にしなの音楽ルーツ|高校のオーディションからソロデビューまで

にしなの音楽ルーツを、アコースティックギターを抱えた人物イラストと演奏風景、レコード、ノートのコラージュで描いた表紙 ソロアーティスト
活動名にしな(nishina)
生年月日1998年7月25日
出身地東京都
活動形態シンガーソングライター
主な活動歴弾き語り、ぷらそにか、アサナユフナ、ソロ活動

シンガーソングライター・にしなの音楽は、幼い頃に抱いた「歌う人になりたい」という憧れから始まりました。

小学生の頃に夢中になったコブクロの歌声。高校時代に幼なじみから教えてもらったオーディション。そして、音楽を志す同世代の仲間たちとの出会い。

にしなは一人でギターを弾きながら歌う活動を続ける一方、アコースティック・セッションユニット「ぷらそにか」やバンド「アサナユフナ」にも参加していました。

さまざまな形で音楽を経験した後、選んだのは、自分の名前で歌い続ける道。その決意は、後に「青藍遊泳」という楽曲にもつながっています。

にしなの音楽の原点は、歌うことへの憧れを、高校時代の小さな挑戦と仲間との出会いによって現実の活動へ変えていったことにあります。

幼少期の音楽体験から、最初の曲作り、グループ活動、ソロデビュー、そして音楽上の重要な転機まで。その歩みをたどります。

音楽史の段階にしなの歩み
音楽の原点幼い頃から歌を好み、小学生時代にはコブクロなどに憧れる。
最初の活動高校時代に音楽レッスンのオーディションへ応募。作詞・作曲やライブ活動を始める。
初期活動弾き語りと並行して、ぷらそにかやアサナユフナに参加。2018年に「ヘビースモーク」をYouTubeへ投稿。
重要な出会い2019年、川谷絵音のプロジェクト「美的計画」のボーカリストに選ばれる。
ソロへの集中・デビューグループ活動を離れてソロに注力。2020年10月から作品を配信し、2021年4月に1stアルバムを発売。
その後の転機2022年に『1999』を発表。2024年には藤井風との共演やYaffleとの制作を経験。

幼い頃に芽生えた歌手への憧れ

にしなにとって、音楽は最初から仕事として目指していたものではありませんでした。

幼い頃から歌うことが好きで、家族に歌を聴いてもらった記憶や、家の中で流れていた音楽が、後の活動につながる土台となっています。

家庭に流れていた音楽と、幼稚園で歌を褒められた記憶

にしなが最初期の音楽体験として覚えているのは、幼稚園で習った手遊び歌でした。

その歌は、おはぎがお嫁に行くという内容のもの。幼稚園で教わった歌を家で披露すると、母親が喜んで褒めてくれたそうです。

2023年の歌ネットのインタビューでは、人生で最初に音楽に心を動かされた記憶を尋ねられ、この出来事を挙げています。

2025年のSTREAMのインタビューでも、幼稚園の手遊び歌を親に褒められたことが、歌を好きになったきっかけだったと振り返りました。

また、家庭では母親が好んでいたR&Bなどのブラックミュージック系の洋楽が流れていました。

小学生の頃には、スピッツと槇原敬之の曲が入ったカセットテープを寝るときによく聴いていたといいます。テープのA面がスピッツ、B面が槇原敬之という組み合わせだったことまで覚えているそうです。

この頃はまだ自分で楽曲を作っていたわけではありません。さまざまな歌を聴きながら、音楽そのものを好きになっていった時期でした。

コブクロとの出会いで憧れた「歌う人」

にしなが歌手という存在に強く憧れるようになったきっかけは、コブクロでした。

小学校2〜3年生頃、テレビでコブクロが歌う姿を見たことを覚えています。

2022年のVocal Magazine Webのインタビューでは、コブクロについて、優しい歌を歌うときの表情など、歌い方だけではない細かな部分にも惹かれていたと説明しています。

