DECO*27の音楽ルーツ|父のギターから初音ミクとの出会い、再出発まで

DECO*27の音楽ルーツを、人物イラストとギター、作曲ノート、音声波形、2008年から2013年の時間軸で示したビジュアル ソロアーティスト
項目プロフィール
活動名DECO*27
読み方デコ・ニーナ
出身地福岡県
活動形態ソロアーティスト/ボカロP/音楽プロデューサー
主な制作作詞・作曲・サウンドプロデュース
VOCALOID作品投稿開始2008年10月
関連クリエイターチームOTOIRO

「ゴーストルール」「ヒバナ」「ヴァンパイア」「ラビットホール」など、初音ミクを歌い手とする数々の楽曲を生み出してきたDECO*27(デコ・ニーナ)。

2008年にニコニコ動画で活動を始め、ロックを基調としたサウンドと、恋愛や愛情を独特の言葉で描く歌詞によって知られるようになった音楽プロデューサーです。

その音楽の始まりは、ボーカロイドでもパソコンでもありませんでした。

最初のきっかけは、父親が家で弾いていたギター。中学生の頃に自分でもギターを弾き始め、やがてオリジナル曲を書くようになります。

大学時代にニコニコ動画を知り、kz(livetune)の「Packaged」で初音ミクの声に出会ったことが、ボカロPとしての活動へ進む決定的なきっかけになりました。

しかし、作品が知られるようになった後には、一度音楽をやめようと考えた時期もありました。

父親のギターをまねていた少年は、どのように曲を作り始め、初音ミクと出会い、音楽を続ける道を選んだのでしょうか。

学生時代の作曲ノート、ニコニコ動画への初投稿、2013年の再出発、そしてRockwellとの再会。本人が語ってきた具体的な出来事から、その歩みをたどります。

音楽史の段階DECO*27の歩み
音楽の原点父親の影響で中学生の頃にギターを始め、フォークからロックへ関心を広げる
作曲の始まり14歳頃からオリジナル曲を作り、学校から帰宅後の時間を使って制作を続ける
初音ミクとの出会い大学時代にkzの「Packaged」を聴き、DTMを学び始める
ボカロ活動開始2008年10月8日、「僕みたいな君 君みたいな僕」をニコニコ動画へ投稿
商業アルバムデビュー2010年4月21日、1stアルバム『相愛性理論』を発売
重要な転機と制作の発展2013年に音楽を続ける決意を固め、その後Rockwellとの共同制作やOTOIROでの活動へ表現を広げる

