| 項目 | プロフィール |
|---|---|
| 活動名 | アイナ・ジ・エンド |
| 生年月日 | 1994年12月27日 |
| 出身地 | 大阪府 |
| 活動形態 | シンガーソングライター/ダンサー |
| 主なグループ歴 | BiSH(2015年始動〜2023年6月29日解散) |
アイナ・ジ・エンドは、BiSHで印象的な歌声とダンスを担い、グループの振付も数多く手がけてきたシンガーソングライターです。
けれど、彼女の表現の出発点は「歌手になりたい」という夢ではありませんでした。
最初に夢中になったのは、4歳から続けたダンス。高校卒業後も、思い描いていたのはバックダンサーになる道でした。
その進路を変えたのが、ダンス仲間だった親友のひと言です。
18歳で大阪から東京へ出ると、小さなライブハウスやバックダンサーの現場に立ち、自分で歌うために人生で初めて曲も作りました。
その最初の曲「きえないで」は、数年後にソロデビュー作として世に出ます。今回は、母の歌があった幼少期から、ダンス、上京、BiSH、そしてソロへと進んだアイナ・ジ・エンドの音楽ルーツをたどります。
| 音楽史の段階 | アイナ・ジ・エンドの歩み |
|---|---|
| 表現の原点 | 4歳からジャズダンスを始め、母が日常的に歌う家庭で育つ |
| 歌への転換 | 高校卒業後、親友の言葉をきっかけに歌を意識し、18歳で大阪から上京する |
| 最初の自作曲 | 東京で活動する中、自分で歌うために人生初の作曲となる「きえないで」を作る |
| BiSH | 2015年にオーディションを経て始動し、歌とダンスに加えて多くの楽曲の振付を担う |
| ソロ活動 | 2018年に「きえないで」でソロデビューし、2021年『THE END』で本格始動する |
| 大きな転機 | 2023年のBiSH解散後にソロへ軸足を移し、2025年「革命道中 – On The Way」で認知を大きく広げる |
4歳のジャズダンスと母の歌が表現の原点
アイナ・ジ・エンドの幼少期には、ダンスと歌が別々に存在していたわけではありません。
身体を動かすことと、家の中に歌があることが、ごく自然に同居していました。
4歳で始めたジャズダンスは長く続き、10代のころまで表現の中心にありました。一方で、家庭では母の歌声が日常の一部になっていました。
歌手を夢見た母と「歌うことが普通」の家庭
母は若いころに歌手を目指して上京した経験があり、その後は子育てに専念しました。
家では洗濯などの何気ない場面まで即興の歌にしてしまう人で、娘が踊ったり歌ったりすると自分のことのように喜んでくれたといいます。
歌は、習う前から生活の中にありました。
「歌を歌うっていうことに対して何のハードルもない」
出典:J-WAVE「アイナ・ジ・エンドさんのHidden Story前編ーダンスを始めた幼少期から、東京・中野で始まった『挑戦』の日々まで。」
ただし、この時点で本人が歌手を目指していたわけではありません。
母が喜ぶことも嬉しかった一方で、自分自身がまず熱中したのはダンスでした。
音楽は「踊れるか」で聴いていた
ダンスを続けていたころは、デスティニーズ・チャイルドやビヨンセ、ジャネット・ジャクソンなど、R&Bやダンスミュージックにも親しんでいました。
本人は若いころの聴き方について、アーティストの名前や歌詞を深く追うよりも、まず「踊れるか、踊れないか」で音楽を捉えていたと振り返っています。
曲が流れれば、先に身体が反応する。歌詞を読み込むより、リズムや音の動きを全身で受け取る時間の方が長くありました。
耳より先に身体で音楽を覚えていったことは、その後、歌手になってからも消えませんでした。
BiSHで振付を考え、ソロでも歌と身体表現を一緒に扱う土台には、幼いころから積み重ねてきたダンスがあります。
阿部真央とBUMP OF CHICKENから歌と言葉へ
中学3年生ごろ、テレビで阿部真央が「ふりぃ」を歌う姿を見たことが、歌そのものへ意識を向ける出来事になりました。
