仕事をしているため、頻繁にスタジオへ集まることが難しかったと説明しています。
そこで、まず自分の手元で楽曲の形を作り、それぞれが演奏しやすいようにアレンジを加えて完成させる方法を取っていました。
清水はGarageBandを使ってデモを作り、メンバーに渡す前に何度も試行錯誤していたといいます。
その曲作りでは、好きなバンドの楽曲やライブから受けた刺激を、別の音楽の要素と組み合わせることも大切にしてきました。
例えば、異なるバンドの楽曲を聴きながら、それぞれの好きな部分を組み合わせたら面白い曲ができるのではないかと考えることがあるそうです。
ただし、曲を持ち込んだ段階で、すべての演奏が固定されているわけではありません。
阿左美は、清水の曲に自分たちの演奏を加えていく面白さを語っています。フクダも、ART-SCHOOLやTHE NOVEMBERSなどから受けた影響を、自分のギターフレーズや音作りに反映させようとしてきました。
一方、堀田はさまざまなジャンルのバンドで演奏してきた経験があり、清水から毎回違う雰囲気のデモが届くことを楽しみにしていると語っています。
内藤は、清水が仮歌で作ったメロディーを基本的にそのまま歌っています。
清水が作るメロディーには、内藤自身では思いつかないような独特の言葉の配置があり、最初は歌いにくいと感じても、完成するとその形のよさが分かることがあるそうです。
清水が楽曲の骨格を作り、5人それぞれの演奏経験や音楽的な好みを重ねる。それが、kurayamisakaの音楽を形成してきた制作方法です。
また、清水はアジカンのアルバムジャケットに見られる統一された世界観にも憧れており、kurayamisakaの作品では写真ではなくイラストを用いる方向性を選びました。
2023年の『evergreen/modify Youth』以降は、以前から作品を気に入っていたイラストレーターのめばちにアートワークを依頼しています。
音楽だけでなく、作品を手にしたときに見えるビジュアルも、清水が大切にしてきた表現の一つでした。
ライブを重ねて変化した歌声とバンドの表現
kurayamisakaが結成当初に目指していたのは、音源制作を中心とする活動でした。
清水は、女性ボーカルの歌声が激しい演奏の中でも独立して聴こえる音楽に魅力を感じており、内藤には初期の段階で、感情を強く出しすぎない歌い方を求めていました。
もともと内藤はaikoやCharaから大きな影響を受け、感情を込めて歌うことを好んでいました。
しかしkurayamisakaでは、清水が目指す楽曲の雰囲気に合わせ、歌声の表現方法を変えていきます。
本人は、kurayamisakaで歌うにあたって、adieuとして活動する上白石萌歌の歌声を参考にしたと語っています。
この抑えたボーカル表現は、初期の楽曲を特徴づける要素になりました。
ところが、ライブ活動が始まると、清水の予想とは違う面白さが生まれます。
ギターの清水やフクダ、ベースの阿左美は、ステージ上で大きく体を動かしながら演奏するようになりました。
阿左美には、以前から参加していたバンドで激しく演奏してきた経験があり、フクダも憧れのギタリストたちのステージングを意識しながら、自分なりの動き方を身につけていったといいます。
内藤は周囲の動きに合わせることを優先するのではなく、自分が自然に感じる形で歌うことを大切にしてきました。
清水は後に、録音作品の持つどこか夢のような雰囲気と、ライブでの勢いある演奏との違いが面白いと感じるようになったと振り返っています。
当初は音源制作を中心に考えていたバンドが、ライブでの演奏を重ねたことで、激しい楽器の音と独立した歌声を共存させる表現を広げていきました。
最初から完成された音楽スタイルがあったのではなく、実際に5人で演奏する経験を通じて、kurayamisakaの表現は少しずつ変化していったのです。
「せだい」の楽曲「modify Youth」を再構築
kurayamisakaの音楽史をたどるうえで、「modify Youth」は特に興味深い楽曲です。
2023年3月、kurayamisakaは「evergreen」と「modify Youth」を収録したシングルを発表しました。
「modify Youth」は、清水がkurayamisakaのために新しく作曲した曲ではありません。
作詞・作曲を担当したのは、「せだい」の佐久間ゲンソウです。
しかも、この曲の始まりは、せだいでの発表よりもさらに前にさかのぼります。
清水が自身のnoteで説明しているところによると、「modify Youth」はもともと、佐久間、沼尻、清水、内藤が短期間組んでいた別のバンドのために書き下ろされた楽曲でした。
その後、せだいでアレンジを変えて発表され、さらにkurayamisakaがカバーすることになりました。
つまり、この曲は一つのバンドが名前を変えながら演奏し続けたものではなく、メンバーの活動が重なり合う中で、異なる編成へ受け継がれてきた楽曲なのです。
kurayamisaka版を制作する際、清水は以前のアレンジを参考にしながら、新たにデモを組み立てました。
その制作では、スーパーカーのアルバム『スリーアウトチェンジ』から受けたイメージもあったと明かしています。
阿左美も、「modify Youth」のベースラインにはsyrup16gの「生活」から受けた影響があると説明しています。
また、この曲では清水自身のボーカルを聴くことができます。
「modify Youth」は、清水と内藤の過去の音楽活動、せだいとの関係、そしてkurayamisakaのメンバーが持つ音楽的な影響を、一つの曲の中でたどることができる作品です。
フジロック出演から1stフルアルバムへの転機
2022年に最初の楽曲を発表したkurayamisakaは、その後も音源制作とライブ活動を重ねていきました。
2023年には「evergreen/modify Youth」、2024年には「ハイウェイ」や「jitensha」などを発表。活動の規模が広がる中で、バンドの音楽は国内外の音楽ファンへ届くようになっていきます。
