LiSAの音楽ルーツ|SPEEDへの憧れとバンド時代からソロデビューへ

LiSAの音楽ルーツを描いた、ピンク髪の人物イラストとライブ・海辺の風景を組み合わせたコラージュ。SPEEDへの憧れからバンド時代、ソロデビューまでの歩みを表現。 ソロアーティスト
項目プロフィール
活動名LiSA(リサ)
誕生日6月24日
出身地岐阜県
音楽活動ソロアーティスト・歌手
主な初期活動CHUCKY、Love is Same All、Girls Dead Monster(ユイ歌唱担当)
ソロデビュー2011年4月20日/ミニアルバム『Letters to U』

「紅蓮華」や「炎」で知られる歌手・LiSAは、どのようにして音楽の道へ進んだのでしょうか。

LiSAがソロアーティストとしてデビューしたのは、2011年4月20日。その前年、テレビアニメ『Angel Beats!』の劇中バンド「Girls Dead Monster(ガルデモ)」でユイの歌唱を担当したことが、大きな転機となりました。

しかし、LiSAの音楽人生がガルデモから始まったわけではありません。

幼い頃にSPEEDに憧れ、親元を離れて沖縄で歌とダンスを学び、中学生になるとパンクロックに出会います。高校時代には地元・岐阜でバンド活動に打ち込み、その後、東京で新たなバンドを結成しました。

LiSAのソロデビューには、幼少期の歌への憧れと、長年にわたるライブハウスでの経験がありました。その歩みをたどると、作品ごとに異なる表情を見せる歌声や、自分の言葉で伝えることを大切にする姿勢が、どのように育まれたのかが見えてきます。

音楽史の段階LiSAの歩み
音楽の原点幼少期にミュージカルを経験し、SPEEDに憧れて歌手を志す
歌とダンスの修業小学4年生で沖縄へ渡り、レッスンを受ける
バンド活動中学時代にパンクと出会い、高校時代はCHUCKYなどで活動
東京での挑戦上京し、Love is Same Allを結成してライブ活動を続ける
大きな転機2010年、『Angel Beats!』のガルデモでユイの歌唱を担当
ソロデビュー2011年4月20日、『Letters to U』を発売
認知の拡大アニメ主題歌とライブ活動を重ね、2019年「紅蓮華」、2020年「炎」へ

LiSAが歌手を夢見た幼少期と沖縄での挑戦

LiSAの音楽との出会いは、地元・岐阜県で過ごした幼少期にさかのぼります。

最初からロックバンドのボーカリストを目指していたわけではありません。歌う楽しさを知り、テレビで見たアーティストに憧れ、歌手になるための行動を起こしたことが始まりでした。

母の勧めで始めたミュージカルとSPEEDへの憧れ

LiSAが幼い頃に経験したのは、母親の勧めで通い始めたミュージカル教室でした。

歌だけでなく、踊りや演技も交えた表現に親しむなかで、人前で歌うことやステージに立つことを経験していきます。

小学生になると、テレビで見た女性ダンス&ボーカルグループSPEEDに強く憧れるようになりました。

1990年代後半に活躍したSPEEDは、同世代の少女たちにとって身近な憧れの存在でもありました。LiSAにとっても、歌いながら踊るその姿は、自分が目指したい歌手のイメージにつながったといいます。

LiSAは後年のインタビューで、幼い頃から歌うことが好きだったことを繰り返し振り返っています。

学校へ向かう途中にも歌っていて、同じ曲の音程を少しずつ高くしながら遊ぶことがあったそうです。特別な練習の時間だけでなく、日常生活の中にも歌がありました。

この頃のLiSAにとって、音楽は趣味の一つというより、自然に時間を使いたくなるものでした。そして、SPEEDへの憧れが、歌手になるために行動してみたいという気持ちを強めていきます。

