キタニタツヤの音楽ルーツ|少年期のロックからボカロP、「青のすみか」まで

キタニタツヤの音楽ルーツをテーマに、黒髪の男性イラストとギター、レコード、音波を組み合わせたコラージュ ソロアーティスト
活動名キタニタツヤ
英字表記Tatsuya Kitani
生年月日1996年2月28日
出身地東京都
主な活動シンガーソングライター、作曲家、ベーシスト
旧活動名義こんにちは谷田さん
出身大学東京大学文学部 美学芸術学専修

「青のすみか」で広く知られるようになったシンガーソングライター、キタニタツヤ。

TVアニメ『呪術廻戦』の主題歌を歌い、2023年にはNHK紅白歌合戦にも初出場しました。しかし、その音楽活動は、大きなヒット曲が生まれるずっと前から始まっています。

かつては「こんにちは谷田さん」という名前でVOCALOID楽曲を発表し、別のアーティストへの楽曲提供や、ヨルシカのサポートベーシストとしても活動していました。

さらにさかのぼると、少年時代にはASIAN KUNG-FU GENERATIONに夢中になり、高校ではベースを手にしてバンドを組み、仲間がいないときには一人で曲を作ってライブハウスに立っていたそうです。

東京大学への進学後も音楽を作り続けた彼は、どのようにして職業作曲家となり、自分の名前で歌う道へ進んだのでしょうか。

今回は、そんなキタニタツヤの音楽の始まりを、幼少期のロック体験から学生時代、ボカロP活動、ソロデビュー、そして「青のすみか」まで時系列でたどります。

音楽史の段階キタニタツヤの歩み
音楽の原点音楽好きの両親のもとで育ち、小学生の頃にアジカンなどの日本のロックに夢中になる。
最初の楽器と作曲中学卒業時にベースを購入。高校でバンド活動を始め、自作曲を制作するようになる。
初期バンド活動2011年頃から「羊の群れは笑わない。」として、一人で制作した音源を使うライブなどを経験。
ボカロP活動2014年5月、「こんにちは谷田さん」名義で「鯨と水星」を発表。
作家・ソロ活動2017年から楽曲提供と本人歌唱のソロ活動を展開。2018年に初のフルアルバムを発表。
メジャーでの作品発表2020年、ソニー・ミュージックレーベルズから『DEMAGOG』を発表。
大きな転機2023年、「青のすみか」がヒット。同年末のNHK紅白歌合戦に初出場。

