TOMOOは、ピアノの弾き語りとアルトボイスを軸に活動してきたシンガーソングライターです。
2022年8月3日に「オセロ」でメジャーデビューしていますが、その音楽はデビューのずっと前、幼い頃にディズニーやジブリの映像を繰り返し見て、耳で覚えた音を自分で再現していた時間から始まっていました。
TOMOOの音楽は、ピアノ教室へ通うより先に「好きな音を耳で覚えて、自分で鳴らしてみる」ことから始まっています。
中学生になるとオリジナル曲を書き始め、友人へ返す手紙より先に一曲が生まれたことをきっかけに、音楽を仕事にする道を意識するようになりました。
その後は17歳で音楽コンテストの全国大会へ進み、大学時代の自主制作や長いインディーズ活動、「Ginger」で広がった反響を経て、メジャーの舞台へ進んでいます。
今回は、そんなTOMOOがどうやって音楽を始め、どんな出会いや出来事を経てシンガーソングライターとして歩んできたのかをたどります。
TOMOOの音楽ルーツ早見表
| 時期 | 音楽史上の出来事 |
|---|---|
| 2〜3歳頃 | ディズニーやジブリの作品に親しみ、歌やセリフを「音」で覚える |
| 5〜6歳頃 | 家の電子ピアノで遊び、「いつも何度でも」などを耳コピする |
| 中学1年 | オリジナル曲を形に残し始める |
| 17歳 | 「金色のかげ」でThe 6th Music Revolution JAPAN FINALへ進出し、本格的な音楽活動を始める |
| 2016年 | 1stミニアルバム『Wanna V』を発表 |
| 2017年頃 | 音楽出版社から声がかかり、就職活動をせず音楽で生きる道を選ぶ |
| 2022年 | 「オセロ」でメジャーデビュー |
TOMOOの音楽はディズニーとジブリ、耳コピのピアノから始まった
TOMOOの幼少期をたどると、最初から「歌手になりたい」「作曲家になりたい」と考えていたわけではありません。
先にあったのは、好きな作品の音を何度も聴き、その音を自分の声やピアノで再現して遊ぶことでした。
2〜3歳で『ライオン・キング』を「音」で覚えていた
本人の回想では、物心がつく前からディズニー作品をよく見ており、とくに2〜3歳頃は『ライオン・キング』が大好きだったそうです。
字幕版と吹替版を繰り返し見ながら、歌やセリフを意味だけではなく「音」として覚え、一人で再現して遊んでいました。
ジブリ作品にも強く惹かれ、『もののけ姫』などの映像と音楽を何度も味わっていたと振り返っています。
まだ楽譜を読んだり、音楽理論を学んだりする前の段階で、耳から入った音を覚えて自分でも鳴らすという遊びが日常になっていました。
「いつも何度でも」を耳コピ、ピアノ教室より先に弾いていた
5歳頃、両親が中古の電子ピアノを用意すると、TOMOOは好きなように鍵盤へ触れるようになります。
6歳頃には『千と千尋の神隠し』の主題歌「いつも何度でも」を耳で覚えて弾き、幼稚園の友達の前で披露したところ喜んでもらえたそうです。
小学校へ入ると、音楽の授業で聴いた「トルコ行進曲」に惹かれ、家に帰ってから自分で音を探して弾いていました。
その様子を見た両親からピアノ教室を勧められ、本人の回想では小学1年生の終わり頃から近所の教室へ通い始めています。
「習ったから弾き始めた」のではなく、先に耳コピへ夢中になり、その後でレッスンが始まったという順番でした。
父のコード弾きと即興遊びから作曲へ
公式プロフィールでは、父親の影響でコード弾きを始めたことも、作曲へ向かう過程の一つとして紹介されています。
小学6年生頃には、テレビ雑誌に載っていたドラマ主題歌の歌詞を見て、まだ聴いたことのない曲に「自分ならこんなメロディを付ける」と即興で歌う遊びをしていました。
同じ頃には、テストを早く解き終えた後の余白へ空想した言葉を書き留めるなど、メロディだけでなく言葉を作ることも始めています。
小学6年生を終えた春休みには、進学で友達や好きな人と離れる寂しさを季節の景色に重ね、歌詞として形にしたこともありました。
耳コピ、コード、即興のメロディ、書き留めた言葉が少しずつ重なり、中学生になる頃には「自分の曲」を残す段階へ進んでいきます。
中学で曲を書き始め、友人への一曲が音楽の道を選ぶきっかけになった
中学進学は、TOMOOの曲作りを大きく変えました。
環境が変わって人との距離感に悩むようになり、外では言えなかった気持ちを、家へ帰って曲の中へ置くようになったからです。
中1の夏からオリジナル曲を形に残す
