2022年9月に配信された「Overdose」で広く知られるようになった、シンガーソングライターのなとり。
同曲はBillboard JAPANのストリーミング・ソング・チャートで、チャートイン13週目に累計1億回再生を突破しました。
ただ、なとりの音楽は「Overdose」から突然始まったわけではありません。
家の中で流れていたORANGE RANGEやゴスペラーズ、ニンテンドー3DSで見始めたYouTube、高校時代に偶然出会ったキタニタツヤ、そして高校卒業後に初めて作った「金木犀」。
今回は、なとりが聴く側から作る側へ進み、2021年のSNSでの活動開始、「Overdose」のブレイク、初ステージ、日本武道館へ至るまでの音楽ルーツをたどります。
| 時期・段階 | 音楽ルーツの出来事 |
|---|---|
| 幼少期 | 家族を通じてORANGE RANGE、ゴスペラーズなどを聴く |
| 小学生 | ニンテンドー3DSでYouTubeを見始め、自分で音楽を探す |
| 学生時代 | 米津玄師に惹かれ、高校2年でキタニタツヤと出会う |
| 高校卒業後 | 作曲を始め、最初の曲「金木犀」のデモを制作 |
| 2021年 | SNSを中心にオリジナル曲の投稿を始める |
| 2022年 | 「Overdose」を公開し、9月に初のリリース音源として配信 |
| 2024年 | Zepp Shinjukuで初めてステージに立つ |
| 2026年 | 初の日本武道館単独公演を2日間開催 |
なとりの音楽は家の中から始まった
なとりは、曲を作り始めるよりずっと前から、家の中でさまざまな音楽に触れていました。
本人が幼少期を振り返るときに出てくるのは、特定の英才教育ではなく、家族それぞれの好みから自然に音楽が入ってくる暮らしです。
ORANGE RANGEとゴスペラーズが流れる家庭で育つ
姉はORANGE RANGEが好きで、母親はママさんアカペラグループに所属していました。
家ではゴスペラーズが流れ、兄や姉のウォークマンを借りるようになると、K-POP、flumpool、ONE OK ROCK、UVERworldなども聴くようになります。
家庭の中に違うジャンルの音楽が同時にある環境で育ったことは、なとりが幼いころから音楽を特別なものではなく身近なものとして受け取る背景になりました。
その一方で、家族から渡された音楽とは別に、自分から最初に好きになったアーティストとして本人が挙げているのが、ゲスの極み乙女。です。
つまり、幼少期のなとりにとって音楽は「家族から教わる一つのジャンル」ではなく、家の中のあちこちから違う音が入ってくるものでした。
のちにエレクトロニックな質感、バンドサウンド、ネット音楽の感覚を行き来するようになりますが、本人が語る原風景にも、最初から一種類に絞られない聴取体験があります。
3DSとYouTubeが「自分で音楽を探す」入口になった
小学校3〜4年ごろ、なとりはニンテンドー3DSを手にし、YouTubeを見るようになりました。
家族のウォークマンに入っている曲を聴くのとは違い、YouTubeでは気になった音楽から次の音楽へ、自分の意思で進めます。
なとりにとって「自分で音楽を見つける」入口になったのが、3DSで見るYouTubeでした。
のちに活動の舞台となるインターネットは、作った曲を発表する場所になる前から、音楽を探す場所だったのです。
米津玄師への憧れと、高校2年で出会ったキタニタツヤ
自分で音楽を探すようになると、興味は「曲を聴くこと」だけでなく、それを一人の表現者が作り上げることにも向いていきました。
そこで大きな存在になったのが、米津玄師とキタニタツヤです。
米津玄師からシンガーソングライターに惹かれる
なとりは米津玄師と出会ったことで、シンガーソングライターという存在そのものに強く惹かれたと振り返っています。
楽曲だけでなく、一人のクリエイターが自分の世界を形にしていく姿への憧れがあり、後年のインタビューでも米津玄師とキタニタツヤの名前を、自分で音楽を作るうえで大きかった存在として挙げています。
この時点では、まだ本格的に作曲を始めていたわけではありません。
ただ、「歌う人」だけでなく、作詞や作曲まで自分で担う人への関心が強くなっていきます。
後年、不破湊との対談でも、学生時代に米津玄師やキタニタツヤを聴き、一人で制作を完結させるクリエイターへの憧れがあったことを話しています。
さらに、じんとの対談では、じん、ヒトリエ、キタニタツヤらの音楽を多く聴いて育ったと明言しました。
「好きだった音楽」をすべてそのまま影響源と呼ぶことはできませんが、この3組については、本人自身が自分の音楽へ受け継いだものがあると語っています。
スマホを没収された高校2年のGW、キタニタツヤと出会う
キタニタツヤとの出会いは、高校2年のゴールデンウィークでした。