声やメロディだけでなく、歌う人の姿そのものが印象に残ったのです。

小学生の頃には、ゆずのようなアコースティックギターを中心とする音楽にも親しんでいました。

中学生になると、クリープハイプやRADWIMPSなどのバンドにも興味が広がり、高校時代にはハナレグミなども聴くようになります。

ただし、歌手への憧れがあったからといって、すぐに人前で歌ったわけではありません。

にしなは、自分の気持ちを人に伝えたり、表現したものを見せたりすることに恥ずかしさを感じていたと振り返っています。

工作やものづくりは好きでも、自分の内側にある気持ちを誰かに見せることには慎重でした。

歌う人になりたいと思いながら、その気持ちは長い間、胸の中にとどまっていたのです。

高校時代のオーディションが音楽活動の出発点に

にしなが実際に音楽活動を始めるきっかけとなったのは、高校時代に応募した音楽レッスンのオーディションでした。

本人は、それまで自分から積極的に行動することができなかったと話しています。そんな状況を変えたのが、幼なじみから届いた情報でした。

幼なじみの話から応募した「the LESSON」

小学校時代からの幼なじみに、歌手を目指している友人がいました。

その友人から、通っている音楽スクールでレッスン生を募集していると聞き、にしなも応募することになります。

応募先は、ソニーミュージックが主催していた新人アーティスト養成講座「the LESSON」。ボイストレーニングだけでなく、作詞・作曲、楽器、ライブ出演など、音楽活動に必要なことを学べる講座でした。

にしなが参加したのは、第4期の講座です。同講座の募集は2015年に行われ、レッスンは2016年1〜2月に予定されていました。

2023年のbisのインタビューでは、にしなは、ここで動かなければずっと音楽を始められないかもしれないと考えて応募したことを語っています。

ずっと憧れていた音楽を、初めて実際の行動に移したこと。それが、にしなの音楽活動における最初の大きな転機でした。

講座では、楽器の扱い方やライブハウスへの出演方法なども基礎から学んだといいます。

歌うことが好きだった少女が、ここから自分で音楽を作り、人前で届けるための経験を重ねていきました。

仲間の刺激を受けて始めた作詞・作曲とライブ

レッスンで大きかったのは、音楽の技術を学べたことだけではありません。

同じように歌手や音楽家を目指す仲間たちと出会ったことも、にしなの気持ちを変えていきました。

にしなは公式サイトに掲載された1stアルバム『odds and ends』のインタビューで、一緒にレッスンを受けていた人たちが恥ずかしがらずに音楽へ取り組む姿を見て、自分も真剣に取り組むようになったと振り返っています。

