| 活動名 | STUTS(スタッツ) |
|---|---|
| 生年月日 | 1989年6月23日 |
| 出身地 | 愛知県名古屋市 |
| 主な活動 | 音楽プロデューサー、トラックメーカー、MPCプレイヤー |
| 主な音楽ジャンル | ヒップホップを基盤とする音楽制作 |
STUTS(スタッツ)は、ヒップホップを原点に、ラッパーやシンガーとの共同制作、ドラマの主題歌、MPCを使ったライブパフォーマンスなどで知られる音楽家です。
数多くのアーティストの楽曲を手がけていますが、音楽活動の始まりは、中学生の頃にラッパーになりたいと思ったことでした。
自分がラップをするためのビートを作り始め、次第にトラック制作そのものに夢中になっていったのです。
その後は東京大学へ進学し、音楽仲間との出会いやニューヨークでの路上演奏を経験。大学院修了後には企業で働きながら音楽を続け、2016年の1stアルバム『Pushin’』発表を機に、音楽を職業にする道を選びました。
STUTSの音楽は、幼い頃に聴いた一枚のCDから、どのように広がっていったのでしょうか。
| 音楽史の段階 | STUTSの歩み |
|---|---|
| 音楽との出会い | 小学6年生頃、CHEMISTRYのアルバムをきっかけにラップへ関心を持つ |
| 初期の音楽制作 | 中学3年生頃にビート制作を始め、高校時代にMPC1000を購入 |
| 活動の広がり | 2008年の東京大学進学後、クラブでの活動やラッパーへの楽曲提供を重ねる |
| 大きな転機 | 2013年、ニューヨーク・ハーレムでMPCによる路上演奏を行う |
| 1stアルバムと独立 | 2016年に『Pushin’』を発表し、会社員を辞めて音楽活動に専念 |
| 音楽活動の拡大 | 『Eutopia』『Presence』『Orbit』などを経て、2023年に日本武道館公演、2025年に初のアリーナ公演を開催 |
CHEMISTRYのCDから始まったヒップホップとの出会い
STUTSがヒップホップに夢中になるきっかけは、小学6年生の頃に購入したCHEMISTRYのアルバムでした。
それまで音楽を積極的に探して聴く習慣はあまりなかったといいます。しかし、一曲のラップを耳にしたことから、好きな音楽を自分で探し、その背景まで掘り下げるようになりました。
幼少期に家庭で聴いていた音楽
1989年に生まれたSTUTSは、子どもの頃、家族と車で出かける際などに山下達郎、松任谷由実、The Beatlesの音楽を耳にしていました。
2020年のQeticのインタビューでは、家庭で流れていた音楽について、当時の流行曲というよりも、こうしたアーティストの作品が中心だったと振り返っています。
本人は後年、ヒップホップの中でもメロウでグルーヴ感があり、前向きな雰囲気を持つ音楽に惹かれた背景について、幼少期に聴いていた音楽が関係しているのかもしれないと語りました。
ただし、この時期から自分も音楽を作ろうと考えていたわけではありません。
小学生の頃はゲームにも夢中で、オリジナルのRPGを考え、キャラクターの能力値や設定をノートに書き込んでいたそうです。
自分で何かを考えて作ることが好きだった少年が、音楽制作に強く関心を向けるのは、もう少し後のことでした。
初めて買ったCDでDABOのラップに出会う
小学生時代、音楽好きの友人から借りたCDに収録されていたCHEMISTRYの楽曲が気になり、自分でもアルバムを購入しました。
それが、2001年発売の1stアルバム『The Way We Are』です。
当初のお目当てはシングル曲でしたが、アルバムに収録されていた「BROTHERHOOD」に参加するラッパー・DABOの声が、思いがけない出会いとなりました。
それまで馴染みのなかったラップという表現が気になり、同じ曲を何度も繰り返し聴くようになります。
最初からヒップホップという音楽ジャンルを意識していたわけではなく、まずは耳に残ったラップの面白さに惹かれたのです。
その後、RIP SLYME、KICK THE CAN CREW、Eminemなどを聴き始め、楽曲に参加している別のアーティストを調べたり、関連する作品を探したりするようになりました。
STUTSにとってヒップホップは、初めて自分から深く掘り下げたいと思った音楽でした。
A Tribe Called Questとサンプリングへの関心
中学生になると、聴く音楽はさらに広がっていきます。
