luv(ラヴ)は、2023年6月に結成された関西発の5人組バンドです。公式プロフィールでは、hinata miyake(Vo&Gt)、hajime(DJ)、takaya hirosawa(Key)、baba kazuma(Ba)、shotaro kaneda(Ds)の5人で構成されています。
一方、2024年から2026年前半までのインタビューでは、同じ担当パートのメンバーについてHiyn、Ofeen、Rosa、Zum、Shoという表記が使われていました。ここでは公式プロフィールの表記を基本にしつつ、結成当時の発言や出来事を扱う場面では、当時使われていた表記も併記します。
5人は、同じ大学で出会ったバンドではありません。本人はインタビューで「大学はバラバラ」と説明しており、幼なじみ、高校の同級生、大学のジャズ研という複数のつながりが重なって5人編成になりました。luvの結成史で重要なのは、同じ場所にいた5人ではなく、別々の場所にいた5人が少しずつつながったことです。
| 公式プロフィール表記 | 初期インタビューでの表記 | 担当 | 主な音楽の入口 |
|---|---|---|---|
| hinata miyake | Hiyn | Vo&Gt | ファンク、ソウル、ネオソウル |
| hajime | Ofeen | DJ | ソウル、ネオソウル |
| takaya hirosawa | Rosa | Key | クラシック |
| baba kazuma | Zum | Ba | 邦ロック、ファンク、ジャズ |
| shotaro kaneda | Sho | Ds | ロック、ファンク、ビッグバンド |
luvの音楽は5人それぞれ違うルーツから始まった
luvの公式プロフィールには、90年代からY2Kのネオソウルやアシッドジャズを中心に、ジャズ、ヒップホップなどのブラックミュージックに影響を受けたバンドだと記されています。
ただし、5人が最初から同じ音楽を聴いていたわけではありません。ブラックミュージック、クラシック、邦ロック、ジャズ、ビッグバンドと入口はかなり違います。その違いをたどると、luvのサウンドが一つのジャンルだけでは説明できない理由も見えてきます。
hinata miyake(Hiyn)とshotaro kaneda(Sho)|高校で出会う前に育ったブラックミュージックとドラム
ボーカル&ギターのhinata miyakeは、父親がブラックミュージックを好む家庭で育ちました。幼い頃からEric ClaptonとB.B. Kingの共演作『Riding With The King』を耳にし、別のインタビューではJames Brownに惹かれたことも語っています。
中高生になるとSuchmos、D.A.N.、cero、WONK、Nulbarichなど、日本でブラックミュージックをポップスへ落とし込むアーティストを聴くようになりました。さらに、ギターを練習する中でTom Mischを知り、そこから90年代のアシッドジャズやネオソウルへ遡っていきます。
D’AngeloやErykah Baduなどへ音楽の地図を広げていった流れを見ると、luvの中心にあるネオソウル志向は、結成後に後付けされたものではなく、hinataが10代までに掘ってきた音楽とつながっています。
ドラムのshotaro kanedaは、小学5年生ごろ、同じマンションの友人から誘われてドラムを始めました。家で邦ロックを合わせるところから始まり、その後に習った先生はファンク色の強いドラマー。高校ではビッグバンドにも所属し、自分がそれまで身につけてきたリズムがブラックミュージックとつながっていたことを意識するようになります。
後にはQuestloveを好きなドラマーとして挙げています。派手なソロより、ビートそのものが曲の色を作る感覚に惹かれていました。
hinataとshotaroは高校で出会い、セッションを重ねるようになります。luvという名前が生まれる前から、この2人の間には演奏の土台ができていました。
hajime(Ofeen)・takaya hirosawa(Rosa)・baba kazuma(Zum)|ソウル、クラシック、ジャズから別々の道を歩む
DJのhajimeは、父親とのドライブでMichael Jackson、JACKSON 5、Stevie Wonderなどを聴いていました。一度は邦楽中心の聴き方になりますが、大学へ進んだ後、幼なじみのhinataからブラックミュージックを教わります。
Kan Sanoを入口にD’Angelo、Erykah Badu、Lauryn Hillなどへ掘り下げ、luvではDJを担当するようになりました。DJ経験が先にあってバンドへ入ったのではなく、luvに参加する中で担当が生まれたメンバーです。
takaya hirosawaの出発点は、ほかのメンバーとかなり違います。小学3年生ごろからピアノを習い、クラシックを軸に育ちました。近現代のクラシックを好み、Martha Argerichの演奏を研究してきたことも語っています。
ブラックミュージックを深く知っていたから加入したのではなく、クラシックで培った構成感覚をバンドへ持ち込んだキーボーディストでした。本人は自分のパートを譜面に書き起こし、曲全体の流れを見ながらフレーズを整理することも明かしています。