小学4年生で岐阜を離れ、沖縄で歌とダンスを学ぶ

LiSAは小学4年生の頃、歌手を目指して沖縄のダンススクールでレッスンを受けることになりました。

当時はまだ小学生。地元・岐阜を離れ、親元を離れて生活しながら歌やダンスを学ぶという、大きな挑戦でした。

本人がSUUMOタウンのインタビューで振り返ったところによると、沖縄ではホームステイをしながら学校に通い、レッスンを受けていたそうです。

生活する場所も、それまで暮らしていた岐阜とは大きく異なりました。学校の近くには海があり、普段の風景そのものが新しい環境だったといいます。

歌手に憧れていた少女が、実際に地元を離れ、歌とダンスを学ぶ場所へ身を置いたことは、LiSAの音楽人生における最初の大きな行動でした。

沖縄での生活は中学2年生の頃まで続き、その後、LiSAは岐阜へ戻ります。

しかし、そこで音楽への挑戦が終わったわけではありません。地元へ戻ったLiSAは、それまで憧れていたダンス&ボーカルとは異なる音楽に出会うことになります。

岐阜で出会ったパンクロックとバンド活動

岐阜に戻ったLiSAの音楽は、ロックバンドとの出会いによって新しい方向へ進みました。

歌手になりたいという夢は変わりませんでしたが、憧れるアーティストやステージのイメージは少しずつ変化します。

中学時代にアヴリル・ラヴィーンや海外のパンクに出会う

中学2年生の頃、LiSAは先輩からバンドに誘われました。

それまで歌とダンスを中心に学んできたLiSAにとって、仲間と一緒に楽器を鳴らし、ステージで演奏するバンドは新鮮な存在でした。

当時、音楽的な入口となったのがアヴリル・ラヴィーンです。

LiSAは2014年のSkream!のインタビューで、アヴリルのかわいらしさとかっこよさを併せ持つ姿に惹かれたことを語っています。

そこから、blink-182、NOFX、GOOD CHARLOTTEなどの海外のパンク、メロディック・ハードコア系のバンドを聴くようになりました。

さらに、LiSAのライブ観に大きな影響を与えたのがGREEN DAYです。

名古屋でGREEN DAYのライブを見た際、ボーカルのビリー・ジョー・アームストロングがステージを動き回り、観客と一緒に音楽を楽しんでいる姿に強く惹かれたといいます。

私のライヴの根本はGREEN DAYだと思います。

出典:Skream!「LiSA」インタビュー(2014年9月)

ここでLiSAが憧れたのは、音楽のジャンルだけではありませんでした。

ステージに立つ本人が心から音楽を楽しみ、その楽しさを観客と共有すること。このライブへの考え方は、のちにLiSAが大切にするパフォーマンスの姿勢につながっていきます。

高校時代のCHUCKYとライブハウスでの経験

中学時代にバンドを経験したLiSAは、高校へ進学してからも音楽活動を続けました。

その代表的なバンドがCHUCKYです。

CHUCKYでは、LiSAが好きになったパンクロックを中心に、地元のライブハウスで演奏する経験を重ねました。

当初は、好きなバンドの曲を演奏するコピー中心の活動でした。仲間と集まり、音を合わせ、ライブに出演すること自体が楽しかったとLiSAは振り返っています。

ライブハウスでは、演奏するだけではなく、ほかのバンドの演奏を見たり、スタッフや音楽仲間と交流したりする機会もありました。

当時の活動について、LiSAはTOKYO FMの番組で、自分たちが出演するイベントを企画した経験も語っています。

ライブハウスの関係者から自主企画を勧められ、ほかの出演者へ声をかけ、イベントを形にしていったという話です。

SNSで簡単につながれる時代ではなかったからこそ、直接人と関わりながら出演者や観客を集めていく必要がありました。

こうした活動を通じてLiSAが経験したのは、歌を練習することだけではありません。自分たちでステージを作り、ライブを成立させるために動くことも、バンド活動の大切な一部でした。

コピー曲からオリジナル曲へ挑戦した理由

高校時代のLiSAにとって、大きな転機となったのが、コピー曲だけでは出演できないライブがあると知ったことでした。

Skream!のインタビューでLiSAが語ったのは、GOOD4NOTHINGやTOTALFATが地元に来る際の対バン選考に関する出来事です。

LiSAたちは、そのイベントで一緒に演奏するバンドに選ばれませんでした。理由は、当時の活動がコピー曲中心だったことにあります。

ライブハウス側から、出演するためにはオリジナル曲を作る必要があると指摘されたのです。

それまでのLiSAは、好きな音楽を演奏しているうちに、いつか誰かが自分たちを見つけてくれるかもしれないと考えていたそうです。

しかし、ほかのバンドと同じステージに立つには、自分たちの音楽を持つ必要がありました。

「好きな曲を演奏するバンド」から、「自分たちの曲でライブに出るバンド」へ。この経験が、活動の向き合い方を変えるきっかけとなりました。

その後、バンドはオリジナル曲にも取り組み、岐阜県外でライブを行うようになります。

ただし、この時期にバンドでオリジナル曲を演奏していたことと、LiSA本人が作詞・作曲を担当していたことは別です。LiSA自身は後年、ソロデビュー作の制作時に初めて作詞・作曲へ取り組んだと説明しています。