13歳で父のギターを手にし、14歳頃から曲を書き始めた

DECO*27が音楽を始めたのは、中学生の頃です。

当時はパソコンを使った音楽制作とは無縁で、家にあるギターを弾き、自分で歌いながら曲を作っていました。

父親が弾くフォークソングからギターを始める

2011年のASCII.jpのインタビューで、DECO*27は父親が風呂上がりにタオルを腰に巻き、ギターを弾いて歌っていたことを振り返っています。

父親は特別にギターが上手だったわけではなかったそうですが、その姿を見て、自分にもできるはずだと思ったことが練習のきっかけになりました。

本人によると、最初は父親に隠れるようにしてギターを練習していたそうです。

中学2年生頃から本格的に弾き始め、2012年のCINRAのインタビューでは、最初に弾いた曲が「ドナドナ」だったと明かしています。

当初はフォークソングを中心にコピーしながら、コードの押さえ方や曲の作りを覚えていきました。

父親の影響で松山千春やさだまさしに親しみ、自分では19(ジューク)や唄人羽といったフォークデュオをよく聴いていたといいます。

小学生の頃に初めて買ったCDとして挙げているのは、SPEEDの「WHITE LOVE」とT.M.Revolutionの「WHITE BREATH」です。

ギターを始めてからは音楽の好みも変わり、Green Day、SUM 41、blink-182などの洋楽ロックにも興味を持つようになりました。

アコースティックギターでフォークソングを弾いていた少年が、ロックに惹かれてエレキギターにも触れるようになったのです。

一方、仲間とバンドを組んで音楽活動を広げていったわけではありませんでした。

学生時代にはバンドで文化祭に出演する話もあったものの、思うようには進まなかったと語っています。

本人には自分のオリジナル曲を演奏したいという思いがあり、ほかのメンバーと目指す音楽を一致させる難しさを感じていたそうです。

高校時代も、友人とギターを弾いたり、自作曲を聴いてもらったりすることはありましたが、大きなバンド活動には発展しませんでした。

人前で演奏することより、自分の思い描いた曲を作ることに夢中になっていた時期でした。

2日で1曲を書く学生時代の作曲ノート

ギターを覚えたDECO*27は、コピーするだけでなく、自分で曲を書き始めます。

2012年のインタビューではギター開始から1年ほどでオリジナル曲を作り始めたと説明し、2025年のSTREAMのインタビューでは、14歳頃から作曲をしていたと振り返っています。

特に興味深いのは、当時の作曲の進め方です。

学校から帰宅して寝るまでの自由時間を使い、2日間で必ず1曲を完成させる。そんな目標を自分で決め、ノートに曲を書きためていたといいます。

時間をかけて納得のいく1曲を作ることより、決めた期間内に作品を完成させることを優先していました。

誰かに提出する曲ではなく、締切を設定したのも自分自身です。

2025年の取材では、この経験によって、どれくらい時間があれば1曲を書けるのかを自分で把握できるようになったと説明しています。

学生時代から作曲の速度と完成までの時間を意識していたことが、その後も継続的に楽曲を制作する習慣につながっていました。

当時、作った曲を聴いてくれるのは主に身近な友人たちでした。

しかし大学に入ると、それまでとは比較にならないほど多くの人へ、自分の曲を届けられる場所に出会います。

「Packaged」との出会いから初音ミクでの初投稿へ

大学時代、友人を通じて知ったニコニコ動画が、DECO*27の音楽活動を変えました。

それまではギターで曲を書き、自分で歌うことが中心でしたが、動画サイトで初音ミクの歌声を聴いたことから、パソコンを使った新しい制作方法を学び始めます。

ニコニコ動画で聴いた初音ミクの声に衝撃を受ける

ニコニコ動画を教えてくれたのは、学生時代から付き合いのあった友人でした。

2012年のCINRAのインタビューでは大学2〜3年生頃、2025年のSTREAMでは大学1年生の頃と回想するなど、出会った時期について本人の説明には幅があります。

その中で一貫しているのが、初音ミクとの出会いになった楽曲です。

DECO*27が初音ミクに惹かれたきっかけは、kz(livetune)の「Packaged」でした。

2012年のファミ通のインタビューでも、友人にすすめられて「Packaged」を聴き、そのとき初めてボーカロイドというものを知ったと説明しています。

当初は人間が歌っているように感じたという初音ミクの声。

それが音声合成ソフトによる歌声だと知り、自分で作った曲を歌わせてみたいと思うようになりました。

2010年のiLOUDのインタビューでは、初音ミクの声に惹かれ、その声と自分のギターサウンドを組み合わせたらどうなるだろうと考えたことを語っています。

中学生の頃から作曲を続けていたため、曲を作ること自体は初めてではありません。

新しかったのは、自分の代わりに初音ミクが歌うという表現方法でした。

そしてもう一つ、ニコニコ動画そのものにも惹かれていました。

画面上に視聴者のコメントが流れ、投稿した人と聴いている人が直接つながるような仕組みです。

身近な友人にしか聴いてもらえなかった自作曲を、不特定多数の人に届けられることにも面白さを感じていました。

DTMを学び、2008年に「僕みたいな君 君みたいな僕」を投稿

初音ミクに出会ったからといって、すぐに曲を投稿できたわけではありませんでした。

それまでパソコンをほとんど使ってこなかったDECO*27は、機材を購入するところから制作環境を整えました。

2012年のインタビューでは、最初の投稿まで半年ほど、パソコンで音楽を作るための勉強を続けていたと話しています。

最初から初音ミクの扱いに慣れていたわけでもありません。

2012年のファミ通のインタビューでは、初めの頃は自分の男性ボーカルの音域をそのまま初音ミクに歌わせてしまい、非常に低い声になっていたと笑いながら振り返っています。

