ちゃんみなの音楽ルーツ|クラシックからラップ、HANA誕生まで

ちゃんみなの音楽ルーツをテーマに、金髪の人物イラストとピアノ、バレエ、レコードを組み合わせ、クラシックからラップ、HANA誕生までの歩みを表したビジュアル ソロアーティスト
活動名ちゃんみな
英字表記CHANMINA
生年月日1998年10月14日
出身韓国生まれ、東京・練馬で育つ
音楽活動ラッパー、シンガー、ソングライター、音楽プロデューサー
メジャーデビュー2017年2月1日「FXXKER」

日本語、韓国語、英語の3か国語を操り、ラップと歌を行き来する音楽で知られるちゃんみな。

高校生ラッパーとして注目を集めた彼女は、「Never Grow Up」や「美人」などの楽曲を発表し、ガールズグループ・HANAを生み出した音楽プロデューサーとしても広く知られるようになりました。

そんなちゃんみなですが、幼い頃からラッパーを目指していたわけではありません。

最初に親しんだのはクラシック音楽で、ピアノやバレエを習いながら歌手になることを夢見ていました。

小学2年生で出会ったBIGBANGの音楽が、その後の進路を大きく変えることになります。

ちゃんみながどのように自分の音楽を見つけ、曲作りを始めたのか、高校時代の活動からメジャーデビュー、HANAの誕生まで、その歩みをたどります。

音楽史の段階ちゃんみなの歩み
音楽の原点幼少期からピアノとバレエを習い、クラシック音楽に親しむ
ヒップホップとの出会い小学2年生でBIGBANG「Haru Haru」に衝撃を受ける
自作音楽の始まり高校時代にラップの作詞やトラック制作を本格化
初期活動2016年、高校生RAP選手権に出場し「未成年 feat. めっし」を発表
メジャーデビュー2017年2月「FXXKER」でデビュー
音楽表現の転機「Never Grow Up」「美人」などを発表し、2021年に初の日本武道館公演を開催
プロデュースと大きな節目2025年にHANAがデビューし、2026年には自身初の東京ドーム公演を開催

