「幾億光年」がBillboard JAPANの2024年年間総合ソング・チャートで3位に入り、同年末にはNHK紅白歌合戦へ初出場したOmoinotake。
ピアノ、ベース、ドラムの3人で鳴らす音は広く知られていますが、その始まりは、よく知られるピアノトリオの姿とはかなり違いました。
レオは中学時代にドラマー、エモアキはベースボーカル。ドラゲは別の中学でドラムを叩き、それぞれ島根県松江市の小さな音楽コミュニティの中でつながっていきます。
3人が最初からピアノトリオを目指していたわけではありません。
上京後のメンバー探し、レオのピアノボーカルへの転向、渋谷での路上ライブを経て、結成から9年後の2021年にメジャーデビューへたどり着きました。
今回は、Omoinotakeの音楽がどこから始まり、3人がどう集まり、ギターレスの編成を自分たちの音へ変えていったのかを、中学時代から「幾億光年」のブレイクまで時系列でたどります。
Omoinotakeの原点は島根・松江の中学時代
Omoinotakeの3人は島根県松江市の出身です。
ただし、公式プロフィールで「中学からの同級生同士」と簡潔に紹介されることがある一方、3人自身の詳しい回想では、レオとエモアキが同じ中学校で、ドラゲは別の中学校に通っていました。
| メンバー | Omoinotakeでの担当 | 結成前の重要な音楽歴 |
|---|---|---|
| 藤井怜央/レオ | Vo&Key | 幼少期にピアノを習い、中学ではドラムを担当 |
| 福島智朗/エモアキ | Ba | 中学ではベースボーカル。早くから作詞・作曲も担当 |
| 冨田洋之進/ドラゲ | Dr | ORANGE RANGEをきっかけにドラムを始め、高校時代にエモアキとバンド活動 |
レオとエモアキは中学でバンドを結成|担当はドラムとベースボーカル
レオとエモアキは中学校で知り合い、その頃から一緒にバンドを始めました。
レオは小さい頃に習い事としてピアノを経験していましたが、バンドで選んだ楽器はドラムでした。
音楽ナタリーの2018年インタビューでは、中学1年のときにエモアキからGOING STEADYのアルバム『さくらの唄』を借り、収録曲「アホンダラ行進曲」を聴いたことを、自身のロックとの出会いとして振り返っています。
そこからパンクやメロコアへ入り、中学3年頃にはコピーだけでなくオリジナル曲も演奏するようになりました。
この時期はレオがドラム、エモアキがベースボーカルで、エモアキは作詞だけでなく曲も書いていました。
後年の歌ネットのインタビューでは、エモアキがメロコアやエモロックの英語詞に憧れ、日本語で書いた歌詞を学校の英語教師に訳してもらったことまで明かしています。
Omoinotakeの最初の音楽活動は、ピアノトリオではなく、ドラムのレオとベースボーカルのエモアキによる中学時代のバンドでした。
ドラゲは別の中学から地元ライブシーンで2人とつながった
ドラゲはレオとエモアキとは別の中学校に通っていました。
それでも松江の音楽コミュニティは狭く、ドラゲは後年のOggiインタビューで、当時は市内のライブハウスが限られていたため、音楽をしている同世代が自然と顔を合わせる環境だったと話しています。
ドラゲ自身はORANGE RANGEを聴いたことをきっかけにドラムを始め、コピーを重ねたあと、ジャズやロックなどにも触れていきました。
高校時代にはエモアキとドラゲが同じバンドで演奏する時期もありました。
エモアキは後年、高校時代にドラゲやOfficial髭男dismの小笹大輔らとバンドをしていたことも明かしています。
つまり3人は、東京で突然集められたメンバーではありません。
松江にいた頃から「レオとエモアキ」「エモアキとドラゲ」という別々の組み合わせで音楽を共有していたことが、後の3人編成の前段にありました。
3人が聴いていた音楽は後のOmoinotakeとはかなり違った
中学・高校時代の3人が聴いていたのは、後に知られるOmoinotakeのイメージだけでは括れない音楽です。