母親の海外ロックからアジカンへ――音楽好きだった少年時代

キタニタツヤが音楽に親しむようになった背景には、子どもの頃から家で流れていたさまざまな音楽がありました。

父親も母親も音楽が好きで、特に母親は海外のロックやパンクを好んでいたといいます。

そこへ小学生の頃に出会った日本のロックが加わり、ただ家で流れる音楽を聴くのではなく、自分から好きなバンドを探すようになりました。

両親の音楽が流れる家庭で育った

2025年の東大新聞のインタビューで、キタニタツヤは父親を幅広い音楽に親しむ人、母親を海外のロックやパンクに詳しい人として振り返っています。

幼い頃には、NirvanaやRed Hot Chili Peppersといった海外のロックバンドの音楽も自然と耳に入っていたそうです。

両親は歌うことも好きで、近所のスナックへ一緒に行き、歌うこともあったと話しています。音楽は特別な習い事というより、生活の中に当たり前にあるものでした。

また、家では音楽専門チャンネルのスペースシャワーTVがよく流れていました。

そこではテレビの音楽番組で広く取り上げられる曲ばかりでなく、さまざまなインディーズバンドのミュージックビデオにも触れることができました。

こうして幼い頃からロックの音に囲まれて育ったことが、後に自分で演奏する音楽を選ぶうえでも大きな背景になっています。

「遥か彼方」との出会いから、自分で好きなバンドを探すように

音楽を自分から探すようになった大きなきっかけは、小学生の頃に聴いたASIAN KUNG-FU GENERATIONの「遥か彼方」でした。

テレビアニメ『NARUTO -ナルト-』のオープニングテーマとして流れていた楽曲です。

当時のキタニタツヤは、速いテンポや勢いのあるギターの音に強く惹かれたと、FenderNewsのインタビューで話しています。

それまでは親が好む音楽を自然に聴いていた少年が、アジカンをきっかけに、自分の意思で好きな音楽を探し始めました。

その後、特に夢中になったのが8ottoやVOLA & THE ORIENTAL MACHINEといったバンドです。

母親と音楽情報を交換することもあり、気になるバンドを見つけてはCDを買ってもらったり、一緒にライブへ出かけたりしていました。

初めて足を運んだライブイベントとして本人が挙げているのは、宮城県で開催される「ARABAKI ROCK FEST.」です。

そこで観たMO’SOME TONEBENDERのステージが強く印象に残っていると、2018年のSkream!と2020年の音楽ナタリーのインタビューで振り返っています。

小学生の頃からライブハウスや音楽フェスの演奏を身近に感じていたことは、後に自分もステージに立ちたいと思うようになる背景の一つでした。

この時期に好きになったアジカンや8ottoなどのロックは、その後、ベースを弾くようになってからも大切な音楽として残っています。

高校でベースを手にし、バンドから一人で曲を作るように

ロックを聴くことに夢中だったキタニタツヤは、中学生になると、音楽の趣味が合う友人と出会います。

その友人との約束が、実際に楽器を手にするきっかけになりました。

中学時代の友人との約束でベースを始めた

中学時代、バンドが好きな友人たちと意気投合したキタニタツヤは、高校生になったら楽器を買ってバンドを組もうと約束しました。

そして高校受験が終わると、貯めていたお年玉を持って東京・御茶ノ水の楽器店へ行き、初めてのベースを購入します。

なぜギターではなくベースだったのでしょうか。

2020年の音楽ナタリーのインタビューでは、友人がギターを弾いていたため、自分はベースにしたのではないかと振り返っています。

一方、本人はもともとベースの音を意識して音楽を聴いていたとも語っています。

8ottoやVOLA & THE ORIENTAL MACHINEは、ベースが前に出てくるサウンドも印象的なバンドです。子どもの頃に聴いていた音楽の好みと、最初に選んだ楽器には自然なつながりがありました。

