| 項目 | プロフィール |
|---|---|
| 活動名 | REIKO(レイコ) |
| 生年 | 2002年 |
| 出生・成育 | フィリピン生まれ、愛知県育ち |
| 活動形態 | ソロシンガー |
| 所属 | BMSG |
| レーベル | BE-U |
| メジャーデビュー | 2023年10月6日「BUTTERFLY」 |
REIKO(レイコ)は、SKY-HIが主宰するBMSGに所属し、R&Bを軸とした音楽を届けるソロシンガーです。
2021年のオーディション『THE FIRST』で注目を集め、BMSGのトレーニーとして経験を重ねた後、2023年10月6日に「BUTTERFLY」でメジャーデビューしました。
その音楽の始まりをたどると、小学校で歌を褒められた経験と、中学生のときに出会ったアリアナ・グランデの歌声に行き着きます。
歌もダンスも専門的なレッスンを受けたことがないまま『THE FIRST』に参加し、初めての曲作りに挑戦。グループデビューを目指した時期を経て、自分で曲を書き、ひとりでステージに立つ道を選びました。
その転換点にあったのは、仲間たちと過ごした『MISSION×2』と、2022年の『BMSG FES’22』での出来事です。
家庭に流れていた音楽から、独学の歌唱練習、オーディションでの出会い、自作曲「No More」、そしてデビュー曲「BUTTERFLY」が生まれるまで。REIKOの音楽が形になっていく過程をたどります。
| 音楽史の段階 | REIKOの歩み |
|---|---|
| 音楽の原点 | 音楽好きな家庭で育ち、小学校の合唱部で歌唱経験を積む |
| 歌唱の形成 | アリアナ・グランデに憧れ、中学時代から独学で発声を研究 |
| 本格的な活動の入口 | 2021年『THE FIRST』に参加し、BMSGのトレーニーになる |
| 進路の転換 | 2022年『MISSION×2』を離れ、『BMSG FES’22』前後にソロへの意思を固める |
| ソロデビュー | 2023年9月「No More」でプレデビュー、10月「BUTTERFLY」でメジャーデビュー |
| 音楽表現の発展 | 自作曲や共同制作を重ね、2025年「LOVE DEEPER」、2026年「まだ」へと表現を広げる |
REIKOが歌を好きになった原点|音楽が流れる家庭と小学校時代
REIKOはフィリピンで生まれ、愛知県で育ちました。
両親は音楽好きで、幼い頃から家にはさまざまな曲が流れていました。母親の影響でビヨンセの楽曲をよく聴き、特に初期の作品に親しんでいたと、2023年のmi-molletのインタビューで振り返っています。
音楽を聴くことは日常の一部でしたが、自分にとって歌うことが特別な意味を持ったのは、小学校の教室での経験でした。
小学校2年生で歌を褒められた経験
REIKOが2023年のQJWebのインタビューで鮮明に覚えていると語ったのは、小学2年生の音楽の授業です。
授業中に歌った際、先生から歌が上手だと褒められ、クラスのみんなの前で歌うことになりました。
それまで家庭で自然に歌っていたREIKOにとって、この出来事は、自分の歌がほかの人に届くことを実感する経験になりました。
本人は、このとき歌うことで自分の存在を認識できたと説明しています。
先生に歌を褒められ、人前で歌ったことが、REIKOが明確に歌を好きになったきっかけでした。
REIKOの家庭では日本語以外の言葉も使われ、フィリピンの文化に親しみながら生活していました。
一方、学校では周囲との文化的な違いを感じることもあったといいます。友人はいたものの、考え方や感覚が強く重なる相手は多くなかったそうです。
そうした日々の中で、音楽は言葉や文化の違いを超えて親しめるものでした。
本人が後に音楽を自分の居場所として語った背景には、こうした成育環境と、歌うことで自信を得た経験がありました。
合唱部で歌い、人前に立った少年時代
REIKOが通っていた小学校には合唱部があり、本人はその1期生として参加しました。
合唱部では学校行事だけでなく、テレビ局が主催するコンクールなどでも歌う機会があったといいます。
小学校の頃から周囲の大人に歌を褒められることが多く、人前で歌う経験を積んでいました。