BUDDHA BRAND、雷、MICROPHONE PAGERといった日本のヒップホップを聴き込むようになり、中学3年生頃にはCDショップの試聴機でA Tribe Called Questなどが収録されたコンピレーション作品と出会いました。
そこで聴いた1990年代のヒップホップに夢中になり、特にA Tribe Called Questの「Buggin’ Out」には強い衝撃を受けたといいます。
もう一つ重要だったのが、サンプリングという音楽制作の方法を知ったことです。
2020年のQeticのインタビューでは、LAMP EYEの「証言」とWu-Tang Clanの楽曲を聴き、同じドラムの音が使われていることに気づいた経験を振り返っています。
サンプリングは、既存の音源から一部分を取り出し、新しい楽曲の素材として使う制作手法です。STUTSはこの方法に関心を持ち、やがて自分でもビートを作るようになります。
聴き手として夢中になった1990年代のヒップホップが、制作する側へ進むための入口にもなったのです。
鹿児島の寮生活で始まったビート制作とMPC1000
STUTSが実際に曲作りを始めたのは、中学3年生の終わりから高校1年生にかけての頃でした。
中学・高校時代は鹿児島県で寮生活を送り、限られた環境の中でヒップホップを聴き、音楽制作の方法を探していました。
最初に目指したのは、トラックメーカーではなくラッパーでした。
ラッパーに憧れ、自分でビートを作り始める
ヒップホップに夢中になったSTUTSは、自分でもラップをしてみたいと考えるようになります。
当時はリリックを書いたり、実際に声を録音したりすることにも取り組んでいました。しかし、ラップをするには、その後ろで流れるビートが必要です。
2017年のGIRL HOUYHNHNMのインタビューでは、制作を始めた理由について、次のように語っています。
そのラップをするビートがないから自分で作るしかないかって。
出典:GIRL HOUYHNHNM「WHO IS STUTS?」
その発想から、数千円ほどのドラムマシンを購入し、音を並べてリズムを組み立てるようになりました。
最初から音楽家になる計画があったのではなく、好きなヒップホップを自分でもやってみたいという気持ちが先にあったのです。
ところが、ビートを作っているうちに、ラップをすること以上にトラック制作そのものが面白くなっていきました。
2017年のCINRAのインタビューでも、自分のラップにはあまり手応えを感じなかった一方、制作したビートには良い感触があったと振り返っています。
ラップをするために始めたビート制作が、いつの間にか音楽活動の中心になっていたのです。
ドラムマシンからMPC1000へ
ビート制作に夢中になると、最初に購入したドラムマシンだけでは物足りなくなっていきました。
その後、サンプラーのSP-303などを経て、高校1年生の頃にMPC1000を購入します。
MPCは、録音した音を加工したり、複数の音を組み合わせてリズムや楽曲を制作したりできる機材です。パッドを指で叩いて音を鳴らすこともできるため、制作だけでなくライブ演奏にも使えます。
STUTSにとっては、後に自分の演奏スタイルを象徴することになる重要な機材でした。
ただし、当時の寮生活では、音楽制作の情報を自由に調べられる環境が整っていたわけではありません。
2022年のJ-WAVE『UR LIFESTYLE COLLEGE』では、寮でインターネットが禁止され、テレビも大人数で1台という生活だったことを明かしています。
音楽機材について知るための主な情報源は、ヒップホップ関連の雑誌でした。
雑誌を通じて、好きなトラックメーカーたちがMPCを使って制作していることを知り、自分でも手に入れたのです。
高校時代にはビート制作に深く没頭し、学校の勉強よりも音楽に気持ちが向く時期もありました。
大学受験のためにMPCを実家へ送り返す
高校時代のSTUTSは、当初、医学部への進学も考えていました。
しかし、音楽への関心が強まるにつれ、医師として働く自分の姿を具体的に思い描きにくくなっていったそうです。
東京へ行きたいという気持ちもあり、エネルギー関連の分野を学ぶことを考えて東京大学の理科一類を志望しました。
大学受験へ向けて勉強に集中するため、高校3年生になると、それまで使っていたMPCをいったん実家へ送り返します。
2026年の東京大学新聞のインタビューでは、高校2年生まで曲作りに夢中で、勉強が十分できていなかったことも振り返っています。
手元からMPCを離すことで、音楽に向かっていたエネルギーを受験勉強へ切り替えました。
音楽をやめるためではなく、大学進学という次の選択に向けて、いったん制作から距離を置いた時期でした。
