| 項目 | プロフィール |
|---|---|
| 活動名 | Ayumu Imazu |
| 生年月日 | 2000年5月12日 |
| 出身地 | 大阪府 |
| 活動形態 | シンガーソングライター/ダンサー/コレオグラファー/プロデューサー |
| メジャーデビュー | 2021年8月13日「Juice」 |
Ayumu Imazuは、歌うだけでなく、作詞・作曲からダンスの振付まで自ら手がけるアーティストです。
その姿だけを見ると、最初から歌もダンスも曲作りもできたように見えるかもしれません。
けれど音楽の始まりをたどると、最初にあったのは6歳で始めたダンスでした。そこへ歌、ギター、ニューヨークでの経験、作曲が一つずつ加わり、現在につながる表現の形が作られていきます。
| 音楽史の段階 | Ayumu Imazuの歩み |
|---|---|
| 音楽の原点 | 6歳で母の勧めからダンスを始める |
| 表現の広がり | 小学校3年生ごろから歌、小学校6年生〜中学1年生ごろからギターを学ぶ |
| アーティスト留学 | 14歳から約3年半ニューヨークで過ごし、作曲にも取り組む |
| 初期活動 | 2019年にカバー動画を公開し、初オリジナル曲「PARADISE」へ |
| メジャーデビュー | 2021年8月13日に「Juice」でメジャーデビュー |
| 認知の拡大と転機 | 2024年「Obsessed」が国外にも広がり、2026年にはBMSGとパートナーシップを締結 |
6歳で始めたダンスがAyumu Imazuの音楽の原点
Ayumu Imazuの音楽史は、歌や作曲より先にダンスから始まっています。
6歳で始めたダンスが、歌、楽器、作曲へと表現を広げていく最初の入口でした。
母に連れられたダンススタジオで音楽と出会う
ダンスを始めたきっかけは、母親に地元のダンススタジオへ連れて行かれたことでした。
サッカーなどほかのことを体験した時期もありましたが、本人の感覚ではダンスだけは自然に向き合えたと振り返っています。
始めたころから職業としてダンサーを意識していたわけではありません。
それでも上達するにつれて、発表会ではセンターを取りたいという気持ちが強くなり、「もっと上手くなりたい」という競争心も育っていきました。
週1回ほどだったレッスンも、始めてから2年ほどするとほぼ毎日のように通う生活へ変わっていきます。
この時期にダンスで使われていた洋楽を繰り返し聴いたことも、後の音楽性を考えるうえで重要です。
9歳で歌を始め、洋楽を体で覚えていった
歌のレッスンを始めたのは9歳ごろ、小学校3年生の時期でした。
通っていたダンススクールにボーカルレッスンがあり、そこから歌も学ぶようになります。
本人は最初から歌が得意だったとは語っておらず、レッスンを受けながら少しずつ伸ばしていったと振り返っています。
一方、ダンスを通して耳にしていたのはニュー・ジャック・スウィングをはじめ、Chris Brown、Usher、Pharrell/N.E.R.D、The Black Eyed Peasなどの音楽でした。
Michael JacksonやBruno Marsも好きなアーティストとして挙げています。
邦楽ではRADWIMPSを好み、ニューヨークへ渡ってからはコブクロやback numberなどのJ-POPも聴いていました。
「好きだった音楽」と「音楽的な影響を受けた相手」は同じではありませんが、幼いころから洋楽のビートを身体で受け止めていたことは、その後の歌とダンスが一体になった表現へつながっていきます。
Bruno Marsを見て「ソロアーティスト」が目標になる
ダンス、歌、ギターと表現の手段が増えていく中で、進みたい方向をはっきりさせたのがBruno Marsでした。
13歳のころに見たのは、2014年の第48回スーパーボウルで行われたハーフタイムショーです。
Bruno Marsはドラムを演奏して登場し、歌い、バンドと演奏し、さらにダンスも見せました。
それまで別々に取り組んできた歌、ダンス、楽器を一人のアーティストが同じステージ上で表現する姿を見たことで、Ayumu Imazuの中に目指す形が生まれます。
「こういう人になりたい!」
