羊文学の結成史|バンド名の由来、メンバーの出会いからメジャーデビューまで

羊文学の結成史を、3人の人物ビジュアルとレコードやアーカイブ風コラージュで示した構成 バンド

羊文学(ひつじぶんがく)は、2020年にF.C.L.S.からメジャーデビューし、2023年にはアルバム『our hope』が「第15回CDショップ大賞2023」の大賞<青>を受賞したオルタナティブロックバンドです。

「more than words」は2024年にBillboard JAPANのストリーミング累計1億回を突破し、楽曲が広いリスナーへ届いたことを示す大きな記録になりました。

けれど、その始まりをたどると、塩塚モエカが10代でギターを手にした時期と、「羊文学」という名前を考えたころまでさかのぼります。

よく知られた塩塚モエカ、河西ゆりか、フクダヒロアの3人も、最初から一緒にバンドを組んでいたわけではありません。

メンバー交代を重ね、別のバンドで演奏していたフクダを塩塚が誘い、さらにSNSでのメンバー募集をきっかけに河西が加わって、2017年に長く知られる3ピースの形が整いました。

この記事では、羊文学というバンドがどこから始まり、メンバーがどう出会い、インディーズ期からメジャーデビュー、そして2025年末のフクダ脱退まで進んできたのかを、本人の言葉と当時の記録をもとにたどります。

時期羊文学の主な出来事
2011〜2012年塩塚モエカを中心に初期メンバーで活動。資料によって「始まり」の起点が異なる
2015年11月フクダヒロアがドラムとして加入
2016年FUJI ROCK FESTIVAL「ROOKIE A GO-GO」に出演
2017年河西ゆりかが加入し、3人編成が成立。1st EP『トンネルを抜けたら』を発表
2020年F.C.L.S.からメジャーデビュー
2023年『our hope』がCDショップ大賞の大賞<青>を受賞
2025年末フクダヒロアが脱退

羊文学の始まり|塩塚モエカのギターとバンド名の誕生

羊文学の始まりを知るには、まず塩塚モエカがどんなふうに楽器へ近づいたのかを見ると分かりやすくなります。

最初に触れた楽器はピアノでしたが、その後にギターへ惹かれ、コピーを重ねながらバンドの音へ入っていきました。

YUIをきっかけに中学でギターを始めた

塩塚がギターに憧れる大きなきっかけになったのは、小学生のころに見たYUIの弾き語りでした。

小学生の頃にYUIさんがギターを弾きながら歌っているのを見ていいなと思って。

出典:FenderNews「Evolving Dreams | 塩塚モエカ、河西ゆりか(羊文学)」

中学生になってギターを手にすると、基本は好きな曲のコピーで練習し、バンドを始めたころにはチャットモンチー、ASIAN KUNG-FU GENERATIONなどを演奏していました。

大学に入ってからはさらに多くの曲をコピーし、塩塚自身はギターについて特に勉強になった存在としてスマッシング・パンプキンズを挙げています。

2017年のインタビューでは、高校時代にYuckの1stアルバムをよく聴き、そのギターサウンドから大きな影響を受けたとも話しており、歌を中心に始まった憧れと、オルタナティブロック寄りのギター感覚は少しずつ重なっていきました。

羊文学の音楽史は、メジャーデビューよりずっと前、塩塚が中学生でギターを手にしてコピーを始めた時期から動き出しています。

Fender Music Japanの「Evolving Dreams Vol.6」では、塩塚と河西がそれぞれ楽器を始めたきっかけや、バンドで使う楽器について本人の言葉で振り返っています。

「羊」と「文学」を組み合わせたバンド名の由来

「羊文学」という名前も、塩塚の10代の音楽体験から生まれました。

2017年のfelicityのインタビューでは、テレビのオーディション番組「Hジェネ祭り」に出演していたS.R.S(Sleeping Rag Sheep)が好きで、「羊」という言葉をバンド名に入れたいと考えた経緯を明かしています。