高校時代のバンド活動で培われたのは、まずライブの経験と、自分たちの音楽を届けるために何が必要なのかを考える姿勢でした。

バンドで歌い続けるために選んだ東京

岐阜でライブ活動を続けるうちに、LiSAの関心は地元だけでなく、東京の音楽シーンにも広がっていきました。

東京でライブをしたり、好きなバンドを見に行ったりするなかで、音楽仲間も増えていきます。

やがてLiSAは、東京を生活と音楽活動の拠点にすることを選びました。

岐阜での活動から上京を決意するまで

地元でバンドを続けていたLiSAにとって、東京はすでに何度もライブで訪れていた場所でした。

そのため、上京は突然思いついた選択ではありません。東京のライブハウスに足を運び、そこで活動する人々と知り合ううちに、自分も東京で挑戦したいという気持ちが強くなっていったのです。

LiSAは自分でお金を貯め、東京で暮らす部屋まで探していました。

ところが、部屋の契約で保証人が必要になり、母親へ相談すると反対されてしまいます。

アニメイトタイムズのインタビューでは、LiSA自身が、そのときの上京を家出同然だったと振り返っています。

幼い頃に沖縄へ送り出してくれた母親も、今度は東京での一人暮らしに簡単には賛成できなかったようです。

一方、岐阜時代のバンドCHUCKYは2008年に活動を終えました。

LiSAは2015年の本人の公式X投稿でも、2008年のCHUCKY解散ライブを振り返っています。かつて同じステージに立った仲間との再会について触れた投稿で、当時のバンド活動が本人の中に残っていることが伝わります。

岐阜で築いた音楽仲間との関係を持ちながらも、LiSAは東京で自分の歌を届けるための活動を選びました。

ただし、CHUCKYが名前を変えてLove is Same Allになったわけではありません。東京での活動には、別のメンバーとの出会いがありました。

高田馬場での生活とLove is Same Allの結成

LiSAが東京で最初に暮らしたのは、高田馬場でした。

この街を選んだ理由の一つは、音楽仲間が集まる練習スタジオがあったことです。

アニメイトタイムズのインタビューでは、GATEWAY STUDIO高田馬場CLUB PHASEが、仲間と集まる大切な場所だったと語っています。

高田馬場には音楽学校やライブハウスなどがあり、日常生活のすぐ近くに音楽を感じられる環境がありました。

そして、東京で歌うためにLiSAが必要だと考えたのが、一緒に演奏してくれるバンドメンバーでした。

当時のLiSAは、自分一人でステージに立つよりも、バンドと一緒に演奏することで本来のパフォーマンスができると考えていました。

そこで世話になっていた人に相談し、メンバーを紹介してもらって結成したのがLove is Same Allです。

Love is Same Allは、LiSAが東京で自分の歌を届けるために、新たなメンバーと結成したバンドでした。

このバンドの仲間たちは、東京にはまだ挑戦できることがたくさんあるとLiSAの背中を押したといいます。

当初は岐阜のバンド仲間と東京で活動する時期もありましたが、地元のバンドを終え、東京で新たな音楽活動を続けるという決断には、Love is Same Allのメンバーの存在が関わっていました。

LiSAにとってバンドは、単なる伴奏者の集まりではありません。ステージの上で自分らしく歌うために、必要な仲間だったのです。

アルバイトと音楽活動を続けながら探したチャンス

東京でバンドを結成しても、すぐに音楽だけで生活できたわけではありません。

LiSAは地元で100万円ほどの資金を貯めて上京しましたが、生活費やバンド活動のために、そのお金は短期間でなくなっていったといいます。

最初の部屋には十分な家具がなく、布団と段ボールに入った衣服がある程度。冷蔵庫もなかったため、冬には野菜をベランダに置いて冷やしていたこともあったそうです。

生活費を稼ぐため、LiSAは複数のアルバイトを掛け持ちしました。

朝から夜まで働き、深夜から明け方にかけてバンドの練習を行う。数時間だけ眠り、再び仕事へ向かうという生活を送っていたと振り返っています。

ただ、練習時間が長かっただけではありません。

LiSAたちは、どのようなライブをすれば観客に楽しんでもらえるのか、どんな演奏やパフォーマンスを見せるのか、どうすればライブハウスの人たちとの信頼関係を築けるのかを考えていました。