それまでR&Bをダンスのために聴くことが多かった中で、本人は阿部真央の歌に初めて強い衝撃を受けたと語っています。
のちにレコーディングで「好きなように歌って」と求められた際、阿部真央の歌い方や歌い回しを自分の中で思い浮かべることもあったそうです。
自分のお金で初めて買ったCDとして挙げているのは、YUIとBUMP OF CHICKEN。BUMP OF CHICKENで最初に買ったアルバムは『jupiter』でした。
ダンス中心だったころはメロディや曲の雰囲気に惹かれていましたが、自分が歌うようになってからは、歌詞と言葉の届き方にも耳を向けるようになります。
BUMP OF CHICKENは、大人になってからも繰り返し名前を挙げる大切な存在です。
その思いは、2024年にライブを観たあとの本人投稿にも残っています。
親友のひと言で歌う側へ|18歳で大阪から上京
高校卒業を迎えたころも、将来像の中心はダンスでした。
卒業後はバックダンサーになるつもりで、踊る仕事へ進もうとしていたといいます。
ところが、いつも一緒に踊っていた親友とのカラオケで、進む方向が変わります。
「ダンスより歌のほうがいい」と言われて進路が変わる
カラオケでアイナの歌を聴いた親友は、泣きながら言葉をかけました。
「アイナは歌のほうが絶対いい」
出典:VOGUE JAPAN「アイナ・ジ・エンドのクリエイティビティの源──『誰かのための表現は、自分のためでもある』。」
ダンスではいつも後ろや端の方にいることが多かった本人にとって、自分が声を出して前へ立つ道は、それまで描いていた進路とは違うものでした。
それでも、長く一緒に踊ってきた親友の言葉なら一度試してみようと思ったといいます。
長く続けてきたダンスではなく、友人から勧められた「歌」を試すため、18歳で大阪を離れて東京へ向かいました。
小さなライブハウスとバックダンサーの日々
上京後すぐに大きな舞台が待っていたわけではありません。
自分でライブハウスへ足を運んで出演方法を尋ね、歌う場所を探していきました。
渋谷のclub asiaで行った初期のライブでは、客席にいたのは1人。それでも出演ノルマとして約1万8000円を払い、毎月のようにステージへ立っていた時期があります。
そのころは自分が歌い、友人にバックダンサーとして踊ってもらう形でもライブを行っていました。
同時にダンスの仕事も続け、yucatのバックダンサーを担当。そのバックダンサーの集まりから生まれたユニットPARALLELでも活動し、ギター弾き語りなどにも挑戦しました。
歌だけ、ダンスだけと一本に決めるのではなく、できることを試しながら東京でステージに立ち続けていた時期でした。
まだ大学生だったShin Sakiuraと出会ったのも、このころの小さなライブハウスです。
渋谷や高田馬場などで同じイベントに出演する中で交流が生まれ、やがて一緒に音楽を作るようになりました。
自分の歌を歌うために「きえないで」を作った
東京で歌ってみても、すぐに状況が変わったわけではありません。
カバーを歌うだけではなく、オリジナル曲を持とうと考え、18歳のときに初めて作詞作曲したのが「きえないで」です。
Shin Sakiuraには、その初期の「きえないで」を渡してギターを入れてもらいました。二人にとって最初期の共同作業のひとつでした。
ダンサーを目指して上京した少女が、東京で歌う場所を探すうちに、自分で曲を書く人へ変わった最初の一曲でした。
この時点では、数年後に「きえないで」が正式なソロデビュー曲になることは決まっていません。
まずは、自分の声で自分の曲を歌うために生まれた作品でした。
売れない日々の先でBiSHへ|2015年のオーディションが転機
歌、自作曲、ユニット、バックダンサー。東京でいくつもの形を試しても、思うような結果には結びつきませんでした。
そんな時期に知ったのが、BiSを手がけた渡辺淳之介による新グループBiSHのオーディションです。
ここで、歌とダンスを別々に模索していた時期から、両方を一つの活動の中で使うようになります。