高校1〜2年生頃には、自分で歌詞を書き始めていました。

初期に書いた歌詞として覚えているのは、教室で恋文を書いた主人公が、相手に渡せず、その紙をちぎって空へ投げるという情景です。

舞った紙をひつじ雲になぞらえ、翌日の天気へと想像を広げていく内容だったそうです。

まだ活動を始めたばかりの頃から、風景や出来事を思い浮かべ、そこへ人物の気持ちを重ねる作詞の方法が見られます。

にしなは後年、自分の気持ちを直接言葉にすることが苦手だったことと、遠回しな表現を使う歌詞の書き方にはつながりがあると話しています。

音楽を始めてからはライブにも出演するようになりました。CDJournalによると、2017年頃にはライブハウスでの活動を始めています。

最初から多くの観客がいたわけではありませんが、ライブを続けるうちに自分の歌を好きだと言ってくれる人が少しずつ増えていきました。

その反応は、さらに良い曲を書きたいという気持ちにもつながっていったそうです。

弾き語りから広がった、ぷらそにかとバンドでの活動

にしなの初期活動は、一つのグループだけで始まったものではありません。

自分でギターを弾いて歌い、曲を作る活動を軸にしながら、同世代の音楽家と一緒に歌ったり、バンドを組んだりしていました。

この時期の経験が、後のソロ活動を形づくることになります。

2018年にYouTubeで公開した「ヘビースモーク」

2018年4月7日、にしなは「ヘビースモーク」をYouTubeへ初めて投稿しました。

この日付は、後に1stアルバム『odds and ends』を発表した際、本人が特別な偶然として振り返っているものです。

当時の動画には、メジャーデビュー前のにしながギターを弾き、自身の曲を歌う姿が残されています。

「ヘビースモーク」は、初期のにしなを象徴する楽曲の一つです。

1stアルバムの公式インタビューによると、最初は恋愛の歌として作りました。しかし、ライブで何度も歌ううちに、幼い頃の自分自身の記憶も重なっていったそうです。

にしなの両親はかつて喫煙しており、食事の後に母親がタバコを吸いに行ってしまうことを、幼いにしなは寂しく感じていたといいます。

制作当初からその記憶を題材にしていたわけではありません。歌い続けるうちに、自分の過去の感情が楽曲と結びついていったのです。

2021年に発表されたアルバム版では、弾き語りを中心とした初期の姿から、ギターやドラム、ストリングスを加えたアレンジへと変化しました。

にしなはアレンジャーと何度もやり取りを重ね、自分が思い描く曲の世界に近づけていったと語っています。

一人で生み出した楽曲が、他の音楽家の手も借りながら新しい形へ育っていく。その過程も「ヘビースモーク」の歩みには残っています。

「ぷらそにか」で若い音楽家と重ねた演奏経験

にしなは、アコースティック・セッションユニット「ぷらそにか」にも参加していました。

ぷらそにかは、シンガーソングライターを目指す若い音楽家たちが集まり、歌や楽器の演奏を通じて一つの楽曲を作り上げる活動です。

YouTubeではさまざまなアーティストのカバー動画を公開し、ライブでも活動していました。

にしなは2018年から参加し、後にYOASOBIのボーカリストとして活動する幾田りららと同じ時期に音楽を奏でています。

弾き語りでは、一人で言葉とメロディを届けることが中心になります。一方、ぷらそにかでは他の歌い手や演奏者と声や音を重ねることができます。

にしな自身も後のインタビューで、音楽を始めた頃から仲間たちがそばにいて、その姿に刺激を受けてきたと話しています。

ぷらそにかでの活動は、ソロ活動とは異なる形で、同世代の音楽家たちと表現を共有する経験になりました。

そして2019年8月24日のライブをもって、にしなはぷらそにかを卒業します。