当時は、バンドの方向性を決めてくれるプロデューサーがいたわけでもありません。

自分たちのステージを、自分たちで考えて作る。その経験が、LiSAにとって音楽と向き合う時間になりました。

一方で、オーディションにも挑戦していました。思うような結果が出ない時期も続き、LiSAは自分に残された可能性を探していたといいます。

そのなかで巡ってきたのが、テレビアニメ『Angel Beats!』の音楽に関わるオーディションでした。

ガルデモへの参加からLiSAのソロデビューへ

幼い頃から歌手を目指し、岐阜と東京でバンド活動を続けてきたLiSAに、大きな転機が訪れたのは2010年でした。

そのきっかけとなったのが、テレビアニメ『Angel Beats!』の劇中バンド「Girls Dead Monster」です。

2010年『Angel Beats!』のユイ歌唱担当に選ばれる

2010年に放送された『Angel Beats!』には、物語の中にGirls Dead Monsterというガールズバンドが登場します。

LiSAは、その2代目ボーカルであるユイの歌唱担当に選ばれました。

ここでの活動は、LiSA本人がソロ名義で歌う活動とは異なります。作品の登場人物が歌う楽曲を、LiSAが歌唱するという形でした。

ガルデモ名義では、2010年5月に「Thousand Enemies」、6月に「Little Braver」などが発売されました。

同年6月にはアルバム『Keep The Beats!』も発売され、LiSAはガルデモとしてライブツアーや音楽イベントにも出演しています。

東京のライブハウスで活動していた頃よりも、幅広い場所で自分の歌を聴いてもらえる機会が生まれたのです。

ただし、ガルデモの音楽を歌うときと、LiSA自身として歌うときには違いがありました。

LiSAは2016年のSPICEのインタビューで、ガルデモの活動中には、作品を愛する人たちのために何ができるかを考え、ユイというキャラクターに入り込もうとしていたと振り返っています。

自分が伝えたいことをそのまま歌うのではなく、作品の中に生きる人物の気持ちを理解して歌う。その経験は、のちに数多くのアニメ作品と向き合うLiSAにとって、重要な活動となりました。

ガルデモは2010年12月にラストライブを開催しました。

一つの作品とともに歩んだ活動が区切りを迎えたあと、LiSAは自分自身の名義で歌を届けることになります。

2011年『Letters to U』でソロアーティストとして出発

2011年4月20日、LiSAは1stミニアルバム『Letters to U』を発売し、ソロデビューしました。

「LiSAのデビュー曲は何か」という疑問については、デビュー作と初シングルを分ける必要があります。

LiSA名義で最初に発売された作品は、シングルではなく7曲入りのミニアルバム『Letters to U』です。初シングル「oath sign」は、その年の11月23日に発売されています。