中学卒業時にベースを買ったことが、キタニタツヤ自身による音楽活動の具体的な出発点になりました。

高校では軽音楽部にも所属し、さまざまなジャンルの曲を演奏します。

軽音楽部は固定されたメンバーだけで活動する形式ではなく、曲ごとに異なる仲間と演奏することもあったそうです。

Metallicaの曲を演奏したり、SEKAI NO OWARIのコピー・バンドでシンセベースを担当したりと、幅広い演奏を経験しました。

2020年の音楽ナタリーのインタビューでは、実家に帰った際、当時使っていた大量のTAB譜を見つけて驚いたという話もしています。

ベースは単にバンド内で空いていた担当ではなく、さまざまな音楽を実際に演奏しながら身につけていった楽器でした。

コピー・バンドを経て、自分でオリジナル曲を制作

高校で最初に組んだバンドでは、アジカンなどのコピーを演奏していました。

ところが、途中からギターボーカルの友人がオリジナル曲を作ってくるようになります。

キタニタツヤは2018年のSkream!のインタビューで、その曲を聴いたときの気持ちをこう振り返っています。

「いや、俺はもっといいのを作れるぜ」

出典:Skream!「キタニタツヤ」2018年10月号インタビュー

本人も認めるように、当時は特に根拠のない自信だったそうです。

それでも実際に自分で曲を作ってみると、思いのほか納得のいくものができました。

これを機に、仲間と一緒に既存の曲を演奏するだけでなく、自分で作った曲を演奏する方向へ進みます。

高校の先輩の影響でPeople In The Boxやthe cabsといったバンドにも親しみ、複雑なリズムやギターロックの表現にも触れていました。

演奏する側としての経験が増える一方で、曲そのものを自分の考えで作りたいという気持ちも大きくなっていったのです。

この頃、音楽に没頭するあまり学校の成績にも変化がありました。

東大新聞のインタビューによると、高校1年生の頃には校内の実力試験で上位20%を維持していましたが、高校2年生になると平均付近まで下がったそうです。

ただ、音楽を作り、ライブで披露することで、それまで勉強以外では得られなかった充実感や手応えを感じるようになったと話しています。

学校での成績とは別に、自分の作った音楽が誰かに聴かれる喜びを知ったことも、この時期の重要な経験でした。

「羊の群れは笑わない。」と一人で演奏するスタイル

オリジナル曲を作り始めたものの、思いどおりに一緒に演奏してくれるメンバーが集まるとは限りませんでした。

そこでキタニタツヤは、パソコンでドラムを打ち込み、自宅でギターを録音するようになります。

そして、それらを組み合わせた伴奏音源をライブハウスで流し、ステージでは自分でベースを弾きながら歌いました。

バンドを組みたいという気持ちから始まった音楽活動が、一人で演奏と制作を成立させるスタイルへ変わったのです。

その活動の中心にあったのが、2011年に始まった「羊の群れは笑わない。」でした。

最初は一人で音源を制作し、ライブをするスタイルでしたが、その後はメンバーが加わり、バンドとしての活動も行っています。

キタニタツヤは2020年の音楽ナタリーで、高校から大学まで約7年間、このバンドで活動していたと説明しています。

当時はMyspaceにも楽曲を公開しており、ライブハウスだけでなく、ネットを通して自分の音楽を発信するようになっていました。

一方で、高校3年生の夏前になると大学受験に向けて活動をいったん休止します。

東大新聞のインタビューでは、半年ほど音楽から離れて勉強に集中したことも、比較的前向きに受け止めていたと振り返っています。

その後、大学進学を経て音楽活動を再開。「羊の群れは笑わない。」でもバンド体制で演奏を重ねました。

しかし、自分で作ったデモをメンバーにそのまま演奏してもらうことへの難しさも感じていたそうです。

最終的には、一人で曲を完成させる音楽制作のほうに楽しさを見いだすようになっていきました。

この時期に身につけた打ち込み、録音、アレンジ、ベース演奏の経験は、後のボカロP活動とソロ制作にも引き継がれています。

東京大学で「こんにちは谷田さん」としてボカロPを開始

キタニタツヤは高校卒業後、東京大学へ進学しました。

大学に進んだからといって、音楽から離れたわけではありません。

むしろ、音楽を作る仲間との交流が広がり、ネットでの楽曲投稿を始め、やがて音楽を仕事にすることを考えるようになりました。

東大文学部で学びながら続けた音楽活動

キタニタツヤが卒業したのは、東京大学文学部の美学芸術学専修です。

2025年の東大新聞のインタビューでは、もともと心理学や哲学、言語学など幅広い分野に興味があり、後期課程で美学芸術学専修へ進んだ経緯を説明しています。

大学生活では学業と並行して、複数の音楽サークルにも所属していました。

一つはパソコンで音楽を制作するサークル「TOKYO COM」です。

部員それぞれが制作した楽曲を集めてアルバムを作り、五月祭などで販売していたそうです。

もう一つは弾き語りサークル「東大アンプラグド」。こちらでは路上ライブにも参加していました。

東大新聞のインタビューでは、同じサークルの先輩だった伊沢拓司が、キタニタツヤの作った曲のフレーズをコピーしてくれたというエピソードも話しています。

大学の外にも、インターネットを通じて知り合った音楽仲間がいました。

本人によると、大学内の友人よりも、ネットで自主制作の楽曲を公開している仲間たちと過ごす時間が多かったそうです。

東大に通いながら、学内のサークル、ライブ、ネットでの音源制作を並行していたことが分かります。

2014年、「鯨と水星」でボカロPとしての活動を開始

高校時代から、キタニタツヤはVOCALOIDを使った音楽にも親しんでいました。

特に、じんの楽曲には強い関心を持ち、コード進行を勉強する際にも参考にしたと話しています。

当時のボカロ音楽には、電子音を中心にした楽曲だけでなく、ギターロックを土台とする作品も数多く登場していました。

子どもの頃からロックバンドを聴き、高校では自分で曲を作っていたキタニタツヤにとって、一人で制作した音楽を発表できるVOCALOIDは身近な表現手段になっていきます。

