HANAのJISOOとして知られる彼女は、2026年9月8日、自身の名前を掲げた「LEE JISOO(イ・ジス)」としてソロデビューしました。
けれど、その出発点はHANAでも「No No Girls」でもありません。
幼いころ、母親の車で聴いていた海外のヒップホップやR&B。高校2年生になって突然芽生えた「音楽をやっていこう」という決意。そして韓国で過ごした練習生時代。
LEE JISOOの音楽は、誰かに歌手になるよう勧められたことではなく、自分にとって音楽が必要だと気づいた瞬間から本格的に動き始めています。
韓国でデビューを目指した時期を経て日本のオーディションへ渡り、HANAというグループに入り、さらに自ら作詞・作曲へ関わるようになったJISOO。ここでは、その音楽がどこから始まり、ソロアーティストLEE JISOOへどうつながったのかを時系列でたどります。
LEE JISOOの音楽ルーツ早見表
| 時期 | 音楽史上の出来事 |
|---|---|
| 幼少期 | 母親の車で海外のヒップホップやR&Bを聴く |
| 高校2年 | 音楽を仕事にすることを初めて本気で決意 |
| 17歳ごろ〜 | 韓国の芸能事務所で約2年間、練習生として活動 |
| 2024年 | 「No No Girls」に参加。「1,2,3」の作詞・作曲にも参加 |
| 2025年 | HANAのメンバーに選出され、「ROSE」でメジャーデビュー |
| 2026年 | 「LEE JISOO」名義で「MISMATCH」を発表しソロデビュー |
LEE JISOOの音楽の原点は母の車で聴いたヒップホップとR&B
JISOOは韓国で一人っ子として育ちました。音楽との最初の接点をたどると、特別なレッスンやオーディションではなく、家族との日常に行き着きます。
母親が音楽好きで、保育園への送り迎えでは子ども向けの曲ではなく、海外のヒップホップやR&Bが車内に流れていたそうです。
今振り返るとあの時間が私の音楽の原点だった気がします。
出典:smart Web「HANA JISOO『この声で、誰かの心を救いたい』天性の歌声が生まれた原点と、音楽に懸ける想い」
幼いころから音楽は身近にありました。ただし、最初から歌手やアーティストになる人生を思い描いていたわけではありません。
幼いころから音楽は身近にあったが、歌手を目指してはいなかった
ViViのインタビューでは、幼いころから音楽は好きだった一方、自分に才能があると思っていたわけではなく、音楽を仕事にしようと考えたこともなかったと振り返っています。
学生時代は勉強にも真面目に取り組むタイプでした。non-noでも、苦手なことを含め「全部に全力」で向き合ってきたことを自身の軸として挙げています。
つまりJISOOのルーツには、幼いころから英才教育のように音楽一本で進んできた物語ではなく、日常の中で好きだった音楽が、ある時期から自分の生き方へ変わっていった過程があります。
高校2年で「音楽をやらないと幸せになれない」と気づく
大きな転機が訪れたのは高校2年生のころです。
進路を考える中で、それまで仕事にしようとは思っていなかった音楽に対して、自分の中ではっきりした答えが生まれました。
音楽をやらなきゃ幸せになれない
出典:ViVi「JISOO『知らなかった自分を発見することができた』HANA’s Q&A」
高校2年生の夏休みからアーティストを目指すことを決め、高校3年生になるころには事務所の練習生に。「音楽が好き」から「音楽をやって生きたい」へ変わった高校時代が、JISOOの音楽人生の最初の大きな分岐点でした。
17歳から韓国で2年間の練習生生活
アーティストを志したJISOOは、韓国の芸能事務所で練習生生活を始めます。
音楽ナタリーやananのプロフィールでは、17歳から約2年間、韓国の芸能事務所で練習生として活動していたことが確認できます。
検索では「LEE JISOO YG」と調べられることもありますが、本人インタビューやHANA、BMSG、所属レーベルなど信頼性の高い公開情報では、当時の事務所名までは明記されていません。したがって、特定の事務所の元練習生だったと断定できる状態ではありません。
高校3年になる頃に練習生となり、本格的に音楽を始める
本人は、高校3年生になるころに事務所の練習生となり、そこから本格的に音楽を始めたと説明しています。
幼少期から音楽を聴いて育った時期と、プロを目指してトレーニングを始めた時期は分けて考える必要があります。JISOO自身が「本格的に音楽を始めた」と位置づけているのは、この練習生入り以降です。
