レトロリロンの始まり|涼音の弾き語りから音大4人の結成、メジャーデビューまで

レトロリロンの始まりを示す4人の人物ビジュアルとレコードアーカイブ風デザイン バンド

レトロリロンは、洗足学園音楽大学で出会ったメンバーによって2020年6月に始まったポップスバンドです。

ただし、もともと仲の良かった4人が「一緒にバンドをやろう」と集まったわけではありません。ボーカル/アコースティックギターの涼音は長くシンガーソングライターとして活動し、そもそもバンドを組むつもりがほとんどありませんでした。

そこへ大学の打ち上げで永山タイキが声をかけ、miriが加わり、最後は飯沼一暁が自分から参加。しかも、レコーディング、作編曲、ジャズドラム、クラシックピアノと、4人が学んできた分野もばらばらでした。

レトロリロンの始まりは、完成された仲間同士の結成ではなく、それまで別々に音楽を続けてきた4人が偶然に近い形で集まったことにあります。

音楽ルーツ早見表

時期出来事
涼音の幼少期5歳ごろからピアノを習う
中学〜高校時代ギター、作詞作曲、弾き語りへ進む
大学4年ごろ洗足学園音楽大学で現在につながる4人が集まる
2020年6月レトロリロンとして活動開始。「Slow time lover」をリリース
2022年「Restart?」「深夜6時」が認知拡大の転機になる
2025年5月「UNITY」でメジャーデビュー
2026年6月飯沼一暁が脱退。涼音・miri・永山タイキは活動継続を表明

レトロリロンの原点は涼音の高校時代に始まった

バンドの結成をたどる前に、まず涼音自身の音楽の始まりまで戻る必要があります。

レトロリロンでは涼音が作詞作曲の中心を担っていますが、その原型はバンド結成よりかなり前に作られていました。

5歳のピアノから『20世紀少年』をきっかけにギターへ

涼音が最初に触れた楽器はギターではなく、ピアノでした。J-WAVE『SAPPORO BEER OTOAJITO』で本人が振り返ったところによると、5歳ごろからピアノを習い始めています。

ただし、自分から強く希望して始めたものではなく、幼少期のピアノにはあまり楽しい記憶がなかったとも話しています。

自分の意思で楽器へ向かった大きなきっかけは中学生のころ。映画『20世紀少年』を見てギターに興味を持ち、高校1年でエレキギターを手にしました。

ところが、買えばすぐ弾けると思っていたギターは想像以上に難しく、一度は挫折。それでも練習を続け、『20世紀少年』にも使われたT.REX「20th Century Boy」を弾いた記憶があると語っています。

コピー禁止の軽音部で作詞作曲を始める

高校では軽音楽部へ入りました。ここで後のレトロリロンへ直結する経験が生まれます。

その軽音楽部には、コピー曲ではなくオリジナル曲を演奏する決まりがありました。つまり、ギターを始めたばかりの段階から、自分で曲を作らなければならなかったのです。

高校時代に作詞作曲へ取り組んだ経験が、後に涼音がレトロリロンの楽曲を生み出していく土台になりました。

同じ時期、YouTubeで音楽を探す中で黒木渚に出会います。初めて自分で買ったCDは黒木渚のアルバム『自由律』。そのライブは、涼音にとって初めて足を運んだライブでもありました。

当時は「どう生きればいいのか」を考えていた時期でもあり、黒木渚の音楽は強く心に残ったといいます。後年、そのころ黒木渚のマネージャーを務めていた人物が、レトロリロンのマネージャーになるというつながりも生まれました。

路上ミュージシャンとの出会いから弾き語りへ

高校時代には、もうひとつ大きな出来事がありました。

街で偶然見かけた路上ミュージシャンの演奏に惹かれた涼音は、その場で本人へ話しかけ、弾き語りのやり方を直接聞きに行っています。

「これがやりたいことだ!」

出典:J-WAVE「SAPPORO BEER OTOAJITO」2024年1月13日放送

誰もが演奏者へ注目しているわけではない街中で、それでも音楽を鳴らしている姿に衝撃を受けたことが、涼音自身の弾き語りへつながりました。

その後はシンガーソングライター「涼音」として長く活動。弾き語りではジョン・メイヤーのアコースティックギターの使い方も参考にし、本人は後年、その影響が自分の演奏スタイルにも残っていると明かしています。