新しいものを求めてBiSHのオーディションへ
本人はBiSH以前について、歌やダンス、自作曲、ユニット、バックダンサーなどを続けてきたものの、なかなか形にならなかったと振り返っています。
同じことを続けるのではなく、新しいものに出会いたい。そこでBiSHのオーディションへ応募しました。
前身にあたるBiSを本格的に調べたのも、BiSHのオーディションを知ってからです。
「FiNAL DANCE」を気に入り、ファーストサマーウイカの歌声にも惹かれ、「普通のアイドル」とは違う表現に興味を持ったことを初期インタビューで語っています。
2015年、BiSHのメンバーとして始動。同年5月にインディーズデビューし、2016年5月にはavex traxから「DEADMAN」でメジャーデビューしました。
東京の小さなライブハウスで一人の客を前に歌っていた時期から、グループの一員として活動する段階へ進みます。
「今までの自分を終わらせる」から生まれた名前
BiSHで活動を始めるときに、自ら選んだ名前が「アイナ・ジ・エンド」でした。
その意味として後に語っているのは、「それまでのアイナを終わらせる」という区切り。
うまくいかない日々を終え、BiSHで夢をかなえたいという思いを込めた活動名でした。
「終わり」を名乗って始まったBiSHでは、それまで別々に試してきた歌とダンスの両方が必要になります。
4歳からのダンス経験がBiSHの振付につながる
BiSHではボーカルだけでなく、多くの楽曲で振付を担いました。
長く踊ってきた経験はありましたが、本人は専門教育を受けた振付師ではないという意識も持っていました。
初期には頭の中で考えた振りをメンバーへ伝えていましたが、やがてカフェに何時間もこもり、ノートへ振りや構成を書き出して考えるようになります。
何曲も同じ人が振り付ければ似た動きになりやすい。どうすれば曲ごとの違いを作れるかを考え、歌詞の物語やメンバーの特徴まで振付へ落とし込んでいきました。
2015年の1stアルバムでは作詞も担当し、歌い手、ダンサー、振付、言葉を書く人という複数の役割がBiSHの中で少しずつ重なっていきます。
幼少期から続けたダンスは、歌手になる前の経歴として終わらず、BiSHのステージそのものを作る仕事へ変わりました。
「きえないで」から『THE END』へ|ソロの形ができるまで
BiSHの活動が広がったあとも、自分で曲を書くことは続いていました。
2017年に行われたWACK所属メンバーによる「VOTE!! WACK!!」では2位となり、セントチヒロ・チッチとともにavex traxからソロデビューする権利を獲得します。
そして2018年、18歳で作った「きえないで」が、時間を経て正式なソロデビュー作になります。
亀田誠治との出会いで18歳の曲がソロデビュー作に
大きなきっかけのひとつが、2018年の音楽フェス「VIVA LA ROCK」でした。
亀田誠治がバンドマスターを務めた企画「VIVA LA J-ROCK ANTHEMS」で、アイナは椎名林檎の「本能」のボーカルに選ばれます。
亀田をはじめとする出演ミュージシャンたちが全員一致でアイナの起用を決めたことから生まれた共演でした。
その縁をきっかけに、ソロ曲のアレンジ/プロデュースを亀田へ依頼。選ばれたのが、人生で初めて作った「きえないで」でした。
若いころに作ったデモでは思い描くだけだったベース、ドラム、ギター、ピアノが加わり、一つの作品へ仕上がっていきます。
2018年9月19日、「きえないで」でソロデビュー。10代で書いた最初の一曲が、BiSH加入後に亀田誠治と出会ったことで正式な作品として送り出されました。
BiSHと並行して曲を書き続けた
ソロデビューは、BiSHを離れるためのものではありませんでした。
グループ活動を続けながら、自分の曲も書きためていきます。
WACK代表の渡辺淳之介との個人面談で、これからも歌っていきたいと話した際には、自分で曲を作って歌うことを勧められたといいます。