翌25日には本人のX(当時Twitter)で卒業を報告。泣かないつもりだったのに最後には涙が出たことや、周囲の人たちへの感謝を伝えていました。

その投稿では、卒業後も自分のやりたいことを続けていく意思を示しています。

バンド「アサナユフナ」とソロ活動の並行

ぷらそにかとは別に、にしなが参加していたのが4人組バンド「アサナユフナ」です。

アサナユフナでは、バンド編成でオリジナル曲を演奏していました。

2018年11月16日には、にしな自身がアサナユフナによる「アイニコイ」の演奏映像をX(当時Twitter)へ投稿しています。

「アイニコイ」は、その後のにしなのソロ作品にもつながっていく楽曲です。

この時期の演奏記録を見ると、にしなは一人で弾き語りをするだけではなく、バンドの一員としても歌を届けていたことが分かります。

にしなは2021年の公式インタビューで、弾き語りとバンドの違いについて、自分にとって弾き語りは本を読む感覚に近いと説明しています。

歌と言葉とギターという限られた要素で表現する弾き語りに対し、バンドはみんなで音楽を楽しむ感覚だと語りました。

一人で表現する音楽と、仲間と音を合わせる音楽。その両方を経験していたことが、にしなの初期活動の特徴です。

ただし、グループへ参加したからといって、ソロの活動をやめていたわけではありません。

本人は2022年のインタビューで、もともと弾き語りを続けながら、バンドやユニットも並行していたと明確に説明しています。

ソロとグループは、途中で完全に切り替わった別々の活動ではなく、しばらくの間は同時に進んでいたのです。

川谷絵音との出会い、そして一人で進む決意

弾き語りやグループ活動を重ねていたにしなに、2019年、外部の音楽家との新しい接点が生まれます。

その相手が、indigo la Endやゲスの極み乙女。などで活動する川谷絵音でした。

2019年「美的計画」のボーカルに起用された経緯

2019年3月、川谷絵音は自身のTwitterで、カバー曲の弾き語り動画を募集する企画を始めました。

送られてきた動画の中から気に入った歌い手を選び、その人のために新しい曲を作るという内容です。

この企画に応募したにしなが、川谷の目に留まりました。

川谷は2019年3月8日、にしなの声を高く評価し、楽曲を制作する相手に選んだことを発表しています。

その後、川谷が始めたソロプロジェクト「美的計画」で、にしなは第1弾楽曲のボーカリストを担当することになりました。

2019年8月9日に配信された「KISSのたびギュッとグッと」です。

この曲は川谷が作詞・作曲を手がけ、にしなが歌唱を担当した作品でした。

にしなは2020年6月に発表された美的計画の「恋のこと」でもボーカルを担当しています。

美的計画への参加は、にしなが一人で作り続けていた楽曲とは異なり、別の音楽家が書いた作品を歌う機会でもありました。

また、当時から自身の名前で音楽活動をしていたにしなにとって、川谷との接点は、弾き語り動画をきっかけに新しい制作の場へ進んだ出来事でした。

なお、美的計画は川谷絵音のプロジェクトであり、この2019年の客演と、にしな名義での後のメジャーデビューは別の出来事です。

仲間との別れと、ソロへ集中する選択

さまざまな音楽活動を経験する一方で、にしなは自分の名前で音楽を続けることについて考えるようになります。

本人によれば、ソロで活動する気持ちは最初から自身の中にありました。

その途中にバンドやユニットでの活動があり、仲間と音楽を作る時間も大切にしていたのです。

しかし、今後の自分に必要なものを考えたとき、にしなとしてより良い曲を書き、より良い歌を歌うことへ力を注ぎたいと感じるようになりました。

2022年の公式『1999』インタビューでは、ソロに集中することを選んだ理由として、自分の音楽をもっと良くするため、そこにすべてを注ぎたいと思ったことを挙げています。