母の影響で始まった音楽との出会い

ちゃんみなは1998年10月14日、韓国で日本人の父親と韓国人の母親のもとに生まれました。

幼少期には韓国、日本、アメリカを行き来し、音楽やダンスに触れながら育っています。

幼い頃から歌手を夢見てピアノとバレエを学ぶ

ちゃんみなは、物心がつくよりも前から歌手になることを望んでいたといいます。

2017年のインタビューでは、1歳半頃から歌手になりたいと言っていたらしいと、母親から聞いた話を紹介しています。

その夢を応援したのが、バレリーナでもあった母親でした。

母親自身も歌や作曲に親しんでいたそうで、娘が音楽を学ぶことに前向きだったといいます。

こうして3歳頃からピアノとバレエを習い、クラシック音楽が身近にある生活が始まりました。

ピアノでは楽譜の読み方や音楽記号を学び、基礎的な練習を重ねてコードなどの知識も身につけていきます。

2018年のBillboard JAPANのインタビューでは、好きだったクラシックの作曲家としてベートーヴェンとチャイコフスキーの名前を挙げています。

特にチャイコフスキーの少し不気味で幻想的な雰囲気に魅力を感じ、『くるみ割り人形』も好きだったそうです。

ちゃんみなの音楽の始まりは、ラップではなく、母親の後押しで学んだクラシック音楽でした。

幼い頃に触れたピアノは、その後、自分で音楽を制作するときの基礎にもなっています。

小学2年生でヒップホップダンスの世界へ

日本の小学校に通い始めた頃、ちゃんみなは言葉の違いなどから、学校生活でつらい経験をしています。

2026年5月に出演したテレビ朝日『徹子の部屋』では、日本語が十分に分からなかった頃のいじめについて振り返りました。

その頃から、感じたことをノートに書き、自分の感情に合う言葉を探していたそうです。

音楽だけでなく、言葉で気持ちを表現することも、幼い頃から続けていた習慣でした。

一方、学校から帰って一人でインターネットの動画を見る時間には、それまで知らなかった音楽との出会いもありました。

小学2年生の頃に出会った韓国の男性グループBIGBANGの音楽が、バレエ中心だった生活を変えます。

クラシックを学んでいた少女は、バレエからヒップホップダンスへと関心を移し、歌だけでなくラップにも夢中になっていきました。

BIGBANGとの出会いが変えた音楽への憧れ

ちゃんみながヒップホップに引き込まれたきっかけとして、本人が繰り返し名前を挙げているのがBIGBANGです。

それまで親しんでいたクラシックとは違う、激しいビートやラップ、映像を含めた音楽表現に強く惹かれていきました。

「Haru Haru」に衝撃を受けた小学生時代

2017年に受けたMusicVoiceのインタビューで、ちゃんみなは小学2年生の頃にBIGBANGの「Haru Haru」を見つけたことを振り返っています。

特に印象に残ったのは、楽曲そのものだけでなくミュージックビデオでした。

曲と映像が組み合わさることで、一つの映画を見たような感覚になるほど感動したといいます。

韓国語を理解できたことも、BIGBANGのラップを身近に感じる理由の一つだったそうです。

「Haru Haru」との出会いによって、ちゃんみなは自分がやりたい音楽の方向性を見つけました。

それ以降、BIGBANGの曲を繰り返し聴き、ラップパートまで覚えて歌うようになります。

好きな曲をカラオケで歌ったり、自宅で練習したりすることが、ラップへ親しむ最初の方法でした。

当初はラップというジャンルを強く意識していたわけではなく、韓国のポップミュージックに自然に含まれている歌唱表現として捉えていたといいます。

BIGBANGをきっかけにアメリカや韓国のヒップホップにも関心を広げ、さまざまなアーティストを聴くようになりました。

小学5年生で初めて人前で歌った経験

歌手になる夢を持ち続けていたちゃんみなは、小学5年生の頃、初めて人前で歌を披露しました。

もともとはダンスの発表会でしたが、先生に自分からお願いして歌わせてもらったそうです。

選んだのは、いきものがかりの「じょいふる」でした。

人前で歌う機会を得たものの、本人にとっては満足できる出来ではなかったといいます。

もっと上手にできたはずだという悔しさが残り、歌の練習にさらに力を入れるようになりました。

小学6年生になる頃には、歌手になるという夢が、本人の中でより明確な目標になっていたそうです。

ただ、この時点ではまだ本格的に自分のラップを書いていたわけではありません。

好きなアーティストの曲を歌う段階から、自分自身の言葉で表現する段階へ進んだのは高校生になってからでした。

高校時代に始めたラップと自分自身の曲作り

中学生の頃には音楽以外のことに気を取られる時期もありましたが、高校へ進む際、ちゃんみなは音楽活動に本気で取り組もうと決めました。

高校生のうちにメジャーデビューすることを目標に掲げ、作詞やトラック制作にも本格的に取り組むようになります。

高校1年生で初めて自分のラップを書く

高校1年生のとき、ちゃんみなは初めて自分自身のラップの歌詞を考えました。

最初に書いたのは、自分がどこで生まれ、どこで育ったのかを伝える自己紹介のラップだったそうです。

それまで韓国やアメリカの音楽を中心に聴いていたため、日本語ラップの作り方を誰かから教わっていたわけではありません。

