乃紫の音楽ルーツ|大学時代のDTMから「全方向美少女」まで

乃紫の音楽ルーツをテーマに、女性のイラストとDTM制作画面、レコードを組み合わせ、大学時代の作曲開始から「全方向美少女」までの歩みを示したビジュアル ソロアーティスト
活動名乃紫(のあ)
英字表記noa
生年月日2000年10月4日
出身地熊本県
活動形態シンガーソングライター
所属事務所MR8(2022年の活動初期に所属)

「全方向美少女」「初恋キラー」などの楽曲で知られるシンガーソングライター、乃紫(のあ)。

作詞・作曲・編曲・歌唱に加え、映像やアートワークにも自ら関わり、音楽とビジュアルを一体にした作品を生み出してきました。

その音楽制作の始まりは、2022年の夏休み。大学3年生だった乃紫が、知人の使っていた作曲ソフト「Logic Pro」に触れたことでした。

幼い頃からピアノやバイオリンを習い、学生時代にはギターにも親しんでいましたが、本格的に自分の曲を作り始めたのは大学生になってからです。

写真や映像を撮ることが好きだった大学生は、独学で作曲を覚え、TikTokへの投稿を始め、わずか数か月後には最初の配信シングル「杯杯」を発表しました。

そこから「接吻の手引き」、そして「全方向美少女」へ。自分の表現したい世界と、楽曲を聴く人の視点を行き来しながら、乃紫の音楽は形を変えていきます。

音楽史の段階乃紫の歩み
音楽との出会い幼少期にピアノ・バイオリンを習い、家庭でギターにも触れる
作曲の始まり2022年夏、大学時代にLogic Proと出会い、DTMを開始
初期の音楽発信最初に制作した「踊れる街」などをTikTokに投稿
乃紫名義の始まり2022年11月、それまでの「NOA」から「乃紫」名義で活動を開始
配信デビュー2022年12月30日、最初の配信シングル「杯杯」を発表
ブレイク2024年、「全方向美少女」がSNSで広まり、Billboard JAPANのチャートで首位を獲得
ライブへの展開2024年4月25日、東京・渋谷WWWで初ワンマンライブを開催

乃紫が音楽に親しんだ幼少期と学生時代

乃紫は2000年10月4日、熊本県に生まれました。

子どもの頃から音楽が身近にある家庭で育ち、ピアノやバイオリンを習った経験があります。

ただし、幼少期から歌手になることや作曲家になることを目指していたわけではありません。音楽を聴くこと、楽器に触れることと、自分で作品を作ることの間には、まだ距離がありました。

ピアノ・バイオリンと家庭にあったギター

乃紫が幼い頃に習っていた楽器は、ピアノとバイオリンです。

親もチェロを習っていたことがあり、家族でクラシックのコンサートへ出かける機会もあったといいます。

もっとも、本人はこうした幼少期の経験が、そのまま自分の音楽へ反映されたとは考えていないようです。

2024年のTHE MAGAZINEのインタビューでも、幼い頃に楽器を習っていたことを説明する一方、それをプロとしての音楽活動へ直接結びつけるような語り方はしていません。