baba kazumaがベースを始めたのは高校時代。入口はゲーム『バンドリ! ガールズバンドパーティ!』で、軽音部では邦ロックをコピーしていました。その後、YouTubeでVulfpeckを知ったことからファンクやブラックミュージックへ。大学ではジャズ研に入り、Ray Brown、Paul Chambers、Christian McBrideなどのジャズベーシストも聴くようになります。
つまり5人の共通点は、「同じ音楽教育を受けたこと」ではありません。それぞれ違う場所からグルーヴのある音楽へ近づき、その途中で出会ったことがluvの出発点でした。
幼なじみ・高校・大学ジャズ研がつないだluvの5人
「luv バンド 大学」と検索すると、大学で5人が結成したようにも見えます。しかし実際には、5人全員が同じ大学だったわけではありません。hinataはインタビューで、年齢は同じでも「大学はバラバラ」と説明しています。
メンバー同士の線は、もっと前から少しずつ伸びていました。幼少期、高校、大学。それぞれ別の時期に生まれた関係が、2023年に一つのバンドへまとまっていきます。
hinata miyakeとhajimeは幼なじみ、shotaro kanedaとは高校で出会った
hinataとhajimeは、幼い頃から接点がありました。小学生の頃は別の学校のサッカーチームで顔を合わせ、中学では同じサッカーチームで過ごします。音楽だけをきっかけに知り合った関係ではなく、バンドよりずっと前からの友人でした。
shotaroとは高校で同級生になり、hinataと2人でセッションを始めます。後年のインタビューでも、luvの前段階として「高校のときにShoとふたりで始めた」という経緯が語られています。
一方、2025年のJ-WAVEでは、バンドをやろうと言い出した人物についてhinataがhajime、当時のOfeenの名前を挙げています。
これは「誰が結成したか」という一つの答えへ無理にまとめるより、hajimeがバンドを言い出し、hinataがそれまでの人間関係から演奏する仲間をつないでいったと整理すると、複数の本人発言を自然につなげられます。
大学は別々|ジャズ研を通じてbaba kazumaとtakaya hirosawaに出会う
高校卒業後、メンバーの輪を広げる接点になったのが大学のジャズ研です。hinataは、ベースのbaba kazumaとキーボードのtakaya hirosawaに、ジャズ研を通じて出会ったと説明しています。
ここで大事なのは、「luv=同じ大学のジャズ研バンド」ではないことです。本人が大学は別々だと明言しているため、ジャズ研は5人全員の所属先ではなく、メンバー同士を結びつけた接点の一つとして見るのが自然です。
学んでいた分野も音楽一色ではありません。J-WAVE出演時には、hinataが考古学、takayaがコンピューターサイエンスを専攻していたことを話しています。
検索すると学校名そのものが気になるかもしれませんが、本人が公開の場で説明しているのは、大学が別々だったことや専攻、そしてジャズ研を通じた出会いです。確認できない学校名を推測するより、そこで生まれた音楽上のつながりを追う方が結成の経緯ははっきりします。
ベースの当日キャンセルからbaba kazumaが参加、takaya hirosawa加入で5人へ
最初から5人が揃っていたわけでもありません。初期にはhinata、shotaro、hajimeと別のベーシストという4人で演奏していました。当時のhajimeはDJではなく、キーボードを担当していました。
ところが、ライブ当日にベーシストがキャンセル。hinataがbabaへ連絡し、babaは滋賀から大阪へ向かって急きょライブに参加しました。この一件を経てbabaが加わり、しばらく4人で活動します。
その後、hinataがジャズ研で知っていたtakayaが加入します。クラシックを土台に持つ鍵盤奏者が入ったことで、hajimeはキーボードからDJへ役割を変更しました。
hinata自身が90年代の音楽を好み、JamiroquaiやErykah BaduのようにDJをバンドの重要な一員として置きたいと考えていたことも、この担当変更につながっています。ライブ当日の欠員からbabaが加わり、takayaの加入によってhajimeがDJへ移ったことで、luvを特徴づける5人の役割がそろいました。
計画どおり集めた5人というより、欠員、友人関係、ジャズ研での出会い、担当変更まで含めて形になったバンドでした。
2023年6月にluv結成|遊びの延長からライブ・初音源へ
公式プロフィールでluvの結成時期とされているのは2023年6月です。メンバー全員が2003年生まれで、関西を拠点にライブと制作を始めました。
この時点で完成された活動計画があったわけではありません。初期の証言をつなぐと、友人同士で演奏する感覚から始まり、ライブと宅録を続けながら少しずつ「luv」というバンドの輪郭ができていったことが分かります。
「luv」の読み方とバンド名はどう決まった?
