BAND-MAIDの結成史|小鳩ミクの発案から5人が集まるまで

BAND-MAIDの結成史をテーマに、5人の女性バンドメンバーと「小鳩ミクの発案から5人が集まるまで」の文字を配した音楽雑誌風イラスト バンド
メンバー担当
小鳩ミクギター・ボーカル
SAIKIボーカル
KANAMIギター
AKANEドラム
MISAベース
2013年に成立した5人体制のメンバーと担当パート

メイド服をまといながら、重厚なギターリフと激しいドラム、ツインボーカルによるハードロックを鳴らすBAND-MAID(バンドメイド)。

2013年に結成されたこのバンドは、もともとメイド喫茶で働いていた小鳩ミクのアイデアから始まりました。

ただし、5人が最初から同じ音楽を目指して集まったわけではありません。演歌に親しんだボーカリスト、クラシックピアノを学んだギタリスト、パンクやグランジに影響を受けたリズム隊。それぞれ異なる音楽経験を持つメンバーが、人とのつながりによって一つのバンドになっていったのです。

小鳩ミクがKANAMIの演奏動画を見つけたことから始まり、AKANE、MISA、SAIKIへとつながった出会い。そして、初期のポップ寄りの楽曲から、自分たちらしいハードロックへ進んでいった音楽の変化。

その歩みをたどると、メイド服というコンセプトだけでは説明できない、BAND-MAIDというバンドの成り立ちが見えてきます。

音楽史の段階BAND-MAIDの歩み
音楽の原点5人がそれぞれ異なる音楽環境で歌や楽器に親しむ
バンドの構想小鳩ミクがメイドとロックを組み合わせる発想を持つ
結成2013年に4人が集まり、SAIKIの加入で5人体制へ
初期の作品2014年『MAID IN JAPAN』を発表。「Thrill」が音楽性の転機となる
海外への広がり2015年に「Thrill」が海外で拡散し、2016年に初海外公演
デビューと自作曲2016年『Brand New MAID』でメジャーデビュー。「alone」を発表

小鳩ミクの音楽原点と「メイド×ロック」の発想

祖母の影響で親しんだ演歌と歌謡曲

BAND-MAIDの結成を語るうえで欠かせないのが、発案者である小鳩ミクの音楽との出会いです。

熊本県出身の小鳩が幼いころに親しんでいたのは、意外にもハードロックではなく演歌でした。

祖母が演歌好きで、カラオケ教室に通っていたことが大きなきっかけです。小鳩も幼少期から祖母について教室へ足を運び、歌に触れていました。

最初に覚えた曲として本人が挙げているのは、天童よしみの「珍島物語」。のちに激しいロックを歌うことになる小鳩ですが、歌う楽しさを知った場所は、祖母と一緒に通った演歌の教室だったのです。

その後、母親の影響でEvery Little Thingや宇多田ヒカルなどを聴くようになり、モーニング娘。や松浦亜弥といったアイドルの音楽にも親しみました。

幼少期から特定のジャンルだけを聴いていたのではなく、家族を通じてさまざまな歌に触れていたことが、小鳩の音楽的な出発点です。

高校時代のライブ体験とバンドへの憧れ

成長するにつれて、小鳩が聴く音楽は歌謡曲やポップスからバンドサウンドへと広がっていきます。

椎名林檎や東京事変の音楽を好きになり、中学・高校時代にはロックバンドにも関心を持つようになりました。

高校時代にはさまざまなバンドのライブを観に行き、自分でもいつかバンドをやってみたいと考えていたそうです。

ただし、この時点で小鳩自身が本格的にバンドを組んで演奏していたわけではありません。

2016年のReal Soundのインタビューでも、BAND-MAID以前はライブを観る側だったと振り返っています。

歌うことが好きだった少女が、ライブを通じて「自分もバンドをやりたい」と考えるようになった。そこに、後のBAND-MAIDへつながる最初の変化がありました。

メイド喫茶での経験から生まれたBAND-MAIDの構想

高校卒業後、小鳩はメイドのアルバイトを経験します。

最初に働いたのは地元・熊本のコンセプトカフェでした。2016年のCINRAのインタビューでは、変わったアルバイトをしたいと思っていたところ、親が店を見つけてきてくれたと語っています。