『Letters to U』には、「Believe in myself」「妄想コントローラー」などが収録されました。

ソロデビューにあたってLiSAが考えたのは、まず自分がどのような人間なのかを伝えることでした。

ガルデモでは作品のキャラクターの気持ちに寄り添って歌っていましたが、ソロではLiSA本人を知ってもらう必要があります。

2016年のSPICEのインタビューでは、初めから自分を飾らずに見せ、そんな自分を受け入れてもらいたかったという思いを語っています。

また、LiSAはソロデビューが決まったときも、すぐには実感が湧かなかったと後年振り返っています。

2026年に公開された15周年記念のインタビューでは、長く夢見てきたソロデビューも、実際にCDが店頭に並ぶまでは信じ切れなかったという当時の心境を明かしました。

幼少期から目指してきた歌手という夢が、一つの形になった瞬間でした。

しかし、ソロデビューはそれまでのバンド活動と完全に切り離された出来事ではありません。

ライブハウスで培った経験や、Love is Same Allの仲間との音楽制作も、LiSAが自分の歌を届けるための大切な土台になっていました。

初めて自分の言葉で作った歌と音楽の広がり

ソロデビュー作『Letters to U』で注目したいのは、LiSAが歌手として新たなスタートを切ったことだけではありません。

この作品の制作を通じて、LiSAは自分の言葉を歌詞にし、自分で曲を生み出すことにも挑戦しました。

「Believe in myself」で初めて作詞・作曲に挑戦

LiSAのソロデビュー作に収録された「Believe in myself」は、本人が作詞・作曲を担当した楽曲です。

編曲は、東京で活動をともにしてきたLove is Same Allが担当しています。

LiSAは2016年のSPICEのインタビューで、この曲を作る以前には、自分で曲や歌詞を作った経験がなかったと語っています。

高校時代にはバンドでオリジナル曲を演奏していましたが、ソロデビューでは、自分自身の気持ちを自分の言葉で伝えるための制作が始まったのです。

当初、どのようなサウンドで歌いたいのかが、すべて明確になっていたわけではありませんでした。

それでも、ほかの誰かと同じことをするのではなく、自分にしかできない表現を形にしたいという思いがありました。

自分のやりたいことを伝えるためには、自分で作らなくちゃいけない

出典:SPICE「LiSAの原点、ソロデビュー作『Letters to U』を通して語る“5年前と現在”」(2016年3月)

「Believe in myself」の制作では、まずアコースティックギターを手に取り、コードを弾いて録音するところから始めました。

録音したコードに合わせて、いくつものメロディーを歌って試していったといいます。

初めての作詞・作曲は簡単ではありませんでした。それでも、自分が何をやりたいのかを一つの楽曲として示すことができた経験は、LiSAにとって大きな意味を持ちました。

バンドで自分の歌を届けることから、自分の思いを歌詞とメロディーにして届けることへ。「Believe in myself」には、ソロアーティストとして歩み始めたLiSAの新しい挑戦が残されています。

以下は、LiSAの公式YouTubeチャンネルで公開された「Believe in myself」のミュージックビデオです。楽曲が生まれた当時のLiSAの表現を、歌声と映像から感じられます。

なお、このミュージックビデオは、2011年の楽曲を後年に公式YouTubeでフル公開したものです。

『Letters to U』では全曲の作詞をLiSAが担当し、作曲ではさまざまなクリエイターと協力しています。

自分で言葉を書くことと、自分の好きな音楽を知る作曲家たちと作品を作ること。その両方を経験しながら、LiSA名義の音楽が形になっていきました。

初シングル「oath sign」と「crossing field」で広がった活動

2011年11月23日、LiSAは初シングル「oath sign」を発売しました。

この楽曲はテレビアニメ『Fate/Zero』のオープニングテーマに起用されています。

ガルデモで作品の登場人物の歌を担当した経験を経て、今度はLiSA自身の名義でアニメ作品の主題歌を歌うことになりました。

2012年8月8日には、テレビアニメ『ソードアート・オンライン』のオープニングテーマ「crossing field」を発売します。

どちらもLiSAの活動を広げる重要な作品となりましたが、その背景には、アニメの世界観を理解して歌に向き合うという、ガルデモ時代からの経験がありました。

また、初シングルやアニメ主題歌の発売と並行して、LiSAはライブ活動も続けていました。

2011年の『Letters to U』発売後には、ソロ名義でライブツアーを開催。国内各地に加え、上海でも公演を行っています。

幼い頃から歌い、高校時代にはライブハウスで自分たちのイベントを作っていたLiSAにとって、音源を発表することとステージに立つことは、どちらも音楽活動の中心でした。

アニメ主題歌を通してLiSAを知った人がライブに足を運び、ライブで見せるパフォーマンスからLiSAの音楽を好きになる人も増えていきました。

歌手としての活動の幅が広がっても、バンドとともに観客へ音楽を届けるという原点は、変わらず大切にされていました。

ライブで育てた音楽が「紅蓮華」「炎」へつながるまで

LiSAの活動は、アニメ主題歌のヒットだけで広がったものではありません。

岐阜のライブハウスでバンド活動をしていた頃から、LiSAはステージを通して音楽を届けてきました。

その経験は、大きな会場でのワンマンライブや、作品の世界を背負う楽曲の制作へとつながっていきます。

日本武道館のステージで変化した歌への向き合い方

2014年1月3日、LiSAは初めて日本武道館で単独ライブを開催しました。

日本武道館は、ソロデビューした頃からLiSAが目標として掲げていた場所の一つです。

2026年のデビュー15周年インタビューでも、ソロデビューという長年の夢が叶ったあと、次の目標として日本武道館を思い描いたことを振り返っています。

一方、武道館公演に先立つ2013年12月には、LiSAにとって重要な地元でのライブがありました。

岐阜で音楽活動をしていた頃の仲間や、自分のことを知っている人たちへ、LiSAとしてのステージを見せる機会です。

LiSAは後年のインタビューで、パンクバンドで歌っていた自分がアニメに関わる音楽の世界へ進んだことを、地元の仲間にどう受け止められるか気になっていたと語っています。

