| 活動名 | 紫 今 |
|---|---|
| 読み方 | むらさき いま |
| 英字表記 | Mulasaki Ima |
| 活動形態 | ソロアーティスト/シンガーソングライター |
| 主な制作 | 作詞・作曲・編曲・歌唱、アートワーク、MVプロデュース |
紫 今(むらさき いま)は、作詞・作曲・編曲から歌唱、映像のプロデュースまでを手がけるシンガーソングライター。
2023年に「ゴールデンタイム」でソロ作品の配信を始め、「凡人様」「Not Queen」などで注目を集めた後、2024年には「魔性の女A」が国内外で大きな反響を呼んだ。
ハスキーな低音からホイッスルボイスを含む高音域まで使い分け、楽曲ごとに異なる表情を見せる歌声も特徴だ。
その音楽の始まりをたどると、アフリカの太鼓を演奏する父親と、ゴスペルを歌う母親の存在に行き着く。
幼い頃から歌手になることを夢見ていた少女は、学生時代にギターを手にし、やがてパソコンで曲を作るようになった。
歌うことへの憧れが、どのように作詞・作曲・編曲まで担う音楽活動へと変わっていったのか。両親との音楽体験から、初めての作品制作、デビュー、ブレイクまでの歩みをたどる。
| 音楽史の段階 | 紫 今の歩み |
|---|---|
| 音楽の原点 | 父のジャンベ、母のゴスペルを通じてアフリカ音楽やブラックミュージックに親しむ |
| 学生時代 | ギターの弾き語りを始め、文化祭動画やYouTubeで歌を発信する |
| 作曲の転機 | 高校卒業前後にGarageBandを使ったDTM制作を始める |
| 初期の音源参加 | 2022年5月、4na「某夜 feat.紫 今」に客演 |
| ソロ配信開始 | 2022年11月に「ゴールデンタイム」をTikTokへ投稿し、2023年3月に配信リリース |
| 認知の拡大 | 「凡人様」「Not Queen」に続き、2024年の「魔性の女A」が国内外で反響を呼ぶ |
| ライブと作品の発展 | 2024年に初ワンマンライブ、2025年に初フルアルバム『eMulsion』を発表 |
父のジャンベと母のゴスペルが音楽の原点に
紫 今が最初に親しんだ音楽は、一般的な日本のポップスとは少し違っていた。
家にはアフリカの太鼓の音があり、母親の歌声があった。両親にとって音楽は特別な催しではなく、日々の暮らしとつながっていた。
アフリカ音楽に囲まれ、幼い頃から歌っていた
父親は、アフリカ発祥の打楽器ジャンベを演奏するストリートミュージシャンだった。
ジャンベは、手でたたくことで低音から鋭い高音まで多彩な響きを生み出す太鼓。父親は海外でも演奏活動をしており、母親もゴスペルやアフリカ系の音楽を好んでいた。
両親は一緒に音楽を演奏することもあったが、その形はギターやドラムをそろえた一般的なバンドとは異なっていた。父親のジャンベと母親の歌を中心にした演奏だったという。
紫 今自身も、幼い頃からそうした演奏の場に加わっていた。
2026年のLotusのインタビューでは、母親がおんぶをしながら歌っていたことや、幼い自分が複数のジャンベを前にして楽しそうにたたいている写真が残っていることを振り返っている。
家族や友人たちとアフリカの音楽を演奏するときには、子ども用のジャンベやマラカスを持って参加したこともあった。
紫 今にとって音楽の最初の経験は、誰かの演奏を聴くだけでなく、自分もその輪に入って歌い、リズムを刻むことだった。
母親はゴスペル教室にも通っており、紫 今も幼い頃から一緒についていって「Amazing Grace」などを歌っていた。
地元のお祭りで歌った経験もあり、人前で歌うことは、プロとして活動を始めるずっと前から生活の一部になっていた。
こうした環境で親しんだファンク、ソウル、ジャズ、レゲエなどの音楽は、後に自身の作品を作る際にも大切な土台となっていく。
母の歌への憧れと、幼少期から始まった言葉遊び
紫 今は、物心がついた頃から歌手になりたいと思っていた。
ただし、最初からテレビに出ている有名な歌手を目標にしていたわけではない。
憧れの中心にいたのは、ゴスペルでメインの歌唱を担当する母親だった。
私もあの位置で歌いたい
出典:Lotus「【インタビュー】紫 今が語る、ルーツや表現の根幹。『私は修行僧』と語る彼女の素顔に迫る。」
大勢の声が重なる中で、メインの歌い手が別の旋律を歌う。そんなゴスペルの光景を見て育ったことが、歌手を志す直接的なきっかけになった。