ピアノ、ギター、作詞作曲、路上で見た弾き語り。レトロリロンより前にあった涼音のソロ活動が、そのままバンドの入口になっていきました。

洗足学園音楽大学で4人が出会いレトロリロンを結成

涼音は洗足学園音楽大学へ進学しました。レトロリロンを結成することになる4人は同じ大学の同期でしたが、最初から親しい友人グループだったわけではありません。

むしろ本人たちの証言を追うと、結成はかなり偶発的です。

永山タイキが打ち上げで涼音をバンドへ誘う

大学4年のころ、学生が演奏だけでなく音響や照明、舞台運営などにも関わるライブがあり、同じゼミだった涼音、永山タイキ、miriが一緒に演奏する機会がありました。

転機は、その打ち上げです。

永山は涼音を飲みに誘い、バンドを一緒にやりたいと伝えました。ところが永山自身はかなり酔っており、後日涼音が返事をしに行ったときには、誘ったことをほとんど覚えていなかったと複数のインタビューで振り返っています。

「おまえとずっと一緒にやりたいんだ」

出典:DI:GA ONLINE「レトロリロン、次世代ブレイク候補筆頭の彼らが示す新しきバンドの音と言葉」

涼音はもともとチームで動くことが得意ではなく、だからこそ一人で音楽を続けていました。一方で、ソロ活動が思うように進んでいたわけでもありません。

そこで約1週間考え、バンドへ参加することを決断。本人は後年、このバンドで駄目なら音楽を諦め、別の仕事をしようと考えていたと話しています。

永山タイキの何気ない一言は、涼音にとって「音楽を仕事にする道へ進むかどうか」を決めるほど大きな分岐点になりました。

miriは即加入、飯沼一暁は自分から「ベースを弾こうか」

涼音と永山の2人が動き始めると、ほかのメンバーは驚くほど自然に決まりました。

まず声をかけたのが、ゼミで一緒に演奏していたmiriです。廊下ですれ違った際に声をかけると、miriはほぼ即答で了承。ただしmiri自身は、当初は正式メンバーではなく、サポートで演奏する程度だと思っていたそうです。

残るベースはなかなか決まりませんでした。当時、飯沼一暁は別のインストゥルメンタルバンドでも活動しており、大学ではクラシックピアノを専攻していたため、涼音たちは最初からベーシスト候補として考えていませんでした。

ところが、もともと涼音のソロライブをよく見に来ていた飯沼が、3人が集まっているところを発見。自分から「ベースを弾こうか」と声をかけ、参加することになります。

こうして、永山が発起人となり、miriはほぼ即決、飯沼は自薦という形で4人がそろいました。「誰かが理想のメンバーを集めた」のではなく、涼音の音楽を中心に人が集まってきたというのがレトロリロンの結成です。

4人の異なる専攻がレトロリロンの音へつながった

4人は同じ音大出身でも、学んでいた内容は大きく異なりました。

メンバー担当大学で学んだ分野
涼音Vo / A.Gtレコーディングエンジニア
miriKey作・編曲、オーケストレーション
永山タイキDrジャズドラム
飯沼一暁Baクラシックピアノを専攻し、大学でベースも演奏

音楽的な背景が違うことは、最初から強みとして機能したわけではありません。

涼音はポップスを作りたいのにドラムがジャズへ寄り、鍵盤がクラシックへ寄るなど、結成直後は4人の個性がうまくかみ合わなかったと振り返っています。miriも、それぞれが自分の表現を出すことに必死で「バンド感」が薄かったと話しています。

そこで軸になったのが、ジャンルを限定するのではなく、「あくまでポップスである」という一つのルールでした。

涼音が弾き語りで曲の原型を作り、それぞれが自分の解釈で音を加え、最後に歌や言葉が届く形へ削っていく。この作り方によって、異なるバックグラウンドが少しずつひとつのバンドへまとまっていきます。