出典:音楽ナタリー「Ayumu Imazu『Pixel』インタビュー|1stアルバムに詰め込んだニューヨークでの経験とクールな音」
ダンサーを目指していた少年が、「歌もダンスも楽器もできるソロアーティスト」を具体的な目標にした転機でした。
本人がダンスの生い立ちやアーティストとしての考えを語った公式インタビューでは、ダンスが自身のアイデンティティになっていった過程も見ることができます。
そして、その翌年には日本を離れます。
14歳でニューヨークへ|ダンス留学から作曲まで広がった3年半
14歳になるころ、Ayumu Imazuはオーディションを経てニューヨークへ渡りました。
そこで約3年半を過ごしたことは、技術を学ぶだけでなく、「自分は何を表現する人なのか」を考える時間にもなりました。
オーディションで15人の1人に選ばれNYへ
本人が後年のJ-WAVE出演で明かしているのは、参加したオーディションが「GJC(GLOBAL JAPAN CHALLENGE)」だったことです。
当時13〜15歳ほどの日本人約15人が選ばれ、寮生活を送りながら英語や歌、ダンスなどを学びました。
ニューヨークへ渡った直後は、言葉も環境も日本とは異なります。
最初の半年ほどは語学学校、その後は現地の学校へ通い、授業後にダンスやボーカルのレッスンを受ける生活を続けました。
空いた時間にはギターを持って公園や駅などでストリートライブをすることもありました。
音楽ナタリーのインタビューでは、留学から約1年後にアポロ・シアターのオーディションへ挑み、長時間並んだ末にBruno Mars「When I Was Your Man」をアカペラで歌った経験も振り返っています。
日本でレッスンを受けるだけでは出会えなかった場所へ、自分から出ていく時間が増えていきました。
自分の曲で踊りたくなり、ギターとピアノで作曲を始める
ここで整理しておきたいのは、ギターそのものをニューヨークで初めて始めたわけではないことです。
本人は、小学校6年生から中学1年生ごろにギターのレッスンを始めたと話しています。
そのうえでニューヨーク生活の中で強くなったのが、「自分の曲でパフォーマンスしたい」という思いでした。
作詞作曲と聞いて最初に思い浮かんだのが、ギターで曲を作って自分で歌う形だったため、アコースティックギターを使って曲作りへ踏み込んでいきます。
さらにピアノも独学で弾くようになり、コードや音楽理論への興味からメロディーを付け、自分の曲を作るようになりました。
歌って踊るための留学が、「自分で音楽を作って、その曲で表現する」ための時間へ広がったことが、Ayumu Imazuの大きな変化です。
NYで問われた「自分は何者か」が表現の軸を育てた
ニューヨークでは、技術だけ磨けばいいわけではありませんでした。
ボーカルレッスンで「なぜこの曲を選んだのか」と問われたり、自分自身の考えを言葉にすることを求められたりした経験が、自分の内側へ目を向けるきっかけになります。
「自分は誰かというのをちゃんと知っておかないと通用しない」
出典:ぴあ音楽「Ayumu Imazu/PIA SONAR MUSIC FRIDAYインタビュー」
一方、ダンスについても見え方が変わりました。
日本にいたころは技術を意識する部分が大きかったものの、ニューヨークのスタジオでは年齢も目的も異なる人たちが一緒に踊り、先生からも「いかに音を感じるか」を教わったと振り返っています。
上手く踊ることだけでなく、自分が音楽をどう感じ、どう表現するのか。
この約3年半で、歌、ダンス、楽器、曲作りは別々の習い事ではなく、一人の表現者として何を届けるのかという問題へまとまっていきました。
帰国後、Ayumu Imazuとして自分の音楽を届け始める
2017年にニューヨークから帰国したあと、Ayumu Imazuは再びアメリカと日本を行き来しながら活動を形にしていきます。
その入口になったのがカバー動画で、そこからオリジナル曲、ワンマンライブ、EPへと段階が進みました。
Bruno Mars「Finesse」のカバー動画が約100万再生
2019年3月からYouTubeで公開し始めたのが、ダンスパフォーマンスを交えたカバー動画です。