レオはGOING STEADYや銀杏BOYZ、Hi-STANDARD、MONGOL800、HAWAIIAN6などを聴き、パンクや青春パンク、メロコア、エモへ深く入っていきました。
ドラゲはORANGE RANGEからドラムを始め、のちにジャズを学び、凛として時雨のような激しいロックやHIP HOPにも耳を広げています。
エモアキもロックやメロコア、エモを好みながら、早い段階から言葉を書く側にいました。
高校時代に小笹大輔と演奏した事実はありますが、それをそのままOfficial髭男dismからの音楽的影響と読むことはできません。
Omoinotakeの音楽的なルーツは、3人自身が語ってきたパンク、メロコア、エモ、ジャズ、HIP HOP、日本語詞への関心などを分けて見る方が実像に近くなります。
上京後の2012年、3人でOmoinotakeを結成
高校卒業後、3人が同時に東京でバンドを始めたわけではありません。
先に上京したエモアキとドラゲが新しいバンドを作ろうと動き、1年遅れてレオが東京へ来たことで、ようやく3人が同じ場所にそろいます。
エモアキとドラゲは東京で新メンバー探しに苦戦
エモアキは服飾系、ドラゲは音楽系の学校へ進むため、レオより先に上京しました。
2人は東京でバンドメンバーを探しましたが、思うような相手にはなかなか出会えませんでした。
エモアキの歌詞エッセイには、上京1年目、部屋で曲を書き続けながら隣室から壁を叩かれる日々まで記されています。
音楽一本で生きるという確信があったわけでもなく、それでも曲は作り続けていました。
一方のレオは大学受験のため地元に1年残っていました。
メンバー探しがうまくいかなかったエモアキとドラゲは、すでに人柄も演奏も知っているレオが上京するのを待つことになります。
浪人中だったレオをピアノボーカルに誘った
レオは松江時代、バンドではドラマーでした。
ところがエモアキは、レオが子どもの頃にピアノを習っていたことを知っていました。
「ピアノ&ボーカルとしてやってくれないか?」
出典:THE FIRST TIMES「Omoinotake 藤井怜央、デビュー曲『EVERBLUE』が主題歌のTVアニメ『ブルーピリオド』への“思いの丈”を語る」
レオにとって、バンドでピアノを弾きながら歌うのは初めての役割でした。
元ドラマーのレオをピアノボーカルへ迎えるという選択で、ギターのいない3人編成が成立しました。
Omoinotakeの公式サイトは4月28日をバンドの結成日としています。
一方、エモアキが歌ネットに寄せた回想では、2012年8月5日が初ライブの日です。
結成日と初ライブ日は同じではなく、ここは分けて考える必要があります。
初ライブの客は片手で数えられるほどだったとエモアキは記していますが、その日の感触は強く残りました。
「もう就職しなくていい。バンドでやっていけそうだ」
出典:歌ネット「Omoinotake スペシャルインタビュー 歌詞は“渡しそびれた手紙”みたいなものだと思います。」
「思いの丈」をローマ字にしたバンド名の由来
バンド名を決めた中心人物もエモアキでした。
レオはTHE FIRST TIMESで、エモアキが日本語の「思いの丈」という言葉を気に入っており、高校生の頃から次にバンドを組むならこの名前にすると決めていたと説明しています。
その言葉をローマ字にしたのが「Omoinotake」です。
レオは同じインタビューで、編成や名前を考えたエモアキを「結成の軸」と表現しました。
ただ、名前が決まった時点で音楽性まで完成していたわけではありません。
むしろ3人は、結成してから数年かけて「この編成で何を鳴らすのか」を探すことになります。
ギターレスの3人編成を弱みから個性へ変えた
Omoinotakeは最初から「踊れて泣ける」グルーヴを掲げて完成していたバンドではありません。
結成当初はピアノを軸にしたエモ寄りの音を試しながら、ライブハウスでギターロックのバンドと並び、自分たちの立ち位置を探していました。