バンド名の読み方は「ラヴ」。Warner Music Japanのプロフィールでは、英語の「love」を略したスラング「luv」に由来すると説明されています。
ただし、命名の瞬間はもっと肩の力が抜けたものでした。hinataは初期インタビューで、まず「認識しやすいローマ字3文字」にしたいという話があり、shotaroが出した案から「luv」に決まったと振り返っています。
「バンド名の由来はほんまにぽっと出っすね。」
出典:BIG UP!zine「関西発の新鋭・luvが生み出す飾らないグルーヴ。ネオソウル、ジャズ、クラシックをルーツにした遊び心溢れる世界観」
先に名前が決まり、その後に言葉の意味を重ねていったという順序です。由来をきれいな物語へ作り替えるより、この偶然性の方が結成当時の空気をよく伝えています。
最初はプロ志向ではなかった|ライブと宅録を重ねた初期
初期のluvは、制作を宅録で進めていました。ライブも関西のライブハウスを中心に重ね、後年には「お客さんもいないところで」演奏していた時期があったと振り返っています。
「それまではずっと遊びの延長みたいな」
出典:J-WAVE「TOKIO HOT 100」(2025年8月10日放送)
2024年2月28日には1st EP『Garage』を発表しました。このタイトルの「Garage」は、shotaroが働いていた神戸のライブバー「Garage Paradise」に由来します。アーティスト写真の撮影場所にもなった、初期の活動と結びつく場所でした。
1st EPだから格好のいいコンセプト名を付けたのではなく、自分たちが始まった場所の名前を取った。ここにも、結成初期のluvが友人関係と身近な場所の延長線上で動いていたことが表れています。
初音源「Motrr」から東京・下北沢へ
Warner Music Japanの紹介では、luvは2023年6月の結成後、同年9月に初音源をリリースしています。初期インタビューで1stシングルとして語られているのが「Motrr」です。
「Motrr」もセルフプロデュースを軸に制作された楽曲でした。そこから『Garage』へと作品を重ねますが、活動の流れを変えたのは配信だけではありません。
J-WAVEでメジャーデビューまでのきっかけを聞かれたhinataは、「下北沢」と答えています。関西から東京へ遠征して下北沢のライブハウスに出演した後、さまざまな人から声をかけられるようになったという経緯です。
宅録と関西のライブハウスで続いていた「遊びの延長」が、東京への遠征を境に外側の人へ見つかり始めました。
「Fuwa Fuwa」でメジャーデビュー|luvが音楽を仕事にすると決めた転機
2024年7月24日、luvは「Fuwa Fuwa」でメジャーデビューしました。結成から約1年。時系列だけを見ると一直線に進んだように見えますが、メンバー自身の感覚では、この時期に初めてバンドとの向き合い方が変わっています。
音楽ナタリーのインタビューでhinataは、メジャーデビューまでは5人で将来を深く話してこなかったものの、「Fuwa Fuwa」のリリース時に音楽を続けていく意思を確かめ合ったと説明しています。
下北沢への遠征からメジャーへの道が動き始める
下北沢への遠征後に声をかけられる機会が増え、ライブハウスの内側だけだった活動はメジャーリリースへつながっていきます。ただし、ここで「最初からメジャーデビューを狙っていたバンド」と捉えると、本人たちの証言とは少しずれます。
shotaroも結成当初について、大学生がバンドをやる程度の感覚だったと振り返っています。先に高い目標を掲げて5人を集めたのではなく、活動が広がった後から、自分たちの進路として音楽を選び直した形でした。
2024年7月「Fuwa Fuwa」で5人の覚悟が変わった