そして2008年、東京大学への進学に伴い上京します。
東大進学で広がった音楽仲間とMPCライブ
2008年の上京は、STUTSの音楽活動にとって大きな環境の変化となりました。
中学・高校時代は、周囲に同じようなヒップホップを聴いている人があまりいなかったそうです。しかし東京には、自分が好きな音楽を共有できる人たちが数多くいました。
大学で学ぶ一方、クラブに通い、ラッパーやDJとの交流を深めていきます。
2008年の上京とクラブでのバックDJ活動
STUTSは、大学の授業が始まる前から東京のクラブへ出入りしていました。
携帯サイトを通じて知り合ったラッパーのバックDJとして活動するようになり、上京して間もない頃からライブの現場に足を運んでいたのです。
2026年の東京大学新聞のインタビューでは、上京して2日目頃にはクラブに行っていたと振り返っています。
クラブでは自分と同じ音楽を好む人たちと出会い、そこから別のライブや制作へつながる交流が生まれました。
大学では音楽サークルの新歓にも参加したものの、一般的な楽器の演奏経験がなかったため、入部を見送ったそうです。
STUTSの音楽活動は、大学の音楽サークルを中心に広がったわけではありません。
学外のクラブシーンで出会った人たちと交流し、実際のライブや楽曲制作を重ねながら活動の場を広げていったことが特徴です。
PUNPEE・KMC・JJJらとの出会い
東京でのクラブ活動を通じて、STUTSは数多くのラッパーと知り合いました。
後に作品を共にするKMC、JJJ、PUNPEEなどとのつながりも、大学時代の音楽活動の中から生まれています。
なかでもPUNPEEは、STUTSが出会った頃からヒップホップシーンで知られていた存在でした。
東京大学新聞のインタビューでは、当時のPUNPEEについて、憧れていたアーティストと話すような感覚だったと振り返っています。
STUTSはクラブでの交流を重ねながら、ラッパーに自作のビートを提供するようになりました。
2009年から2010年頃には、Young Drunker、RAU DEF、KMCらの作品に関わり、トラックメーカーとしての活動を形にしていきます。
自分で作った音楽を人に聴いてもらい、ラッパーがそこへ言葉を乗せる。そうした共同制作は、STUTSが後に音楽プロデューサーとして活動するうえでも重要な経験となりました。
自作のビートを届けるためMPCのライブ演奏を始める
トラック提供やDJ活動を続ける中で、STUTSは新しい表現方法を探し始めます。
DJとして他のアーティストの曲をかけるだけでなく、自分が作ったビートをもっと直接聴いてもらいたいと考えるようになったのです。
そこで参考にしたのが、HIFANAやAnticon周辺のアーティストによるMPCを使ったパフォーマンスでした。
音楽制作に使っていた機材を、そのまま人前で演奏する。こうした方法があると知り、2009年から2010年頃にMPCによるライブ活動を始めました。
STUTSにとってMPCライブは、単に機材を上手に操作することを見せるものではありませんでした。
自分が作ったビートを、自分自身の演奏として観客へ届けるための方法だったのです。
また、MPCでライブをするようになったことで、他のアーティストにトラックを提供するだけではなく、自分自身の作品を発表したいという気持ちも強くなっていきました。
2020年のQeticのインタビューでは、MPCでの演奏を始めた頃から、独立した音楽家として自分の表現を形にしたいという意識が芽生えたと振り返っています。
大学で学びながらクラブで活動し、ビートを制作して人前でも演奏する。こうした経験を重ねた後、STUTSは海外で忘れられないライブを経験することになります。
2013年のハーレム路上演奏が切り開いた音楽の世界
2013年2月、STUTSはニューヨークのハーレム地区でMPC1000を使った路上演奏を行いました。
大学の卒業旅行を兼ねて訪れたニューヨークで、自分の音楽を現地の人々に聴いてもらおうと考えたのです。
この演奏を撮影した映像がYouTubeで公開され、STUTSの名前がそれまで接点のなかった人々へ広がるきっかけとなりました。
ニューヨークの街角でMPCを演奏
路上演奏が行われたのは、2013年2月6日。場所はニューヨーク・ハーレムの125丁目とレノックス・アベニューが交わる付近でした。
現地に住んでいた友人がスマートフォンで撮影した映像には、MPCを演奏するSTUTSと、その音楽に反応する通行人たちの姿が残っています。