にしなのソロへの転換は、初めて一人で歌おうとした出来事ではなく、もともと続けていた個人活動へ、より深く向き合うための選択でした。

同じ頃、グループで一緒に演奏してきた仲間たちとの最後のライブを迎えることになります。

それは単に所属先を離れる日ではなく、自分を音楽へ向かわせてくれた仲間たちと、それぞれの道へ進む節目でもありました。

「青藍遊泳」の原点となった最後のライブ

にしなの楽曲「青藍遊泳」には、ソロとして歩む決意を固めた頃の記憶が込められています。

グループの仲間と一緒に出演する最後のライブを終えた後、会場ではユニコーンの「すばらしい日々」が流れていました。

そのとき、にしなは曲が流れた意味を特に意識していなかったそうです。

ところが後になって、スタッフが自分への贈り物としてその曲を流してくれていたと知ります。

改めて歌詞を読んだにしなは、仲間と別れる寂しさと、前へ進んでいかなければならない気持ちを重ね合わせました。

大切な仲間たちのことを忘れてしまうほど、目の前の音楽に夢中になれる自分でありたい。

そんな思いから生まれたのが「青藍遊泳」でした。

この曲について、にしなは2022年の公式『1999』インタビューで、自分自身のことを書いて完成した楽曲だと説明しています。

別れの悲しさだけを歌ったものではありません。大切な仲間との時間を胸に残しながら、自分の進む道へ向かうための歌でもあります。

「青藍遊泳」は、にしなが自分の名前で音楽を続ける決意を、最も直接的に残した楽曲の一つです。

この楽曲が音源として発表されたのは、実際に仲間との別れを経験した時期よりも後のことです。

にしなの音楽では、過去に書いた曲が、時間を経て新しい作品へ収録されることがあります。「青藍遊泳」も、そうした経緯を持つ一曲でした。

2020年の配信リリースから、初アルバム発売へ

グループ活動を経て、ソロアーティストとしての道を選んだにしなは、2020年から自身の名前での楽曲リリースを本格化させました。

それまでライブやYouTubeを通して歌を届けてきましたが、この時期から公式の配信作品が続けて発表されるようになります。

「ランデブー」から始まった配信作品

2020年10月7日、にしなは「ランデブー」を配信リリースしました。

ワーナーミュージック・ジャパンの公式作品情報では、この曲から2021年3月まで、6か月連続で楽曲を発表したことが確認できます。

2020年11月には「真白」、12月には「夜間飛行」、翌2021年には「ケダモノのフレンズ」「ダーリン」「centi」「ヘビースモーク」と作品を届けました。

この頃には、弾き語りで作ってきた曲を、他のミュージシャンやアレンジャーとともに完成させる機会も増えていました。

「ランデブー」では、言葉の響きから発想を広げ、宇宙とパソコンの世界を結びつけるような歌詞を作ったと語っています。

一方、「夜間飛行」は以前から弾き語りで演奏していた曲で、Shin Sakiuraによるアレンジを加えて作品化されました。

にしなは、曲作りの段階では歌とギターを中心に考え、アレンジャーへは色や温度、匂いなどの感覚で楽曲のイメージを伝えることもあったそうです。

弾き語りの時点で完成形を固定せず、他の音楽家との制作を通して音の世界を広げていく方法が、この時期の作品には表れています。

ただし、2020年の配信開始が音楽活動そのものの始まりだったわけではありません。高校時代からライブや自主的な音楽活動を重ねていたことと、公式の配信作品が始まったことは別の段階です。