韻の踏み方なども手探りで、本人は当時の制作方法を自己流だったと振り返っています。

2018年のBillboard JAPANのインタビューでは、高校生になってから本格的に打ち込みで音楽を制作するようになったと説明しています。

幼い頃に学んだピアノの知識を土台にしながら、歌詞だけでなく楽曲そのものを作るようになりました。

高校時代のちゃんみなは、歌う人であると同時に、自分の音楽を自分で作るアーティストとして活動を始めていたのです。

その後のインタビューでも、楽曲だけでなくミュージックビデオの構想やダンスの振り付けまで含めた表現について語っています。

歌詞、サウンド、映像、パフォーマンスを一体のものとして考える姿勢は、初期からの活動に見られました。

韓国への思いと日本で始めた音楽制作

韓国で生まれ育った経験があり、BIGBANGなどのK-POPに強く惹かれていたちゃんみなにとって、韓国は音楽活動の面でも大切な場所でした。

2017年のFNMNLのインタビューでも、韓国で活動したい気持ちを以前から持っていたと話しています。

一方、日本では高校時代から自作のラップや楽曲を発表し、次第に活動の幅を広げていました。

日本語、韓国語、英語を使い分けながら、特定の音楽ジャンルに限定されない作品を作ろうとしていたのも特徴です。

当時の本人は、ラッパーという呼ばれ方にこだわるより、自分が好きな音楽を作ることを大切にしていました。

私が好きなのは、音楽なんで。

出典:MusicVoice「どこまでも私らしく、ちゃんみな 現役高校生ラッパーの素顔とは」(2017年2月8日)

実際、メジャーデビューアルバム『未成年』には、激しいラップだけでなく、歌を中心にした曲やポップな楽曲も収録されています。

2018年のワーナーミュージック・ジャパン移籍後も、韓国語や英語を交えた作品を発表し、表現の幅を広げていきました。

親友めっしと作った「未成年」

ちゃんみなの初期活動を語るうえで欠かせない人物が、親友のめっしです。

2人は高校で出会いましたが、最初から仲が良かったわけではありません。

2017年のFNMNLのインタビューによると、学校内で所属していた友人グループが違い、当初は互いに距離があったそうです。

関係が変わるきっかけになったのは、学校で行われたサマーライブでした。

当時、ちゃんみなはボーカルコースに所属し、めっしはダンスをしていました。

ライブでバックダンサーをつけたいと考えたちゃんみなが、めっしに声をかけたことで一緒に練習するようになります。

練習を重ねるうちに、2人とも将来の夢に本気で向き合っていることが分かり、親しくなっていきました。

その後、めっしが歌うことにも挑戦したいと話し、ちゃんみなが楽曲を制作することになります。

ちゃんみなは当時のやり取りを、次のように振り返っています。

歌えばいいじゃん、なんで歌わないの?

出典:FNMNL「ちゃんみな『未成年』リリースインタビュー|私は音楽がなかったらどうなってるんだろう」(2017年3月24日)

こうして完成したのが、2016年に発表された「未成年 feat. めっし」でした。

この曲では、めっしが歌う部分の歌詞もちゃんみなが書いたといいます。

親友の性格をよく知っていたからこそ、本人らしい言葉を曲にできたそうです。

楽曲は配信後、iTunesのヒップホップチャートで1位を記録しました。

高校のライブで出会った2人の共同制作が、ちゃんみなのメジャーデビューにもつながっていきます。

高校生ラップ選手権からメジャーデビューまで

高校時代に自作の音楽を発表していたちゃんみなは、2016年、ラップバトルの舞台にも挑戦しました。

その後、楽曲の反響をきっかけにレコード会社から声がかかり、高校在学中にメジャーデビューを果たしています。

2016年の第9回高校生RAP選手権に挑戦

ちゃんみなが出場したのは、2016年に開催された『第9回 BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権』です。

高校生になって音楽活動へ集中すると決めた頃、同大会の存在を知り、自分の実力を試そうと出場を決めました。

ただし、本人はもともとラップバトルを専門にしていたわけではありません。

普段の曲作りでは自分の気持ちを歌詞にする一方、ラップバトルでは相手に対して即興で言葉を返さなければなりません。

初対面の相手を攻撃するような表現にも抵抗があったと、2017年のインタビューで話しています。

大会では1回戦を突破し、2回戦で敗退しました。

優勝には届きませんでしたが、テレビ番組を通じて彼女のラップと存在が多くの人に知られる機会となりました。

一方、本人が目指していたのはバトルラッパーとしての活動ではなく、自分の楽曲を作り、歌うアーティストとしてのデビューでした。

楽曲の反響からビクターとの出会いへ

高校生RAP選手権への出場と並行して、ちゃんみなは「未成年 feat. めっし」や「Princess」などの楽曲を発表していました。

中でも「未成年 feat. めっし」がチャートで結果を残したことは、大きな出来事でした。

2017年のMusicVoiceのインタビューでは、楽曲がiTunesのヒップホップチャートで1位を記録した後、ビクターエンタテインメントからメールが届いたと振り返っています。