そして2014年5月14日、「こんにちは谷田さん」名義で「鯨と水星」をニコニコ動画に投稿しました。

これが、ボカロPとしての活動の始まりです。

「こんにちは谷田さん」は、キタニタツヤがソロアーティストとして広く知られる前に使用していた音楽活動名義です。

音楽をネットで発表し始めた頃、彼はまだ大学生でした。

その後もボカロ楽曲を制作し、2016年には「こんにちは谷田さん」名義でアルバム『彼は天井から見ている』を発表しています。

ただし、活動を始めた直後から多くの人に聴かれていたわけではありません。

2018年のSkream!のインタビューでは、当初は再生数が伸びず、悔しい思いをしていたことも振り返っています。

転機になったのが、2016年に発表した「芥の部屋は錆色に沈む」です。

この曲は本人が一つの目標としていた10万回再生に到達し、作品を聴いてくれる人がいるという手応えにつながりました。

そして2017年には、同曲のアコースティックアレンジによるセルフカバーも公開します。

ボカロ曲を自分の声で歌い直した経験が、キタニタツヤ名義で歌うソロ活動へ進む大きなきっかけになりました。

ネットの創作仲間との交流から職業作曲家の道へ

大学時代のキタニタツヤは、ネットで知り合った音楽仲間と交流しながら、自分でも楽曲を発表していました。

それでも、趣味で音楽を作ることと、音楽で生活していくことの間には大きな隔たりがありました。

そんな中、進路を考えるうえで重要な出来事が起こります。

大学2年生の頃、先輩が卒業後に一般企業へ就職せず、フリーランスで作曲を続けると話していたのです。

キタニタツヤは、それまで作曲家という仕事を、特別な立場にある人が担うもののように捉えていたといいます。

しかし、実際には駆け出しのアーティストの楽曲制作をはじめ、音楽で報酬を得る仕事にもさまざまな形があると知りました。

2025年の東大新聞のインタビューでは、そのときの気づきについて、自分の技術でも音楽の仕事をする道があると初めて分かったことを語っています。

それからは、卒業後に音楽の道へ進むための準備を始めました。

自分で作った楽曲のデモCDを音楽事務所へ持ち込み、楽曲コンペを紹介してもらうようになります。

コンペでは、曲を作ったからといって必ず採用されるわけではありません。数多く制作した中から一曲が採用されればよいという考えで、楽曲を作り続けたそうです。

こうして在学中から少しずつ仕事を得るようになり、卒業後も音楽で生きていく決意を固めました。

東大卒業後に突然ミュージシャンへ転身したのではなく、大学在学中から楽曲制作を仕事にする道を築いていたのです。

東京大学は2018年に卒業しています。

音楽を仕事にするという選択は、卒業後の思いつきではなく、学生時代の制作活動と具体的な行動の積み重ねによって生まれたものでした。

楽曲提供からソロへ――2017年から広がった音楽活動

大学時代から作品を発表してきたキタニタツヤは、2017年頃から、楽曲提供を行う作曲家としての活動と、自分の名前で歌うソロ活動を本格的に並行させていきます。

さらに、ベーシストとしてほかのアーティストの演奏にも参加し、複数の場所で音楽制作に関わるようになりました。

ここで大切なのは、楽曲提供、サポート演奏、バンド参加、ソロ活動がそれぞれ異なる役割だったことです。

n-bunaとの出会いとヨルシカでのベース演奏

キタニタツヤの音楽活動を語るうえで、ヨルシカとの関係も欠かせません。

ヨルシカを立ち上げたn-bunaとは、ボカロPとして活動していた時代から交流がありました。

2020年の音楽ナタリーのインタビューでは、n-bunaからベースを弾いてほしいと強く誘われ、参加することになった経緯を振り返っています。

キタニタツヤは2016年にn-bunaのライブでサポートベースを務め、その後、2017年に結成されたヨルシカにも初期から参加しました。

ただし、キタニタツヤはヨルシカの正式な構成メンバーではなく、サポートベーシストとして関わっていました。

ヨルシカの中心にいるのは、作詞・作曲を担当するn-bunaと、ボーカルを担当するsuisです。

キタニタツヤは録音やライブなどでベースを担当し、そのサウンドを長く支えてきました。

本人は2020年のCINRAのインタビューで、ヨルシカに参加する際も、単に指定されたフレーズを弾くだけでなく、曲に対して意見を出したり、アレンジを提案したりすることがあったと語っています。