結成当初はエモアキが作詞作曲、レオは初めてのピアノボーカル
役割分担も後の形とは違いました。
結成当初はエモアキが作詞と作曲の両方を担当し、レオは初めてピアノボーカルとして前に立っていました。
中学ではドラムを叩いていたレオにとって、歌いながら鍵盤を弾くこと自体が試行錯誤の始まりでした。
J-WAVEで3人が語ったところでは、途中で音楽性を変える話が出た際、鍵盤を弾くレオも曲作りを始めています。
エモアキが言葉を担い、レオがメロディを作るという後の制作スタイルも、結成時から固定されていたものではありません。
ギターロックの中で埋もれ「この編成でしかできない音」を探した
転換の理由は、かなり現実的でした。
結成から数年、ギターを前面に出すロックバンドと同じライブハウスで対バンする中で、3人は自分たちの編成では同じ勝負をしても強みが出ないと感じます。
レオはJ-WAVEで、そこで考えたのが「この編成だからこそできる音楽」だったと振り返っています。
ギターがいないことは、足りないものを補う課題ではなく、3人だけのグルーヴを探すきっかけへ変わりました。
縦に強く跳ねるロックから、ベースとドラムのリズム、鍵盤の和音を生かした横方向のグルーヴへ。
ドラゲがジャズやHIP HOPから得たリズム感、エモアキが低音で作るうねり、レオの鍵盤が前へ出る余白が、ギターレスという条件の中で輪郭を持ち始めます。
グルーヴと日本語詞を軸にOmoinotakeらしい音楽性が固まった
音楽性を変えたことで、楽曲の作り方も変わりました。
レオが作曲へ加わり、エモアキは作詞に比重を置くようになり、3人はピアノ・ベース・ドラムの隙間を生かす方向へ進みます。
一方で、エモアキの日本語への関心は中学時代から続いていました。
若い頃には英語詞のバンドへ憧れた時期もありましたが、Omoinotakeでは日本語の響きや意味をどう音へ乗せるかが大きな要素になっていきます。
ただ、音が定まっても、聴いてくれる人が一気に増えたわけではありません。
次に3人が直面したのは、ライブハウスの外でどう人に届けるかという問題でした。
渋谷の路上ライブが最初の大きな転機になった
2017年1月、Omoinotakeは初の全国流通盤となる1stフルアルバム『So far』をリリースしました。
ところが、全国へ音源を出せる段階になっても、ライブへ十分な観客を呼べていたわけではありません。
初の全国流通盤『So far』を前にストリートライブを開始
路上ライブの開始時期は資料によって「2017年」と大きくまとめられることがあります。
ただし、2017年7月公開のFanplus Musicインタビューでエモアキは「去年の12月くらいから」と話しているため、実際には2016年12月ごろから始め、2017年にかけて渋谷で活動を重ねたと整理するのが自然です。
全国流通盤を出す前後の時期に、ライブハウスの中だけでは出会えない人へ音を届けるため、3人はストリートへ出ました。
路上ライブは、人気が出た後のイベントではなく、客を増やすために始めた行動でした。
後年のOggiインタビューでエモアキは、インディーズ時代に客がほとんどいない公演もあり、集客のために路上へ出た経緯を率直に振り返っています。
足を止めてもらえない日々が演奏への意識を変えた
渋谷へ出たからといって、最初から人だかりができたわけではありません。
3人はSHIBUYA TSUTAYA周辺などで演奏しても、なかなか足を止めてもらえない時期を経験しています。
ライブハウスなら音楽を聴く目的で来た人がいますが、路上を歩く人の多くはOmoinotakeを知りません。
そこで、歌い方や演奏の見せ方、人へ届かせる意識まで変わっていきました。
エモアキは2024年の歌ネットインタビューで、2017年に路上で人が集まり始めた頃、初めて「何者かになれそうだ」という感覚を持ったと振り返っています。
結成からそこまで、およそ5年。