当初はビクターがどのような会社なのか知らず、インターネットで調べて驚いたそうです。

その後、レコード会社の担当者と何度か会い、将来の目標などについて話す機会を持つようになりました。

しかし、本人の話では、最初から明確にデビューの話を持ちかけられたわけではありません。

何度も話を重ねるうちに契約が決まり、メジャーデビューが実現したといいます。

オーディションの優勝ではなく、自分で制作して発表した楽曲の反響が、レコード会社との出会いを生みました。

高校生のうちにメジャーデビューしたいという目標が、実現することになります。

2017年「FXXKER」でメジャーデビュー

ちゃんみなは2017年2月1日、配信シングル「FXXKER」でメジャーデビューしました。

続く3月8日には、メジャー1stアルバム『未成年』を発売しています。

つまり、2016年の「未成年 feat. めっし」はインディーズ時代の楽曲で、2017年の「FXXKER」がメジャーデビュー曲です。

「FXXKER」は、メジャーへ進んでも自分の音楽をおとなしく変えるつもりはないという、当時の意思を込めた楽曲でした。

ミュージックビデオにも本人のアイデアが反映され、挑発的なラップと強い映像表現が組み合わされています。

アルバム『未成年』では、ラップだけでなく、歌を主体とした楽曲や幅広いサウンドにも挑戦しました。

タイトルには、高校を卒業する直前の自分だからこそ表現できる感情を残すという意味もありました。

同年3月27日には、東京・代官山UNITで初のワンマンライブ『ちゃんみな 1st Live 未成年〜To be QueeN〜』を開催しています。

クラシックの『くるみ割り人形』を使った演出を交えながら、歌とラップ、ダンスを一つのステージで披露しました。

幼少期に学んだクラシックと、小学生の頃に出会ったヒップホップの両方が、初めてのワンマンライブにも取り入れられていました。

「Never Grow Up」「美人」で広がった音楽表現

メジャーデビュー後のちゃんみなは、ラップと歌の両方を軸にしながら作品を発表していきました。

2018年にはワーナーミュージック・ジャパンへ移籍し、2019年にはアルバム『Never Grow Up』を発売します。

2019年「Never Grow Up」がロングヒット

2019年7月19日、ちゃんみなは楽曲「Never Grow Up」を先行配信しました。

同年8月7日に発売された2ndフルアルバム『Never Grow Up』にも収録されています。

この曲では、大人になっていく過程で変化する気持ちや恋愛をテーマにした表現に取り組みました。

同作はリリース後も長く聴かれ続け、2021年7月にはBillboard JAPANのストリーミング累計再生回数が1億回を突破しました。

ちゃんみなの楽曲が同チャートで累計1億回を超えたのは、これが初めてでした。

アルバムには、日本語、英語、韓国語の3か国語を使った「I’m a Pop」や、20歳になる直前の思いを込めた「PAIN IS BEAUTY」なども収録されています。