自分で歌うときとは違い、初音ミクに自然に聴こえる音域を探さなければなりませんでした。

一方、ギターを使った曲作りの経験は、そのままDTMでの制作にも生かされました。

2010年のiLOUDの取材では、最初にドラムを打ち込み、それに合わせてギターを弾きながら歌ったものを録音し、さらに編曲を加えるという当時の制作方法を説明しています。

パソコン上で曲を作るようになっても、ギターと歌を起点にする発想は残っていたのです。

そして2008年10月8日、「僕みたいな君 君みたいな僕」をニコニコ動画へ投稿します。

ニコニコ動画に残る初投稿の動画IDは「nm4862028」。DECO*27名義で公開した最初のVOCALOID楽曲です。

この楽曲は後に2010年の『相愛性理論』や2013年のベストアルバムにも収録されました。

以下は、DECO*27の公式アーティストチャンネルで公開されている「僕みたいな君、君みたいな僕。」の音源です。2008年当時の投稿動画ではなく、後年のアルバム収録音源として公開されたものになります。

動画を投稿した当初、音楽を職業にするつもりはなかったと本人は振り返っています。

自分の曲を多くの人に聴いてもらえる楽しさから始まった活動は、やがて自主制作CDの発表へと発展していきました。

ニコニコ動画で生まれた楽曲が『相愛性理論』へ

2008年の初投稿以降、DECO*27はニコニコ動画でオリジナル曲を次々と公開していきました。

楽曲への反応が広がる一方で、ボカロP同士の交流や自主制作CDの販売も経験し、音楽活動の規模が少しずつ変わっていきます。

「愛言葉」「二息歩行」と初期のボカロP仲間

2009年には「愛言葉」「二息歩行」など、後の作品にもつながる楽曲を発表しました。

初期作品では、ギターを中心としたサウンドに初音ミクの歌声を組み合わせながら、恋愛感情や人との関係を描いています。

この頃から、単に自分の曲を投稿するだけでなく、ほかのボカロPとの交流も始まっていました。

その一人が40mPです。

2014年のファミ通で行われた対談によると、40mPが2008年夏頃に投稿した楽曲をDECO*27が聴き、ファンになったことが出会いのきっかけでした。

当時存在したボーカロイド向けSNS「ボーカロイドにゃっぽん」を通じて、DECO*27の方からメッセージを送ったそうです。

40mPにとっても、初めて積極的に交流してくれたボカロPだったといいます。

DECO*27は、40mPの曲を聴いたとき、自分もこれほどの曲を書かなければならないのかとプレッシャーを感じたことを覚えていると語っています。

ニコニコ動画は作品を公開する場所であると同時に、ほかの作り手の音楽に触れ、新しい創作仲間と出会う場所でもありました。

映像面でも、やがて重要なクリエイターとつながるようになります。

2009年に公開した「二息歩行」には、イラストレーター・映像クリエイターのakkaが自主的にMVを制作しました。

その完成度にDECO*27が強く惹かれ、後に「モザイクロール」のMV制作を依頼することになります。

ニコニコ動画上で生まれた音楽と映像の共同制作は、その後のDECO*27作品でも大切な要素になっていきました。

自主制作から2010年のアルバムデビューへ

ニコニコ動画で作品を公開する一方、自主制作CDも発表するようになりました。

2010年のiLOUDのインタビューでは、それまでに4枚の自主制作アルバムを発表していたことが紹介されています。

2012年のCINRAの取材では、自主制作CDが予想以上に売れたことで、好きな音楽を作りながら生活できる可能性を感じ始めたと振り返っています。