高校時代はバスケットボール部に所属しており、部活中にルールを破ってスマホを触ったことで先生に没収されてしまいます。
そこで代わりにパソコンを開き、YouTubeを見ていたとき、偶然見つけたのがキタニタツヤの音楽でした。
本当に、キタニさんがいなかったら今の僕はいないと思う。
出典:音楽ナタリー「なとりとは何者なのか?著名人11名のコメントと本人インタビューで徹底特集」
スマホを使えなかった時間に別の端末でYouTubeを開いたことが、のちに作曲を始める人物との出会いになりました。
「PCやスマホでも曲は作れる」という言葉が作曲への種になる
キタニタツヤの音楽を聴くだけでなく、YouTubeライブも見るようになったなとりは、そこでパソコンやスマートフォンでも曲を作れるという話を耳にします。
もともと「いつか音楽ができたら」という思いはありましたが、本格的な機材や特別な環境がなくても制作できると知ったことで、作曲が現実的な選択肢になりました。
高校卒業後、その言葉を思い出してパソコンやスマートフォンを触り始めたことが、なとりの作曲の出発点です。
高校卒業後、人生初の作曲「金木犀」が生まれる
高校を卒業したあと、なとりは実際に曲作りを試し始めました。
それ以前からギターは弾いていたため、最初はギターで一曲作り、そこへベースを重ねていくところから制作しています。
ギターから作った最初のデモが「金木犀」
人生で初めて作ったオリジナル曲が「金木犀」のデモでした。
本人公式YouTubeには、2021年5月20日公開の「金木犀(Demo)」が残っており、説明欄には「作曲1ヶ月目」と記されています。
このデモと、2023年8月25日に5thシングルとして配信された「金木犀」は、同じ曲でも段階が異なります。
2023年の配信版は新たにリメイクされたもので、なとり自身も「金木犀」を自分のやりたい音楽を示す曲として振り返っています。
なとりの根っこのエキスが全部出ている曲なんです。
出典:Billboard JAPAN「なとり『Overdose』リリースから約1年――初めて語られるヒットソング誕生の裏側と待望の1stアルバム『劇場』」
友人と母の言葉で「音楽を作れる」と自信を持つ
初めて一曲を形にしたあと、なとりは信頼している友人に「金木犀」を聴かせました。
友人は強く褒め、母親からも肯定的な反応をもらったことで、自分でも曲を作れるという手応えを持つようになります。
最初の一曲を作れたことと、身近な人がその曲を受け取ってくれたことが、投稿を続ける前の小さな自信になりました。
音楽ナタリーのインタビューでは、ネットへ初めて投稿したあと、その友人が曲を聴き続けて再生数を伸ばしてくれたことも振り返っています。
初めてコメントが付いたときも強く印象に残ったそうで、内容はひらがな2文字ほどの意味を取りにくいものだったものの、「自分の曲にコメントが付いた」こと自体がうれしかったと話しています。
2021年、YouTubeからTikTokへ活動場所を変えた
曲を完成させた次に待っていたのは、「作った音楽をどうすれば聴いてもらえるのか」という問題でした。
2021年、なとりはインターネット上でオリジナル曲を発表する音楽活動を始めます。
「金木犀」はYouTubeでほとんど聴かれなかった
本人の回想では、「金木犀」を最初にYouTubeへ投稿しても、約1か月で再生数は2桁に届かないほどでした。
曲を作ること自体には手応えがあっても、投稿しただけでは人に届きません。
そこで、より多くの人がいる場所として目を向けたのがTikTokでした。
「いい曲を作る」ことと「その曲を聴いてもらう」ことを別の課題として考え始めたのが、この時期です。
2曲目「ターミナル」からTikTokで楽曲投稿を始める
TikTokへ最初に投稿したのは、2曲目に作った「ターミナル」でした。
最初からフル尺を完成させるのではなく、まずサビを作って投稿し、反応がよければ続きを作るというやり方を取るようになります。
これは完成した作品を宣伝するだけのSNS利用ではなく、曲を作る途中からリスナーの反応が制作工程へ入ってくる方法でした。
短い尺でまず耳に触れてもらい、反応があればフル尺へ進む。
曲作りを始めたばかりの時期から、制作と発表を完全に分けず、投稿の場そのものを試行錯誤に使っていたことになります。
反応を見ながら曲を完成させる制作方法が生まれた
投稿を重ねるうち、どんなフレーズで反応が変わるのか、どんな曲が多くの人へ届くのかを考えるようになります。
一方で、本人が作りたいものを優先して投稿している時期には、数字が少しずつ下がっていきました。
そこで「自分のやりたい音楽を捨てる」のではなく、まず自分の音楽を知ってもらうための入口を作る方向へ発想を切り替えます。
「Overdose」は“聴いてもらう入口”を作るために生まれた