その中でもBruno Mars「Finesse」のカバーは、約100万再生を記録しました。
13歳で見たBruno Marsのステージによってソロアーティスト像が明確になり、その数年後には自分自身が歌とダンスを組み合わせた「Finesse」を公開していることになります。
ただし、ここではまだ他者の楽曲を自分の表現へ置き換える段階でした。
次に必要になったのが、自分自身の名前で届けるオリジナル曲です。
初オリジナル「PARADISE」を今井了介と作り上げる
2019年10月、初のオリジナル楽曲MVとして公開されたのが「PARADISE」です。
本人は後年、この曲がオリジナル楽曲として最も古い作品だと説明しています。
最初から一人で完成形まで作ったわけではありません。
弾き語りで作ったメロディーをプロデューサーの今井了介のスタジオへ持ち込み、コライトで曲を仕上げました。
曲作りを始めたばかりのころは、自分が何を発言すればいいのか、どうすれば曲が良くなるのかも分からなかったと振り返っています。
今井了介と制作を重ねながら作曲を学んでいった時期は、ニューヨークで始めた「自分の曲を作る」という行動を、公開作品へ変えていく段階でした。
「Finesse」で自分の歌とダンスを見せる段階から、「PARADISE」で自分の曲そのものを届ける段階へ進んだことが、2019年の大きな変化です。
初ワンマンと『Epiphany』でソロ活動の土台を築く
「PARADISE」を公開した2019年10月には東京、2020年1月には大阪で、自身初となるワンマンライブを開催しました。
さらに2020年2月には1st EP『Epiphany』、同年9月には2nd EP『Waves』をリリースします。
カバー動画で存在を知ってもらうこと、オリジナル曲を作ること、自分の名前でライブを行うこと、複数曲を作品としてまとめること。
この一連の活動によって、ニューヨークで思い描いていたソロアーティストとしての形が、実際の作品とステージを伴う活動へ変わっていきました。
「Juice」でメジャーデビュー|作る側としても広がった音楽活動
インディーズで作品とライブを重ねたあと、2021年にはメジャーデビューという次の段階を迎えます。
その後の活動で特徴的なのは、自分自身の曲を歌って踊るだけでなく、他のアーティストへ曲を書く側にも広がっていったことです。
2021年8月13日にメジャーデビュー
2021年7月、東京・SHIBUYA WWW Xで行ったワンマンライブのアンコールでメジャーデビューを発表しました。
そして2021年8月13日、ワーナーミュージック・ジャパン内のレーベル「etichetta」から「Juice」をリリースし、メジャーデビューします。
「Juice」は海外の作家陣と初めて制作した楽曲でもありました。
日本とアメリカで培ってきた感覚を、自分だけで完結させるのではなく、ほかのクリエイターとの制作へ広げていく作品になっています。
作詞・作曲・振付まで自分で担うスタイルが形になる
公式プロフィールには、シンガーソングライター、ダンサー、コレオグラファー、プロデューサーという複数の肩書が並んでいます。
ただし、「すべての作品を一人だけで作る」という意味ではありません。
本人も、作詞作曲へ関わり続けたい一方で、一人ですべてを行うこと自体にこだわっているわけではないと話しています。
重要なのは、歌、ダンス、曲作りを別々に担当するのではなく、自分がどんな音を作り、身体でどう見せるかまで制作へ関わっていることです。
6歳から積み重ねてきたダンスはステージだけの武器ではなく、曲を作る段階から「この音でどう身体が動くか」を考えられる強みにもなりました。
King & PrinceやAぇ! groupへの楽曲提供へ
曲を作る力は、自身の作品だけでなく他のアーティストにも向けられるようになります。
2024年にはKing & Princeの「moooove!!」を書き下ろし、作詞・作曲をAyumu Imazuが担当しました。
「moooove!!」はHIP HOPダンス曲で、歌だけでなく身体表現を長く続けてきたAyumu Imazuらしい領域での楽曲提供でもあります。
さらにAぇ! groupの1stアルバム『D.N.A』には、Ayumu Imazuが提供した「AKAN」が収録されました。