小学校1年生の頃には、譜面を読むのが面倒になってピアノの練習をさぼり始めたというエピソードも、本人が当時の写真とともに振り返っています。

幼少期に音楽の基礎へ触れていたことは確かですが、当時から熱心に練習を続け、一直線にプロを目指したという経歴ではありません。

楽器との付き合い方も、本人にとってはごく自然な日常の一部だったのでしょう。

学生寮の先輩から受け取ったアコースティックギター

乃紫の初期プロフィールには、学校の寮で先輩からアコースティックギターをもらったことが、音楽を始めるきっかけとして紹介されています。

一方、本人は別のインタビューで、高校生の頃に実家の物置で母親のアコースティックギターを見つけ、興味本位で弾き始めたとも語っています。

この二つの話は、同じギターについての説明とは限りません。

実家にあったギターを弾いていた経験と、学生寮で先輩からギターを受け取った経験は、別々の出来事として捉えるのが自然です。

ただ、学生寮でギターを受け取った正確な時期や、二つの経験の前後関係までは明確ではありません。

共通しているのは、ギターが学校の授業や専門的な音楽教育だけでなく、家庭や身近な人との関わりの中にも存在していたことです。

高校時代についても、本人は人前で演奏しようという発想はなかったと振り返っています。

この頃のギターは、まだ音楽活動のための道具というより、自分の興味から手に取る楽器でした。

椎名林檎・東京事変・RADWIMPSから受けた影響

幼い頃から親しんできた音楽の中で、乃紫が明確に影響を受けたと語っているのが、椎名林檎と東京事変です。

椎名林檎については、楽曲だけでなく、本人の存在感、映像の世界観、ビジュアルを含めた表現全体に惹かれたと語っています。

乃紫にとってアーティストとは、曲を作って歌うだけではなく、視覚的な表現も含めて一つの世界を作る存在だったようです。

中学生の頃から聴いていたRADWIMPSにも、独特な歌詞やMVの表現から影響を受けています。

特に、きれいな感情だけでなく、人間の複雑な部分や死生観まで描く表現に惹かれていたといいます。

2024年のBillboard JAPANのインタビューでは、椎名林檎とRADWIMPSについて、一度聴いただけでは理解しきれない深みを持つアーティストとして語っていました。

さまざまなジャンルを広く聴く一方で、強く惹かれたアーティストの作品はさらに掘り下げていたそうです。

後に乃紫は、言葉遊びや韻を取り入れ、楽曲ごとに映像やビジュアルのコンセプトまで考えるようになります。

その表現の背景には、音と映像を切り離さずにアーティストの世界観を受け取っていた経験もありました。

ただし、楽曲を実際に作り始めるのは、もう少し先のことです。

大学3年の夏、Logic Proとの出会いから作曲を開始

乃紫が本格的に作曲を始めたのは、2022年の夏でした。

当時は大学3年生。音楽を専門的に学んでいたわけではなく、大学の夏休みに知人が使っていた作曲ソフトへ触れたことが直接のきっかけです。

乃紫の音楽制作は、大学時代にLogic Proを偶然使わせてもらったことから始まりました。

国際系の学部で過ごした大学生活

乃紫は大学で、音楽とは関係のない国際系の学部に所属し、語学を学んでいました。

本人によれば、大学生活は特別に音楽活動へ打ち込むものではなく、友人と遊んだり、学生生活を楽しんだりする、ごく普通の大学生としての時間だったといいます。

新型コロナウイルスの流行と学生生活が重なった時期でもありましたが、その間も音楽活動だけに時間を費やしていたわけではありません。

むしろ、大学時代に過ごした日常や友人との思い出は、後に歌詞を書く際の材料にもなりました。

当時は写真や映像にも関心を持ち、大学時代には映像制作やWeb広告に関係する会社でインターンを経験しています。

音楽を始める前から、写真で何を見せるか、短い言葉でどんな印象を残すかという表現に興味があったのです。

ルミネなどの広告のキャッチコピーにも関心があり、短い言葉からさまざまな情景を連想させる表現を好んでいたと語っています。

後の乃紫の楽曲に登場する、印象的なタイトルや短いフレーズへのこだわりは、作曲を始める以前のこうした関心とも重なります。

知人の作曲ソフトを触ったことが転機に

2022年の夏休み、大学の知人が音楽制作に使っていた「Logic Pro」に触れる機会がありました。

Logic Proは、パソコンで音を録音・編集したり、複数の楽器の音を重ねたりして楽曲を制作できるソフトウェアです。

当時の乃紫は、最初から本格的な音楽活動を始めるつもりだったわけではありません。

夏休みに時間があり、何か面白いことはないかと考えていたところ、偶然ソフトに触れて夢中になったという経緯でした。

初めは操作方法もよく分からず、YouTubeで調べながら一つずつ覚えていったそうです。

自分で音を組み立て、曲が少しずつ形になっていく過程が楽しく、制作を続けるようになりました。

また、曲を作る経験によって、普段聴いている音楽が完成するまでにどれほどの時間や工程が必要なのかにも関心を持ったといいます。

子どもの頃から楽器を弾く経験はあっても、音楽を一曲の作品として完成させる作業は、それまでとは違うものでした。

楽器を演奏する側から、音や言葉を組み合わせて自分の曲を作る側へ。この夏の経験が、乃紫の活動を大きく変えました。

YouTubeで独学し、最初の曲「踊れる街」を制作

Logic Proを使いながら制作を覚えた乃紫が、最初に作った曲として挙げているのが「踊れる街」です。

2024年のTHE MAGAZINEのインタビューでは、この曲を初めて制作したときの気持ちについて、次のように説明しています。

曲を聴いてほしいというよりは素人でもここまで作曲できるよというのを見せたかったという感じです。

出典:THE MAGAZINE「乃紫 インタビュー 『全方向美少女』がTikTokを席巻、話題のシンガーソングライターに迫る」(2024年2月19日)