ラップで自分を強く表現するだけでなく、歌のメロディーや異なる言語を通じて感情を伝える作品が増えていきました。

その変化は、幼い頃からラップだけに限定されず、さまざまな音楽を聴いてきた経歴とも重なります。

「美人」に込めた思いとステージ上の表現

2021年には、外見に対する評価や、自分自身の美しさをテーマにした楽曲「美人」を発表しました。

同年4月14日に発売されたEP『美人』の表題曲です。

この曲には、ちゃんみなが17歳で音楽活動を始めた頃に受けた、容姿への批判が大きく関係しています。

2021年のCINRAのインタビューでは、高校生RAP選手権への出場や楽曲の公開をきっかけに、外見を否定するような反応が寄せられたと振り返っています。

一方、容姿が変化すると、今度は外見を褒める反応が増えたことにも違和感を覚えたそうです。

そうした経験から、自分の美しさを誰が決めるのかという問題を楽曲に込めました。

「美人」は、過去に受けた批判を音楽に変えると同時に、自分と同じように苦しんでいる人へ思いを届けようとして制作された楽曲です。

それまでの楽曲でも自分の経験や感情を表現していましたが、「美人」では苦しんでいる誰かに手を差し伸べたいという思いが、制作の出発点になったと本人は語っています。

その考え方は、後にガールズグループのプロデュースを引き受ける際にも重要なものとなりました。

日本武道館から横浜アリーナへ

2021年10月15日、ちゃんみなは東京・日本武道館で初のワンマン公演を開催しました。

その後もライブ規模を広げ、2023年3月21日には横浜アリーナで『AREA OF DIAMOND』を開催しています。

この公演で強い反響を呼んだのが、「美人」を歌いながらステージ上でメイクを落とすパフォーマンスでした。

横浜アリーナ公演では、単に楽曲を歌うだけでなく、外見に対する価値観を舞台上の演出として表現しています。

本人は公演後、飾らない姿でも誰もがダイヤモンドのように美しいことを伝えたかったと説明しました。

『AREA OF DIAMOND』という公演名に込められたテーマが、「美人」のパフォーマンスにも表れていました。

2023年には同公演から始まったライブシリーズを継続し、さらに2024年4月には、ぴあアリーナMMで2日間の公演を開催しました。

ダンス、歌、ラップに加え、ステージ全体の映像や演出を通して作品のメッセージを伝える表現へと広がっていきます。

SKY-HIとの出会いから「No No Girls」とHANAへ

ソロアーティストとして活動を続けてきたちゃんみなは、その経験を別のアーティストの育成や楽曲制作にも生かすようになりました。

その代表的なプロジェクトが、SKY-HI率いるBMSGと共同で開催したガールズグループオーディション『No No Girls』です。

ガールズグループのプロデュースを引き受けた経緯

ちゃんみなとSKY-HIは、2016年頃からヒップホップの現場などを通じて交流を重ねてきました。

2020年にはコラボレーション楽曲「Holy Moly Holy Night」を発表し、2023年の横浜アリーナ公演でも共演しています。

以前からガールズグループを作ることについて話していた2人でしたが、実際に企画を動かそうとしたのはSKY-HIからの提案がきっかけでした。

2025年のBillboard JAPANのインタビューで、ちゃんみなは最初に提案を受けたときの気持ちを振り返っています。

絶対に今じゃない

出典:Billboard JAPAN「ちゃんみな 【No No Girls】、HANAのデビュー、そして2作連続リリース――走り続ける彼女を突き動かすものとは」(2025年5月29日)