小学6年生までにも即興曲は作っていましたが、本人が「形にして残す」曲作りの始まりとして振り返っているのは中学1年生の夏休みです。
旅行先の宿泊場所で時間ができたとき、夏の夕暮れの寂しさを題材に「Evening glow」という曲を書きました。
本人は、小学校卒業後の春休みに書いた歌詞を「Vol.0」とするなら、「Evening glow」が「Vol.1」のような位置にあると説明しています。
中学時代は大量に曲を書くというより、年に数曲ほど、自分の内側にたまった感情を歌へ置き換えるように制作していました。
また、小学6年生の学芸会で独唱と演技を全校生徒の前で披露した経験から舞台にも興味を持ち、中学・高校では演劇部に所属しています。
歌だけを一直線に選んだというより、演技と音楽の両方を通して、人前で感情を表現する時間を重ねていました。
手紙の返事より先に曲が生まれ、友人に背中を押された
中学時代には、自分の気持ちを深く話せる友人ができました。
その友人から短い手紙をもらい、返事を書こうとしたところ、文章を書くより先に一曲ができたといいます。
使われていない時間帯の音楽室へ友人を連れていき、その場でピアノの弾き語りを聴かせました。
曲を聴いた友人は、歌を職業にする道を考えてみてはどうかとTOMOOの背中を押しました。
「自分にとってかなり大きな出来事でした」
出典:Real Sound「TOMOOが音楽を生み出す原動力 活動のルーツから思考への影響まで……独自のクリエイティビティに迫る」
TOMOOが音楽の道を現実の選択肢として意識し始めた大きなきっかけは、自分の気持ちから生まれた一曲を友人へ聴かせ、その友人に背中を押されたことでした。
中学3年生か高校1年生の頃には校内のミニコンサートでも弾き語りを行い、先輩や後輩から反応をもらったことで、「歌の道もありかもしれない」という気持ちはさらに強くなっていきます。
中3で書いた「金色のかげ」を17歳でMusic Revolutionへ
中学3年生の頃に書いた曲の一つが「金色のかげ」です。
高校では友人から音楽コンテストへの応募を勧められ、本人も気になりながらなかなか踏み出せずにいました。
受験を考えると高校2年生が一つの区切りになるのではないかと家族にも背中を押され、「金色のかげ」のデモを録ってThe 6th Music Revolutionへ応募します。
そして2013年1月13日、SHIBUYA-AXで開催されたJAPAN FINALへ東京FINAL代表として進出しました。
大会公式記録では全国4,399組から13組がファイナルへ進み、その中にTOMOOの名前と「金色のかげ」が残っています。
「私が本格的に音楽活動を始めたのが17歳だった」
出典:EYESCREAM「Interview:TOMOO Major 2nd Digital Single『17』で綴る揺れ動く感情」
17歳で「金色のかげ」をコンテストへ持ち込んだ時期を、TOMOO自身も本格的な音楽活動の始まりとして位置づけています。
コンテスト後には、同じ大会に出た人たちとのライブへ参加する機会も生まれ、家で自分の曲を歌っていた時間から、知らない人へ音楽を届ける活動へと変わっていきました。
17歳の活動開始から大学時代へ、音楽で生きると決めるまで
17歳で活動を始めた後も、すぐにメジャーデビューへ進んだわけではありません。
高校時代には周囲から洋楽をもっと聴くよう勧められ、キャロル・キング、ジョニ・ミッチェル、ベン・フォールズ、The Beatles、Carpentersなどへ聴く範囲を広げ、その後は80〜90年代の日本のポップスやブラックミュージックにも耳を伸ばしていきました。
大学へ進んでからも自分で作品を作り、ライブを重ねながら、音楽を続けるかどうかと向き合う時期が続きます。
大学進学後に活動を本格化、2016年に『Wanna V』を制作
大学時代も音楽活動を続け、2016年には1stミニアルバム『Wanna V』を発表しました。
TOMOOの公式YouTubeチャンネルには2016年8月公開の本人による全曲解説動画も残っており、メジャーデビューよりかなり前から、自分の作品をまとめて世に出していたことが分かります。
この頃の曲について、後年のインタビューでは、心に余裕がなく自責感も強かった時期の作品だったと振り返っています。
10代から20代前半にかけては、言いたかったのに言えなかったことを曲の中で言うような、内省的な歌詞が多かったとも話しています。
コンテストで外の世界へ出た後も、曲を書いてライブをし、自主制作作品を残す時間を何年も積み重ねていました。