ただし、最初からレコード会社との契約を積極的に望んでいたわけではありません。

本人によれば、当時のマネージャー兼ディレクターから声をかけられたことが、商業作品を発表するきっかけになりました。

相手が単に話題性を利用しようとするのではなく、自分の音楽を理解し、ニコニコ動画の外にも届けたいと考えていることが伝わったため、一緒に活動したいと思ったそうです。

2010年4月21日、1stアルバム『相愛性理論』を発売。

ニコニコ動画で親しまれていた「愛言葉」「二息歩行」などに加え、新曲やほかのクリエイターによるリミックスも収録されました。

自分の作品を動画サイトへ投稿する活動から、アルバムという形でも音楽を届ける段階へ進んだのです。

『相愛性理論』を高く評価した柴咲コウとの交流も生まれ、楽曲制作やツアーへの参加へと活動が広がりました。

学生時代にはバンドとしてまとまることの難しさを感じていたDECO*27ですが、柴咲コウやサポートミュージシャンとの仕事では、演奏技術と音楽に向き合う姿勢から刺激を受けたと語っています。

それまでライブ出演の経験はほとんどなく、人前で演奏する仕事そのものが新しい挑戦でした。

GUMIと人間の歌声へ広がった作品制作

2010年には、初音ミクとは異なるVOCALOID「GUMI」を使用した作品も大きな反響を呼びました。

「弱虫モンブラン」「モザイクロール」は、DECO*27の初期作品を代表する楽曲となります。

特に「モザイクロール」では、聴く人によって異なる解釈ができる歌詞と、物語性のある映像が組み合わされました。

2012年のCINRAのインタビューでは、ニコニコ動画のコメントや視聴者同士の解釈を意識し、あえて複数の意味に受け取れる歌詞を書いたと説明しています。

ボーカロイドは同じ歌声であっても、曲の言葉や映像によって受け取られ方が変わります。

DECO*27は、歌声だけに感情表現を任せるのではなく、聴いた人が立ち止まるような言葉を歌詞に入れることを大切にするようになりました。

一方で、人間の歌い手と制作する活動も広げています。

2010年12月には2ndアルバム『愛迷エレジー』、2012年7月25日には3rdアルバム『ラブカレンダー』を発売しました。

『ラブカレンダー』は、12曲で男女の1年間の恋愛を描くコンセプトアルバムです。

制作には中川翔子、marina、とぴ、悠木碧らが参加しました。

本人は最初の3作を、VOCALOID中心、VOCALOIDと人間のボーカルの併用、人間のボーカリスト中心という流れで捉えていたと説明しています。

『ラブカレンダー』については、恋愛の生々しい感情を表現するため、人間の歌声が持つ表現力を生かしたかったと語っています。

2011年には柴咲コウ、TeddyLoidと音楽ユニットgalaxias!を結成するなど、ソロ名義以外での制作にも取り組みました。

初音ミクから活動を始めたDECO*27は、GUMIや人間のボーカリストとの制作を重ね、曲ごとに適した歌い手を選ぶようになっていきました。

ところが、作品と活動の幅が広がったこの時期に、本人は音楽を続ける意味を見失い始めていました。

音楽をやめようと考えた2013年、再び初音ミクの曲へ

2012年の『ラブカレンダー』発売後、DECO*27は一度、音楽活動から離れようと考えるようになりました。

2013年のCINRAのインタビューで語られたのは、人気や活動規模の問題ではなく、これまで目指してきたことを一通り実現し、次に何をすればよいのか分からなくなっていたという心境でした。