「踊れる街」は、作曲を覚えたばかりの頃に時間をかけて制作した曲でした。

最初から完成されたアーティスト像を持って発表したというより、音楽制作を覚えたことを自分なりの形で見せようとしていたのです。

この曲は初期にTikTokへ投稿されましたが、正式な配信リリースは2024年9月18日です。

つまり、「踊れる街」は最初に作った曲であって、最初に配信リリースした曲ではありません。

作品を制作した時期、SNSで公開した時期、配信作品として発売した時期は、それぞれ異なります。

この区別は、乃紫の初期活動をたどるうえで重要です。

音楽制作を始める前から写真や映像を作っていたこともあり、自作曲を投稿する際には映像や見せ方まで自分で考えるようになりました。

作曲を覚えたことによって、それまで好きだった写真や言葉の表現にも、新しい使い道が生まれたのです。

TikTokへの投稿から「乃紫」名義でのデビューへ

2022年の夏に作曲を始めた乃紫は、完成した楽曲をTikTokへ投稿するようになりました。

活動を始めた頃から、曲を作ることと、それをSNSで発信することが近い距離にあったのが特徴です。

投稿を通じて反応が集まる中、音楽活動を仕事として進めるための出会いも生まれ、2022年12月には最初の配信シングル「杯杯」を発表しました。

作曲と同時に始めたTikTokでの音楽発信

乃紫は、Logic Proで音楽制作を始めた頃からTikTokにも動画を投稿していました。

作った曲を聴いてもらうだけでなく、どのような音楽が広まり、どんな反応が届くのかを見ることも制作の一部になっていきました。

本人は、音楽を始める前から写真を撮ってSNSに投稿していたため、何かを作って発信し、その反応を確かめること自体に親しんでいたといいます。

2022年の初期作品では、音楽制作の経験が浅い大学生でも曲を作れることを見せようとする姿勢がありました。

やがてその関心は、単に作れることを示す段階から、聴く人が思わず反応するフレーズや、動画に使いたくなる音源を考える方向へ広がっていきます。

乃紫にとってTikTokは、完成した音楽を宣伝するだけの場所ではありませんでした。

投稿と反応を繰り返しながら、楽曲そのものを考える場所でもあったのです。

所属事務所との出会いと「乃紫」名義の始まり

乃紫は初期に「NOA」という名義を使っていましたが、2022年11月から「乃紫」の名前で活動を始めました。

作曲を始めた2022年夏、乃紫名義で活動を始めた同年11月、最初の配信作品を発表した12月は、それぞれ別の段階です。

2022年の夏から秋にかけては、複数の関係者から声がかかるようになり、本人も一人で話を聞きに行っていたそうです。

ただ、音楽業界での経験がない大学生にとって、それぞれの話のどこが違い、誰を信頼すればよいのかを見極めるのは簡単ではありませんでした。

2024年のBillboard JAPANのインタビューでは、当時、大人たちから説明を受けても、何が自分にとってよい選択なのか分からず、疑いを抱く気持ちもあったと振り返っています。