その経験からメイドの仕事を好きになり、東京に出てからも秋葉原のメイド喫茶で働きながら、ボイストレーニングを続けました。

一方で、小鳩が自分で演奏したいと考えていたのは、かわいらしいアイドル風の楽曲ではなくロックでした。

メイドという見た目と、力強いロックサウンド。一見すると異なる二つの要素を組み合わせたら面白いのではないか。

メイド喫茶で働いた経験と、以前から抱いていたバンドへの憧れ。この二つが重なったことから、BAND-MAIDの構想が生まれました。

バンド名も、その発想をそのまま表したものです。「BAND」と「MAID」を組み合わせて、BAND-MAIDという名前になりました。

しかし、構想を実現するには一緒に演奏する仲間が必要です。そこで小鳩が目を向けたのが、インターネット上に演奏動画を公開していた一人のギタリストでした。

BAND-MAID結成|演奏動画からつながった4人

小鳩ミクがKANAMIの演奏動画を見つける

2013年、小鳩ミクはバンドメンバーを探すなかで、KANAMI(カナミ)の存在を知ります。

きっかけは、KANAMIがインターネット上に公開していたギターの演奏動画でした。

当時のKANAMIは、シンガーソングライターとして活動していました。

幼いころからクラシックピアノを学び、高校時代にはバンド活動を経験。歌とギターを使った音楽活動を続けていましたが、本人には別の希望もありました。

それは、バンドの中でリードギターを弾くことです。

2016年のReal Soundのインタビューでは、シンガーソングライターとして活動しながらも、ギターを中心に音楽をやりたい気持ちが強かったと語っています。

小鳩から届いたのは、メイド服を着てロックを演奏するバンドへの誘いでした。

少し変わったコンセプトではありましたが、KANAMIには高校時代の文化祭でメイド服を着て演奏した経験があり、衣装に抵抗はなかったそうです。

そして、何よりもギタリストとしてバンドに参加できることが魅力でした。

小鳩にはバンドを作りたいという思いがあり、KANAMIにはバンドでリードギターを弾きたいという思いがあった。二人の希望が、ネット上の演奏動画を通じて結び付いたのです。

KANAMIがAKANEを誘った理由

KANAMIの参加が決まり、次に必要になったのはドラムとベースでした。

ここでKANAMIが声をかけたのが、ドラマーのAKANE(アカネ)です。

二人は初対面ではありませんでした。KANAMIがシンガーソングライターとして活動していたころ、AKANEがサポート演奏を担当したことがあり、すでに音楽を通じたつながりがあったのです。

AKANEも、最初からドラム一筋だったわけではありません。

幼稚園のころからピアノを習い、中学・高校時代には吹奏楽部でトロンボーンを担当していました。その後、バンドへの関心が高まり、最初はギターを購入したといいます。

そんなAKANEにとって大きな転機となったのが、マキシマム ザ ホルモンとの出会いでした。

音源だけを聴いていたころは、メンバー全員が男性だと思っていたそうです。しかし、ライブでドラムを演奏するナヲの姿を見て、強い衝撃を受けました。

その経験からドラムへ関心を深め、演奏を続けるようになります。

クラシックピアノを学んだKANAMIと、吹奏楽やパンクロックを経てドラムへ進んだAKANE。異なる経歴を持つ二人でしたが、サポート演奏で築いた関係が、BAND-MAIDの結成へつながりました。

AKANEとMISAをつないだ音楽学校とサポート活動

ドラムのAKANEが加わったことで、残る重要なパートはベースになりました。

そこでAKANEが誘ったのが、ベーシストのMISA(ミサ)です。

二人は音楽の専門学校で知り合い、その後も一緒にサポート演奏などを行っていました。

MISAも幼いころから音楽に触れていました。母親の影響で昔の洋楽を聴きながら育ち、ピアノなどを経験したのち、ギターやベースへと進んでいます。

2016年のReal Soundのインタビューでは、高校2年生のころにベースを始めたと話しており、スマッシング・パンプキンズなどのグランジ系音楽を好きだったことも明かしています。