一方で、歌うことと同じくらい早くから興味を持っていたものがある。言葉を組み合わせて遊ぶことだ。
2026年の歌ネットのインタビューでは、6歳頃の思い出として、車の中で詩のようなものを書いていたエピソードを語っている。
母親が運転する車の後部座席が定位置で、目の前のポケットにはお絵かき用のスケッチブックが入っていた。車酔いを紛らわせようと絵を描いているうちに、そこへ言葉も書くようになったという。
あるとき母親から、その言葉が好きだった『プリキュア』の主題歌に似ていると指摘された。
本人も指摘されて初めて気づき、強く印象に残った出来事だったようだ。
中学生になると、古いiPhoneに歌詞を書きためるようになった。まだ本格的な作曲をしていない時期にもかかわらず、AメロやBメロ、サビを想定した言葉を残していたという。
思春期の感情や恋心を書くだけでなく、造語をタイトルにするなど、言葉そのものへの興味も育っていた。
音楽の好みも成長とともに広がった。
小学生の頃にはボーカロイドの楽曲に夢中になり、アニメソングにも親しんだ。中学生になると椎名林檎やK-POPに出会い、TWICEをはじめとするグループの音楽にも触れていった。
歌詞の面では、ピノキオピーや平沢進の表現から影響を受けたことを、後年のインタビューで明かしている。
両親から受け取ったアフリカ音楽やゴスペルと、自分で見つけたボカロ、アニソン、K-POP。異なる音楽への興味は、次第に一人の歌い手の中で重なっていった。
歌手を目指した学生時代と弾き語りの始まり
幼少期から歌ってきた紫 今だったが、学生時代に入ると、人前で歌うだけでなく、自分から音楽を発信する活動を始めた。
その入口になったのは、特別な制作機材ではなく、一本のギターだった。
ギターを手にした理由と高校時代の音楽活動
紫 今がギターを始めたのは、歌手になるために何か楽器を弾けたほうがよいと考えたことがきっかけだった。
最初からギターそのものに強く憧れていたというより、自分の歌を届けるための手段として楽器が必要だったという。
当時はYUIやmiwa、あいみょんなど、ギターを持って歌う女性アーティストにも親しみを感じる時期だった。
本人の回想ではギターを始めた時期に「中学生ぐらい」「高校生ぐらい」という表現の違いがあるが、高校時代にはギターを弾く部活動に所属し、歌と演奏の両方を磨いていた。
この頃はバンド活動や弾き語りを経験し、歌唱力を高めることにも力を入れていた。
小中学生の頃にはボイストレーニングを受けていた時期もあり、基礎的な歌唱技術を身につけている。
さらに、母親は洋楽を歌う際の発音やリズムの感覚にも厳しかったという。単に音程を合わせるだけでなく、その音楽ならではの歌い方を意識する経験も重ねていた。
ボーカロイドやアニソンを歌う際には、原曲の歌声を聴き、声の出し方をまねることもあった。
後に低音から高音まで多彩な声を使い分けるようになる背景には、こうしてさまざまな音楽を歌い分けてきた時間があった。
文化祭動画をきっかけにYouTubeへ歌を投稿
高校1〜2年生頃、文化祭での演奏を収めた動画をYouTubeへ投稿したところ、少しずつ反応が集まるようになった。
大きなヒットではなかったが、本人にとっては自分の歌を知らない人に届けられる機会だった。
その反応をきっかけに、弾き語りの動画を積極的に投稿するようになる。
2019年9月24日には、アリアナ・グランデの「Baby I」をギターで弾き語るカバー動画を自身のYouTubeチャンネルへ公開した。
当時の演奏には、ギターを伴奏に歌を届けていた時期の姿がそのまま残されている。
2024年の音楽ナタリーのインタビューでは、この経験が、本格的に音楽活動を始めようと思ったきっかけだったと説明している。
ただし、この時点では歌うことへの関心が中心で、作曲家としての活動が完成していたわけではない。
自分で歌うための曲を弾き語りで作ることもあったが、それをそのまま理想の作品とするには限界を感じていた。
人の曲を歌い続けるだけでは、自分だけの音楽活動にならないのではないか。そんな思いも、オリジナル曲を作る方向へ進む理由の一つだった。
歌唱には手応えがあっても、曲作りではまだ自分の思い描く音を再現できない。
その問題が、次の大きな転機につながっていく。
弾き語りからDTMへ――自分の音楽を作る転機
紫 今が作詞・作曲・編曲まで自分で手がけるようになった背景には、音楽を一人で完結させたいという単純な理由だけではなく、弾き語りで感じていた不自由さがあった。