「羊」ってついてたらいいなって思ったのと、あとは音楽だけじゃないことを表現したくて

出典:felicity「羊文学『トンネルを抜けたら』インタビュー」

そこへ「文学」を組み合わせたという説明からは、最初から「音楽」だけをそのまま名前にするのではなく、もう少し広い表現を含めたいという感覚があったことが分かります。

「羊」は好きだったバンド名から、「文学」は音楽以外も含む表現への意識から生まれたというのが、本人が語っているバンド名の由来です。

2011年と2012年、2つの「結成」表記を出来事で整理

羊文学の結成年を調べると、2011年と2012年という2つの年が出てきます。

2017年の初期インタビューと当時のfelicityプロフィールでは「2012年結成」「塩塚が高校1年生のときに結成」と紹介されていました。

一方、2023年のFenderNewsで3人の出会いを振り返った際、塩塚は2011年の時点ですでに自分と複数のメンバーがいたと説明し、高校卒業後の進学や就職によって一人ずつ抜けていった流れを話しています。

このため、どちらか一方を誤りとして消すより、2011年は初期メンバーがいたことを本人が振り返っている時期、2012年は当時の公式に近いプロフィールで「結成」と整理されていた時期として分けるのが安全です。

羊文学は一度に完成したバンドではなく、10代で生まれた原型からメンバー交代を重ねながら、少しずつ知られる形へ変わっていきました。

メンバー交代を経て3ピースへ|フクダヒロアと河西ゆりかの加入

初期の羊文学は固定された3人がずっと続いていたわけではなく、塩塚以外のメンバーが入れ替わりながら活動していました。

その途中で加わったのがドラムのフクダヒロア、さらにベースの河西ゆりかで、2人とも塩塚の昔からの友人として入ったわけではありません。

2015年、塩塚モエカがフクダヒロアを誘う

2017年のインタビューでは、最初の羊文学は女性3人の編成で、その後ドラムが抜け、2015年11月にフクダヒロアが加入したと記録されています。

塩塚は次のドラマーも女性を想定して探していましたが、リーガルリリーの動画でサポートドラムを務めていたフクダの演奏を見つけ、Twitterでメッセージを送りました。

フクダは当時いくつものバンドをサポートする一方、自分のバンドを持ちたいと考えていた時期で、声をかけられたことをきっかけに加入を決めています。

フクダ自身の音楽の入口も家庭にあり、父親がバンドでドラムを演奏していたため家にドラムセットがあり、中学生からドラムを始めました。

演奏している姿を塩塚が見つけて直接誘ったことが、長く知られる羊文学のリズムを担うドラマーとの最初の接点でした。

高校時代に羊文学を見た河西ゆりかがSNS募集へ応募

ベースもそのまま固定されたわけではなく、2017年に当時のベーシストが離れたあと、羊文学はSNSで新しいメンバーを募集しました。

その募集を見つけて連絡したのが河西ゆりかです。

河西は羊文学へ入る約3年前、高校生のころに一度バンドを見たことがあり、その印象が残っていたためSNSをフォローしていました。

募集が流れてきたとき、大学のサークルで演奏したコピー動画を添えて応募し、ほかの候補者とのスタジオを経て加入へ進みます。

河西は幼いころにエレクトーンやピアノを習い、高校ではギター、大学に入ってからベースへ移っており、羊文学へ応募した時点でベース歴はそれほど長くありませんでした。

初めて羊文学のスタジオへ行ったときには、レリック加工を好んで自分で焦げ跡をつけた白いJazz Bassを持参し、塩塚の記憶にも強く残ったというエピソードがあります。

2017年、塩塚・河西・フクダの3人体制が動き出す

河西が加わったことで、塩塚モエカ(ボーカル・ギター)、河西ゆりか(ベース)、フクダヒロア(ドラム)という3人編成が2017年に整いました。

この編成は単に人数が3人だっただけでなく、音作りにも関係していました。

塩塚は2017年、3人だから音が薄くならないよう厚くした部分があると説明し、好きだったSigur Rósのような広がりを3人で表現したいという考えも話しています。

また、ギターを始めたころに3人でチャットモンチーをコピーしていた経験もあり、「3人でどこまで音を作れるか」という感覚は、羊文学の初期からサウンドの形と結びついていました。

インディーズからメジャーへ|FUJI ROCKと『トンネルを抜けたら』

ここでは少し時間を戻し、河西が加入する前から羊文学がライブと作品を通じて外へ広がっていった流れを見ていきます。

2016年のFUJI ROCK FESTIVAL出演、2017年の1st EP、そして2020年のメジャーデビューは、それぞれ意味の違う節目でした。

2016年「ROOKIE A GO-GO」が初期の転機に

2016年7月、羊文学はFUJI ROCK FESTIVALの「ROOKIE A GO-GO」に出演しました。

FUJI ROCKの公式ヒストリーにも2016年の出演者として羊文学の名前が残っており、後年の公式特集ではこのステージを「新人アーティストの登竜門」として振り返っています。