しかし、地元でのライブを通して、自分が選んだ音楽の道を肯定できるようになったと振り返りました。

岐阜のライブハウスで育ったLiSAと、アニメ作品の主題歌を歌うLiSAは、別々の人物ではありません。

好きな音楽を楽しみ、観客と同じ時間を共有することを大切にしてきた経験が、より大きなステージでも生かされていました。

武道館公演の後も、LiSAはライブを重ねながら、自分の表現を広げていきます。

2016年のSPICEのインタビューでは、以前は公演直前まで不安を抱えながら準備をしていたものの、経験を積むうちに、当日はライブを楽しむことへ気持ちを切り替えられるようになったとも話しています。

ステージで全力を尽くすという姿勢を持ち続けながら、そのための準備や気持ちの整え方も変化していったのです。

「紅蓮華」に込めた作品への思いと制作過程

2019年、LiSAはテレビアニメ『鬼滅の刃』のオープニングテーマ「紅蓮華」を担当しました。

楽曲の作詞はLiSA、作曲は草野華余子、編曲は江口亮が担当しています。

「紅蓮華」はLiSAの名前をさらに広く知られるものにした楽曲ですが、制作過程にも、ガルデモ時代から続く作品への向き合い方が表れています。

LiSAは、アニメ主題歌を制作する際、作品の登場人物がどのような状況に置かれ、どのような思いを抱えているのかを重視してきました。

「紅蓮華」でも、原作を知っている人と、アニメから作品に出会う人では、物語について知っている情報が違うことを意識していたといいます。

そのため、楽曲のフルサイズとテレビアニメで流れるバージョンでは、歌詞の一部に違いがあります。

物語の先を知っている自分の視点をそのまま押し出すのではなく、アニメの序盤にいる登場人物の気持ちに合わせようとした結果です。

自分の思いを音楽にすることと、作品の中にいる人物の思いを音楽にすること。LiSAは両方の表現に向き合いながら、楽曲を作ってきました。

2019年には「紅蓮華」のヒットとともに、『NHK紅白歌合戦』へ初出場しました。

初めてのミュージカル教室、SPEEDへの憧れ、岐阜のライブハウス、ガルデモでの歌唱経験。それぞれ異なる時期の音楽活動が、LiSAの表現を形作ってきたことが分かります。

梶浦由記との「炎」制作と日本レコード大賞

2020年には、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の主題歌「炎(ほむら)」を発表しました。

「炎」は、梶浦由記が作曲・編曲を担当し、作詞はLiSAと梶浦由記が共同で手がけた楽曲です。

この曲の制作では、LiSAが映画の内容を受け止め、感じたことを言葉にして梶浦へ伝えたことが重要な役割を果たしました。

制作当時は新型コロナウイルスの影響もあり、直接会って作業を進めることが難しい状況でした。

そのなかでLiSAは、作品への思いや、自分が楽曲を通して届けたいことを文章にして共有したと振り返っています。

梶浦も後年のインタビューで、「炎」の歌詞を作る際、LiSAとの共同作業によって言葉が変化していったことを語っています。

LiSAが一人で楽曲全体を作ったわけでも、完成した曲をただ歌っただけでもありません。

作品から受け取った思いを制作者と共有し、一緒に歌詞を形にしていく。そこには、ソロデビュー時に自分の言葉を大切にした経験とも通じる姿勢があります。

「炎」は、2020年12月30日に開催された第62回日本レコード大賞で大賞を受賞しました。

幼い頃から歌手を夢見てきたLiSAが、音楽活動の中で積み重ねてきた経験は、多くの人に届く楽曲の制作へとつながりました。

LiSAの音楽の始まりを振り返ると、SPEEDへの憧れと沖縄でのレッスン、岐阜でのパンクバンド活動、東京での仲間との出会い、そしてガルデモでの経験が、それぞれ大切な役割を果たしていたことが分かります。

高校時代には、自分たちの曲を持たなければ出演できないライブがありました。東京では、自分のパフォーマンスを届けるために新しいバンドを結成しました。そしてソロデビューでは、自分が何を伝えたいのかを示すため、初めて作詞・作曲にも挑戦しました。

好きな音楽に出会い、自分の歌を届ける方法を探し続けたこと。それが、LiSAの音楽人生をつないできた歩みです。

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