2021年から投稿を重ね、約1年が経ったころ、その試行錯誤から「Overdose」が生まれました。
後から結果だけを見ると突然の大ヒットにも見えますが、その前には「どうすればまず聴いてもらえるか」を考え続けた期間があります。
作りたい曲だけでは数字が伸びなくなった
なとりは、自分の好きなものを優先して曲を作る一方、TikTok上の反応が落ちていく状況も見ていました。
音楽を続けるなら、自分をまだ知らない人にも届く一曲が必要だと考えます。
そのため「Overdose」では、TikTokをよく利用する層にも届きやすい音像や構成を意識しながら、自分の感覚と両立させる方法を探しました。
本人は制作を振り返り、四つ打ちのビート、繰り返されるコード、サビ頭で耳に残るフレーズなど、短い時間でも曲の特徴が伝わる仕掛けを意識したと説明しています。
ただし、これは後から外側が推測した「バズった理由」ではありません。
なとり自身が、数字が落ちていた状況を見ながら、まず聴いてもらうために何を変えるかを考えて作った過程として残っているものです。
2022年、「Overdose」で意識的に“届く曲”へ挑戦
「Overdose」は、最初から偶然大きく広がった一曲ではなく、約1年間の投稿と試行錯誤を経て、まず多くの人に聴いてもらう入口として作られた曲でした。
2022年5月にTikTokで公開されると反響が広がり、同年9月7日になとり初のリリース音源として配信が始まります。
ここでは、2021年のSNSでの活動開始と、2022年の初音源リリースを同じ「デビュー」として扱わないことが大切です。
配信から13週でストリーミング1億回、最大の転機になる
Billboard JAPANのストリーミング・ソング・チャートでは、2022年9月21日公開分で17位に初登場し、その翌週から12週連続でトップ10入りしました。
そしてチャートイン13週目で、累計ストリーミング再生数1億回を突破します。
2023年の年間「JAPAN Hot 100」では9位に入り、「Overdose」はなとりの名前を国内外へ広げた大きな転機になりました。
本人にとっては、数字が急激に大きくなったことで、憧れてきたアーティストと同じランキングに自分の名前が並ぶ怖さもあったといいます。
それでも「Overdose」が入口になったことで、その後は自分が作りたい音楽もより多くの人へ届けられるようになりました。
2023年に「金木犀」をリメイクして正式配信できたことも、その流れの一つでした。
最初に作った曲と、最初に大きく届いた曲は別です。
なとりの音楽史では、「金木犀」が作る側へ踏み出した原点であり、「Overdose」がより多くの人へその音楽を開いた転機として、それぞれ違う役割を持っています。
ネット発のなとりがライブの舞台へ進むまで
「Overdose」で大きく知られたあとも、なとりの活動はしばらくインターネット上の発信が中心でした。
その状態が変わったのは、音楽活動開始から約3年後の2024年です。
2024年、Zepp Shinjukuで初めてステージに立つ
2024年2月2日、東京・Zepp Shinjukuで「natori SECRET SHOW」を開催。
1stアルバム「劇場」の購入者限定ショーケースで、なとりにとって初めてのステージパフォーマンスでした。
その日の1曲目に選んだのは、2021年に初めて作ってインターネットへ投稿した「金木犀」です。
約30分のステージを「Overdose」や「フライデー・ナイト」などとともに進み、最後はギターを持って「エウレカ」を演奏しました。
同年3月29日のZepp Hanedaと4月5日のZepp Osaka Baysideでは、初のワンマンライブ「劇場」を開催しています。
2026年、初の日本武道館2デイズへ
初ステージから2年後の2026年2月18日・19日、なとりは自身初となる日本武道館での単独公演を行いました。
公演名は「なとり 3rd ONE-MAN LIVE『深海』」。2日間にわたる武道館公演として開催されています。
武道館の最終日、終盤でなとりは、初めて作った曲を友人に聴かせたことや、家族が音楽活動を支えてくれたことを振り返りました。
武道館では、最初に曲を聴かせた友人との思い出も語っています。
その友人と夜中に散歩をしていたとき、偶然たどり着いた日本武道館を前に「いつか絶対武道館に立つ」と約束したことを明かしました。
家族についても、音楽活動を始めたころから応援してくれていたことに触れています。
そして公演の最後に歌ったのは、やはり最初に作った「金木犀」でした。
2021年5月20日に公式YouTubeへ残された「金木犀(Demo)」から約5年。
一人で作曲を始めたなとりは、2026年2月、日本武道館のステージに2日間立ち、その締めくくりに最初の一曲を届けました。