この時点では河西加入前の編成で、当時の出演者インタビューではメンバー全員がFUJI ROCK自体も初めてだったと答えていました。

フェス出演だけで突然状況が変わったと断定することはできませんが、会場限定の自主制作作品を作りながらライブを重ねていた時期に、全国規模のフェスへ出演したことは初期活動をたどるうえで外せない出来事です。

2017年、初の全国流通EP『トンネルを抜けたら』を発表

河西が加入して3人がそろった2017年、羊文学はfelicityから1st EP『トンネルを抜けたら』を10月4日に発売しました。

felicityはこの作品を「デビューE.P.」として紹介しており、それ以前には会場限定の自主制作作品があったため、ここでは「最初の音源」と「流通作品としてのデビュー」を分けて考える必要があります。

タイトルには、メンバーが何度か変わり、CDを出す話が立ち消えになった時期も経たあとで、3人がそろって前へ進み始めた感覚が込められていました。

つまり『トンネルを抜けたら』は作品名であると同時に、メンバー交代を重ねた羊文学が3人で再出発した時期をそのまま映す一枚でもありました。

2020年、F.C.L.S.からメジャーデビュー

その後も作品とライブを重ねた羊文学は、2020年8月にソニー・ミュージックレーベルズ内のF.C.L.S.からメジャーデビューすることを発表しました。

2020年8月19日、「砂漠のきみへ / Girls」を配信リリースしてメジャーデビューし、同年12月9日にはメジャーデビューアルバム『POWERS』を発売しています。

ここも「デビュー」という言葉が混ざりやすいところですが、2017年の『トンネルを抜けたら』はfelicityからのデビューEP、2020年8月19日はF.C.L.S.からのメジャーデビュー、12月の『POWERS』はメジャー1stアルバムという別の段階です。

羊文学のデビューは一度だけの出来事ではなく、自主制作、インディーズでの流通作品、メジャー進出という段階を経て広がっていきました。

3人で広がった羊文学|『our hope』『more than words』、そしてフクダ脱退

メジャーデビュー後の羊文学には、作品そのものへの評価と、楽曲が広い層へ届いたことを示す客観的な節目がそれぞれあります。

そして、その3人編成には2025年末に大きな区切りが訪れました。

『our hope』受賞と「more than words」で認知が広がる

2023年、メジャー2ndフルアルバム『our hope』は「第15回CDショップ大賞2023」の大賞<青>を受賞しました。

同じ年の9月には「more than words」が配信され、TVアニメ『呪術廻戦』「渋谷事変」のエンディングテーマに起用されます。

Billboard JAPANでは、同曲が2024年5月にストリーミング累計1億回を突破し、羊文学にとって同チャートで初めて1億回へ到達した楽曲になりました。

ここを「more than wordsの一曲だけで売れた」とまとめると、それ以前の流れが抜け落ちます。

2016年の「ROOKIE A GO-GO」、2017年の1st EP、2020年のメジャーデビューを経たうえで、『our hope』の受賞はアルバム単位での評価、「more than words」の1億回再生は楽曲が大きく届いたことを示す別々の節目として見るほうが、羊文学の歩みを正確に捉えられます。

2025年末にフクダヒロアが脱退、羊文学は活動を継続

ドラムのフクダヒロアはコンディションの調整のため活動を休止していましたが、2025年12月30日、公式サイトで2025年末をもって羊文学を脱退することが発表されました。

公式Xでも同日、「羊文学に関するお知らせ」としてこの発表が共有されています。

公式発表では、フクダ本人が約10年間所属した羊文学から離れることを伝え、塩塚と河西もそれぞれコメントを寄せました。

フクダがいたから羊文学がここまで続いたな、と思える局面がたくさんありました。

出典:羊文学/Sony Music「羊文学に関するお知らせ」

塩塚がこう振り返ったように、フクダは2015年の加入から約10年にわたり、3ピースとしての羊文学を支えたメンバーでした。

脱退理由について、公式発表はそれ以上の事情を示しておらず、推測で補える部分ではありません。

2025年末のフクダ脱退は、2017年から長く知られた3人編成の終点であり、羊文学のバンド史における明確な区切りです。

同日の発表では、羊文学はサポートメンバーを迎えて活動を続けることも示され、10代で生まれた「羊文学」という名前は、メンバーの変化を経ながら次の形へ引き継がれました。

タイトルとURLをコピーしました