また、音楽ナタリーでは、ベースについて、音程のある楽器とリズム楽器を結びつける役割を持っていると説明しています。

最初に手にした楽器がベースだったことは、バンド全体の音を考えるうえでも役立っていたようです。

なお、ヨルシカの公式サイトは2026年9月17日、キタニタツヤが前日の9月16日に終了した「ヨルシカ LIVE TOUR 2026『一人称』」の最終公演をもって、サポートを終えたことを発表しました。

ヨルシカのn-bunaとsuisは、長年ともに音楽を作ってきたことへの感謝を表明しています。

2017年の結成当初から約9年間にわたって参加したヨルシカでの活動は、キタニタツヤが自分のソロ作品以外でもベースを弾き続けてきた重要な経歴です。

自分の声で歌い始めたキタニタツヤ名義の活動

ボカロPとして作品を発表することと、自分自身が歌手として表に立つことは、キタニタツヤにとって同じ活動ではありませんでした。

きっかけの一つは、「芥の部屋は錆色に沈む」が再生数10万回を突破し、セルフカバーを発表したことです。

そのアコースティックアレンジの反応がよかったことから、本人が歌う活動へ進むようになったと、2020年のCINRAのインタビューで説明しています。

もともと高校時代からベースを弾きながら歌っていたため、歌うこと自体が初めてだったわけではありません。

それでも、VOCALOIDに歌わせるために作っていた音楽を、自分自身の声で表現することには別の意味がありました。

キタニタツヤ名義での活動は、楽曲提供先のアーティストに合わせる必要がない、自分自身の表現の場にもなっていきます。

2018年のSkream!のインタビューでは、仕事として他者に楽曲を提供する活動と、自分のために音楽を作るソロ活動を分けて考えていることを話しています。

作曲家としての活動では、依頼されたアーティストや作品に合わせて曲を作る必要があります。

一方、自分の名前で発表する曲では、題材も音楽性も自分の意思で決めることができます。

そうした自由さが、ソロアーティストとして制作を続ける理由にもなっていました。

2018年9月9日には、高円寺HIGHで「芥の部屋は錆色に沈む」を演奏しています。本人の公式YouTubeチャンネルには、そのときのライブ映像が残されています。

こうしてボカロP時代に生まれた楽曲も、本人の歌と生演奏によって、ソロアーティストとしてのライブへ受け継がれていきました。

渡辺翔、sanaとのsajou no hana結成

作曲家、ソロアーティスト、ベーシストとして活動する一方で、キタニタツヤは3人組バンド「sajou no hana」にも参加しました。

このバンドの結成を主導したのは、数多くのアーティストに楽曲を提供してきた作曲家の渡辺翔です。

渡辺翔は、普段の作家活動とは別に、自分が中心となって自由に音楽を作る場所を持ちたいと考えていました。

そこで所属事務所を通じて紹介されたのが、ボーカリストのsanaとキタニタツヤでした。

2018年の音楽ナタリーの結成インタビューでは、渡辺翔自身がこの経緯を説明しています。

sajou no hanaは2017年頃に活動を始め、2018年8月にシングル「星絵」をリリースしました。

「星絵」はテレビアニメ『天狼 Sirius the Jaeger』のエンディングテーマです。

このバンドでは、渡辺翔が主に作曲、sanaが歌唱を担当し、キタニタツヤはベース演奏やアレンジなどで楽曲制作に関わりました。

キタニタツヤは2018年のSkream!で、sajou no hanaの場合はsanaの歌声を念頭に置きながら、サウンドや歌詞を考えると説明しています。

自分だけで完結させるソロ作品とは異なり、ほかのメンバーの個性を前提として音楽を作る場所だったのです。

なお、sajou no hanaは2024年1月から活動体制を変更しています。

渡辺翔とキタニタツヤは正式メンバーから離れ、ボーカリストのsanaを中心とする音楽プロジェクトへ移行しました。