そんな中で出会ったのが、後に所属する事務所の代表でした。

熱意だけでなく、実際に何ができるのかという現実的な話もしてくれたことが、所属を決めるうえで大きかったといいます。

この時期の経験は、後に最初の配信曲となる「杯杯」の歌詞にもつながりました。

音楽業界の人たちと向き合う中で抱いた感情を、自分の言葉で曲へ落とし込んだのです。

初配信曲「杯杯」とiPhoneで撮影したMV

2022年12月30日、乃紫は最初の配信シングル「杯杯」を発表しました。

この時点ですでに複数のデモ曲を制作しており、「杯杯」が最初に作った曲だったわけではありません。

本人によれば、当時はほかにも15曲ほどのデモがあり、その中で「杯杯」を最初の配信作品に選んだといいます。

選んだ理由は、単にTikTokで反応があったからではありません。

Billboard JAPANのインタビューでは、「杯杯」が自分の性格や考え方を最も表していると感じた曲だったことを説明しています。

「杯杯」は自分のパーソナリティが一番出ている曲だと思ったんです。

出典:Billboard JAPAN「20年先も聴かれる曲を作りたい――『全方向美少女』がバズった乃紫、挑戦と分析を重ねた1年半の活動を振り返る」

「杯杯」では、韻を踏む言葉遊びや、少し皮肉を含んだ表現を取り入れています。

音楽業界との最初の接点で感じた疑いや不満も、歌詞へと姿を変えました。

「杯杯」は、乃紫がアーティストとしてどのような言葉を歌う人なのかを示す、自己紹介の意味を持ったデビュー曲でした。

この曲のMVも、初期の乃紫を知るうえで重要な作品です。

撮影場所は東京・三軒茶屋の中華料理店。制作費が限られていたため、iPhoneを使って撮影したと本人が明かしています。

楽曲だけでなく、映像の見せ方も自分たちの手で作っていた時代の作品です。

乃紫は大学を卒業する頃まで、事務所とも相談しながら、手作り感のある表現を大切にしていたそうです。

大きな制作費を使わなくても作品は作れるし、特別な機材がなくても映像を撮ることはできます。

大学時代に映像制作やWeb広告のインターンで覚えた技術も、こうした自主制作へ生かされました。

写真や映像への関心が音楽に結びつき、曲とビジュアルを一緒に考える制作スタイルが、初期の作品から形になっていたのです。

「接吻の手引き」を経て生まれた「全方向美少女」

「杯杯」の配信後も、乃紫はオリジナル曲の制作とTikTokへの投稿を続けました。

2023年には「接吻の手引き」や「先輩」などを発表し、短いフレーズで印象を残すことや、聴く人の反応を意識した楽曲制作を重ねていきます。

その経験を土台に、SNSでの使われ方をより深く考えて制作したのが、2024年の代表曲「全方向美少女」でした。

最初にUGCが広がった「接吻の手引き」

2023年2月1日、乃紫は2作目の配信シングル「接吻の手引き」を発表しました。

「杯杯」が本人の性格や考え方を表現する自己紹介的な作品だったのに対し、「接吻の手引き」では、TikTokでどのようなフレーズが広がりやすいのかを意識して制作したといいます。

高校生や大学生など、聴く人にとって身近な言葉を取り入れ、メロディーや歌詞も一度で覚えやすいものを目指しました。

この曲では、ユーザーが楽曲を使って新しい動画を作る「UGC(ユーザー生成コンテンツ)」が、乃紫の初期作品の中でも広がりました。

振り付けを考えて踊る人や、制服姿で動画を撮る学生など、楽曲を自分なりの形で楽しむ投稿が生まれたそうです。

Billboard JAPANによると、同曲はSpotifyの国内バイラルチャートで最高12位を記録しています。

乃紫は、SNSで使いやすいだけでなく、ライブで観客も一緒に歌える曲にしたいという考えも持っていました。

2023年8月に発表した「先輩」では、年上の女性への憧れを題材にし、恋愛の状況が自然に浮かぶコンセプトを用意しています。

本人は制作当時、アニメ『チェンソーマン』のデンジとマキマの関係性なども参考にしたと語っていました。

どのような感情や関係性に人が惹かれているのかを見ながら、曲の題材を考える方法です。

こうして、作りたい音楽を形にするだけでなく、聴き手がその曲をどのように使い、どのような気持ちで受け取るかという視点が強まっていきました。

TikTokの反応を分析して制作した「全方向美少女」

2023年の終わり頃、乃紫はTikTokに「全方向美少女」のデモを投稿しました。

それまでの作品でもSNSでの反応を意識していましたが、この曲はさらに踏み込んだ目的を持って制作されています。

本人はBillboard JAPANのインタビューで、過去に発表した曲の反応を踏まえ、どのような音源ならユーザーが動画を作りやすいのか、改めて分析したと説明しました。