ただし、幼い頃から専門的なボーカルトレーニングを受けていたわけではありません。
学校での歌唱活動と、家で聴いていた音楽が、REIKOの歌の基礎になっていました。
中学生になるとカラオケにもよく通うようになります。友人と一緒に出かけ、日本のポップスを歌っていたそうです。
文化祭で同級生の前に立って歌ったこともあり、卒業文集にも歌について書いていました。
それでも、この頃はまだ音楽を仕事にするという具体的な考えには至っていませんでした。
歌が好きで、人前で歌うことにも慣れている。しかし、職業としてのアーティストが何をするのかまでは知らない。そんな少年時代でした。
アリアナ・グランデへの憧れから独学で歌を磨く
小学校で歌う楽しさを知ったREIKOは、中学生になると、歌唱技術そのものに強い関心を持つようになります。
そのきっかけとなったのが、アメリカの歌手アリアナ・グランデでした。
歌声に感動したREIKOは、レッスンへ通うのではなく、インターネットの動画を使って自分で練習を重ねていきます。
中学1年生で見たライブ映像が転機に
中学1年生の頃、REIKOはFacebookでアリアナ・グランデのライブ映像を目にしました。
mi-molletのインタビューでは、そのとき見たのは「Break Free」のライブパフォーマンスだったと話しています。
高い音域を自在に歌い、堂々とステージに立つ姿に強く感動したREIKO。
それまで歌うこと自体が好きだった気持ちに、もっと歌が上手くなりたいという具体的な目標が加わりました。
アリアナ・グランデの新曲を追いかけるようにもなり、その音楽を繰り返し聴いていたそうです。
幼少期に母親を通じて親しんだビヨンセの音楽とは違い、アリアナ・グランデは、REIKO自身が歌唱技術を磨こうと思う直接のきっかけになった存在でした。
YouTubeでボーカルを研究した日々
歌唱力を高めたいと思ったREIKOが始めたのは、自宅での独学でした。
YouTubeに公開されているボーカルトレーニング動画を見て、声の出し方や歌い方を研究していたといいます。
特に関心があったのは、アリアナ・グランデのような高音域の歌唱です。
どのようにすればあの声が出せるのか。疑問を持つと、関連する動画を探して練習する。
本人は好奇心が強かったこともあり、納得できるまで研究を続けていたそうです。
『THE FIRST』参加前のREIKOには、専門的な歌やダンスのレッスン経験がありませんでした。
その一方で、小学校からの歌唱経験と、自分で声を研究してきた時間は積み重なっていました。
こうして育てた歌声が、後にオーディションで評価されることになります。
Nizi Projectを見てオーディションへ関心
REIKOがオーディションに関心を持つきっかけとなったのは、『Nizi Project』でした。
番組では、異なる経歴を持つ参加者たちが課題に取り組み、歌やダンスの技術を高めながらデビューを目指していました。
REIKOは、専門的なレッスンを受けてこなかった参加者が成長し、最後まで進んでいく姿に感動したと振り返っています。
それまで職業としてのアーティストを具体的に想像できていなかったREIKOにとって、オーディションは自分にも挑戦できるかもしれない道になりました。
そして2021年、SKY-HIが主催する『THE FIRST』へ応募します。
この段階で、完成されたアーティストとしての目標や、デビューまでの計画があったわけではありません。
歌うことへの関心から始まった応募が、REIKOにとって音楽を仕事にする道への入口となりました。
THE FIRSTで音楽活動が本格化|初めての曲作りとBMSG所属
2021年、REIKOは『THE FIRST』に参加しました。
歌唱経験はあったものの、専門的なレッスンを受けずに参加したため、オーディションでは初めて向き合う課題も多くありました。
なかでも本人の音楽観を変えたのが、参加者自身が楽曲制作に取り組むクリエイティブ審査でした。
歌・ダンスのレッスン未経験でTHE FIRSTに挑戦
『THE FIRST』には、ダンス経験が豊富な参加者や、すでに音楽活動を経験していた参加者も集まっていました。