その変化を示す出来事の一つが、フジロックへの出演でした。
2024年のROOKIE A GO-GOから2025年のステージへ
2024年、kurayamisakaは『FUJI ROCK FESTIVAL ’24』の新人アーティスト向けステージ「ROOKIE A GO-GO」に出演しました。
それまでライブハウスを中心に活動してきたバンドにとって、大型音楽フェスへの出演は活動上の大きな出来事でした。
その後、2025年にはイギリスの音楽メディアNMEが選ぶ注目の新鋭アーティスト100組にも選出されています。
また、2025年2月8日には、東京・SHIBUYA CLUB QUATTROで初めてのワンマンライブを開催しました。
この公演は、結成時には音源制作を中心に考えていたバンドが、単独公演を行うまでになったことを示す節目でもありました。
さらに同年、kurayamisakaは『FUJI ROCK FESTIVAL ’25』のRED MARQUEEにも出演します。
2年続けてフジロックのステージに立ち、2024年のROOKIE A GO-GOから翌年のRED MARQUEEへと出演の場が広がりました。
こうした出演実績に加え、初のワンマンライブや海外メディアでの選出は、kurayamisakaの音楽がより広い範囲で認知されていったことを示しています。
一方で、清水は音楽を作る際、ほかのバンドから受けた憧れや衝撃を大切にしてきました。
2025年のインタビューでは、自分が好きな音楽から受け取ったものを作品に反映させ、それがまた別の誰かの音楽につながっていくことへの思いも語っています。
ゆずやアジカンを聴いてギターを始めた清水が、自らのバンドで大きなステージに立つようになったことは、そうした音楽への憧れが活動として形になっていった過程でもあります。
『kurayamisaka yori ai wo komete』で描いた人生と音楽
2025年9月10日、kurayamisakaは1stフルアルバム『kurayamisaka yori ai wo komete』を発売しました。
この作品は、2022年のミニアルバム『kimi wo omotte iru』からさらに表現を広げた一枚です。
初期のミニアルバムでは、架空の2人の少女の人生を描いていました。
それに対して1stフルアルバムでは、さまざまな人物の人生や、出会い、別れ、生と死といったテーマへと視点を広げています。
清水は2025年のOTOTOYのインタビューで、複数の人物の物語を描く構想や、アルバム全体を一つの作品として聴いてもらうことへの思いを語っています。
収録曲の中でも、早い時期から制作が進んでいたのが「evergreen」です。
清水が自身のnoteで明かしたところによると、この曲のデモは2022年12月にはメンバーへ送られていました。
ミニアルバムを完成させたあと、次の曲を作ることに苦労していた時期でしたが、「evergreen」が生まれたことが、さらにアルバム制作を進めようと考えるきっかけにもなったそうです。
また、清水は「evergreen」を制作していた時期に母親を亡くしたことも、インタビューで明かしています。
その経験を含め、アルバムには喪失や別れをめぐる感覚が織り込まれています。
ただし、収録曲すべてが清水自身の体験をそのまま描いたものではありません。
実際に本人が経験した出来事もあれば、架空の人物や状況を想像して書かれた曲もあります。
例えば「sunday driver」では、機材車で高速道路を移動する経験から、道路を走る別の車に乗った誰かの人生を想像し、物語を組み立てたと説明しています。
楽曲の制作方法にも、試行錯誤がありました。
「sunday driver」では、メロディーが完成する前にメンバーが伴奏を録音しましたが、その後に歌のメロディーを知って演奏し直すと、よりよい仕上がりになったため、改めて録音したそうです。
また「nameless」には、清水が以前に別のバンドで作っていた未発表曲の一部が使われています。
過去の制作メモを整理していたときに使えそうなメロディーを見つけ、新しい部分を加えて完成させました。
この曲では、途中のメロディーを削るかどうかメンバーで意見を交わし、最終的に残すことになったとも明かしています。
清水が持ち込んだアイデアを、メンバーの判断や演奏を通じて作品へ仕上げていく。結成当初から続く制作方法が、フルアルバムでも生かされていました。
アルバム全体の曲順にも意味があります。
清水は、最初の3曲がアルバムの印象を決める重要な部分だと考え、聴き手が自然にその先まで聴き進められる流れを意識して制作しました。
一曲ずつの完成度だけでなく、楽曲がどのような順序でつながり、作品全体としてどんな印象を残すかを大切にしたのです。
そのアルバムは、翌2026年3月に発表された「第18回CDショップ大賞2026」で、大賞〈青〉を受賞しました。
CDショップ大賞の〈青〉は、新人アーティストによる優れたアルバムを評価する部門です。
2022年に「farewell」の短い動画を公開するところから始まったkurayamisakaの活動が、数年を経てアルバム作品としても高く評価されるようになりました。
kurayamisakaの音楽をたどると、何かを最初から完成された形で作ろうとしたわけではないことが分かります。
清水が好きだった音楽、大学時代から続く仲間とのつながり、大井町の坂の名前、仕事帰りの自転車で浮かんだメロディー、そして5人で演奏を重ねてきた経験。
それぞれの出来事が積み重なり、一つのバンドの音楽になっていきました。
名前が先に生まれ、仲間が集まり、そこから最初の一曲を作った。
大井町の「くらやみ坂」という何気ない場所から始まった構想は、5人の経験と音楽への憧れが重なり合うことで、kurayamisakaというバンドの歴史へと発展していったのです。