本人には、プロデューサーになることをいつか実現したいという夢がありました。

ただ、当時は自分自身のアーティスト活動にも課題を感じており、他の人を導く立場になるには早いと考えていたそうです。

それでもSKY-HIからの提案を受けてプロジェクトに参加し、オーディションが進むにつれて気持ちが変わっていきました。

参加者たちが抱えていた悩みや、これまで否定されてきた経験に触れ、自分が歩んできた道と重なる部分を感じたといいます。

自分が経験したような思いを参加者にはさせたくないという気持ちが、プロデュースに向き合う理由の一つとなりました。

『No No Girls』では、外見や身長などの条件で才能を判断するのではなく、声や表現力、その人が歩んできた人生を大切にする考え方が打ち出されました。

2024年に公開された公式コンセプト映像でも、否定されてきた経験を自分の力で変えていこうとするメッセージが示されています。

自身が「JKラッパー」という肩書きで注目された一方、音楽家として認められるまでに苦労した経験も、オーディションの考え方と深く関わっています。

プロデューサーとして参加者を審査するだけでなく、表現を磨くための助言や楽曲制作にも関わることになりました。

2025年、HANA誕生と「ROSE」制作

『No No Girls』の最終審査は、2025年1月11日に神奈川・Kアリーナ横浜で行われました。

そこで選ばれた7人によって、ガールズグループHANAが誕生しました。

メンバーはCHIKA、NAOKO、JISOO、YURI、MOMOKA、KOHARU、MAHINAです。

グループは同年1月31日に「Drop」でプレデビューし、4月2日には「ROSE」でメジャーデビューしました。

プレデビューとメジャーデビューは別の段階であり、正式なメジャーデビュー曲は「ROSE」です。

「ROSE」は、どのような環境でも自分の力で生き抜いていく意思を込めた楽曲として制作されました。

ちゃんみなはプロデューサーとして、メンバーたちが困難に直面しても自分自身を大切にしながら進んでほしいという願いを込めています。

ソロアーティストとして自身の経験を歌ってきた彼女が、今度は別のアーティストたちの声を通じて思いを伝える立場になりました。

2021年の「美人」では、自分が受けてきた外見への批判をもとに、同じように苦しむ人へ届ける楽曲を制作しています。

HANAのプロデュースでは、その考え方がオーディションやグループの音楽制作にまで広がりました。

2025年4月には、自身のレーベル「NO LABEL MUSIC」を掲げ、ソニー・ミュージックレーベルズへの移籍も発表しています。

自身の活動と、プロデューサーとして携わるグループの活動が、音楽キャリアの中で並び立つようになりました。

2026年、初の東京ドーム公演にたどり着くまで

高校時代の楽曲制作から始まったちゃんみなの音楽活動は、ライブの規模も大きく広がっていきました。

2026年7月11日・12日には、自身初となる東京ドーム公演『AREA OF DIAMOND FINAL』を開催しています。

「AREA OF DIAMOND」の歩みと最終公演

『AREA OF DIAMOND』は、2023年3月の横浜アリーナ公演から始まったライブシリーズです。

その後も全国ツアーやアリーナ公演を重ね、2026年7月の東京ドーム公演でシリーズの最終公演を迎えました。

2日間の公演は完売し、多くの観客が会場に集まりました。

東京ドーム公演では、初期の「FXXKER」「Princess」から「Never Grow Up」「美人」、さらに「NG」まで、異なる時期の楽曲が披露されています。

会場では、ちゃんみなが幼い頃から書き続けてきたノートを題材にした映像演出も行われました。

7歳頃から日々の出来事や感情を書き記してきたノートは、言葉を探し続けてきた本人にとって大切な存在でした。

巨大なノートを用いたステージ演出の中で「note-book」を歌い、幼少期の経験を音楽と映像で表現しています。

さらに「美人」では、横浜アリーナ公演で反響を呼んだメイクオフの演出を思わせるオブジェも登場しました。

一つひとつの楽曲が、過去のライブや制作時期の記憶と結びつく構成になっていました。

2026年7月12日の公演では冒頭に音響トラブルが起きましたが、いったんステージを中断した後、オープニングからやり直して公演を続けています。

この公演の模様は翌日の公式レポートでも記録されました。

デビューから約9年で実現した東京ドーム2日間

2017年3月の初ワンマンライブが行われた会場は、東京・代官山UNITでした。

それから約9年後、ちゃんみなは東京ドームで2日間の単独公演を実現しています。

公演では、長く活動を共にしてきた仲間たちとの再会もありました。

初期からバックダンサーとして関わり、後にINIのメンバーとなった西洸人もゲストとして登場しています。

また、韓国のアーティストBOBBYとの共演も行われました。

ちゃんみなは、16歳の頃からBOBBYのファンだったことをステージで明かし、憧れていたアーティストと東京ドームで共演できた喜びを伝えています。

小学生の頃にBIGBANGと出会い、韓国のヒップホップに親しんできた彼女にとって、韓国のアーティストと同じステージに立つことも音楽活動の重要な経験となりました。

終盤には、幼少期からの音楽遍歴を振り返るような新曲「LEGEND」も披露しました。

クラシックからロック、ヒップホップへと移ってきた自身の音楽を、東京ドームという大きな舞台で表現した楽曲です。

ちゃんみなの音楽は、幼い頃に学んだクラシック、BIGBANGとの出会い、高校で始めた自作曲から形になりました。

高校時代に書いた自己紹介のラップは、韓国で生まれ、練馬で育った自分自身を伝える言葉でした。

その後も、学校生活で感じたこと、他人から受けた評価、大切な人との出会いなど、本人が経験した出来事が楽曲になっています。

2026年の東京ドーム公演でも、幼い頃から書き続けてきたノートがステージ上に登場しました。

歌手になる夢を抱いた少女が、自分の感情を書き残していたノートは、音楽を仕事にした後も、楽曲を生み出すための大切な場所であり続けていたのです。

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