REIKOは、そうした人たちの実力に驚いたと話しています。
特にダンスは、歌とは異なり、オーディションへの参加を通して本格的に向き合うことになった分野です。
課題に取り組みながら、歌唱だけでなくパフォーマンス全体を磨いていきました。
最終審査まで進んだものの、BE:FIRSTのメンバーには選ばれませんでした。
ただ、REIKOの音楽活動がそこで終わったわけではありません。
SKY-HIはREIKOの可能性を評価し、BMSGのトレーニーとして育成を続ける道を提示しました。
REIKOはBMSGとのトレーニー契約を経て、デビューへ向けた準備を始めます。
クリエイティブ審査で知った曲作りの楽しさ
『THE FIRST』での経験の中でも、REIKOが特に重要だったと振り返っているのが、合宿でのクリエイティブ審査です。
参加者たちが音楽制作に取り組むこの審査で、REIKOは初めて曲作りを経験しました。
それまでは、誰かが作った楽曲を聴いたり歌ったりすることが中心でした。
しかし審査では、自分たちで音楽を生み出す過程に参加することになります。
2023年のQJWebのインタビューで、REIKOは初めて曲を作ったときの驚きを短い言葉で振り返っています。
こんなに楽しいんだ!
出典:QJWeb「REIKO、デビューを実現した今語る『音楽しか居場所がなかった』ルーツと『世界で活躍するのは大前提』の未来」
自分で音楽を作る面白さに初めて触れたことが、その後の活動への意識を変えていきました。
最終審査前にはRANと組んで「クリエイティブ審査NEO」にも挑戦しています。
REIKOはその際、ほかのチームとは異なる雰囲気のサウンドになったことにも触れ、自分の中に新しい音楽表現への関心が生まれていたと振り返っています。
歌う側だったREIKOが、自分で楽曲を生み出す楽しさを知ったことが、後のソロ活動へつながる重要な経験でした。
BMSGトレーニーとして歌とダンスを磨く
『THE FIRST』終了後、REIKOはBMSGのトレーニーとして活動を続けました。
この時期には、歌唱やダンスのレッスンに加え、レコーディング、メディア取材、ステージ出演など、アーティストの仕事を実際に経験する機会が増えていきます。
mi-molletのインタビューでは、そうした仕事を経験することで、アーティストという職業の全体像が見えるようになったと話しています。
オーディション参加中は、目の前の課題に取り組むことに精いっぱいだったREIKO。
トレーニーになってから、自分の歌やパフォーマンスを仕事として届けることを本格的に考えるようになりました。
特に重点を置いていたのがダンスです。
ヒップホップやジャズを中心にレッスンを重ね、クランプにも挑戦。歌う楽しさは以前から知っていましたが、ダンスの面白さは『THE FIRST』で新たに発見したものだったといいます。
歌唱面では、高音域を安定させることに取り組んでいました。
さらに、歌詞の世界に入り込み、そこで描かれた状況を想像しながら歌うことも、本人が大切にしてきた表現方法です。
REIKOは2023年、清水翔太と仲宗根泉による「366日」のカバーについて、『THE FIRST』の第二次審査で同曲を歌った頃と比べ、抑揚の付け方や自分の声の力を生かす方法に成長を感じていると話しています。
音域を広げる練習と、歌詞の感情を声に乗せる表現。その両方を磨いていた時期でした。
MISSION×2からソロの道へ|仲間との活動と進路の転換
2022年、REIKOはBMSGの新たなボーイズグループを目指すプロジェクトに参加しました。
後にオーディションドキュメンタリー『MISSION×2』として公開され、MAZZELの結成につながるプロジェクトです。
REIKOも当初はグループデビューを目標にしていましたが、途中でプロジェクトを離れ、その後ソロアーティストとして活動する道を選びました。
RAN・KAIRYU・SEITOと目指したグループデビュー
REIKOは『THE FIRST』終了後も、仲間とグループで音楽活動をすることに関心を持っていました。
2021年11月のQJWebのインタビューでは、グループとソロの両方をやりたいという希望を明かしています。