MISAはBAND-MAID以前にもバンド活動を経験していて、以前のバンドが解散したタイミングで参加の話を受けました。

こうして、小鳩ミクからKANAMI、KANAMIからAKANE、AKANEからMISAへと、出会いがつながっていきます。

楽器隊の3人が集まるまでには、それほど時間がかからなかったようです。

ひとり捕まえたら全員見つかった(笑)。

小鳩ミク/出典:Real Sound「BAND-MAIDが明かす、“ギャップのある音楽”を作り続ける理由」

KANAMIも同じインタビューで、楽器隊が約1か月以内に決まったと振り返っています。

小鳩が最初に見つけた一人のギタリストから、既存の音楽仲間のつながりによってドラムとベースまで集まったことが、BAND-MAID結成の大きな特徴です。

こうして4人のBAND-MAIDが生まれました。しかし、現在知られる5人体制になるには、もう一人のボーカリストとの出会いが必要でした。

SAIKIの加入で成立した5人のBAND-MAID

初期の4人編成と最初のお給仕

BAND-MAIDは、最初から現在の5人で活動を始めたわけではありません。

結成当初は小鳩ミク、KANAMI、AKANE、MISAの4人編成で、小鳩がボーカルを担当していました。

すでに用意されていた楽曲を使い、結成から間もなくライブも行っています。

2015年の激ロックのインタビューで、小鳩は4人時代のライブについて、2回ほどだったと回想しています。

BAND-MAIDではライブを「お給仕」と呼び、観客を「ご主人様」「お嬢様」と呼ぶメイドの世界観を取り入れています。

ただし、初期の音楽性は、のちに広く知られる重厚なハードロックとまったく同じではありませんでした。

AKANEは当時の音について、まだポップロック寄りで、かわいらしさも残っていたと説明しています。

活動を始めたばかりの4人は、ライブで音を鳴らしながら、メイド服という見た目に対して、どのような音楽を届けるのかを形にしている段階だったのです。

異なる声を求めてSAIKIを迎えた経緯

4人で演奏を始めた小鳩には、バンドの音楽に関して一つ気になることがありました。

それは、自分の歌声が比較的明るく、目指すハードなロックサウンドに対して、もう少し重みのある声が欲しいということでした。

そこで考えたのが、ボーカルをもう一人迎えることです。

候補になったのは、同じ事務所でソロの歌唱活動をしていたSAIKI(サイキ)でした。

SAIKIは、小学生のころに安室奈美恵の歌やパフォーマンスに憧れたことをきっかけに、歌に関心を持つようになった人物です。

その後ボイストレーニングを受け、一人で歌う活動を続けていました。本人はバンドにも関心があったものの、BAND-MAIDが初めての本格的なバンド活動になりました。

小鳩は、SAIKIの低めの歌声ならば、自分の明るい声と対比が生まれ、楽曲の表現を広げられると考えたのです。

ただし、SAIKIを迎える際には、少し変わったエピソードもありました。

当初、小鳩は衣装について詳しく伝えず、かわいい服を着てかっこいいロックを歌うという説明をしていたそうです。

SAIKIは初めて実際のメイド服を見たとき、聞いていたイメージとの違いに驚いたと振り返っています。それでも楽曲そのものに魅力を感じ、参加することになりました。

SAIKIの加入によって、明るい声の小鳩ミクと低めの声のSAIKIによるツインボーカルが成立しました。

2013年、こうして現在知られる5人のBAND-MAIDがそろったのです。

5人の異なる音楽ルーツが一つになる

SAIKIの加入は、ボーカルが増えたというだけの変化ではありませんでした。

より重厚なロックを演奏するため、ギターも2本にしたいという話になり、小鳩自身がギターを始めることになります。

小鳩はBARKSの楽器インタビューで、ギターを始めたのはBAND-MAIDを結成した後だったと明確に説明しています。

つまり、小鳩は最初からギターボーカルとしてバンドを始めたのではなく、バンドが目指す音楽に必要な編成を考えた結果、ギターを手にしたのです。

こうしてツインボーカルとツインギターを持つ5人編成へと変化しました。

一方で、メンバーそれぞれが育ってきた音楽は大きく異なります。

  • 小鳩ミク:祖母の影響による演歌・歌謡曲から、椎名林檎や東京事変などへ関心を広げた。
  • SAIKI:安室奈美恵への憧れをきっかけに歌を始め、ソロでの歌唱活動を経験した。
  • KANAMI:クラシックピアノを学び、サンタナやラリー・カールトンなどのギタリストを好んでいた。
  • AKANE:ピアノや吹奏楽を経験し、マキシマム ザ ホルモンのナヲに刺激を受けてドラムへ進んだ。
  • MISA:母親の影響で洋楽に親しみ、ギターやベースを経験。グランジ系の音楽も好んでいた。