演奏中には、年配の男性がビートに合わせて踊り始めたり、地元のラッパーが飛び入りでフリースタイルを披露したりする場面もありました。
2017年のGIRL HOUYHNHNMのインタビューでは、現地の女性から演奏を褒められたことや、人々が自然に音楽へ参加してくれたことを嬉しく感じたと振り返っています。
言葉を交わさなくても、自分の作ったビートに人々が反応してくれる。その体験は、STUTSにとって音楽を続ける可能性を感じる出来事になりました。
路上演奏の映像をきっかけに広がった出演機会
ハーレムでの演奏は、その場だけの思い出では終わりませんでした。
動画を見た人たちがSTUTSのMPCライブに関心を持つようになり、2014年から2015年頃には、ヒップホップ以外の音楽イベントにも出演する機会が増えていきます。
それまでは、主にラッパーやDJとの交流を通じて活動していました。しかし、映像をきっかけにバンドのライブへ呼ばれるようになり、生楽器を演奏するミュージシャンとも知り合うようになります。
2017年のCINRAのインタビューでは、MPCの演奏スタイルに影響を与えたもう一つの出来事として、2013年8月に観たKarriem Rigginsの来日公演を挙げています。
自分で制作したビートに合わせてドラムを演奏する姿を見て、MPCでも単に音を正確に鳴らすだけでなく、ドラムを叩くようなグルーヴを表現したいと考えるようになったそうです。
路上演奏が活動の場を広げ、別の音楽家の演奏から新しい表現方法を学ぶ。
この時期は、STUTSのMPCライブが、ビートを再生する演奏から、感情やグルーヴを伝えるパフォーマンスへ発展していった時期でもありました。
Alfred Beach Sandalとの制作で知った生楽器の魅力
出演するイベントの幅が広がったことで、STUTSはAlfred Beach Sandalこと北里彰久とも出会います。
2015年に発表されたAlfred Beach Sandalのアルバム『Honeymoon』には、STUTSが参加した「Soulfood」が収録されています。
この制作は、STUTSにとってそれまでと異なる音楽の作り方に触れる機会となりました。
ラッパーにビートを提供する制作とは違い、歌や生楽器を使う音楽家と一対一でセッションしながら曲を作る経験が新鮮だったそうです。
Qeticのインタビューでは、北里との共同制作によって、実際の楽器がどのように演奏され、どんな音を生み出しているのかに関心が強まったことを明かしています。
それまではサンプリングした音を中心に曲を作っていたSTUTSにとって、生楽器との共同制作は、音楽表現の選択肢を広げる経験になりました。
この出会いは、2017年に発表された共同作品『ABS+STUTS』へもつながっていきます。
『Pushin’』の完成と2016年の音楽専業への決断
2016年4月20日、STUTSは1stアルバム『Pushin’』を発表しました。
それ以前からラッパーへのビート提供やライブ活動を続けていましたが、『Pushin’』はSTUTS名義の初作品となり、ソロアーティストとしての大きな節目になりました。
アルバムには、大学時代から制作してきたビートや、音楽活動の中で出会ったアーティストたちとの楽曲が収められています。
2013年の大晦日に生まれた「夜を使いはたして」
『Pushin’』の中でも、STUTSの代表的な楽曲として知られるのが、PUNPEEを迎えた「夜を使いはたして」です。
そのビートの原型が作られたのは、2013年12月31日のことでした。
STUTSは年の終わりに一曲作ろうと考え、制作を始めたそうです。その時点で曲が完成したわけではなく、後から構成や音を調整していきました。
PUNPEEに歌詞を依頼する際には、夕焼けや朝焼けのような、昼と夜の間にある時間帯のイメージを伝えています。
完成までには時間がかかり、2017年のGIRL HOUYHNHNMのインタビューでは、アルバムのマスタリング前日にようやく完成したと振り返っています。
完成した楽曲には、学生時代から交流を続けてきたPUNPEEとの関係と、STUTSが長い時間をかけて作り上げたビートが重なっていました。
PUNPEEらとの制作を経て1stアルバムを発表
『Pushin’』には、PUNPEEのほか、JJJ、KID FRESINO、Campanella、KMC、Alfred Beach Sandal、呂布カルマ、CHIYORIなど、STUTSと音楽を通じてつながってきたアーティストたちが参加しています。