ギターと歌だけでは、頭の中で鳴っている音楽を十分に表現できなかったのである。
ギターだけでは再現できなかった頭の中のサウンド
紫 今は、弾き語りで曲を作っていた頃から、完成した楽曲のようなサウンドを頭の中に思い描いていた。
ドラムが入り、ピアノが鳴り、ストリングスや効果音が重なる。そんなイメージがあっても、ギター一本ではその一部しか伝えられない。
2024年の音楽ナタリーのインタビューでは、当時の状態について次のように語っている。
弾き語りで作っている段階で、頭の中では曲が完成しているんですよ。
出典:音楽ナタリー「紫 今『学級日誌』インタビュー|“完全自作自演マルチクリエイター”が今、本格始動」
特に、当時好きだったボカロやK-POPには、ギターの弾き語りだけでは再現しにくい電子音や複雑な音の組み合わせが多かった。
自分の中にある音楽を両親に聴かせても、実際に鳴らせるのは理想の一部分だけだったという。
このもどかしさを解消する手段になったのが、パソコンを使った音楽制作だった。
父に教わったGarageBandと「ゴールデンタイム」の原型
高校を卒業した頃、父親からGarageBandという音楽制作ソフトを教わった。
2026年のLotusのインタビューでは、コロナ禍に父親から古いパソコンを渡され、GarageBandを使ってみるよう勧められたことも明かしている。
GarageBandは、パソコン上でさまざまな楽器の音やリズムを組み合わせ、楽曲を制作できるソフトだ。
最初はパソコンの操作にも慣れず、ソフトの使い方を覚えることに苦労した。
しかし、操作を理解すると、もともと頭の中にあった音楽を具体的に組み立てられるようになった。
後年のインタビューでは、DTMを始めたことで自分のイメージの約9割を形にできるようになったと振り返っている。
弾き語りでは表現しきれなかった音楽を、DTMによって初めて自分の作品として完成させられるようになった。
この時期に制作した初期の楽曲が「ゴールデンタイム」と「エーミール」だった。
「ゴールデンタイム」は、幼い頃から親しんでいたジャズなどの感覚も反映された楽曲で、言葉の響きや韻を用いた表現も特徴になった。
本人は、曲を作ったときに自然と韻を踏んでいたことに、後から気づいたという。
一方で、初めて完成させた楽曲には自信がなかった。音楽として成立しているのかさえ分からないまま、聴き手の反応を待っていた。
それでも、頭の中にしかなかったサウンドを他人に届けられる作品にしたことは、紫 今の音楽活動を大きく変えた。
この経験は、その後も作詞・作曲・編曲を自分で担い、異なるジャンルを組み合わせて曲を作るという制作方法の出発点になった。
4naへの客演から「紫 今」のソロ活動が始まるまで
GarageBandによる楽曲制作と並行して、紫 今の歌声は他のアーティストの作品にも登場していた。
2022年の4naとの共演、そして2023年のソロ作品の配信は、それぞれ異なる意味を持つ初期活動の重要な出来事だった。
2022年、4na「某夜」で初めてオリジナル楽曲を配信
2022年5月18日、4na(シーナ)の「某夜 feat.紫 今」が配信リリースされた。
4naは、2021年に発表した「hazama」などで注目を集めていたアーティストで、「某夜」には自身で見いだしたボーカリストとして紫 今を起用した。
この楽曲では4naが作曲を担当し、紫 今はフィーチャリングボーカルとして参加している。
当時の本人コメントによると、自分の歌声がオリジナル楽曲としてデジタルリリースされるのは初めての経験だった。
歌詞の表現やグルーヴ感を大切にし、歌唱の準備にも時間をかけたという。
まだ自身の最初のソロ配信作品を発表する前の出来事だったが、すでに紫 今という名前と歌声が、正式な配信楽曲の中に残されていたのである。
「某夜」への参加は、歌手として他者の作品へ加わった経験だった。その後、自分で作り上げた楽曲を発信する活動が大きく動き出す。
「ゴールデンタイム」のTikTok投稿と2023年のソロリリース
2022年11月、DTMで制作した「ゴールデンタイム」をTikTokへ投稿した。
作曲の知識も経験も十分ではない中、手探りで完成させた初期のオリジナル曲だった。
投稿前には、この曲がきちんと音楽として成立しているのかという不安もあった。