2016年のReal Soundのインタビューでは、小鳩が5人の音楽経験について、もともと誰もハードロックを中心に聴いて育ったわけではないと語っています。

それでも、異なる音楽的背景を持つ5人が一緒に演奏し、曲を作り上げていくうちに、BAND-MAIDらしいハードなサウンドが形になっていきました。

後にバンドの代名詞となる音楽は、結成前から誰か一人が完成形を持っていたものではありません。5人で活動するなかで見つけていったものだったのです。

初期作品から「Thrill」へ|ハードロックを選んだ転機

2014年『MAID IN JAPAN』で始まった音源活動

5人体制になったBAND-MAIDは、ライブ活動と並行して作品を発表していきます。

2014年1月8日には、初のCD作品となるミニアルバム『MAID IN JAPAN』をGump Recordsから発売しました。

収録されたのは「Be OK」「EverGreen」「KEY」「Bye My Tears」などの8曲です。

この作品では、後に代表的なイメージとなるハードロックだけでなく、ポップロックなど幅のある楽曲を演奏していました。

2016年のインタビューで小鳩は、結成初期にはJ-ROCKやハードロック、メタルなど、かっこいい音楽にもさまざまな形があるため、それぞれを試していたと振り返っています。

最初の作品を発表した時点では、BAND-MAIDの音楽性はまだ発展の途中にあったのです。

メイド服というコンセプトは結成時からありましたが、サウンドの方向性については実際に演奏しながら探っていました。

そんな時期に出会った一曲が、その後のバンドの歩みを大きく変えることになります。

「Thrill」で見つけたバンドの音

BAND-MAIDにとって、初期の重要な転機になった楽曲が「Thrill(スリル)」です。

この曲は2014年に発売されたシングル『愛と情熱のマタドール』のカップリング曲として発表され、同年11月19日には公式ミュージックビデオが公開されました。

「Thrill」はギターのリフを前面に出したハードロックナンバーで、後のBAND-MAIDを象徴する音楽性へつながる作品になりました。

2016年のReal Soundのインタビューでは、SAIKIがこの曲を、現在のスタイルへ導いた出会いの曲だったと振り返っています。

小鳩も、バンドが目指す方向を定めるうえで大きな存在になったと説明しました。

それまでさまざまなスタイルを試していた5人にとって、「Thrill」は自分たちが演奏したい音を具体的に示す楽曲になったのです。

ドラムのAKANEにとっても変化がありました。本人によれば、「Thrill」はツインペダルを使い始めるきっかけになった曲でした。

楽曲の方向性が変わったことで、演奏そのものにも新しい技術や表現が必要になっていったことがわかります。

「Thrill」は、BAND-MAIDが自分たちらしいハードロックを見つけるきっかけになった一曲でした。

当時の5人の演奏と、メイド服とのギャップを直接感じられるのが、2014年に公開された公式ミュージックビデオです。

演奏と衣装のギャップがバンドの個性になる

BAND-MAIDの衣装は、結成当初からメイドをモチーフにしていました。

しかし、音楽を重ねるにつれて、メンバーが演奏するサウンドはより重く、激しいものになっていきます。

AKANEは2015年の激ロックのインタビューで、初期にはポップロック寄りだった音楽が、同期音源の導入やツインペダルの使用などによって次第に厚みを増していったと説明しています。

また、ギター2本による演奏は、ハードな楽曲を表現するための重要な要素でした。

さらに小鳩とSAIKIの声質の違いが、ツインボーカルならではの表現を生み出していきます。

一方で、衣装も全員が同じデザインというわけではありません。

メンバーごとの個性を反映するようになり、ドラムを激しく演奏するAKANEの衣装にはロックらしい要素が取り入れられるなど、メイドのコンセプトの中にもそれぞれの違いが表れるようになりました。