ただ、憧れて入った場所で過ごしていくうちに、思い描いていたものとの違いも感じるようになります。
2026年に出演したYUGEN PODCASTでは、憧れていた事務所を自ら離れたこと、その後の2023年は行き先を探しながら迷い、音楽をやめることまで考えた時期だったと振り返っています。
韓国でデビューを目指すも、自信を持てない時期が続いた
ViViでは、韓国でデビューを目指して努力していたものの、なかなか自分に自信を持てなかったことも明かしています。
技術を磨く場所に入れたからといって、そのままデビューへ一直線に進んだわけではありません。
事務所を離れ、音楽そのものを続けるか迷う時期を挟んだからこそ、次に選んだ「No No Girls」は、単なる別のオーディションではなく、音楽を続けるために環境を変える選択にもなりました。
No No Girlsへの挑戦がJISOOの音楽を変えた
JISOOが日本のオーディション「No No Girls」を知ったきっかけは、練習生時代をともにした友人でした。
YUGEN PODCASTでは、音楽をやめることも考えていた時期に友人から電話があり、日本で始まるオーディションを教えてもらった経緯が紹介されています。
日本語も独学で学んでいました。YUGEN PODCASTでは、スポーツアニメを数多く見ることも日本語習得につながったと話しています。
「他の国なら自分を変えられるかも」と日本のオーディションへ
「No No Girls」への応募には、デビューの機会を求めるだけではない理由がありました。
韓国でデビューを目指しても自信を持てなかったJISOOは、環境そのものを変えることを考えます。ViViでは、他の国へ行けば弱気な自分を変えられるかもしれないという期待を持って応募したと説明しています。
JISOOにとって「No No Girls」は、韓国で積み重ねたトレーニングを持って日本へ来ただけではなく、自分自身に向けていた「NO」を変えるための挑戦でもありました。
「1,2,3」でデビュー前から作詞・作曲に参加
オーディション中には、歌やダンスだけでなく曲作りにも参加しています。
4次審査のクリエイティブ審査でJISOO、MOMOKA、STELLAが披露した「1,2,3」は、公式クレジットでJISOO、MOMOKA、STELLA、ちゃんみな、JIGGがLyrics & Musicを担当しています。
ソロデビューしてから突然作詞・作曲を始めたわけではなく、HANA誕生前のオーディション段階ですでに、自分で作品を作る経験を積んでいたことが分かります。
後にViViで「楽曲のプロデュースに挑戦してみたい」と語っていることからも、歌唱だけにとどまらず、制作側へ踏み込みたい意識は早い段階から見えていました。
「Tiger」で流した涙と、ちゃんみなの韓国語の言葉
5次審査「Tiger」のレコーディングも、JISOOにとって印象深い場面になりました。
本人によれば、そのレコーディングで日本へ来てから初めて涙を流し、ちゃんみなが韓国語で言葉をかけてくれたことが強く記憶に残ったといいます。
オーディションを通して変わったものの一つが、自分の声への感覚でした。以前は自分に自信を持てなかったものの、周囲から声を評価される経験を重ね、本人もそれを自分の強みとして認識するようになっています。
HANAのJISOOとしてメジャーデビュー
「No No Girls THE FINAL」を経て、CHIKA、NAOKO、JISOO、YURI、MOMOKA、KOHARU、MAHINAの7人がHANAのメンバーに選ばれました。
2025年1月にはプレデビュー曲「Drop」を発表。その後、2025年4月2日に「ROSE」の配信リリースとともにメジャーデビューしています。
ここでJISOOの音楽人生には、それまでになかった「グループで音楽を作る」という要素が加わりました。
最終審査を経て7人組HANAのメンバーへ
JISOOは、高い歌唱力を持つ参加者としてオーディションへ入りましたが、最初から自信に満ちていたわけではありません。
完璧を目指すあまり自分を追い込む場面もありました。一方で、審査を重ねる中では、失敗してもパフォーマンス中の表情に動揺を出さないことをメンバーから褒められ、自分では気づいていなかった強みも知っていきます。
最終審査前には一人で考え込んで不安になっていた時期もあり、NAOKOとKアリーナ横浜を見に行って話し、笑ったことで気持ちが軽くなったというエピソードも残っています。
ソロ志向だったJISOOがグループで知ったチームの力