しかし、投稿には好意的な反応が集まり、自分の作った音楽を他人に受け入れてもらう初めての手応えになった。
2024年1月のJ-WAVE『誰だってNeed music』で、紫 今は当時の気持ちを振り返っている。
ちゃんと曲作れてたんだ、私
出典:THE FIRST TIMES「紫 今、TikTokでバズった楽曲『ゴールデンタイム』は、『なんの知識もなく手探りで作った』」
反応を通じて得た自信は、さらに自分の音楽を発表していく原動力になった。
2023年3月15日には、「ゴールデンタイム」を紫 今名義の配信作品としてリリース。
この作品が、ソロアーティストとしての配信リリース開始に当たる。
ミュージックビデオの制作にも自ら関わり、映像の原画とプロデュースを担当。イラストレーターのmatumotと協力し、楽曲のイメージを視覚的にも表現した。
本人はMVの制作でも、まず頭の中にあるイメージを自分で絵に描き、それをもとにイラストレーターへ伝える方法を取っていた。
作詞・作曲・編曲だけでなく、映像まで自分のイメージを具体化する。その制作姿勢は、最初のソロリリースから表れている。
一つのオリジナル曲を完成させ、その曲の映像まで形にした経験は、ソロアーティストとしての方向性をより明確にしていった。
「凡人様」と「Not Queen」で広がった反響
「ゴールデンタイム」のリリースから間もない頃、次の重要な楽曲「凡人様」の制作が始まった。
当時はNewJeansの音楽に親しんでおり、ツーステップのリズムを使った曲を作りたいと考えていたという。
歌詞の出発点になった「凡人様」という言葉は、以前からスマートフォンのメモに書き留めていたものだった。
その言葉と、作ってみたかったリズムを組み合わせることで、楽曲の形が生まれた。
2023年5月10日には、初のEP『Gallery』をリリース。「凡人様」「ゴールデンタイム」「エーミール」など6曲が収録された。
「凡人様」はTikTokやYouTubeなどで反響を呼び、紫 今の音楽がさらに多くの聴き手へ届くきっかけになった。
ここで特徴的なのは、前作の成功をそのまま繰り返すのではなく、リズムや言葉の組み合わせを変えながら、新しい表現を試していたことだ。
同年12月には「Not Queen」を発表し、FM802の邦楽ヘビーローテーションに選ばれた。
この楽曲は、本人がロックなサウンドを作りたいと考えたことから制作を始めた作品だった。
制作途中には、以前作った別のデモ音源の要素も組み合わせ、楽曲を発展させたという。
ブラックミュージックの感覚、ボカロ的な音作り、K-POPのリズム、ロックの力強さ。作品ごとに異なる音楽性を打ち出す活動が、次第に知られるようになっていった。
その姿勢は、アーティスト名にも表れている。
2023年12月のFM802『UPBEAT!』では、好きな色である紫が赤と青を混ぜてできることと、自分の音楽がさまざまなジャンルを融合させていることから「紫」を選んだと説明している。
「今」には、今を生き、新鮮な音楽を作りたいという意味を込めたという。
異なる音楽を混ぜ合わせ、聴いたことのない表現を作ることが、「紫 今」という名前に込められた音楽観だった。
「魔性の女A」のブレイクと広がる音楽表現
2023年にソロ作品のリリースを始めた紫 今は、翌2024年に活動の幅をさらに広げた。
アニメ作品への楽曲提供、国内外でのバイラルヒット、初のワンマンライブ。インターネット上で広がっていた歌声が、さまざまな場所へ届くようになっていく。
「学級日誌」から「魔性の女A」へ、音楽が届く場所の拡大
2024年1月14日、紫 今は「学級日誌」を配信リリースした。
テレビアニメ『青の祓魔師 島根啓明結社篇』のエンディングテーマとして書き下ろされた楽曲で、3月6日にはCDも発売された。
切なさを含むバラードでありながら、歌唱やコーラスには、幼い頃から親しんだゴスペルの要素も反映されている。
アニメの物語に沿った楽曲を制作するという経験は、自分の表現と作品の世界観を重ねる機会にもなった。
さらに同年4月24日には、「魔性の女A」を配信リリースする。
この曲は、SNS上で楽曲の一部が広まったことを入口に注目を集め、国内だけでなく海外にも反響が拡大していった。
特に、好きなアイドルや俳優を紹介する動画などで楽曲が使用され、聴き手による新たな動画制作にもつながった。
しかし、楽曲の主題は、単に魅力的な女性を称賛することだけではなかった。