当時は、まず仲間と活動することで基盤を作り、その後にソロ作品も発表したいという考えがありました。
そうした思いを持って参加したのが、2022年のBMSGの新グループプロジェクトでした。
RAN、KAIRYU、SEITOらと一緒に練習を重ね、グループでのデビューを目指します。
REIKO自身、2023年のインタビューで、当時はMAZZELとしてデビューしたい気持ちで取り組んでいたと説明しています。
そのため、後にソロデビューしたという結果から、最初からグループ活動を望んでいなかったと考えるのは正確ではありません。
REIKOは仲間と一緒にデビューすることを望み、その目標に向かって練習を続けていました。
MISSION×2を離れた理由と再出発
『MISSION×2』につながるプロジェクトに参加していたREIKOは、途中で辞退することになります。
2023年のQJWebのインタビューによると、当時は私生活でつらい出来事が重なっていたといいます。
その影響で、RAN、KAIRYU、SEITOらと同じ熱量で練習を続けることが難しくなっていました。
REIKOが『MISSION×2』を離れたのは、最初からソロを目指していたからではなく、当時の状況を踏まえてSKY-HIと相談し、辞退する結論に至ったためです。
mi-molletのインタビューでも、この時期には音楽の夢を諦めることが頭をよぎったと明かしています。
それでも、BMSGでの音楽活動そのものを終わらせる選択には至りませんでした。
トレーニーとして活動を続けながら、自分がどのような形で音楽を届けていくのかを考える時間が始まります。
REIKOが参加していたプロジェクトは、その後MAZZELという8人組グループの結成につながりました。
REIKO自身はMAZZELの正式メンバーとしてデビューした経歴はありません。
グループへの加入や脱退ではなく、デビュー前のプロジェクトに参加し、途中で辞退したというのが正確な経緯です。
2022年のBMSG FESで明確になったソロ活動への思い
REIKOがソロアーティストとしての道を具体的に考えるようになったのは、2022年の『BMSG FES’22』前後でした。
2023年のQJWebのインタビューで、本人はフェスの約1か月前、SKY-HIへソロ曲を作りたいと相談したことを明かしています。
自分で楽曲を書きたいので、制作するためのトラックを提供してほしいと申し出たのです。
『THE FIRST』のクリエイティブ審査で曲作りの楽しさを知ったREIKOが、今度は自分の作品を作ろうと動き始めました。
そして2022年9月17日・18日、山梨県の富士急ハイランド コニファーフォレストで『BMSG FES’22』が開催されます。
この公演では、REIKOもBMSGのトレーニーとしてステージに立ち、SKY-HIの「One More Day feat. REIKO」などを披露しました。
公演後、Aile The ShotaがREIKOの肩を抱き、Novel Coreも呼んで、REIKOがソロアーティストになることを喜んでくれたといいます。
REIKOはその場で涙を流し、自分がソロアーティストとして歩む道を実感したと振り返っています。
ただ、ここでソロ活動への思いが固まっても、ひとりでステージに立つことへの不安がすぐになくなったわけではありません。
翌2023年3月、『D.U.N.K. Showcase』で自作曲「No More」を披露した際、REIKOはひとりで1曲をやりきる経験を通じて、自分にもソロ活動ができるという自信を得たといいます。
仲間との活動を望んでいた時期、自分でソロ曲を作ろうと決めた時期、そしてひとりで歌う自信を得た時期。それぞれが別の段階としてつながっています。
REIKOの公式YouTubeドキュメンタリー「THIS IS REIKO」第3話には、『MISSION×2』につながる2022年のオーディションと『BMSG FES’22』の記録が、当時の未公開インタビューとともに収められています。
自作曲「No More」から「BUTTERFLY」でのメジャーデビューへ
2023年、REIKOはソロアーティストとしてのデビューに向けて動き始めました。