HANA加入後のJISOOを理解するうえで重要なのが、「No No Girls」と出会う前はソロアーティストを目指していたという本人の言葉です。
ananでは、当初はグループ活動そのものに自信がなかったと振り返っています。
それでも、活動の中で困難があればメンバー同士で話し合い、言いにくいことも伝えながら解決する経験を重ね、徐々にチームプレーへ慣れていったそうです。
もともとソロを目指していたJISOOが、HANAで「7人で音楽を作る経験」を得たことは、その後もう一度ソロへ進む過程を考えるうえでも重要な時間でした。
「ROSE」でメジャーデビューし、一人のアーティストとして成長
HANAとしてメジャーデビューしたあとも、JISOOは歌うだけでなく制作へ関わっています。
2025年9月にリリースされたHANAの「BAD LOVE」では、MOMOKAとともにJISOOも作詞に参加しました。
オーディション中の「1,2,3」で作詞・作曲を経験し、HANAでは「BAD LOVE」の作詞へ参加。そして2026年のnon-noでは、グループとしてだけでなく「一人のアーティストとしても成長し続けたい」という意識を語っています。
この制作経験が、次のLEE JISOO名義へつながっていきます。
HANAからソロアーティストLEE JISOOへ
2026年9月8日、JISOOは「LEE JISOO」名義でデビューシングル「MISMATCH」を配信し、ソロデビューしました。
HANAからメンバーがソロデビューするのは初めて。9月8日はJISOO自身の誕生日でもあります。
デビュー作には「MISMATCH」と「Movie Star」の2曲を収録。どちらもLEE JISOO自身が制作に参加し、韓国語を軸に英語も交えて制作されました。
自分の名前で届けた「MISMATCH」と「Movie Star」
「MISMATCH」は、JISOO自身が作詞・作曲に参加した楽曲です。
LyricsにはJISOO LEE、View、NATHAN、MusicにはNATHAN、View、JISOO LEE、HOHOがクレジットされています。
2026年のYUGEN PODCASTでは、タイトルの発想が左右で少し形の異なる自分の目から生まれたことも紹介されています。「MISMATCH」は、自分の欠点や不完全さを消そうとするのではなく、それを含めて自分を受け入れていく作品として作られました。
もう1曲の「Movie Star」では、LyricsがJISOO LEE、CHANMINA、MusicがJISOO LEE、CHANMINA、AVIN、SLAY、Chase。ちゃんみながプロデュースを担当しています。
本人はソロデビュー発表時、自分の名前で届ける作品についてこうコメントしました。
ありのままの私と好きなものを素直に詰め込みました。
出典:ソニーミュージック「HANAのメンバーJISOOが、『LEE JISOO』としてソロデビューすることが決定!」
「Movie Star」もまた、本人が制作へ入った作品です。ソロデビューは、HANAのメンバーが個人で歌う企画ではなく、LEE JISOO自身が作品作りの中心へ踏み込む形で始まりました。
作詞・作曲にも参加し、シンガーソングライターとして新しい一歩
LEE JISOO名義だけを見ると、ソロアーティストとしての活動は2026年に始まったように見えます。
しかし音楽史をさかのぼると、その土台はもっと前からありました。
- 幼少期に母親の車で海外のヒップホップやR&Bに触れる
- 高校2年で音楽の道を選ぶ
- 韓国で約2年間の練習生生活を送る
- 迷いの時期を経て「No No Girls」に応募する
- 「1,2,3」で作詞・作曲に参加する
- HANAとしてデビューし、「BAD LOVE」では作詞にも参加する
- 「MISMATCH」「Movie Star」で自ら作詞・作曲へ関わりソロデビューする
LEE JISOOのソロデビューは、HANAとは別の音楽人生を突然始めた出来事ではありません。高校時代から続いてきた「自分で音楽を選び、自分の言葉と音で表現する」という流れが、本人名義の作品として形になった転機です。
母親の車で聴いていたヒップホップやR&Bから始まり、練習生生活、No No Girls、HANAを経験したJISOOは、2026年9月8日、「MISMATCH」と「Movie Star」を自分の名前で世に送り出しました。
その2曲には、歌い手としてだけでなく、作詞・作曲にも参加するLEE JISOOの名前が残っています。