2人はその後もサウンドプロデュースの立場からsajou no hanaを支えると発表されています。

このため、2018年の3人組バンドとしての活動と、2024年以降の新体制は区別する必要があります。

2018年のソロアルバムから『DEMAGOG』まで

2018年9月26日、キタニタツヤはソロ名義で初のフルアルバム『I DO (NOT) LOVE YOU.』を発表しました。

この作品には「悪魔の踊り方」「芥の部屋は錆色に沈む」など、それまでの活動で制作してきた楽曲も収録されています。

特に特徴的なのは、マスタリングを除く制作作業の多くを本人が一人で手がけたことです。

ギター、ベース、プログラミングなどを自分で担当し、これまでに身につけてきた制作技術を一つのアルバムにまとめました。

高校時代、メンバーが集まらない中でドラムを打ち込み、ギターを録音していた経験が、アルバムを一人で完成させる制作方法にも受け継がれていました。

また、2019年にはソロでのワンマンライブも行い、ミニアルバム『Seven Girls’ H(e)avens』を発表しています。

この作品では、初期のギターロックを中心とした作風から、より幅広いポップスのサウンドへと表現が広がりました。

2019年のSkream!のインタビューでは、その時期に自分が聴く音楽や作りたい音楽が変化していたことを説明しています。

そして2020年8月26日、ソニー・ミュージックレーベルズからアルバム『DEMAGOG』を発表しました。

この作品がメジャーレーベルからのアルバムリリースとなります。

ここで整理しておきたいのが、キタニタツヤのデビュー時期です。

  • 2014年:こんにちは谷田さん名義でボカロP活動を開始
  • 2017年:楽曲提供と本人歌唱のソロ活動を展開
  • 2018年:ソロ初のフルアルバム『I DO (NOT) LOVE YOU.』を発表
  • 2020年:メジャーレーベルから『DEMAGOG』を発表

「2017年デビュー」「2018年デビュー」「2020年メジャーデビュー」といった表現が見られるのは、それぞれ指している段階が異なるためです。

キタニタツヤの場合、音楽活動の始まりと、ソロ作品の発表、メジャーレーベルからの作品発表は、一度に起きた出来事ではありませんでした。

「青のすみか」へ至る転機――アニメ音楽とソロ活動の広がり

2018年のソロアルバム、2020年の『DEMAGOG』を経て、キタニタツヤの音楽活動はさらに広がっていきます。

その中で大きな役割を果たしたのが、アニメ作品の世界観を音楽にする仕事でした。

もともとアニメや漫画にも親しんでいたキタニタツヤは、作品への思いを自分の音楽と重ねながら主題歌を制作していきます。

「スカー」で描いた『BLEACH』の世界

2022年、キタニタツヤはTVアニメ『BLEACH 千年血戦篇』のオープニングテーマ「スカー」を担当しました。

『BLEACH』は、キタニタツヤ自身が以前から強い思い入れを持っていた作品です。

2021年には原画展「BLEACH EX.」のテーマソング「Rapport」と、イメージソング「タナトフォビア」も担当していました。

『BLEACH 千年血戦篇』の公式インタビューでは、「スカー」を制作する際に3曲を用意して提出したと明かしています。

その中から採用されたのが「スカー」でした。

本人は作品全体に、登場人物たちが誰かを守り、同時に誰かに守られているという関係性があると捉えていました。

また、傷つきながらも恐怖と向き合い、前へ進もうとする姿を、楽曲の重要なテーマとしていたと説明しています。

『BLEACH』のために作った音楽でありながら、本人がそれまで歌ってきたテーマとも重なる内容でした。

2018年の『I DO (NOT) LOVE YOU.』から続くソロ作品とは別に、原作を読み込み、その世界観を一曲に反映させる仕事も、キタニタツヤの音楽活動の重要な柱になっていました。