同年9月1日には、自身が作詞作曲した「No More」をプレデビューシングルとして配信。10月6日には「BUTTERFLY」でメジャーデビューします。
この2曲には異なる制作体制と表現があり、REIKOが自分の音楽を形にしていく過程が表れています。
「No More」に込めたデビューへの思い
「No More」は、REIKO自身が作詞作曲を担当した楽曲です。
編曲にはSUNNY BOYが手がけるプロジェクト「INIMI」が参加。振付はBFQのTAK-YARD、ミュージックビデオの監督は新保拓人が担当しました。
楽曲制作を始めたのは、REIKOが19歳から20歳になる頃だったといいます。
2023年のQJWebのインタビューでは、少し大人びた自分を表現したいという思いがあったと振り返っています。
表面的にはダンスフロアで一緒に踊ろうと呼びかける楽曲ですが、そこには本人にとって別の意味もありました。
「No More」は、REIKO自身がデビューを待ち望む気持ちを重ねて書いた作品でもあったのです。
本人は、曲の中にある「I can’t wait no more」というフレーズに、デビューが待ちきれないという思いを込めたと説明しています。
また、『D.U.N.K. Showcase』で披露することを想定していたため、観客が踊れるクラブミュージックのようなサウンドも意識したそうです。
自分で作詞作曲した作品でありながら、編曲や振付、映像には複数のクリエイターが参加しています。
2021年の『THE FIRST』で初めて曲作りに挑戦したREIKOは、2022年に自分のソロ曲を作ろうと決め、2023年にはその作品を実際にステージで披露しました。
そして2023年9月1日、「No More」が正式に配信リリースされます。
グループデビューを目指した時期から、自分の言葉とメロディーで音楽を届けるところまで進んだ、REIKOの最初のソロ作品となりました。
蝶のネックレスから生まれた「BUTTERFLY」
2023年10月6日、REIKOは「BUTTERFLY」でメジャーデビューしました。
デビュー曲の制作には、Matt Cab、DJ UPPERCUT、虹色侍ずま、藤田織也らが参加しています。
公式クレジットでは、作詞にREIKO、BBY NABE、ずま、Matt Cab、作曲にREIKO、藤田織也、ずま、Matt Cab、DJ UPPERCUTが名を連ねています。
プロデュースと編曲はMatt CabとDJ UPPERCUTが担当しました。
REIKOが自ら作詞作曲した「No More」と比べると、複数のクリエイターと共同で音楽を作る体制がより明確になっています。
この曲の誕生には、スタジオでのちょっとした会話が関係していました。
Matt Cabと制作していた際、REIKOが身に着けていた蝶のネックレスをMatt Cabが褒めたことから、英語の「butterflies」という表現が話題になったそうです。
英語では、胸が高鳴る感覚や、誰かにときめく気持ちを蝶にたとえて表すことがあります。
その会話から曲のモチーフが固まり、恋が始まるときの高揚感を描いた「BUTTERFLY」へと発展しました。
さらにREIKOは、さなぎから蝶へ変わる過程を、自分自身の成長にも重ねていたと語っています。
『THE FIRST』で音楽制作を知り、BMSGのトレーニーとして練習を重ね、ソロアーティストとしてデビューするまでの時間です。
QJWebのインタビューによると、制作中には「BUTTERFLY」以外にも複数の楽曲候補があったといいます。
REIKOは、初めて自分を知る人にも、自分らしい魅力を伝えられると考え、この曲をデビュー作品に選んだと説明しています。
「No More」がデビューを待つ自分の気持ちを表現した曲だったのに対し、「BUTTERFLY」は自分自身を世に紹介するために選んだ作品でした。
自分から生まれた歌と、共同制作によって形になった歌。異なる2つの作品を経て、REIKOは2023年にソロシンガーとしてメジャーデビューしました。
ソロ活動で広がる音楽表現|R&Bへの思いと作品制作