演奏中は激しいロックを鳴らし、MCではメイドの世界観を取り入れる。その対比は、バンドのステージを特徴づける表現にもなりました。

そして2015年11月には、2枚目のミニアルバム『New Beginning』を発表します。

「Thrill」をきっかけに見つけたハードロックの方向性を、より明確に打ち出した作品でした。

この音楽と衣装の対比は、やがて日本だけでなく、海を越えたロックファンにも届くことになります。

海外で広まった「Thrill」と2016年のメジャーデビュー

海外のWebサイトを通じて広まった「Thrill」

2014年に公開された「Thrill」のミュージックビデオは、翌2015年に思いがけない形で海外へ広がっていきました。

きっかけになったのは、海外の日本のロック音楽を扱うWebラジオ「Jrock Radio」のFacebookページです。

公開から半年ほど経ったころ、このページで「Thrill」が紹介され、海外からの視聴や反応が急速に増えていきました。

それまでBAND-MAIDを知らなかった海外のロックファンが、メイド服で激しいロックを演奏する5人の姿を目にするようになったのです。

しかし、メンバー自身は当初、何が起きているのかわかっていませんでした。

小鳩は2021年のTOKIONのインタビューで、海外からSNSのフォロワーが急に増えたため、アカウントが乗っ取られたのではないかと思ったと振り返っています。

他のメンバーにも同じ変化が起きていたため、理由を調べたところ、KANAMIがJrock Radioによる紹介を見つけたそうです。

さらに、事前に英語の連絡が届いていたものの、当時のスタッフが不審なメールだと思って見過ごしていたというエピソードも語られています。

海外での反響は、綿密なプロモーション計画から始まったものではありませんでした。

一つのミュージックビデオが海外メディアに取り上げられ、そこから国外のリスナーへ広まっていった。この出来事が、BAND-MAIDの海外での認知を広げる大きな転機となりました。

2016年、米国で初の海外ライブ

ネット上での反響は、実際の海外公演へとつながっていきます。

2016年3月26日、BAND-MAIDは米国シアトルで開催された日本文化のイベント「Sakura-Con」に出演しました。

これがBAND-MAIDにとって初めての海外ライブになりました。

それまでSNSや動画を通じて海外からの反響を受け取っていたメンバーにとって、実際に現地の観客を前に演奏するのは初めての経験です。

2016年のReal Soundのインタビューで、SAIKIは、ネット上では盛り上がっていても、本当に現地の人たちが自分たちを待っているのかわからなかったと振り返っています。

ところが、ステージへ上がると観客は温かく迎えてくれました。

小鳩はコール&レスポンスにも大きな反応が返ってきたことを語り、AKANEも日本では経験していなかったほどの観客の熱気に触れています。

海外で動画が見られているという数字だけではわからなかった反応を、メンバーはライブの場で直接感じることになりました。

この経験は、その後の海外公演へ進むうえでも重要な出来事になります。

結成時から掲げていた海外への意識が、実際のステージでの手応えへと変わったのです。

『Brand New MAID』でメジャーデビュー

海外での初ライブを経験したBAND-MAIDは、同じ2016年に音楽活動の新たな段階へ進みます。

2016年5月18日、ミニアルバム『Brand New MAID』を日本クラウンから発売し、メジャーデビューを果たしました。

この作品は、バンドにとって通算3枚目のミニアルバムです。

2014年の『MAID IN JAPAN』が最初のCD作品であり、『Brand New MAID』はメジャーレーベルからのデビュー作に当たります。

作品には「the non-fiction days」「ORDER」「FREEDOM」「alone」などが収録されました。

初期の作品から比べると、よりハードなロックサウンドを前面に出した内容になっています。

「ORDER」は、メンバーが「Thrill」の後継曲というイメージで制作したと語る楽曲です。AKANEはドラム演奏についても、「Thrill」を超えることを意識したと説明しています。