特に意識したのは、楽曲を聴いた人が、実際に自分の動画を撮って投稿する場面を想像できることです。

複雑な振り付けや撮影準備が必要なのではなく、スマートフォンの角度を変えるだけで参加できるような、分かりやすい動画の形を考えました。

楽曲のタイトル、短いフレーズ、撮影方法が自然につながるように設計されていたのです。

「全方向美少女」は、聴く人が自分でも動画を作りたくなることを意識して生まれた楽曲でした。

興味深いのは、サビの一部を先に投稿し、そこへ寄せられた反応やコメントを見ながらフルバージョンの制作を進めたことです。

投稿時には「自己肯定感」をテーマにした紹介文も添えており、その反応を受けて楽曲全体の歌詞を考えていったといいます。

2024年の日テレNEWSのインタビューでは、自分自身の美しさを肯定する強さや、周囲の否定的な感情を乗り越える姿勢をモチーフにしたと語っています。

単に顔を映す動画で使いやすい音楽ではなく、聴く人が自分の姿を前向きに映せるような意味も込められていました。

また、乃紫はヒットした理由についても、偶然ではなく、これまでの投稿を分析したことが大きかったと考えています。

2023年に積み重ねた試行錯誤が、楽曲そのものの作り方へ反映された例でした。

自撮り動画の広がりとチャート首位への道

「全方向美少女」は、2024年1月5日に配信リリースされました。

その前から公開されていたデモ音源がTikTok上で広まり、リリース後も楽曲に合わせてカメラの向きを変える動画が相次いで投稿されます。

広がりは日本の一般ユーザーだけにとどまらず、TWICEやNiziUなどのメンバーが音源を使用した動画を公開したことでも注目を集めました。

韓国を含む海外へ楽曲が広がったことを受け、2024年2月28日には「全方向美少女(Korean Ver.)」も配信しています。

客観的なチャート記録も残っています。

Billboard JAPANの「TikTok Weekly Top 20」では、2024年1月24日公開チャートで2週連続の首位を獲得しました。

さらに、同年4月17日公開の「JAPAN Heatseekers Songs」でも初めて1位を記録しています。

そして6月20日には、TikTokが開催した「TikTok上半期トレンド大賞2024」で、「全方向美少女」がミュージック部門賞を受賞しました。

TikTok公式の発表では、2024年6月時点で同曲の楽曲総再生回数が19億回を超えていたとされています。

この数字は2024年6月の集計結果であり、その後の再生数とは区別する必要があります。

乃紫は、この反響の中で特に印象に残った出来事として、自分の曲が使われていない動画のコメント欄でも「全方向美少女」という言葉が使われていたことを挙げています。

楽曲を聴いてもらうだけではなく、曲のタイトルや言葉が、誰かを表現するための言い方として広まっていたのです。

2022年に作曲を始めた大学生が、初期のTikTok投稿で試行錯誤を重ね、2024年には楽曲の使われ方そのものを大きく広げるところまでたどり着きました。

「初恋キラー」のヒットと初ワンマンライブへの展開

「全方向美少女」が広まった2024年、乃紫の活動はさらに次の段階へ進みます。

楽曲のデモを先に公開し、反応を確かめながら制作する方法は「初恋キラー」でも続けられました。

一方で、それまで主にSNSを通して音楽を届けていた乃紫は、2024年4月25日、初めてのワンマンライブで観客の前に立ちました。

「初恋キラー」の制作と2024年のチャート実績

「全方向美少女」に続く重要な楽曲となったのが、2024年5月8日に配信された「初恋キラー」です。

この曲も、正式リリースより前の2024年3月にデモを公開し、TikTokで反応を集めていました。

乃紫が制作時にテーマとしていたのは、中毒性です。

本人によれば、普段とは少し違い、ビートを起点として考えた楽曲で、短く公開した部分からフルバージョンへ進んだときに、意外な展開が生まれるよう意識したといいます。

歌詞にも、渋谷や下北沢、新宿など、聴く人が具体的な場所を想像できる地名を取り入れました。

こうした固有名詞を含む表現に対しては、TikTokのコメント欄で「こちらの街の方が合う」といった反応や替え歌が生まれることもあったそうです。

それまでの投稿活動で得た、どんな言葉が人の反応につながるかという経験が制作へ生かされていました。

2024年5月8日の正式配信後には、Billboard JAPANの総合ソング・チャート「JAPAN Hot 100」でも順位を上げています。