アルバムの制作は、発売直前に突然始まったものではありません。
STUTSは2010年頃から自身の作品を作りたいという気持ちを持ち、2011年から2015年頃までに制作した楽曲やビートを蓄えていました。
そこから長く聴き続けられると感じるものを選び、参加アーティストとの制作を重ね、1枚の作品として完成させています。
発売当日の2016年4月20日、STUTSは公式ブログに制作を終えた心境を記しました。
これが自分だと言えるような作品
出典:STUTS公式ブログ「本日4/20、僕の1st Album 『Pushin’』が発売になりました。」
この言葉には、それまでの長い制作期間への思いが表れています。
公式ブログでは、参加したアーティストや周囲の人々に支えられながら作品を完成させたこと、完成した際には感情があふれたことも明かしていました。
『Pushin’』は、学生時代から作り続けてきた音楽を、自分の名前で一つの作品にまとめたアルバムでした。
大学院修了後の会社員生活から音楽家へ
STUTSは東京大学農学部を卒業後、東京大学大学院情報学環・学際情報学府へ進学しました。
学部時代には、生物・環境工学科でセンサーデータなどを扱う研究に取り組み、プログラミングやコンピューターへの関心を深めています。
大学院では情報分野を学び、修了後は企業に就職しました。
この時点では、音楽だけで生活することを現実的な進路として考えていたわけではありません。
好きな音楽を作り続けながら、別の仕事もする。学生時代から、そうした働き方を考えていたそうです。
しかし、就職後に担当した仕事は、自分が希望していた仕事内容とは異なっていました。
そこで転職活動を始めますが、次の仕事を選ぶ際にも、音楽制作の時間を十分に確保できるかどうかを強く意識するようになります。
ちょうどその頃、1stアルバム『Pushin’』を発表し、音楽の仕事も増えていました。
2026年の東京大学新聞のインタビューによれば、2016年には音楽による収入が会社からの収入とほぼ同じ水準になり、音楽で生活できるかもしれないと考えるようになったそうです。
仕事の休憩時間にPUNPEEらと電話をしながら楽曲を制作していたことも、当時の思い出として語っています。
こうしてSTUTSは、社会人2年目の2016年、会社を辞めて音楽活動に専念することを決めました。
決断には大きな迷いがあったといいます。それでも、一度会社員として働いた経験があったからこそ、音楽の道を選ぶことに納得できたと振り返っています。
『Pushin’』の発表と会社員からの独立は、STUTSが音楽を好きで作り続ける立場から、音楽を職業として生きる立場へ進んだ重要な転機でした。
『Eutopia』から『Presence』へ広がった音楽制作
2016年に音楽活動へ専念してから、STUTSの仕事は自身の作品制作だけでなく、さまざまなアーティストとの共同制作へ広がっていきました。
ヒップホップを基盤としながら、シンガーやバンドとの制作、生楽器を取り入れた楽曲、テレビドラマの音楽など、関わる音楽の形も多様になっていきます。
その変化をたどるうえで重要なのが、2018年の『Eutopia』、2021年の『Presence』、そして2022年の『Orbit』です。
2018年『Eutopia』と星野源との音楽制作
2017年6月には、Alfred Beach Sandalとの共同作品『ABS+STUTS』を発表しました。
アルバム『Pushin’』での共演を経て、二人の音楽を一つの作品として深く組み合わせたプロジェクトです。
さらに2018年9月、STUTSは2ndアルバム『Eutopia』を発表します。
『Eutopia』にはPhum Viphurit、Daichi Yamamoto、鎮座DOPENESS、Campanella、長岡亮介、JJJなど、多彩なアーティストが参加しました。
自身のヒップホップを基盤としたビートに、歌や生楽器、さまざまな声を重ねていく制作が、さらに広がった作品でした。
同じ2018年には、星野源の音楽制作にも参加しています。
星野源の楽曲「ドラえもん」に収録された「The Shower」ではMPCの演奏を担当。さらにNHK連続テレビ小説『半分、青い。』の主題歌「アイデア」では、2番や間奏のビート制作、MPC演奏に参加し、ミュージックビデオにも出演しました。
「アイデア」での参加はSTUTS本人も公式サイトで紹介しており、その後、星野源のアルバム『POP VIRUS』にも複数の楽曲で参加しています。