意味より語感と検索性を選んだ「レトロリロン」の名前

バンド名も、壮大な理念から決まったものではありませんでした。

メンバーそれぞれが候補を出していたものの、なかなか決まらず、「Old Friends」のような案もあったことを本人たちはたびたび明かしています。

最終的に涼音が考えたのが「レトロリロン」でした。名前を決める際に重視したのは、深い意味よりも覚えやすい語感、文字で見たときの印象、検索したときに自分たちだけが出てくることでした。

2026年の藤巻亮太との対談では、当時涼音がレトロ喫茶などにハマっていたことも名前の背景として語られています。

コロナ禍、ライブができない中でバンド活動が始まった

4人が集まった時期は、新型コロナウイルスの感染拡大と重なりました。

卒業と同時に結成を発表する予定もずれ込み、レトロリロンとして正式に動き出したのは2020年6月。普通の新人バンドならライブハウスへ立つところですが、彼らは別の方法から始めざるを得ませんでした。

最初のライブはライブハウスではなく自主配信

ライブハウスで通常通り演奏できなかったため、4人は機材と場所を自分たちで用意し、配信という形で最初のライブを行いました。

DI:GA ONLINEのインタビューで、涼音は当時について「やれることだけをやろう」と、曲やミュージックビデオを作っていたと振り返っています。

miriも「ライブができないから、作るしかない」という趣旨で語っており、活動を止めるのではなく、制作へ時間を使いました。

結成直後にライブ経験を積めなかったことは大きな制約でしたが、一方では、まだまとまり切っていなかった4人が曲作りやアレンジについて話し合う時間にもなりました。

「Slow time lover」から始まった初期リリース

レトロリロンは2020年6月15日に「Slow time lover」をリリースしています。

この時点では、後に知られるレトロリロンのバンド像が完成していたわけではありません。

4人はそれぞれ違う音楽を学び、演奏できるからこそ、最初は自分の持っているものをそのまま出していました。結果として音数や方向性が散らばり、「ポップスを作る」という共通の中心を見つけるまでには時間が必要でした。

それでも曲を作り、映像を作り、配信する。その積み重ねが、ライブ活動を本格化できる時期までの準備期間になっていきます。

結成1年後に4人で「バンドを続けるか」を確認

結成から1年ほど経ったころ、涼音は一度、メンバーそれぞれにバンドを続ける意思があるのかを確認しています。

仲の良い友人同士で始めたバンドではなく、音楽的な考え方も違う。続けるなら、遠慮せず真剣に同じ方向を見る必要があると考えたためです。

その際には、各メンバーがそれまで身につけてきた演奏の癖やバックグラウンドにも踏み込み、歌詞や言葉をリスナーへ届けるための演奏とは何かを話し合いました。

4人が「偶然集まったメンバー」から「同じポップスを作るバンド」へ変わっていったのは、結成そのものより、その後に方向性を合わせていった時間でした。

「Restart?」と「深夜6時」がレトロリロンの転機になった

初期活動を重ねたレトロリロンにとって、2022年は認知が大きく広がる年になりました。

その入口になったのが4月13日リリースの「Restart?」、そして11月9日リリースの「深夜6時」です。

「Restart?」に込めたソロ時代との決別

「Restart?」は、単に再生数が伸びたから重要な曲なのではありません。

2026年に音楽ナタリーのインタビューで涼音は、この曲について、それまでの自分から区切りをつける意味があったと明かしました。

「ソロ時代との決別みたいな意味合いがあった」

出典:音楽ナタリー「レトロリロン『コレクションアローン』特集」

ただし、それまでのソロ活動が消えるわけではありません。ソロで続けてきた経験がバンド結成へつながっているからこそ、曲名を単純な「Restart」ではなく「Restart?」にしたとも説明しています。

つまりこの曲は、涼音個人の音楽史とレトロリロンの音楽史が切り替わる位置にある作品でもあります。

「Restart?」はSpotifyのバイラルチャートトップ50に入り、「Best of Early Noise 2022」でも23位にランクイン。バンドの存在がより広い層へ届くきっかけになりました。