目標を達成して感じた行き詰まり

2008年にニコニコ動画へ投稿を始めてから約5年。

初音ミクの作品が注目され、自主制作CDが売れ、商業アルバムも発売しました。

さらに人間のボーカリストとの共同制作や、ほかのアーティストへの楽曲提供も経験しています。

しかし『ラブカレンダー』を出した2012年半ば頃から、次に何を目指すのかを考えるようになったといいます。

2013年の取材では、それまでの5年間でやりたいことをほとんどやり切ったように感じていたと振り返っています。

新しい曲を書かない期間が生まれ、音楽そのものをやめるつもりでいたそうです。

当時は友人と食事に行くなどして過ごし、以前のように曲を作り続けている状態ではありませんでした。

2013年のCINRAのインタビューでは、当時一緒に編曲をしていたkousに相談し、支えてもらっていたことも明かしています。

この段階で正式に引退や活動休止を発表したというわけではなく、本人の中で音楽から離れる考えが強くなっていた時期でした。

転機は、日本を離れて訪れたスペインで起きます。

バルセロナで生まれた「妄想税」と音楽への復帰

2013年夏、DECO*27はスペイン・バルセロナで開催された音楽フェスティバル『Sónar(ソナー)』を訪れました。

そこで目にしたのが、ノルウェーの音楽プロデューサーTodd Terje(トッド・テリエ)のライブです。

大勢の観客が音楽に合わせて手を上げ、踊りながら楽しんでいる光景を見て、本人は強い刺激を受けました。

2013年のCINRAのインタビューでは、その光景を見たとき、不意にもう一度初音ミクで曲を作ってみようと思ったと振り返っています。

その直後、あるベースフレーズが頭に浮かびました。

バルセロナ滞在中にボイスメモへ録音したそのフレーズが、後の「妄想税」につながりました。

音楽をやめようと考えていた本人が、ライブを観客として楽しんだことで、再び曲を作り始めたのです。

帰国後には『マジカルミライ 2013』にも足を運びました。

会場では、自分が制作した「ゆめゆめ」がコンサートのアンコールで演奏されていました。

初音ミクが歌い、大勢の観客がサイリウムを振って楽しんでいる様子を見たとき、バルセロナのフェスで目にした光景と重なったそうです。

自分が作った音楽によって、これほど多くの人が楽しんでくれている。

その経験から、初音ミクで曲を作り続けたいという思いが確かなものになりました。

結局自分が音楽を好きだからこそ、音楽の力で自分が覆されちゃったんですよね。

出典:CINRA「これで『さようなら』のつもりだった DECO*27インタビュー」(2013年12月18日)

帰国後に制作した「妄想税」は、2013年9月にニコニコ動画で公開されました。

それまでのギター中心のサウンドに加え、スペインで触れたダンスミュージックの影響も取り入れています。

本人は当時のインタビューで、従来の音楽から変化した部分を示したかったと説明していました。

同年12月には、ベストアルバム『DECO*27 VOCALOID COLLECTION 2008〜2012』を発売します。

当初は、これまでの活動に別れを告げる作品にする考えもあったそうです。

しかし音楽を続ける決意を固めたことで、ベストアルバムの意味も変わりました。

そこには、初期の楽曲に加えて、5年間の感謝を込めて制作した「愛言葉II」も収録されています。

そして2014年3月、初音ミクを使用した4thアルバム『Conti New』を発売しました。

一度は終わらせようとした活動を、再び初音ミクとともに進めていく選択をしたのです。

「ゴーストルール」からRockwellとの共同制作へ

初音ミクでの活動を再び本格化させたDECO*27は、2014年の『Conti New』以降、サウンド面でも新しい挑戦を続けました。

2016年には「ゴーストルール」を発表し、同年9月28日に5thアルバム『GHOST』を発売します。

そしてこの時期から、後の制作に欠かせないパートナーとなるRockwellとの関係も深まっていきました。

「ゴーストルール」「ヒバナ」で進んだ新たな挑戦

『GHOST』の制作では、DECO*27が中学・高校時代に親しんでいたミクスチャーロックの要素を、自身の楽曲に本格的に取り入れました。

2019年のReal Soundのインタビューでは、当時のロックの影響を自分の音楽として表現したかったと語っています。

その中から生まれた代表的な楽曲が「ゴーストルール」です。

強いギターサウンドと初音ミクの歌声を組み合わせたこの曲は、初期の代表作「モザイクロール」とは異なる時期のDECO*27を印象づける作品になりました。

本人も2019年のCINRAのインタビューで、かつては「モザイクロール」の作り手として認識されることが多かったものの、「ゴーストルール」でその印象を塗り替えられたと感じていると語っています。