また、メジャーデビュー作の制作では、メンバー自身が作詞作曲やアレンジに関わる機会が増えていました。

バンドの方向性が定まり、海外での反応も得られるようになった時期に、自分たちで音楽を作るという新しい挑戦も具体的な形になり始めていたのです。

その象徴が、『Brand New MAID』に収録された「alone」でした。

「alone」から始まった自分たちの音楽作り

メンバー自身の楽曲が採用されるまで

BAND-MAIDは、結成当初からすべての楽曲をメンバー自身で制作していたわけではありません。

初期には外部の作家による提供曲も演奏していて、メンバーはその楽曲を通じて自分たちが目指す音楽を探っていました。

一方で、バンドとして自分たちの楽曲を発表したいという思いもあり、結成後からオリジナル曲の制作を続けていました。

しかし、最初から自作曲が採用されたわけではありません。

小鳩は2016年のReal Soundのインタビューで、以前から曲を作っていたものの、提供曲と比較すると完成度が足りず、採用されなかったと振り返っています。

その間、メンバーは提供曲を演奏しながら、楽曲制作の技術やバンドとしての表現を身につけていきました。

そして2016年、メンバーだけで作詞作曲した楽曲「alone」が、初めて正式な作品として発表されることになります。

作詞は小鳩ミクとSAIKI、作曲・編曲はBAND-MAID名義。2016年2月には公式MVが公開され、5月の『Brand New MAID』にも収録されました。

結成から約3年間続けてきた挑戦が、ようやく作品として形になった瞬間でした。

3年間作り続けて、ようやく認められたという(笑)。

SAIKI/出典:Real Sound「BAND-MAIDが明かす、“ギャップのある音楽”を作り続ける理由」

この短い言葉には、結成から自作曲を発表するまでの時間が凝縮されています。

「alone」は、メンバーが自分たちで作った音楽を正式な作品として世に送り出した、BAND-MAIDの作曲史における重要な転機でした。

「alone」と「YOLO」が示した制作上の転機

「alone」の発表は、BAND-MAIDが楽曲制作の主導権を自分たちの手へ移していく第一歩になりました。

2016年11月16日には、メジャー1stシングル『YOLO』を発売します。

この作品では、収録曲の作詞作曲をメンバー自身が担当しました。

激ロックの2016年11月のインタビューで、小鳩は、作品全体を自分たちで作詞作曲するのは初めてで、責任や不安も大きかったと語っています。

KANAMIも、自分が作った曲をメンバーに聴かせ、もっと重い音にしたい、メロディをより印象的にしたいといった意見を受けながら仕上げていく過程を説明しています。

以前は作家が完成させた楽曲を演奏することも多かったBAND-MAIDですが、メンバー同士でアイデアを出し合いながら作品を作る形へと変わっていったのです。

「YOLO」には、KANAMIがシンガーソングライターとして活動していたころに使っていたコード進行なども取り入れられています。

結成前に積んできた音楽経験が、バンドの中で新しい形になっていることがわかるエピソードです。

また、ボーカルのSAIKIは楽曲の展開や歌詞の雰囲気について意見を出し、AKANEやMISAも演奏面で自分たちらしいフレーズを加えていきました。

5人がそれぞれ担当パートを演奏するだけでなく、曲の完成まで関わるようになったことが、制作面における大きな変化でした。

「alone」で初めて自作曲を正式に発表し、「YOLO」では作品全体をメンバー自身の手で作り上げた。この二つの作品は、BAND-MAIDの作曲活動を理解するうえで欠かせない存在です。

海外公演を重ね、結成10周年の横浜アリーナへ

自分たちで楽曲を作り上げる体制が整ったBAND-MAIDは、その後も国内外でライブ活動を重ねていきます。

2016年の初海外ライブ以降、アジア、ヨーロッパ、北米などで公演を行い、メイド服とハードロックを組み合わせた音楽を世界各地へ届けました。

2019年には、世界的なライブエンターテインメント企業Live Nationとのツアーパートナーシップを発表します。

2020年にはUnited Talent Agencyとの提携も発表され、海外での活動を支える体制が広がっていきました。

2022年の全米ツアーでは、公式プロフィールによると2万人以上を動員しています。

そして結成10周年を迎えた2023年には、大規模な国内外のツアーを展開しました。

同年11月26日には、横浜アリーナで「BAND-MAID 10TH ANNIVERSARY TOUR FINAL」を開催します。

小鳩ミクがメイド喫茶での経験とバンドへの憧れを組み合わせ、一人のギタリストに声をかけたことから始まったBAND-MAID。

最初から音楽的な背景がそろっていた5人ではありませんでした。演歌、ポップス、クラシック、パンク、グランジなど、それぞれが異なる音楽に親しみながら成長し、バンドに参加しています。

結成当初にはさまざまな音楽性を試し、「Thrill」で自分たちが演奏したいハードロックを見つけました。さらに、海外のリスナーとの思いがけない出会いを経験し、「alone」から自分たちの楽曲制作を本格的に形にしていきました。

メイド服という見た目は、バンドを作るきっかけになった大切なコンセプトです。しかし、その中で鳴らされる音楽は、5人の経験と出会い、そして演奏と制作の積み重ねによって作られてきました。

BAND-MAIDの音楽は、異なるルーツを持つ5人が集まり、一緒に演奏しながら自分たちの音を見つけていった歴史そのものなのです。

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