2021年『odds and ends』で迎えた節目

2021年4月7日、にしなは1stアルバム『odds and ends』を発売しました。

音楽ナタリーの公式プロフィールでは、このアルバムをもってワーナーミュージック・ジャパンからメジャーデビューしたと整理されています。

アルバムには、初期から歌ってきた「ヘビースモーク」をはじめ、「ランデブー」「真白」「夜間飛行」「ダーリン」など10曲が収録されました。

にしなはアルバムタイトルについて、自分のその後の人生をつないでいく一つのパーツになってほしいという思いを込めたと話しています。

また、聴いてくれる人にとっても、何気ないようで大切なものになる作品であってほしいと考えていたそうです。

『odds and ends』には、それまで弾き語りで生み出してきた楽曲や、新たなアレンジによって完成した作品が集まりました。

2021年のメジャーデビューは、高校時代から積み重ねてきた音楽活動が、初めてのアルバムという形にまとまった節目でした。

同年にはSpotifyの「RADAR: Early Noise 2021」にも選出されています。

さらに6月25日には、Zepp Tokyoで初めてのワンマンライブ「hatsu」を開催。自分の曲を聴くために集まった観客の前で、アルバムの楽曲を演奏しました。

以前は小さなライブハウスなどで歌っていたにしなにとって、自分の名前を掲げたワンマンライブも、活動を広げる重要な出来事となりました。

「ヘビースモーク」の投稿から3年後、同じ4月7日に発売

1stアルバムの発売には、にしな自身も印象に残った偶然がありました。

「ヘビースモーク」を初めてYouTubeに投稿した日は、2018年4月7日。

そして初アルバム『odds and ends』が発売された日は、そのちょうど3年後にあたる2021年4月7日でした。

にしなは公式インタビューで、この日付の一致は偶然だったと話しています。

最初に自分の楽曲を動画として届けた日と、メジャーデビューアルバムを世に出した日が同じだったのです。

2018年に投稿した「ヘビースモーク」は、2021年3月31日に配信作品としても発表され、同年4月のアルバムにも収録されました。

ここには、初期の自主的な動画投稿と、その後の商業作品としてのリリースという二つの段階があります。

同じ曲が長い時間をかけて新しい形になったことは、にしなが音楽を続けてきた過程を知るうえでも象徴的です。

小さな投稿から始まった曲が、3年後には初アルバムの一部として多くの人に届けられることになりました。

自分の音楽を広げた、その後の重要な転機

初アルバムの発売後も、にしなは弾き語りを音楽の原点として大切にしながら、新しい制作方法や音楽家との出会いを重ねていきました。

その中には、ソロ活動を始める前に生まれた曲を改めて音源化することも、他の音楽家の作品に参加することもありました。

2ndアルバム『1999』と「青藍遊泳」の音源化

2022年7月27日、にしなは2ndアルバム『1999』を発売しました。

このアルバムには「アイニコイ」「FRIDAY KIDS CHINA TOWN」「東京マーブル」「ワンルーム」などとともに、「青藍遊泳」が収録されています。

「青藍遊泳」は、グループ活動を離れてソロへ進む決意をした頃に書いた曲でした。

本人によると、録音したのは1stアルバムを発表した後のことで、最初から2ndアルバムへ入れる計画だったわけではありません。

自分にとって大切な曲が、自然な流れで2枚目のアルバムに収録されたと振り返っています。

また『1999』では、初期から演奏していた「ワンルーム」も新たなアレンジで収録されました。

この曲は2018年4月に弾き語り動画としてYouTubeへ投稿されていた作品で、アルバム版ではROTH BART BARONの三船雅也がアレンジを担当しています。

にしなは過去の自分の演奏を振り返り、当時の音源を最後まで聴くことには恥ずかしさも感じる一方、その頃の自分に対する憧れもあると話しています。

初期の弾き語り曲を別の形で残すことは、単に昔の曲を再発売するというだけではありません。

音楽を始めた頃の自分の表現に、その後の経験や他の音楽家との制作が加わった形でもあります。

にしなはTHE FIRST TIMESのインタビューで、ほとんどの曲は弾き語りから始まっており、歌うときの自由さという点でも大切な方法だと説明しています。

アルバムのアレンジが多彩になっても、歌とギターで曲を生み出すという原点は変わっていませんでした。

藤井風との共演、Yaffleとの制作につながった出会い

2024年には、藤井風との共演も実現しました。

にしなは、NHKの音楽番組『tiny desk concerts JAPAN』で藤井風の演奏にコーラスとして参加しています。

この共演では、普段のように自分が中心となって歌うのではなく、他のアーティストの音楽を支える立場で声を重ねました。

公式「plum」インタビューでは、コーラスは得意ではなかったものの、藤井風から提案やサポートを受け、本番ではみんなで音楽を楽しめたと振り返っています。

また、この番組への参加を経て、音楽プロデューサーのYaffleとの制作にもつながりました。

同年9月4日に配信された「plum」は、Yaffleと初めて組んで制作した楽曲です。

にしなはBillboard JAPANのインタビューで、「plum」について、ギターでコードを繰り返しながら作り、R&Bやソウルの雰囲気も感じられる曲にしたかったと語っています。

幼い頃から家庭で聴いていた音楽と、ギターで曲を作る自分自身の方法。その両方に通じる要素を、別の音楽家との制作で形にした作品でもあります。

一人でギターを持って歌い始めたにしなは、ぷらそにかやアサナユフナで仲間と演奏し、川谷絵音の作品で歌い、ソロデビュー後には多くの音楽家と制作を重ねてきました。

活動の形は変化しても、その中心にあるのは、自分の感じたことを歌と言葉にするという姿勢です。

にしなの音楽の始まりをたどると、幼い頃の歌への憧れ、勇気を出して応募したオーディション、そして音楽を続ける背中を押してくれた仲間たちの存在が見えてきます。

コブクロの歌う姿に憧れていた少女が、高校時代に初めて自分の音楽を作り、仲間との出会いと別れを経験して、自分の名前で歌い続けることを選んだ。

その歩みの中で生まれた「ヘビースモーク」や「青藍遊泳」には、にしなが実際に経験してきた時間が重なっています。

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