Aぇ! groupの公式発表では、「AKAN」はAyumu Imazu自身の地元でもある大阪のルーツが感じられる楽曲として紹介されています。
自分自身が歌い踊るために始めた作曲が、別のアーティストの声やパフォーマンスを想定して書く仕事へも広がりました。
「Obsessed」が海外へ広がり、Ayumu Imazuの新しい転機に
メジャーデビュー後も作品を重ねる中で、2024年にそれまでとは異なる広がり方をした曲が「Obsessed」でした。
最初から海外で大きくヒットさせるために設計された曲ではなく、本人が歩いている途中に浮かんだ短いフレーズから始まっています。
TikTokのデモから韓国チャート1位へ広がった「Obsessed」
「Obsessed」のサビ頭の歌詞とメロディーは、リリースのおよそ1年前、道を歩いている時に浮かびました。
家へ戻ってギターでコードを付け、そこから曲を進めていったと本人は説明しています。
2023年10月には完成前のデモをTikTokへ投稿し、2024年1月24日に正式リリース。
ダンサー・振付師のTAIGAが考案した振付が広がり、SEVENTEENなど韓国のアーティストもこの曲を使った動画を投稿したことで、国境を越えて聴かれるようになりました。
Billboard JAPANの国別チャート「Japan Songs」では韓国で1位を獲得し、2024年の年間韓国チャートでも6位に入っています。
さらに「Obsessed」は、第66回日本レコード大賞で「企画賞」を受賞しました。
14歳で世界を視野にニューヨークへ渡ったAyumu Imazuにとって、「Obsessed」は自分の音楽が実際に国外へ届いたことを客観的な記録で示した転機です。
バズを狙うのではなく「自分の音楽を届ける」という姿勢
「Obsessed」が広がったあとも、本人はSNSで受けることを目的に次の曲を作るという考え方を否定しています。
「TikTokはより多くの人に自分の音楽を届ける場所」
出典:Billboard JAPAN「<インタビュー>Ayumu Imazu 『Obsessed』のバズを受けて広がった、アーティストとしてのビジョン」
「Obsessed」は、それまであまりしてこなかったデモ投稿から広がった曲でした。
しかも本人にとっては、力を入れすぎず作った曲が最も大きく届いた経験でもあります。
トラックも自身でかなりの部分を作り、最後にプロデューサーのA.G.Oが整える形で完成させました。
この反応を通じて、曲作りで「こうあるべき」と考えすぎず、自分が良いと思うものを出すことへの手応えも生まれたと話しています。
つまり「Obsessed」の意味は、数字が伸びたことだけではありません。
自分の音楽をどう作り、どう世界へ届けるかという感覚にも変化を与えた作品でした。
2026年にBMSGとパートナーシップを締結
2026年2月26日には、キャリアの体制面でも大きな発表がありました。
Ayumu ImazuとBMSGがパートナーシップを締結したことを、双方の公式サイトが発表しています。
「Ayumu Imazuの事務所はBMSGなのか」と考える際には、この公式表現をそのまま押さえておくのが正確です。
発表で使われた言葉は「所属」や「移籍」ではなく、あくまで「パートナーシップ」でした。
本人も、この決断を新たな段階として公式Xで伝えています。
6歳でダンスを始めた時点では、作曲家でもシンガーソングライターでもありませんでした。
9歳ごろに歌が加わり、13歳でBruno Marsのステージから目指す姿を見つけ、14歳でニューヨークへ渡り、自分の曲を作り始めます。
そこから「PARADISE」でオリジナル曲を形にし、「Juice」でメジャーデビューし、他のアーティストへも曲を書くようになり、「Obsessed」は韓国チャート1位まで届きました。
そして2026年2月26日、BMSGとのパートナーシップ締結が発表されています。
Ayumu Imazuの音楽の始まりをたどると、歌、ダンス、楽器、作詞作曲を最初から一度に身につけたのではなく、6歳のダンスを起点に、必要な表現を一つずつ自分の音楽へ加えてきた歩みが見えてきます。