「魔性の女A」には、美しさの基準が時代や社会によって変わることや、外見で人を判断することへの問題意識が込められている。
2024年5月のrockin’on.comのインタビューでは、SNSで広まる音楽を一時的な流行として終わらせるのではなく、聴き手の参加も含めて一つの表現にできないかと考えていたことを明かしている。
曲の一部が先に広がり、その後で全体を聴いた人が別の意味に気づく。そうした体験まで考えながら制作していたという。
「魔性の女A」は、SNSでの拡散が大きな認知拡大につながっただけでなく、音楽と映像、聴き手の参加を結びつける制作思想を形にした転機でもあった。
ソニーミュージックの公式プロフィールでも、日本国内にとどまらず海外でバイラルヒットした代表曲として位置づけられている。
それまで発表してきた「ゴールデンタイム」「凡人様」「Not Queen」などに続く重要な作品となり、紫 今の名前を広く知らしめた。
初ワンマンライブとアルバム『eMulsion』への歩み
「魔性の女A」で反響が広がった2024年、紫 今は初めてのワンマンライブを開催した。
公演名は「Mulasaki Ima LIVE 2024 “Episode 0″」。
8月22日に東京のTOKIO TOKYOで初公演を行い、9月12日には大阪のYogibo HOLY MOUNTAINでも開催。いずれの公演もチケットは完売した。
それまで主に音源やSNSを通じて届いていた音楽を、観客の前で直接歌う機会だった。
紫 今の楽曲は、曲ごとに声色や歌い方、リズム、音楽ジャンルが大きく変化する。
ワンマンライブでは、そうした異なる楽曲を一人の歌い手が続けて表現することになった。
2024年末には「FM802 RADIO CRAZY 2024」や「COUNTDOWN JAPAN 24/25」にも出演し、ライブでの活動を広げていった。
そして2025年3月12日、初のフルアルバム『eMulsion(エマルション)』を発売する。
アルバムには「ゴールデンタイム」「凡人様」「Not Queen」「学級日誌」「魔性の女A」など、初期から活動の転機を象徴する作品が収録された。
タイトルの「eMulsion」は、異なる性質のものが混ざり合う「乳化」を意味する言葉に由来する。
赤と青を混ぜた色を活動名に選んだ紫 今にとって、異なる音楽を融合させるという考え方は、アルバムの制作にもつながっていた。
2025年3〜4月には、アルバムを掲げた東名阪でのワンマンツアー「Mulasaki Ima LIVE 2025 eMulsion」を開催した。
同年4月に発表した「ウワサのあの子」も国内外で反響を呼び、楽曲とMVを組み合わせた表現がさらに広がっていった。
こうした活動は、SNSだけで作品を届ける段階から、アルバムやライブを通じて一つの音楽世界を見せる段階への発展でもあった。
ライブを通して再びつながった幼少期の音楽ルーツ
ライブ経験を重ねた後、紫 今は自分の音楽について、興味深い変化を語っている。
2026年のHIROBAでのインタビューでは、ライブを本格的に始めたことで、もともと自分の中にあった音楽的な核が目覚めた感覚があると説明した。
最初から簡単にできたわけではなく、ステージでの経験と練習を重ねてきたという。
その過程で思い出すようになったのが、幼い頃に両親とアフリカ音楽を歌っていた自分だった。
父親のジャンベに合わせてリズムを取り、母親の歌声とともに音楽を楽しんでいた時間。
パソコンで曲を作り、映像をプロデュースし、多彩なジャンルを組み合わせる活動を続けてきた後に、ステージの上で再びその感覚とつながったのである。
幼い頃に親しんだ音楽と、学生時代に自分で見つけた音楽は、一つのジャンルに収まるものではなかった。
それでも、そのどちらもが紫 今の歌声と作品の中に残っている。
5歳頃にアフリカの音楽を歌っていた少女が、高校時代にはギターを弾き、やがてGarageBandで自分の曲を完成させた。
その音楽は「ゴールデンタイム」として届けられ、「魔性の女A」で国境を越えて広がり、ライブのステージへと続いていった。
紫 今が大切にしてきたのは、特定のジャンルへ自分を当てはめることではなく、自分の中で鳴っている音を実際の作品にすることだった。
ジャンベのリズム、母親のゴスペル、ボカロやK-POPとの出会い、そしてDTMで初めて完成させた自作曲。
異なる音楽が重なって生まれた歌声は、幼少期に両親と演奏した時間から、一本の線でつながっている。