「深夜6時」が広がりライブの景色が変わる

同じ2022年11月にリリースした「深夜6時」も、その流れをさらに大きくしました。

同曲はロングヒットとなり、2023年1月18日付のUSEN HIT SNSランキングで13位にランクインしています。

2022年末にはCOUNTDOWN JAPAN 22/23へ出演。翌2023年からは全国各地の大型フェスへの出演も増え、ライブサーキットで入場規制がかかるケースも出るようになりました。

「Restart?」だけを唯一のブレイク曲と決めるより、2022年から2023年にかけて、ストリーミング、SNSランキング、ライブ出演が段階的に重なったと見る方が実際の歩みに近いでしょう。

レトロリロンは一曲だけで突然知られたのではなく、「Restart?」と「深夜6時」を軸に、音源とライブの両側から少しずつ聴き手を増やしていきました。

大型フェスへ進出し全国へ届き始める

初期の配信ライブから始まった活動は、数年かけて大きな会場やフェスへ移っていきました。

2023年4月には、初のCD作品となる1st EP『インナーダイアログ』をリリース。「Restart?」「深夜6時」など、それまでデジタルで発表してきた曲と新曲をひとつの作品へまとめています。

それでもレトロリロンは、特定ジャンルへ寄せて分かりやすくするのではなく、各メンバーの背景を残しながらポップスとして届ける方針を続けました。

涼音が弾き語りで原型を作り、メンバーがそれぞれの解釈を持ち寄り、セッションで形にする。大学時代にはちぐはぐだった4人の違いが、ここではバンドのアレンジを広げる材料へ変化しています。

結成から約5年、「UNITY」でメジャーデビューへ

2020年6月の結成から約5年。レトロリロンは2025年にキャリアの大きな節目を迎えます。

4月6日、EX THEATER ROPPONGIで行われたワンマンツアーのファイナルで、メジャーデビューを発表しました。

EX THEATER ROPPONGIでメジャーデビューを発表

EX THEATER ROPPONGIは、涼音自身にとっても意味のある会場でした。

ライブ中、涼音は初めて自分の意思で足を運んだライブがこの場所で行われたこと、そのアーティストに関わっていたマネージャーが後にレトロリロンのマネージャーになったことを明かしています。

高校時代に音楽へ引き込まれ、大学で偶然に近い形で3人と出会い、ライブさえ通常通りできない時期から活動を始めたバンドが、その会場でメジャーへ進むことを発表しました。

発表のタイミングも涼音が決めており、ほかのメンバーはライブのどこで伝えるのかを知らされていませんでした。最後の曲が終わる直前まで発表されず、メンバー側も「忘れているのでは」と思ったほどだったと後のインタビューで語られています。

2025年5月「UNITY」でPolydor Recordsからメジャーデビュー

2025年5月7日、レトロリロンは「UNITY」でユニバーサル ミュージックのPolydor Recordsからメジャーデビューしました。

大学の打ち上げで永山が涼音を誘った時点では、本人たちですら、ここまで続く形を想定していませんでした。

miriは最初、自分が正式メンバーだと思っておらず、飯沼はベーシスト候補にすら入っていなかった。結成後もしばらくは4人の音が合わず、解散するかもしれないと感じていた時期があります。

その4人が、ポップスという共通の軸を作り、「Restart?」「深夜6時」などを経て、約5年後にメジャーへ進みました。

2026年に飯沼一暁が脱退、3人は活動継続を選んだ

メジャーデビュー後にも、バンドの歴史には大きな変化がありました。

2026年6月25日、ベースの飯沼一暁がレトロリロンを脱退することが公式に発表されました。

公式発表では、結成以来メンバー同士で言葉を交わし、時間をかけて話し合ったうえで全員が納得した選択だったことが説明されています。具体的な脱退理由については、それ以上の推測を加えるべき情報は公表されていません。

同時に涼音は、miri、永山タイキとともに音楽を続ける意思を明言しました。公式プロフィールもその後、涼音、miri、永山タイキの3人を掲載する形へ更新されています。

同年9月には3人が新体制でインタビューに登場。2020年に4人で始まったレトロリロンは、飯沼の脱退という大きな節目を経ても、残った3人でバンドを続ける道を選びました。

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