BiSHでは松隈ケンタらが作る楽曲を歌い、振付を考える。一方、ソロでは自分の内側から言葉とメロディを作る。
二つの活動は並行しながら、それぞれ違う形で表現を深める場所になっていました。
亀田誠治とのアルバム制作が始まった2020年には、書いたばかりの曲だけでなく、何年も前に作った曲もデモとして渡しています。
「きえないで」以降も、BiSHの活動の裏側でソングライターとしての時間が積み重なっていました。
全曲作詞作曲の『THE END』でソロ活動を本格化
2021年2月3日、1stソロアルバム『THE END』を発売。収録12曲をすべて自ら作詞作曲し、公式にもこの作品から「ソロ活動本格始動」と位置づけられています。
アルバムには「きえないで」のほか、東京へ出て右も左も分からなかった時期に作った曲、BiSHに入ってから生まれた曲など、それまで書きためてきた作品が収められました。
言葉で気持ちを伝えることが得意ではなかった一方、メロディへ言葉を乗せることで、自分の中にあるものを曲として外へ出せるようになっていったと本人は発売時に振り返っています。
タイトルは活動名と同じ「THE END」ですが、本人は公式コメントで、この言葉を自分にとっての「始まり」という意味で捉えていました。
18歳で初めて曲を書いてから約7年。歌うだけではなく、自分で言葉とメロディを作るソロアーティストとしての形が、アルバム一枚にまとまりました。
BiSH解散後、ソロアーティストとして広がった音楽
BiSHは2023年6月29日、東京ドームで行った「Bye-Bye Show for Never」をもって解散しました。
2015年から約8年続いたグループ活動が終わり、アイナ・ジ・エンドはソロ名義で歌とダンスを軸に活動を続けることになります。
ただし、ソロの歴史そのものはBiSH解散から始まったわけではありません。
2023年のBiSH解散でソロ活動がキャリアの中心へ
BiSH時代からすでにソロ作品を発表していたため、2023年は「初めて一人で歌い始めた年」ではありません。
2018年にソロデビューし、2021年に本格始動し、2023年のBiSH解散後にソロが活動の中心になる。この3段階を分けると、アイナ・ジ・エンドのキャリアが見えやすくなります。
BiSH解散を前にした2023年には、本人自身もグループが終わったあと、より深く自分の曲作りと向き合うことになると語っていました。
翌2024年9月11日には、ソロとして初めて日本武道館でワンマンライブ「ENDROLL」を開催。チケットは即日完売となりました。
歌とダンスの両方を使ってステージを作るという、4歳から続いてきた表現もソロの舞台へ引き継がれました。
「革命道中」が大きな認知拡大の転機に
2025年には、TVアニメ『ダンダダン』第2期のオープニングテーマとして「革命道中 – On The Way」を発表しました。
この曲は自身最速でストリーミング再生3億回を突破し、米BillboardのBillboard Global 200にもランクインしました。
第67回日本レコード大賞では優秀作品賞を受賞。2025年末には、第76回NHK紅白歌合戦へソロとして初めて出場しています。
本人もヒット後のインタビューで、それまで自分にはヒット曲がないと感じていたことを振り返っています。「革命道中 – On The Way」は、本人の実感と客観的な記録の両方で、ソロ活動の大きな節目になった曲です。
そして、この曲の作詞・作曲には、アイナ本人とShin Sakiuraがクレジットされています。編曲もShin Sakiuraが担当しました。
東京へ出たばかりのころ、小さなライブハウスで知り合い、18歳の「きえないで」にギターを重ねた相手です。
人生で初めて作った曲を手伝ったShin Sakiuraと、のちに大きな転機となる「革命道中 – On The Way」を共作する。
2025年末、アイナ・ジ・エンドはその曲を携え、ソロとして初めてNHK紅白歌合戦の舞台に立ちました。