「Fuwa Fuwa」は、作品としてだけでなく制作方法の転機にもなりました。インディーズ期は宅録だったのに対し、この曲でluvは初めてスタジオレコーディングを経験しています。
「ちょうど“Fuwa Fuwa”のタイミングで、みんなガッとなった感じですね。」
出典:rockin’on.com「そのグルーヴに踊らされる人が急増中! 結成からわずか1年でメジャーデビューを果たした現役大学生バンド・luvの全貌を解き明かす」
メンバーが同じ時期に就職を意識する年齢だったことも、曲の背景にありました。hinataは「Fuwa Fuwa」で、焦らず自分たちのペースで進む感覚をメンバーへ向けて書いたと説明しています。
メジャーデビューは肩書きが変わった日だけではなく、5人がluvを続けることを進路として選んだ節目でもありました。
初めてのスタジオレコーディングの様子は、luvの公式YouTubeに「Fuwa Fuwa (Recording Behind The Scenes)」として残されています。
宅録で作っていた5人がスタジオへ入り、その曲がメジャーデビュー作になる。「Fuwa Fuwa」は、結成から約1年間の活動が次の段階へ切り替わった場所として位置づけられます。
「Send To You」がアジアへ|luv最初の大きなブレイク
メジャーデビューの次にluvの認知を大きく広げたのが「Send To You」です。2025年2月に発表され、同月26日に発売された1st Mini Album『Already』にも収録されました。
「Fuwa Fuwa」が5人の内側にとって大きな転機だったとすれば、「Send To You」は外側へ届く範囲が一段広がった曲でした。
日本・台湾・香港・韓国のSpotifyバイラルチャートへ
「Send To You」は、日本だけでなく台湾、香港、韓国のSpotifyバイラルチャートでもTOP5入りしました。公式プロフィールでも、アジア各国のバイラルチャート上位に入った作品として、キャリア上の大きな実績に位置づけられています。
ここで「なぜ海外でヒットしたのか」を推測する必要はありません。確認できるのは、関西の友人関係から始まった5人の音楽が、2025年には複数のアジア地域で実際に聴かれる規模まで広がったということです。
結成約1年でメジャーデビューしたことだけでも展開は速いですが、luvの音楽史として見るなら、「Fuwa Fuwa」と「Send To You」は役割が違います。前者は5人がバンドを続ける覚悟をそろえた転機、後者はその音楽が国境を越えて認知を広げた最初の大きな実績です。
偶然で集まった5人が“luvの音”になるまで
luvの曲作りでは、hinataがコードやメロディの核を持ち込み、そこへ各メンバーが自分の背景を重ねていきます。babaはブラックミュージックと自身のベース感覚をすり合わせ、shotaroはビートでグルーヴを組み、takayaは譜面に起こしながら構成を整理する。hajimeは最後にサンプリングやDJの音を加える役割を担ってきました。
この作り方には、5人の出会い方そのものが重なります。全員が同じジャンルの専門家だったわけではなく、クラシック、ジャズ、ファンク、ソウル、ポップスと、それぞれが持っていたものを一つの曲へ持ち寄っているからです。
2023年6月に始まったluvは、幼なじみと高校の同級生を土台に、大学のジャズ研でつながった仲間、ライブ当日の欠員、キーボードからDJへの担当変更までを経て5人になりました。
そして2024年7月の「Fuwa Fuwa」でメジャーデビューし、2025年の「Send To You」は日本・台湾・香港・韓国のSpotifyバイラルチャートTOP5へ。最初から決められていた道ではなかったからこそ、その到達点までの一つひとつの出会いが、luvというバンドの結成史そのものになっています。