2017年に発表した「ヒバナ」は、そこからさらに新しい代表曲を生み出そうという思いで制作されました。

本人によれば、「ゴーストルール」を聴いてくれた人たちへの感謝と、その作品を超える曲を作りたいという気持ちがあったそうです。

2019年のアルバム『アンドロイドガール』では、過去作とつながる物語も描きました。

タイトル曲「アンドロイドガール」は、2009年の「二息歩行」から10年後の物語を意識して作られています。

「二息歩行」のMVに登場した男女の10年後を描くという構想で、映像面でも過去の作品と関係を持たせました。

新しい音楽を作るだけでなく、以前の作品を別の時間軸から描き直す方法も取り入れていったのです。

柔道大会の対戦相手だったRockwellとの再会

DECO*27の音楽史をたどるうえで、作編曲家・ギタリストのRockwellとの関係は欠かせません。

二人が初めて出会ったのは、音楽の現場ではありませんでした。

最初の出会いは中学生時代の柔道大会。同じ地区の別々の学校に通う柔道部員として、畳の上で何度か対戦していたそうです。

2019年のCINRAの対談で、DECO*27とRockwell本人がその経緯を明かしています。

その後、二人は同じ高校に進学しました。

互いにギターを弾いていることを知っており、RockwellがDECO*27からGreen Dayのアルバムを借りたこともあったといいます。

ただし、当時から一緒に曲を作っていたわけではありません。

高校卒業後、DECO*27は大学へ進み、ニコニコ動画での活動を開始します。

一方のRockwellは音楽の専門学校に進み、バンド活動を始めました。

それぞれ別の道を歩み、しばらく連絡を取り合わない時期が続きました。

再びつながったきっかけは、Rockwellが所属していたバンド「SILHOUETTE FROM THE SKYLIT」に関するSNS投稿でした。

Rockwellが『SUMMER SONIC』への出演をFacebookへ投稿したところ、それを見たDECO*27から連絡が届きました。

興味深いことに、Rockwellは「二息歩行」などのDECO*27の楽曲を知っていたものの、その作り手が高校時代の知人だとは気づいていませんでした。

再会後、二人は食事をしながら音楽について話します。

Rockwellが編曲やプロデュースに興味を持っていると知ったDECO*27は、一緒に制作してみないかと声をかけました。

実際に曲を作ってみると、聴いてきたロックやギターサウンドの好みが近く、イメージを伝えやすかったそうです。

DECO*27は、頭の中にあるサウンドをRockwellが理解してくれることに手応えを感じ、次第に編曲を任せるようになりました。

編曲を任せられる人がいると、作曲自体も自由に安心してできるんです。

出典:CINRA「DECO*27の新境地 運命共同体の制作パートナーRockwellとの物語」(2019年6月24日)