メジャーデビュー後、REIKOは自作曲に加え、さまざまなプロデューサーやソングライターとの共同制作に取り組んでいきました。
2024年12月には1st EP『Debut』を発表。2025年には、R&Bをテーマにした3部作として「Take It Back」「君のせい」「LOVE DEEPER」を順にリリースしました。
なかでも「LOVE DEEPER」は、REIKOが敬意を持つ音楽家の作品を自分の楽曲へ取り入れた点で、音楽的なつながりがよく分かる作品です。
「LOVE DEEPER」で久保田利伸の音楽とつながる
2025年6月23日に配信された「LOVE DEEPER」は、R&B3部作の最後を飾る楽曲です。
プロデュースを担当したのはm.c.A・T。楽曲には久保田利伸の「流星のサドル」がサンプリングされています。
「流星のサドル」は、1986年に発売された久保田利伸の1stアルバム『SHAKE IT PARADISE』の冒頭に収録された楽曲です。
REIKOの公式発表によると、サンプリング使用はREIKO本人から久保田利伸へ申し出て、快諾を受けたことで実現しました。
本人が尊敬する音楽家の作品を、そのままカバーするのではなく、自分の新しい楽曲へ取り入れたのです。
「LOVE DEEPER」では、1980年代の日本のR&B・ファンクの音楽と、1990年代のアメリカのサウンドを意識したビートが組み合わされています。
作詞にはREIKOと川村真澄、作曲にはm.c.A・T、REIKO、LOAR、久保田利伸がクレジットされています。
久保田利伸からも楽曲へのコメントが寄せられ、m.c.A・Tはミュージックビデオにも出演しました。
幼い頃に母親を通じてビヨンセを聴き、中学生でアリアナ・グランデの歌唱に憧れたREIKO。
その後、BMSGでの活動を通じてR&Bを軸とした作品制作を重ね、久保田利伸という音楽家の楽曲を自分の作品へ取り入れるところまで進みました。
「LOVE DEEPER」は、単に過去の名曲を引用した作品ではありません。REIKO自身が楽曲使用を申し出て、世代の異なる音楽家との共同制作を実現した記録でもあります。
過去の経験を歌詞に重ねた「まだ」
REIKOが音楽を作るうえで、もう一つ特徴的なのが、自分の過去の経験や感情を歌詞へ結びつけていることです。
2026年5月13日に発売された2nd EP『VOICE』には、「まだ」という楽曲が収録されています。
この曲には、2022年の『BMSG FES’22』に出演した頃の経験が関係していました。
2026年のBillboard JAPANのインタビューで、REIKOは当時、自分のために応援してくれる人などいないのではないかと感じ、自分自身を低く評価していたことを振り返っています。
ステージから見える観客の笑顔についても、自分へ向けられたものではないと思っていたそうです。
その頃の思いが、後に「まだ」の歌詞の一部になったと本人が明かしています。
同じ『BMSG FES’22』は、Aile The ShotaやNovel Coreとのやり取りを通して、ソロアーティストとして進む道を実感した場所でもありました。
一つの公演に、進路への迷い、自分への不安、そして仲間からの後押しという異なる経験が重なっていたことが分かります。
本人は2026年、当時のフェスを通して得たものについて、次のように語っています。
自分を好きになっていいということ
出典:Billboard JAPAN「それぞれの目線と経験から想う『あなたにとって、BMSG FESとはどんな場所ですか?』」
2023年の「No More」は、デビューを待つ気持ちを歌にした作品でした。
一方、2026年の「まだ」には、デビュー前の自分が抱えていた思いが、時間を経て歌詞の一部として残されています。
初めて曲作りを経験した2021年、ソロ曲を書きたいと申し出た2022年、自分の作品でデビューした2023年。
REIKOはその後も、音楽を始めた頃の経験を振り返り、自分が感じてきたことを作品へ変えてきました。
小学2年生の教室で歌うことに喜びを感じた少年が、『THE FIRST』で曲を作る楽しさを知り、ソロアーティストとして自分の言葉を音楽にするようになった。その歩みは、「まだ」の歌詞にも続いています。