また、同月15日にはアニメーションを使用した公式MVが公開されました。

このMVではイラストレーターの火曜びがイラストを担当し、Suzuka Yamamotoがリリックデザインと映像制作を担当しています。

乃紫の活動はセルフプロデュースを特徴としていますが、こうした作品では外部のクリエイターとも協力しています。

自分の考えた世界観を、必要に応じてほかの制作者の技術と組み合わせながら形にしていく方法も、作品制作の一部になっていました。

2024年4月、渋谷WWWで初めてファンの前へ

「初恋キラー」の正式配信に先立つ2024年4月25日、乃紫は東京・渋谷WWWで初のワンマンライブを開催しました。

この公演は、乃紫にとって初めてのライブであり、人前で本格的にステージへ立つ最初の機会でもありました。

それまでの活動の中心は、大学時代の自宅での楽曲制作と、SNSを通じた発信でした。

2024年5月2日に公開されたBillboard JAPANのライブレポートでは、満員の会場に観客が集まり、乃紫が歓声に迎えられて登場した様子が伝えられています。

ライブは「ヘントウタイ」で始まり、ギター・ベース・ドラムのバンド編成とともに楽曲を披露しました。

乃紫自身もエレキギターを演奏し、SNSの短い動画では伝わりにくかったバンドサウンドの一面を見せています。

会場には、楽曲をイメージしたポスターやコピーが掲示され、ステージ背後の大型スクリーンには曲に合わせた映像が映し出されました。

音楽を始める前から関心のあった写真、映像、短い言葉による表現が、ライブ会場全体の演出にも使われていたのです。

「接吻の手引き」では観客を巻き込む場面があり、「全方向美少女」のサビでは会場で大きな合唱が起きたと報じられています。

TikTokで一人ひとりが動画を作って楽しんでいた楽曲が、この日は同じ場所に集まった観客の歌声になりました。

また、当日のライブでは「惑星より愛を込めて」「学園ハイブランド」「何者」など、当時の未発表曲も披露されています。

「全方向美少女」のヒットだけを再現する公演ではなく、乃紫が考えるさまざまな楽曲表現をステージで見せる内容でした。

初ワンマンライブの開催は、大学時代にパソコンで曲を作り始めた乃紫が、自分の音楽を、画面越しではなく観客の前で直接届けるようになった転機でした。

音楽・映像を自ら作るセルフプロデュースの形成

乃紫の音楽活動では、楽曲そのものと、それをどう見せるかという発想が密接につながっています。

ただ、そのスタイルは音楽を始めてから突然生まれたものではありません。

本人が2024年のTHE MAGAZINEで振り返っているように、最初に関心があったのは写真、映像、広告のキャッチコピーといった表現でした。

自分が目にした風景や感じたことを、どのような写真で見せ、どのような言葉で伝えるか。

そうした関心を持っていたところへ、2022年の夏に音楽制作という新しい手段が加わりました。

楽曲制作の順序も、必ずしもメロディーから始まるわけではありません。

2024年に音楽プロデューサーの本間昭光と対談した際には、曲を作るときに、メロディーや歌詞よりも先にコンセプトを考えることがあると説明しています。

例えば、年上の魅力的な女性を題材にするなら、そこから似合う言葉やメロディー、曲調を考えていくという方法です。

本人は、楽曲を制作しながらMVやアートワークのイメージも同時に考えていると語っています。

先に作りたい映像が浮かび、その映像に合わせて歌詞を考えることもあるそうです。

椎名林檎の音楽と映像を含む世界観に惹かれ、VaundyやWurtSのように制作全体へ関わるアーティストの活動形態にも憧れを持っていました。

自分で曲を作り、写真を撮り、動画を編集することから始まった活動は、事務所やほかのクリエイターと協力する規模へ広がっていきます。

それでも、音楽だけではなく、言葉や映像を含めて一つの表現を作りたいという考え方は、初期の作品から続くものです。

乃紫は2024年のBillboard JAPANのインタビューで、椎名林檎やRADWIMPSのような、年月を経ても深く聴かれるアーティストについて語り、自身も長く聴かれる曲を作りたいと話していました。

大学3年の夏に偶然手にした作曲ソフト、独学で完成させた最初の一曲、三軒茶屋の中華料理店で撮影したデビュー曲のMV。

乃紫の音楽は、そうした小さな制作の積み重ねから始まり、SNSで楽曲を楽しむ人々とのやり取りを経て、ライブ会場で響く音楽へと広がっていきました。

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