以前はDECO*27自身が編曲に時間をかけ、制作が思うように進まないこともあったといいます。

その作業を信頼できる相手に任せられるようになったことで、作詞・作曲に集中しやすくなりました。

2019年の『アンドロイドガール』では、ほぼすべての楽曲の編曲をRockwellが担当しています。

二人の制作関係をよく表すエピソードとして、同作に収録された「シンセカイ案内所」があります。

DECO*27は、それまでのRockwellが得意としてきたギターや生のドラムのような音をあえて外し、どのような編曲ができるかを試したそうです。

Rockwellは依頼を受けてから約3日で編曲を完成させました。

そのうち2日ほどは、どのような音にするかを考えることに使っていたといいます。

完成した音源を聴いたDECO*27は、思い描いていた世界観を支える編曲になっていることを高く評価しました。

学生時代には別々の道を歩んだ二人が、長い年月を経て、作曲と編曲を通じて新しい音楽を生み出す関係になったのです。

OTOIROで広がった表現とDECO*27の曲作り

楽曲制作を続ける中で、DECO*27は一人で作品を完成させることだけにこだわらず、編曲や映像を担当するクリエイターとの共同制作を広げていきました。

音楽と映像を一体として作る体制を整えたことに加え、歌詞の発想や初音ミクの歌声への向き合い方も、長い活動の中で変化しています。

音楽と映像を一つの表現へつなげる制作体制

2018年10月、音楽や映像などの制作を手がける株式会社OTOIROが設立されました。

DECO*27はその立ち上げに関わり、サウンドプロデューサーとして制作を担っています。

会社設立の背景には、それまで一緒に作品を作ってきたクリエイターたちと、継続的に制作できる環境を作りたいという思いがありました。

2019年のReal Soundのインタビューによると、以前は楽曲ができると、映像を作る人にオンラインで依頼していました。

しかし文字だけのやり取りでは、細かなニュアンスが伝わりにくいこともありました。

OTOIROでは、音楽を作るスペースと映像を作るスペースを同じオフィス内に設け、直接話し合いながら制作できるようにしています。

イラストレーター、アニメーター、映像編集者、デザイナーなどがアイデアを持ち寄り、楽曲の世界観を映像やデザインとして表現する体制です。

初期の代表曲「モザイクロール」でMVを手がけたakkaとの関係も続き、2019年の「アンドロイドガール」では、akkaに憧れてOTOIROへ参加したろづ希も映像制作に加わりました。

かつてニコニコ動画で生まれた個人同士のつながりが、長い年月を経て、チームによる制作へと発展していったのです。

OTOIROでは、楽曲に映像を後から付けるだけでなく、音楽、イラスト、アニメーション、デザインを一つの作品として組み合わせています。

DECO*27が中学生時代から続けてきた作曲という行為に、ほかのクリエイターの専門性が重なるようになりました。

会話から生まれる言葉と「愛」を描く歌詞

DECO*27の楽曲を特徴づけるもう一つの要素が、言葉の選び方です。

初期の作品では自分自身の実体験をもとにした恋愛の歌詞を書いていましたが、活動を続ける中で、フィクションの物語も描くようになりました。

2019年にkolmeのMIMORIと行った対談では、実体験ばかりを歌詞にしていると似た内容になりやすいため、表現する世界を広げようと考えたことを説明しています。