「青のすみか」のヒットと紅白初出場

キタニタツヤの名前がさらに広く知られる大きな転機となったのが、2023年7月に発表した「青のすみか」です。

TVアニメ『呪術廻戦』第2期「懐玉・玉折」のオープニングテーマとして書き下ろされた楽曲でした。

「懐玉・玉折」は、五条悟や夏油傑の学生時代を描く物語です。

キタニタツヤは作品に登場する彼らの青春や、後の物語へとつながる関係性を意識しながら曲を制作しました。

少年時代にアニメ『NARUTO -ナルト-』を通してロックに出会った音楽家が、今度はアニメの主題歌を作り、多くの人へ音楽を届ける立場になったわけです。

「青のすみか」は2023年7月7日に配信が始まり、同月19日にはCD作品としてもリリースされました。

Billboard JAPANのストリーミング・ソング・チャートでは、7月12日公開分で23位に初登場し、翌週には2位まで上昇しています。

その後も再生数を伸ばし、2023年10月には、Billboard JAPANの集計で自身初となるストリーミング累計1億回再生を突破しました。

同チャートで1億回再生に到達したのは、チャートイン13週目でした。

この記録は、単にアニメ主題歌を担当したというだけでなく、キタニタツヤ自身の楽曲が広いリスナー層へ届いたことを示しています。

そして2023年12月31日には、「第74回NHK紅白歌合戦」に初出場し、「青のすみか」を披露しました。

ボカロPとしてニコニコ動画へ楽曲を投稿し始めた2014年から約9年。

ネットで音楽を作るところから始まった活動は、日本を代表する音楽番組のステージへと広がりました。

2024年1月には「青のすみか」や「スカー」を収録したアルバム『ROUNDABOUT』も発表しています。

「青のすみか」は突然生まれたヒット曲ではありません。高校時代のバンド活動、ボカロPとしての自主制作、作家としての楽曲提供、ソロ作品の発表など、長年続けてきた音楽活動の先に生まれた大きな転機でした。

10周年の日本武道館公演とGEMNでの共演

2024年5月14日、キタニタツヤは日本武道館でワンマンライブ「キタニタツヤ 10th Anniversary Live “彼は天井から見ている”」を開催しました。

この日は、ボカロP「こんにちは谷田さん」として「鯨と水星」を投稿した2014年5月14日から、ちょうど10年にあたります。

高校時代に一人で作った伴奏を流しながらベースを弾いていた少年は、大学でネットに曲を投稿し始め、10年後に日本武道館のステージに立ちました。

この公演では、ボカロPとしての始まりを象徴する初期作品からソロの代表曲まで、長年の活動を振り返る内容が披露されています。

ライブタイトルに使われた「彼は天井から見ている」は、2016年に「こんにちは谷田さん」名義で発表したアルバムにも使われていた言葉です。

つまり、日本武道館公演は「青のすみか」で知られるようになった後の大きなステージであると同時に、ネットでの楽曲投稿から始まった10年間の節目でもありました。

さらに同年、キタニタツヤは中島健人と音楽ユニット「GEMN(ジェム)」を組みました。

GEMNは、2024年に放送されたTVアニメ『【推しの子】』第2期のオープニングテーマ「ファタール」を担当しています。

「ファタール」は7月4日に先行配信され、その後CDも発売されました。

中島健人との共演は、作曲やベース演奏だけではなく、別の歌手とともに一つの音楽を表現する活動としても意味を持つ出来事でした。

一人で音楽を完成させることから始まり、作家として他者に曲を書き、ヨルシカでベースを弾き、sajou no hanaではメンバーと楽曲を作り、GEMNでは中島健人と歌う。

2024年の日本武道館公演とGEMNでの活動は、そうした複数の形で続けてきたキタニタツヤの音楽史に刻まれた出来事です。

そして日本武道館公演が行われた5月14日は、大学1年生だったキタニタツヤが、初めてボカロPとして楽曲を発表した日でもありました。

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