ラッパーへのトラック提供から始まった活動が、幅広い音楽ジャンルのアーティストとの制作へとつながっていった時期でした。
2021年『Presence』とドラマ音楽への展開
2020年にはミニアルバム『Contrast』を発表。制作の中では、自身の歌唱や楽器演奏など、それまでとは異なる表現にも取り組みました。
そして2021年、STUTSの音楽活動を語るうえで欠かせない作品となったのが、ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』の主題歌「Presence」です。
「Presence」では、STUTSがトラック制作と楽曲プロデュースを担当し、松たか子の歌唱にラッパーたちの声を組み合わせました。
楽曲にはKID FRESINO、BIM、NENE、Daichi Yamamoto、T-Pablowがそれぞれ参加し、ドラマの出演者である岡田将生、角田晃広、松田龍平も歌唱に加わっています。
松たか子が歌うメロディーや歌詞の制作には、シンガーソングライターのbutajiも参加しました。
STUTSは2026年の東京大学新聞のインタビューで、ドラマの脚本を読み、物語のエンディングでどのような音楽が流れたらよいかを想像しながら制作したと振り返っています。
また、制作にあたっては、それぞれの参加者が持つ考えや表現を大切にしていたそうです。
学生時代からラッパーとビートを制作してきたSTUTSにとって、他のアーティストの声や表現を取り入れることは、以前から続けてきた音楽の作り方でもありました。
「Presence」は、ヒップホップを原点とする共同制作のスタイルが、テレビドラマという新しい場でも形になった作品でした。
『Orbit』とMirage Collectiveでの共同制作
2022年には、3rdアルバム『Orbit』を発表しました。
『Orbit』では、自身のトラック制作に加え、ライブを通じて活動を重ねてきたバンドメンバーとのセッションも楽曲制作に取り入れています。
参加アーティストにはtofubeats、Awich、JJJ、BIM、KMC、Daichi Yamamoto、Campanellaなど、多くの音楽仲間が名を連ねました。
大学時代から交流を続けてきた人物もいれば、その後の活動を通じて出会った音楽家もいます。
STUTSは、まずトラックを制作し、その音に合うアーティストの声を思い浮かべて参加を依頼するという方法を、J-WAVEのインタビューでも説明しています。
同じ2022年には、Mirage Collectiveのサウンドプロデュースを担当しました。
Mirage Collectiveは、ドラマ『エルピス―希望、あるいは災い―』の主題歌制作をきっかけに生まれた音楽集団です。
STUTSが一人で企画を立ち上げたものではなく、関係スタッフからプロデュースの依頼を受けて制作が始まりました。
楽曲「Mirage」では、butajiやYONCEらと共同制作を行い、STUTSは楽曲全体の構成やアレンジ、音作りなどを担当しています。
自分だけで全工程を完結させるのではなく、参加者それぞれの表現を組み合わせながら、一つの楽曲を作り上げていく活動が続いていました。
2023年の日本武道館から2025年のアリーナ公演へ
2023年6月23日、STUTSは初の日本武道館公演「90 Degrees」を開催しました。
この日はSTUTS自身の誕生日でもありました。公演後には、本人が当日の思いをXに残しています。
公演には自身のバンドに加え、PUNPEE、JJJ、KMC、BIM、Campanella、tofubeats、北里彰久など、長年の活動で出会ってきた音楽仲間が数多く参加しました。
かつては自分のビートを聴いてもらうため、一人でMPCを叩くライブを始めたSTUTS。その演奏が、さまざまな音楽家との共演を重ね、日本武道館での大規模な公演へと発展したのです。
さらに2025年9月23日には、Kアリーナ横浜で初のアリーナ単独公演「Odyssey」を開催しました。
「Odyssey」でも、バンドメンバーやゲストアーティスト、MPCプレイヤーたちとの共演を取り入れ、これまでの音楽活動で築いてきたつながりをステージ上に集めています。
大学時代にクラブで知り合ったラッパーとの制作、ハーレムの街角でのMPC演奏、会社員を辞めて発表した『Pushin’』。それぞれの時期に出会った音楽家たちとともに、STUTSは一つひとつの活動を積み重ねてきました。
2025年の「Odyssey」は、その歩みがKアリーナ横浜という大きな舞台に結実した公演となりました。