さらに後年のOggiインタビューでは、メジャーデビューへつながったレーベルからの声掛けも、路上ライブを見たことがきっかけだったと明かされています。
ストリートは単に観客を増やした場所ではなく、演奏を変え、人との接点を作り、次の契約にもつながった場所でした。
「惑星」「モラトリアム」で言葉と認知の幅が広がった
路上ライブで踊れるグルーヴを磨く一方、エモアキは歌詞の書き方にも変化を加えました。
2019年の「惑星」では、音の響きや韻を強く意識していた時期から離れ、言葉の意味をより裸にして書く方向へ大きく舵を切ったと本人が説明しています。
踊れるだけでは埋もれてしまうと感じたことが、その変更の背景にありました。
2020年には「モラトリアム」が映画『囀る鳥は羽ばたかない The clouds gather』の主題歌となり、公式プロフィールでは自身初の劇場アニメ主題歌と位置づけられています。
路上で磨いた「人へ届ける」感覚と、言葉を直接届ける方向へ変えた作詞が重なり、メジャーデビュー前のOmoinotakeを特徴づける時期になりました。
9年のインディーズ活動を経てメジャーデビュー
Omoinotakeの公式サイトは、2012年の結成から9年間の活動を経てメジャーデビューしたと記しています。
結成、音楽性の変更、路上ライブ、タイアップという段階を重ね、2021年に大きな区切りを迎えました。
2021年『EVERBLUE』でメジャーデビュー
2021年11月17日、Major 1st EP『EVERBLUE』をソニー・ミュージックレーベルズから発売し、メジャーデビューしました。
表題曲「EVERBLUE」はTVアニメ『ブルーピリオド』のオープニングテーマです。
メジャーデビュー前には、2020年の「モラトリアム」など映像作品との接点も生まれていましたが、公式が「メジャーデビュー作」と明確に位置づけているのは『EVERBLUE』です。
自主的な活動開始、全国流通、メジャーデビューは同じ「デビュー」ではありません。
Omoinotakeの場合は、2012年にバンドを結成し、2017年に全国流通盤『So far』を出し、その後もインディーズで活動を続け、2021年11月17日にメジャーデビューしたという順序になります。
2024年「幾億光年」がJAPAN Hot 100最高2位へ
メジャーデビューから約2年後、キャリアの規模を大きく変えた曲が「幾億光年」でした。
2024年1月にリリースされ、TBS系火曜ドラマ『Eye Love You』の主題歌として書き下ろされた楽曲です。
Billboard JAPANの総合ソング・チャート「JAPAN Hot 100」では最高2位を記録しました。
一時的に上位へ入っただけではなく、その後も長くチャートインを続け、同年を通じて大きな成績を残しています。
ヒットの理由を一つに決めつけることはできません。
ただ、結成から積み重ねてきたピアノ・ベース・ドラムのグルーヴと、直接届く日本語詞を持つ一曲が、チャートという客観的な形で広い層へ届いたことは確認できます。
年間3位と紅白初出場が示した2024年のブレイク
「幾億光年」はBillboard JAPANの2024年年間「JAPAN Hot 100」で3位に入りました。
年間チャートで上にいたのはCreepy Nuts「Bling-Bang-Bang-Born」とtuki.「晩餐歌」の2曲だけです。
JAPAN Hot 100最高2位、年間3位、そして同年末のNHK紅白歌合戦初出場。この3つは、2024年がOmoinotakeにとって大規模なブレイクの年だったことを示す固定された記録です。
紅白は、結成から12年を経ての初出場でした。
2012年4月28日に東京で結成し、8月5日に初ライブを行った3人は、渋谷の路上で足を止めてもらえない時期と9年間のインディーズ活動を経て、2021年にメジャーデビュー。
その約3年後、「幾億光年」は2024年の年間JAPAN Hot 100で3位となり、年末には3人で初めて紅白のステージに立ちました。