実体験をそのまま書くことだけが、自分の音楽を表現する方法ではなくなったのです。

2025年のSTREAMのインタビューでは、曲を作るときの着想について、さらに具体的に語っています。

印象的な言葉が浮かぶのは、人と会話しているときが多いそうです。

誰かが話したフレーズが心に残り、そこからイメージを膨らませて、歌詞の世界を作っていきます。

本人にとって、作詞は楽曲制作の工程の中でも特に好きな作業だといいます。

そして、長年にわたって中心に置いているテーマが「愛」です。

ただし、DECO*27が描く愛は、恋人同士の恋愛だけではありません。

家族への愛、友人への愛、自分自身への愛など、さまざまな関係や感情を題材にしています。

言葉の選び方で本人が重視しているのは、ありふれた表現から少し外れた「違和感」です。

2025年の取材では、単純に「愛してる」と歌ってしまえば、その言葉だけで意味が完結してしまうため、遠回りをして気持ちを伝える表現を考えると説明しています。

そのため、日常会話で使われる意外な言葉や、通常の歌詞には登場しにくいフレーズを組み合わせることがあります。

2020年のインタビューでは、メロディーに対して子音や母音を気持ちよく並べ、そこへ意味を与えていくという作詞の考え方も語っています。

言葉の意味だけでなく、歌ったときの響きやリズムも大切にしているのです。

学生時代にはギターで曲を作ることが中心でしたが、初音ミクとの出会いを経て、歌詞そのものを深く考えるようになりました。

2012年のCINRAのインタビューでは、初音ミクを使う前は曲を優先し、歌詞は後から付けるような感覚だったと語っています。

しかし初音ミクの歌声で恋愛感情を表現しようとすると、ありふれた言葉だけでは思いが伝わらないと感じたそうです。

初音ミクに歌わせるようになったことが、DECO*27の歌詞の書き方そのものを変えたのでした。

初音ミクの声を生かすために変えてきた制作方法

初音ミクを使った曲作りを長く続ける中で、DECO*27はその声の扱い方にも工夫を重ねてきました。

初期には自分の声の音域をそのまま使ってしまうこともありましたが、次第に初音ミクの声をどのように聴かせるかを考えるようになります。

2013年のCINRAのインタビューでは、バックトラックを作り込むこと以上に、初音ミクの声がきちんと聴こえることを大切にしたいと語っています。

場合によっては、演奏する楽器の数を減らしたり、シンプルな編曲にしたりする方が、歌声の魅力を引き出せると考えていました。

一方、2019年の『アンドロイドガール』では、初音ミクの歌声をより細かく調整する方法を説明しています。

本人によると、制作時にはまず、今ある技術でどこまで人間の声に近づけられるかを試していたそうです。

ただし、人間に近づけることだけが目的ではありません。

人間らしくしすぎると違和感が生まれると感じるため、そこから機械的な響きを少し戻し、聴き取りやすさとのバランスを探っていました。

人間のように聴こえる部分と、初音ミクならではの機械的な声。その両方を生かすことが、DECO*27の目指す歌声でした。

この頃にはRockwellとの分業も進み、DECO*27が作詞・作曲を担い、Rockwellが編曲を手がける作品が増えました。

ただし、すべての曲で同じ担当や制作方法を使っているわけではありません。

2019年の「乙女解剖」では、emon(Tes.)とRockwellが共同で編曲を担当し、シンセサイザーやリズム、ギターの要素を組み合わせています。

このように曲ごとに適した編曲者や制作方法を選ぶことで、自分だけでは作れなかったサウンドにも挑戦してきました。

初音ミクの歌声そのものについては、2024年に大きな変化を加えています。

DECO*27は、それまで使っていた調声方法から新しい調声へ一度に切り替えるのではなく、複数の楽曲を通して少しずつ移行させる方法を取りました。

2024年8月には本人の公式Xで、当時の楽曲における新旧の調声の割合を具体的に示しています。

同年11月の『TRANSFORM』制作に関するReal Soundのインタビューでは、「ルーキー」から新しい調声を試し始め、昔の方法と新しい方法を徐々に混ぜながら、作品ごとに割合を変えていったと説明しています。

翌12月に公開されたクリプトン・フューチャー・メディアの佐々木渉との対談では、新しい調声によって、以前よりも初音ミクの歌声に感情が見えるようになったと感じていることも語りました。

新しい歌声に合わせ、従来なら表現を抑えていた言葉にも挑戦するようになったそうです。

単に声の聞こえ方を変えるだけではなく、初音ミクの歌声が変わったことで、歌詞に使用する言葉や楽曲全体の表現も変化していったのでした。

2025年の取材で本人は、14歳頃から続けてきた作曲の習慣についても振り返っています。

また同年のいよわとの対談では、曲を書きたい気分かどうかに左右されず、決めた時間に机へ向かうことを制作のルールにしていると説明していました。

学生時代に自分で締切を設定し、曲を書きためていた頃から、音楽を完成させるために日々の時間を使う姿勢は続いています。

父親のギターを見て練習を始めた中学生は、自分の曲を作り、初音ミクの声に惹かれ、ニコニコ動画へ作品を投稿しました。

音楽をやめようとしたときには、海外のフェスで音楽の力を感じ、初音ミクのライブで自分の曲が演奏される光景を見て、再び制作を始めています。

そして中学生時代に柔道大会で対戦したRockwellと、長い年月を経て音楽を作る仲間になりました。

ギターとノートから始まった曲作りは、初音ミク、ニコニコ動画、さまざまなクリエイターとの出会いによって形を変えてきました。

その始まりにあったのは、自分が思い描いた音楽を実際の曲にしたいという、少年時代から続く思いでした。

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