大学で学んだ心理学と、TOMOOの歌詞への視点
TOMOOは大学で心理学を専攻していたことを本人インタビューで明かしています。
人間関係で摩擦が起きたときに、その人の背景や事情まで考えて反応を見つめるような、客観的で分析的な視点を得たと話しており、それが曲作りにも生かされているとしています。
一方、大学名については、本人や公式プロフィールなど確認できる資料では公表を確認できません。
そのため、学校名の推測ではなく、本人が明かしている「大学で心理学を学んだ」という事実までを音楽史として押さえるのが適切です。
2017年頃に音楽出版社から声がかかり、就職活動をしないと決めた
大学生活が進む一方で、TOMOOは音楽を続ける期限も自分の中で考えていました。
大学3年生までに何も芽が出なければ諦めることも考えていた頃、音楽出版社の人物から声がかかり、デビューへ向けた活動が始まったと振り返っています。
本人の記憶では、それが2017年頃でした。
「就職活動はしない」
出典:音楽ナタリー「TOMOOインタビュー『やめようと思ったことは何度もある。だけど…』彼女が“音楽と生きる、音楽で生きる”理由」
それまでの個人中心の活動とは違う動きが始まったことで、音楽を続けながら別の仕事を探すのではなく、音楽で生きていく方向へ腹を決めました。
ただし、ここからすぐ2022年のメジャーデビューへ直結したわけではなく、その後もインディーズで活動を続けています。
17歳のコンテスト出場からメジャーデビューまでは、およそ10年に及ぶ時間がありました。
「Ginger」からメジャーデビューへ、17歳の原点は武道館にもつながった
長く活動を続ける中で、TOMOOの名前がより広い音楽リスナーへ届くきっかけの一つになったのが、2021年に発表した「Ginger」です。
その反響を一つの曲だけで「突然のブレイク」と決めつけることはできませんが、同業のアーティストからも反応が届き、その後のメジャーデビューへ向かう時期を象徴する一曲になりました。
「Ginger」が同業アーティストにも届いた
「Ginger」は、Official髭男dismの藤原聡やVaundyなど、音楽家からも名前を挙げられた曲です。
TOMOO自身は、Official髭男dismを以前から知っていたものの、より深く聴くようになった時期に、ブラックミュージックの要素をポップスへ落とし込む感覚へ強い親近感を持ったと話しています。
高校時代に70年代の洋楽を勧められ、20代に入ってからブラックミュージックへ興味を広げてきた耳が、「Ginger」の時期には別のアーティストとの接点としても表れるようになっていました。
「Ginger」はTOMOOの音楽史における唯一のブレイク要因ではなく、長く続けてきた活動が外側へ大きく届き始めた転機の一つとして見るのが自然です。
2022年「オセロ」でメジャーデビュー
2022年には、ポニーキャニオン内のIRORI Recordsからメジャーへ進むことが発表されます。
そして2022年8月3日、Major 1st Digital Single「オセロ」をリリースし、正式にメジャーデビューしました。
「オセロ」は全国のラジオ局でパワープレイに選ばれ、リリース後には全国総合エアモニチャートで1位を記録しています。
中学時代に自分の感情を曲へ置き始め、17歳でコンテストへ出てから約10年を経てのメジャーデビューでした。
TOMOOの場合、「デビューのきっかけ」は一つのオーディション合格ではなく、中学時代の友人、17歳のコンテスト、大学時代の自主制作、2017年頃の決断、「Ginger」など複数の転機が重なってできたものです。
初の日本武道館で「金色のかげ」を再び歌う
メジャーデビューから約3年後の2025年5月23日、TOMOOは初の日本武道館ワンマンライブを開催しました。
ライブ中盤では、活動を始めてから約13年の間に、自分へ音楽を続けさせてきた人たちがいたことに触れています。
その流れの中で「Your Friend」を歌い、続いて披露したのが、17歳のコンテストで歌った「金色のかげ」でした。
武道館ではアップライトピアノの弾き語りを軸に、アコースティックギターとストリングスを交えた編成で演奏されています。
「金色のかげ」は、中学3年生の頃に書き、17歳で音楽活動を始める入口になった曲です。
2013年1月にSHIBUYA-AXのコンテストで歌ったその曲を、12年後の2025年5月23日には日本武道館でもう一度歌いました。
17歳の活動開始と初の日本武道館をつないだのは、同じ「金色のかげ」でした。

